真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
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張邈決戦編 第二話

 

 

 

 徐州の牧、陶謙と曹操の間には小さな因縁がある。少し前、陶謙が兵を集め、曹操の領地である兗州に攻め入ったことがあった。曹操は軍を二つに分けて、従妹の曹仁に別動隊を率いさせ、散々に叩き潰した。

 それ以降、陶謙が怯えたのかは定かでないが、曹操に対して一切の接触をなくしていた。

 ―――それは、あくまで今日までであったが。

 曹操の父親が殺された。それを為したのは陶謙配下の者だ、という連絡が他ならぬ陶謙自身から曹操の元へ入ったのは、つい今しがたのことであった。自分の所為ではない、という抗弁とともに。

 

 大広間には曹操軍旗下の武将がすべて揃っていた。どの人間も皆、一様に緊張の色が隠せていない。程遠志たちも慌ててその端に座り、背筋を伸ばした。

 一番前には曹操がいる。この場にて、皮肉なことに最も普段と変わらない様子を見せていたのは彼女だけだった。

 

「徐州を攻めるわ」

 

 程遠志が来たのを皮切りに曹操は口を開いた。

 無感情でいて、変に激情を押し殺しているわけでもない。普段通りの態度は逆に周りの者を動揺させた。

 

「華琳さま―――それは、陶謙を攻め滅ぼすと」

「いいえ。陶謙を完全に攻め滅ぼすには我が軍の全力を出す必要があるわ。仮に全力を出したとして、兵糧が持つかと言えば微妙なところ。徐州の中心地である澎城国の陥落が第一目標よ」

 

 程遠志から見ても―――恐らくこの状況の誰が見ても、曹操は怒っていなかった。仮に内心が激情で煮えくり返っているのならば、その隠匿は恐ろしいほどまでのものだろう。

 

「桂花、風、稟。陶謙に援軍を出す勢力は、予想できるかしら」

「恐らくですがー」程昱が口を挟む。「袁紹、公孫瓚は正面から戦っている真っ最中。他の勢力は、そう積極的に関与してくることはないかとー」

「成る程。稟は?」

「援軍はないかと思いますが、陶謙の陣に、劉備という女がいる、という情報が入っています。生半可な援軍よりも、私は彼女の力の方が恐ろしく思います」

「へえ」曹操は微笑んだ。「ずいぶんと高評価ね」

「張飛に関羽、軍師の孔明と龐統。それに―――常山の趙子龍がいます」

 

 郭嘉は小さく汗を流していた。付け加えるように、それでいて勝気な瞳のまま、言った。「劉備はあくまで民衆のことを考えている人間だと聞きます。徐州の民へ、何卒怒りを向けぬよう、お願い致します」

 笑顔だった曹操の顔が、ぴくりと震える。徐州の民へ、自らの父の死の怒りをぶつけるのではないか。そんな心配は無礼だとも言える。「馬鹿な」と叫ぼうとした夏侯惇を、曹操は手で制した。

 

「勘違いをしている者がいるのならば、訂正させてもらうわ」

 

 曹操はそこで一呼吸を置いて、郭嘉を―――そして、全員を見つめた。

 迷いのない瞳だった。現実的で実利的であり、感情が欠落しているわけでもなく、飽和しているわけでもない。

 程遠志は怖いな、と微かに思った。安定しすぎている。

 

「徐州を攻めるのは、すべきことだからよ。感情に動かされているわけじゃない。父が殺され、それを許しては曹孟徳の名に傷が付くわ。この大陸に覇を唱える以上、しなければならないことなのよ」

 

「すべきこと」と「すべきでないこと」で世界は二分されている、というような言葉だった。

 水を打つような冷静さである。郭嘉は平伏し、失言を詫びた。曹操はそれを微笑で受け止め、怒りを見せようともしない。すぐさま、話を進める。

 

「徐州攻めにすべての兵力を割くわけにはいかないわ。徐州を攻める人間と、その隙を守る人間。その配置を考える必要があるわね」

「私見ですが」荀彧が軽く手を震わせながら挙げた。「公孫瓚、袁紹が動かないのならば、防よりも攻を重視すべきかと」

「そうね。兵力は、おおよそ二万五千程度かしら。後は連れて行く将軍なのだけれど、これは、私の独断で決めさせてもらうわ」

 

 少し逡巡するように、曹操は手を顎に当て、すぐに元へ戻した。

 

「桂花、風―――そして、程遠志。貴方たちに守を任せるわ」

「お」程遠志は小さく声を漏らす。「わかりましたよ」

「華琳さま」荀彧が目を泳がせた。「その理由を、お聞かせいただいてもよろしいでしょうか」

「桂花。私は貴女を蔑ろにしているわけではないわ。陶謙との戦いは力攻めが主で、軍師が多く必要になる戦場ではないように思えるのよ。董卓残党などの思わぬ反乱、扇動に臨機応変に対応できる人材が、守には必要よ」

 

 ちらり、と曹操は程遠志を見る。その視線に身体を固くする彼に、くすりと彼女は笑った。

 荀彧はすべて納得したわけではない様子である。男と留守番など、と平時の会議ならば主張したかもしれないが、今は厳粛な空気が場を包んでいる。華琳さまが言うのなら、と小さく頭を下げた。

 程昱は何を考えているかわからぬ表情で二、三度頷き「わかりましたー」と気の抜けた声を発した。

 

「残りはすべて、徐州攻めに回す―――これで一通り、決めねばならぬことは決めたかしら」

 

 すべての人間が頭を小さく下げる。それを見て、曹操は大きく口を開けた。

 

「では、解散。出陣は明後日。兵全体にある程度の休養を取らせ、戦に備えさせなさい。以上!」

 

 いつも通り。何も変わらぬ曹操の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

「華琳は徐州を攻めるでしょうね」

 

 ―――ほぼ、同刻。陳留国。

 張邈は確信を持って、妹へ向けて言葉を発していた。

 

「………………」

 

 張超は自らの姉を、昔から観察している。幼子の頃、姉が自分に対して無口で無表情な姿を見せるようになってから。姉という人間が掴めなくなってから、注意深く見守るようにしていた。

 それ故、気がついたことがあった。自分以外の誰に対しても仮面を被り、快活な姿を演じている姉。そんな彼女も、すべての人間に同じような姿を見せているわけではないと。

 袁紹と曹操。張邈の昔馴染み。彼女たちには、仮面を被りながらも、僅かにだが警戒を緩めて話している。

 

 曹操には小さく弱気を出すように。

 袁紹には大きく意地を見せるように。

 

 快活で、誰とも円満な関係を築くには、変な意地も無駄な弱気も必要ではない。

 人間離れしている姉も、昔からの朋友には人間らしい一面を見せるのだな―――なんて、張超は思わない。寧ろ、その姿を見るたびに怖気が走った。

 あえて弱みを見せているようにしか見えなかった。完璧な水晶玉に小さく傷を入れるような。彼女の彫像のような美しさに欠点を持たせるような。

 それをすることで、姉はさらに相手からの信頼が増すと確信している。そう、張超は思っていた。

 

「姉上、は。曹操さまのことをどう思っているのでしょうか」

「友人よ」張邈は迷わない。「昔からのね」

「嘘です。私は知っています。ならばなぜ、反董卓連合の際にあのようなことを?」

 

 張超の瞳が張邈を貫いた。

 反董卓連合の折、先陣の劉備へ曹操が兵を貸す場面があった。張邈も部下の衛茲に兵を持たせ、救援に向かさせたが―――彼女は他にも動いていた。

 曹操の伝令に、一人部下を潜り込ませていた。その男に命令をし、曹操が程遠志という男へ先陣へ向かうよう伝令を飛ばした際、敢えて彼に何故曹操が自分を呼んでいるかの説明をさせなかったのである。

 結果、程遠志は僅かに混乱し、劉備の先陣へ援軍に行くよう命令されたのだ、と気がついたのは劉備や曹操に会ってからだった。

 曹操は、部下の怠慢を見逃すような人間ではない。

 張邈に命令された伝令が殺されたのか、追放されたのかは定かでないが、厳罰を下されたことは間違いない。あれは何のために行ったのか。曹操を混乱させるためか、程遠志とかいう将の忠誠心を下げるためか。張超には判断できなかったが、どちらにしても。曹操に対してまともな友誼を感じているようには見えなかった。

 

「華琳は、ね」張邈は張超の疑問に答えない。「強い人間なの」

「………………」

「父親とはそう会わなかった、とは聞いているけど、不仲だったわけじゃない。精神的な衝撃は強く圧し掛かったはずよ。それでも顔色一つ変えなかったでしょうね」

「……曹操さまが思慮深い人間だとはわかっていますが、そこまで感情を見せない方でしょうか」

 

 それは、姉上ほどではない、と暗に批判したものだったが、張邈は無表情を保ったままである。だからどうした、と思っているのか。好きに言えばいい、と諦めているのか。姉の感情が読み取れず、張超はやきもきとした。

 

「華琳が感情を見せるのは私と同じよ。それこそが人を動かす原動力となる、と理解しているから。父の死に怒り狂い、弔い合戦をする、と感情のまま言えば、少なからず反感を持つ人間が現れるでしょう。覇道を進む華琳からすれば、それは許容できることではないわ」

「曹操さまは、だから、感情をすべて押し殺すと?」

「華琳は弱みを見せないわ。隠匿するの」

 

 妙に確信したような言い草だった。

 張超は唐突に、背筋に寒気が走った。もしか、と思ってしまったのである。あり得ない疑問ではなかった。

 

 ―――曹操の父親を殺したのも、自らの姉ではないか?

 

 曹操軍に手の者を派遣できる程度には、張邈は各所に情報網を張り巡らせている。不可能ではなかった。理屈は合ってしまう。陶謙が自らが命令したわけではない、と曹操に抗弁しているのも。この状況で様々な情報が張邈の元へ届きすぎていることも。何もかも、辻褄が合う。

 張超は姉を見た。問い詰めねばならない、と思う。思いながらも自分はそのようなことなどできない、という諦観も脳の隅から出てきた。何年も一緒に過ごすにあたって、自分の性格も、姉の人間性も、それに対して抗う術がないことも身体に染み込んでしまっていた。

 

「そういえば」ふと張邈が呟くように言う。「面白い者を拾ったわ」

「拾った?」

「臣下にした、というべきかしらね。董卓包囲網以降、さまざまな出来事が我が軍に起こり、大きな軍容の変更があったことは非水も知っているだろうけど―――また、違う男を仲間にしたわ」

「どのような男ですか」

「最低の男よ。私と正反対の性格をしているわ。恨みやすく、嫉妬深い。人の幸福よりも不幸の方が昔から好きだった、なんて自棄になりながら言っていたわ」

「何故、そのような男を」

 

 張超は目を瞬かせた。張邈軍は連合軍以降、他の勢力に気取られることなく、とある事情により大幅な軍隊の強化が為された。だから、というわけではないが、別段として新しい人間を採用することについては大した不満などない。しかし、そのような気狂いを仲間にする意味などないだろう。

 姉は安っぽい冗談でも言っているのか。そう張超は思ったが、張邈の表情は変わらない。

 

「面白かったのよ。それに、正反対でいて、少しだけ共通点もあった」

「……それだけですか」

「人が隠していた本音を曝け出す瞬間が、私は好きなの。華琳の、隠匿している感情も、いずれ見たいものね」

 

 噛みしめるように張邈は言った。その瞳はぎょろり、と蠢き、どこか虚空を―――すなわち曹操のいる城の方を―――向いているように見えた。何を考えているのか。皆目見当がつかず、張超は少し怯えた。

 

「そ―――その」張超は少し、焦りながら問い掛けた。「その男の、名は?」

「名前? ええと、なんだったかしらね」

 

 数秒、張邈は考え込む。無表情を僅かに崩し、逡巡した様子を見せ、すぐに晴れやかなものにした。

 そのまま、口を開く―――

 

「確か、裴元紹、という男だったわ」

 

 

 

 

 

 








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