真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
<< 前の話 次の話 >>

27 / 35
董卓包囲網編 第十話

 

 

 

 孫策は興奮していた。瞳は爛々と輝き、怪しい光を持っていた。

 彼女は悪癖を持っている。戦場に長く留まり、返り血を浴びれば浴びるほど興奮する。それは戦場に長く滞在すればするほどひどくなり、興奮が抜けるまでの時間が長くなる。

 しかし今の興奮はただ戦場にいるから、というだけではなかった。彼女の瞳は敵だけではなく、味方の劉備、曹操軍も見つめていた。そこに、目標の何かがあると言わんばかりだった。

 

「冥琳、あの中にいるわ」

「お前のお眼鏡に適った人間が、か?」

「ええ、いるわ―――必ず」

 

 孫策は少し前のことを思い出していた。誰よりも先に先陣が崩れるのに気づき、後ろからの奇襲があることも薄々勘づいていた頃である。それから暫くして袁紹からの伝令が届いた時も、やはりと思ったものだ。これが自分の恐れていた悪い予感か、と考え、そちらへ向けて出陣しようとして、固まった。

 先陣の空気が変わっていた。何が、という明確な答えは出ないが、抽象的に言えば漂っていた雰囲気が変化しつつあった。なんだ、と小さく気になり、袁紹が見つけた別動隊へ向けて出陣するのではなく、そちらにも兵を分けて送ろうか―――なんて考えると、不自然に頭が痛くなった。そちらへ行くな、後ろへ向かえ、先陣は助けるな。誰かが念じているようだった。場の空気が、流れが何かを操っているかのように。

 面白い、と孫策は笑った。先陣は既に、目に見えるほど崩れている。放っておいても誰かが向かうに違いない。先陣と遠く離れている我が軍が向かっても無駄足だ。そう冷静な部分が呟いたが、意図的に無視した。逆に、歯向かってやりたくなった。それならば、今ある全軍で、先陣に向かってやろう。そう思った。

 

 そう決め、周瑜や黄蓋の反対を押し切り、先陣へ向けて出陣すると様々な妨害があった。何故か袁術軍にいちゃもんをつけられ、動かぬ張邈軍が邪魔になり、先陣にいたのであろう袁紹軍の逃散に巻き込まれかけた。すべてが偶然の産物であろうが、だからこそ、孫策は愉快になった。

 悪いことが起こる気もするが、それを乗り越えれば反転し、良い流れになる気もする。最初に孫策が思ったことである。自らの信ずるべき勘である。ならば、この不運が翻れば、我が軍にどんな幸運が降ってくると言うのだろう。それを考えると笑みが止まらなかったし、先陣にいる人間が、恐らくこの妙な「流れ」を作り出しているのだろうという推測も立てられた。会ってみたい、と妙な胸のざわめきが起こった。

 会ってどうするのか。英傑ならば種でも貰うのか―――なんて考えて、孫策は自分自身が予想外なほど逸っていることに気がついた。流石に気が早すぎる。どうしてこんなにもその人間を気にしているのか。

 わからぬが、会えばわかるだろう――――――

 

 

 孫策は回想するのを止めて、前を見つめた。先ほどまで崩れていたはずの先陣は、何が起こったのか異常なほどの速さで立て直し、甦ろうとしていた。中央の軍が押された代わりに、両翼が持ち上がり、いつしかその陣形は鶴翼にも似た挙動を描いて反包囲的な陣形を築きつつある。驚くほどまでに綺麗な戦術機動だ。

 

「あり得ぬ」黄蓋は呻くように言った。「あの状況から、巻き返したじゃと」

「真にあり得ないのは、この先陣を誰もが見捨てかけたことよ。恐らく、曹操と私以外のすべての諸侯は、一兵たりともこの先陣―――劉備へ軍を送っていない」

「驚くほどの、不運じゃな」

「その不運が、今、翻った」

 

 翻ったとはなんじゃ、と黄蓋が問いかけてくる。祭にはわからないことよ、と孫策が返すと、黄蓋はむ、と唇を尖らせた。意地悪をしているわけではない。説明をしようとも誰からも信じられないし、そもそもうまく言葉にもできない「勘」である。

 これを、この「流れ」を、すべて自由自在に操れているわけではないだろうが―――仮に。先陣にいる人間がこの流れを完全に掌握したのならば、恐らく誰もが敵わないだろう。孫策は確信をもってそう言い切れた。

 

「まあ今は、とりあえず。この戦を終わらせてしまいましょう」

 

 そして、すべてが終わった後、戦勝の宴会の折にでも訪ねよう。誰が、先陣の肝なのか、と―――

 

 

 

 孔明は驚愕していた。恐らく、それは自らの隣にいる龐統も同じに違いない。

 策を実行に移す機会を、彼女らは今か今かと待ちわびていた。後詰が来たら、それに合わせて実行する。そう考えていた。

 策とは言っても単純なものである。最も負担がかかる中央に攻撃を集め、劉備軍両翼は陣形を保たせたまま、中央の軍が後退する。必然的に両翼のみが場に残り、自ずから挟撃する態勢になる。合図に合わせて、関羽、張飛を主とした将軍が、中央の軍と協力して三方向から包み込む。

 圧倒的に兵士の数が足りないこの状況で、包囲をしてもたかが知れていた。後詰が来て、それをこの三方向からの半包囲の最後の楔―――四方向目とする。結果、半包囲が完全包囲となる。それが作戦の肝であり、最も重要な部分だった。

 

 だというのに、いつまで経っても後詰は来なかった。天から見放されたのではないか、なんて不安を慮るほど、孔明は焦っていた。その途端、である。

 孔明は見ていた。右翼後方で、策の機会を龐統と議論していた最中、偶然にも押し込まれる中央に目をやっていた。呂布が暴れ、夏侯惇が立ち向かい、夏侯淵が焦りを浮かべているのを。そして、そこに程遠志が乱入し、夏侯惇を助けるのを。それによって士気が向上し―――図ったかのように援軍が来たのを。

 まるで一つの流れのようだった。演劇だの、舞台だの、物語だので取り決められた流れに従って進行しているような、そんな気分にさせられた。

 

「朱里ちゃん、これって」

「どう考えてもおかしいよね」

 

 だとしても、と孔明は切り替えざるを得ない。士気が上がり、この状況を覆すには今しかない。

 両翼の主攻である関羽、張飛はすでに動き出している。手を緩めている暇はない。ようやくできた勝機である。

 

 ……孔明の頭には、一人の男の顔が浮かんでいた。程遠志。昨日の酒宴で絡み回り、趙雲と勝負し、痴態を晒していたかと思えば、今日夏侯惇を助けるために命を張った、よくわからぬ男である。「流れ」というものをよく口にする、面白い男だ、と関羽が言っていた。気難しいともとれる気性の彼女が褒めるとは、と孔明自身驚いていたのでよく覚えている。

 程遠志は顔を青褪めさせながら立っていた。ふらふらと足元はおぼつかず、目は虚ろながらも、確かに両の足で屹立していた。その瞳は鋭く、口元は笑みで歪んでいる。これで決まった。もう負けはない。上手くいった、という笑み。この戦場を、まるで今すべて支配した、と言わんばかりの表情だった。

 

 あり得ない、という否定が孔明の身体のうちから流れ出てきた。それは、知に生きる者ならば誰もが持つべき感情だろう。流れのような抽象的なものが戦場を自由自在に動かせるならば、軍師というものの存在価値とは何なのか。何だというのか。

 そんな、激流のような否定の感情が湧き出てきて、少しずつそれは収まり、やがて純粋な興味になった。会ってみたい。もう一度会い、話してみたい。

 

「程遠志さんに、会ってみたい」

 

 自然と、孔明の口からそんな言葉が零れ落ちていた。

 あ、と慌てる孔明に、龐統も微笑を浮かべて「私も」と返した。

 

 

 

 

 高順は苦笑いを浮かべた。そんな表情も画になるような、そんな男だった。

 韓馥を殺し、その後ろの第二陣、第三陣も踏み潰した。そこまでは完璧な、まさしく「陥陣営」としての立ち回りだったが、そこで、正面から万全の袁紹軍とぶつかった。袁紹軍は連合軍の中でも最も多い兵力を有しており、独力で高順の董卓別動隊を凌ぐほどであった。猛将の文醜、顔良から、軍師の田豊、審配。兵の質も、将の質もかなり高い。それを相手取って、高順と張遼は五分以上の戦いをしていた。

 

 ―――そこに、左から曹操。右から馬超の突進を受けるまでは、だが。

 

 完全に勢いを殺され、騎兵は足が止まり、無用の長物となった。兵力差は、二倍、やがて三倍へと変化していくことになるだろう。最初の奇襲が袁紹に読まれていた瞬間から、そもそもこの作戦は無理があったのだ。兵卒たちの士気は下がり、軍団長も動揺した。

 それでも、そこから高順は半刻持ち堪えた。まだわからぬ。こちらに曹操、袁紹、袁術、馬超などの殆どの諸侯が向かってきているのならば、先陣にいる呂布を止められるものなどいないはずだ。背後からの奇襲は読まれても、先陣を崩した董卓軍本隊が連合軍の背を突ければ同じことができる。そう確信し、耐え続けた。

 ……しかし、その考えは、今しがた陣に訪れた伝令によって、真っ向から否定されてしまった。

 

「董卓軍本隊、先陣を打ち破れず汜水関へ後退! そのまま籠城せず、汜水関、函谷関を捨てて洛陽に撤退します!」

「なんやて」張遼が目を剥いた。「恋がいて、主力がこちらに多くいて打ち破れんのか!」

「明らかにおかしいな。何があったかは、オレにもわかんねえが」

 

 高順はぽつりと呟く。これでは、ここで連合軍を相手取り、耐久戦をやった意味がない。

 逃げるか、とすぐに彼は決断した。今の伝令の声は軍全体に聞こえている。援軍が来ないと知れ渡った現状では、今以上に士気が落ちることになるだろう。

 

「にしても、本隊は函谷関も捨てたんか」

「仕方ないさ。姫の危機だ」

 

 高順が姫、と呼ぶのは董卓のことである。数日前、汜水関に籠る董卓軍に連絡が来ていた。大部分の軍隊が不在の洛陽で、十常侍の抑えがきかない、早めに戻ってきてくれ、とのことであった。

 それ故、元々董卓軍は汜水関に長居することができなかったのである。短期決戦を高順は望んでいた。

 取るべき手は三つあった。汜水関、函谷関を捨てるか。汜水関、函谷関に滞在する軍を分け、一部を洛陽へ戻すか。汜水関から打って出るか。高順と華雄は最後の案を強く熱望し、微妙な顔をする張遼も高順の考えた策を聞いて頷いた。陳宮は最後まで反対したが、多勢に無勢であった。無謀な別動隊には付き合わぬ、とばかりに汜水関から呂布と打って出ることになった。

 彼女の言うとおりだったな、と高順は苦笑いを浮かべた。確かに無茶だった。無茶をしたからには責任を取らないとな、なんて口笛を吹くように言う。

 

「霞」高順は笑いながら言った。「オレが殿をするよ」

「はあ!? 死ぬ気かアンタ!」

「この作戦を考えたんだから、責任を取るのもオレがいい」

「何格好つけてんねん!」

「良い格好つけるのが男の美学だろ?」

 

 高順が破顔したまま言う。

 なんや、と張遼は顔を厳しくして、一瞬後、表情を一転させて笑い出した。

 

「それなら」張遼も笑って言う。「ウチも残るわ」

「はあ? お前は別だろ」

「賛成したのはウチも一緒や。それに―――恰好つけるのは女がしても悪くないやろ?」

「死ぬかもしんねえぞ」

「そのまま、その言葉返したる」

 

 互いに見合って、笑い合う。覚悟はできている。戦場に出ているのだから、当然のことだ。

 

「もし」そこで、高順は奇妙な顔になった。「もし生き残ったらよ、会いに行こうぜ」

「会いに行く? 何にや」

「呂布の猛攻を受けて生き残った先陣の奴らに、だよ」

「は―――そりゃええな。生き残ったらだけどな」

「生き残るよ。オレとお前ならな、そうなるさ」

 

 高順は片目を瞑って言った。その、そうなるとどこまでも確信している表情は、とても彼に似合っていた。

 

 

 

 








※この小説はログインせずに感想を書き込むことが可能です。ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。