真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
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張邈決戦編 第四話

 

 

 

 

 ―――張邈の、曹操への反乱。

 

 この出来事は、後世の人間たちを大いに困らせた。何故張邈がこの状況で曹操を裏切るのか。その真相を正確に理解できた人間はおらず、歴史家たちの分析も推測が多くなった。

 曹操は徐州攻略の前に張邈へ手紙を送っている。兗州にて反乱が起きた際には助力求む―――短文ではあったが、彼女らの懇ろな関係を明確に表している。張邈と曹操。そして、袁紹の関係は古くからの知己として知られており、曹操と袁紹が決裂することはあれど、張邈はそのどちらとも戦うことはない。そう、誰からも思われていたのだ。

 張邈の反乱を起こした理由として、曹操による徐州虐殺が挙げられることがある。結論から言えば、曹操軍による虐殺は存在した。「無辜の民衆が泗水に投げ込まれ、川はそのために流れなくなった」という記述もあるし、その蛮行に対して于禁が怒り、罪を責めかけたことも書かれている。

 

 しかし、それで解決とはいかない。張邈の行軍は明らかに速すぎた。

 曹操が徐州目掛けて進軍を開始して、三日。まだ徐州には到着していないうちに兵を挙げている。徐州虐殺に憤り、それで兵を挙げた、というのは時系列に合わない。張邈軍が反乱を起こしてから曹操軍が虐殺をしたのだ。他に張邈が兵を起こした理由が存在するはずだ、と後世の歴史家、司馬光は分析する。

 宋の歴史家である鄭樵はそれに対して、張邈が反乱を起こす前に董卓軍、黄巾賊残党の反乱が起きたことを主張した。曹操の頼みを聞き、それらの残党を討伐する最中、徐州の虐殺を知って変心したのではないか。そんな疑問を問いかけた。快活で義に熱く、誰からも好かれた張邈が理由もなく曹操を裏切ることはない。鄭樵は、そう判断したのである。後世の歴史家である彼女がそう強く思ったのだから、当の曹操は他にも及ばぬほどの衝撃を受けたに違いない。

 

 兎に角、張邈軍は、本来討伐されるはずだった黄巾、董卓軍と交わりさらに強大になった。その数はおおよそ三万。兗州の様々な城は、彼女の名声とその兵力を恐れ、降伏した。兗州に存在した七十の城のうち、およそ六十七の城は曹操を裏切って張邈に付いたのである。

 無理もない話である。曹操軍の本隊は徐州へ向けて出陣してしまっていた。残る主兵力は鄄城に居残る五、六千人のみ。五千と三万では、勝負にならない。誰しもがそう思った。思わぬものは残りの三城に居残った人間のみである。荀彧、程昱―――そして、程遠志。

 

 彼らが何故張邈軍へ頑強な抵抗を続けられたのか―――それもまた、後世の歴史家を悩ませた。

 

 

 

「どういうことですか!」

 

 張超は我を忘れて怒鳴った。目の前には姉がいる。不気味な表情を浮かべた彼女は、いつも以上に何を考えているかわからなかった。

 場には彼女たち二人だけではない。裴元紹もいる。彼もまた、張邈と同種の笑みを浮かべていた。

 

「華琳は、私の反乱を聞いてどう思うでしょうね」

「怒るに決まっています!」

「それは違うわ。彼女はまず一笑に付すでしょうね。その次に来た知らせで真顔になり、その次でようやく信じ、その次で怒る」

「結局変わらないじゃないですか」

「判断が遅れる、ということよ。陶謙から背後を突かれる危険性もあるし、すぐに退却する、と決めるわけにもいかない」

「つまりは、だ」裴元紹がにやにやと笑いながら口を挟んだ。「鄄城にいる程遠志の首は、確実に獲れるってことだよなあ」

 

 張超はあからさまに顔を顰めた。この、最近姉が雇い入れた黄巾上がりの男がどうにも気に入らない。この張邈軍の一将に相応しいとは思えないのだ。

 性格は下品で、粗野。常日頃元黄巾賊の程遠志という男に粘着的な行動を取り続け、「いずれ殺す」と口癖のように喚いているらしい。その執着は明らかに異常であり、張邈の圧倒的な信奉で成り立っているこの軍の中でも多少の疑問が出ている。何故、あの男が一軍の将をやっているのか―――と。

 姉は何かを裴元紹に見出している。張超にもそれは理解できた。明らかに妙な目のかけようをしている。ただし、どこが気に入ったのか皆目見当がつかなかった。「隠匿していた感情が面白かった、私と共通点があった」と張邈は語っていたが、どこにも面白い部分なんてないし、共通点も見当たらない。裴元紹のことを、ただの嫌な奴だとしか思えなかった。

 

「そうね。鄄城は完全に孤立した。他にも二城降伏していない城があるみたいだけれど―――そこは粗方無視してしまっても構わないわ。程昱と、荀彧。恐らく曹操軍の頭脳となるべき存在を討ち取れれば十分」

「程遠志と鄧茂は、捕まえたら俺にくれねえか。鄧茂の目の前であの男を殺してやらねえと、気が済まねえ」

「ふうん。好きにしていいわよ」

「ありがてえ」

 

 嫌らしい笑みを裴元紹はさらに深くした。その脳は既に捕えた程遠志を拷問にかけることや、鄧茂をどうやって辱めるかを考えることでいっぱいだった。張超はそれを見て本能的な嫌悪感を覚え、張邈はただただ笑うのみだった。

 

「……そもそも姉上、これでは世間の信望を得られませんよ」

「信望?」

「曹操は徐州を父が殺されたというある種正当な理由で攻め込んでいます。その隙を突き、領土を掠めとるなんて真似は信義に反しています」

「どうでもいいだろうが、そんなこと」裴元紹が口を挟む。「詰まらねえ奴だな」

「貴方は黙っていなさい!」

「非水」張邈は静かに妹を見る。「信望は、必ずしも得られないとは限らないわ」

「どういうことですか」

「華琳は―――いえ、曹操軍は、徐州で略奪と虐殺を行うわ。無辜なる一般人に」

 

 馬鹿な、と呟くように張超は言う。言ったではないか。曹操は自身の感情を隠匿する、と。ならば虐殺など起きるはずがない。

 

「曹操さまが錯乱すると?」

「華琳は何も命じないわ。命じるのは私よ」

「何を―――何を言って」

「既に紛れ込ませているわ。華琳の軍に、私に忠誠を誓った数十人の兵士を。彼らには闇夜に乗じて陣を抜け出し、怯える民衆を殺して、略奪して回るわ。陶謙軍に派遣した間者もそれに呼応して動き、触発されて二次的、三次的な被害も出るでしょうね」

 

 張邈は平然とした顔で言った。曹操軍の兵士に紛れ込ませていた? 馬鹿な、と張超には容易く否定できなかった。脳内によぎることがあった。反董卓連合の間に、張邈が曹操軍の使者の中に間者を紛れ込ませていたことを。自分の姉が他の勢力へ盛んに間者を送っている、という事実がある以上、あり得ない話ではない。

 そこで、張超はつい先日思ったことが再び脳内の蘇ってきた。張邈が今言った「陶謙軍に派遣した間者」という言葉とその妄想は絡み合い、一つの真実のようになって脳内に帰ってきた。つまり―――張邈が曹操の父親を殺したのではないか、ということである。疑惑ではなく、半ば確信した。そうだ。そうに違いない。

 ……それでも、尚、張超は動けない。自分の姉を止めることができない。

 

「まあ、とりあえず。鄄城を主で攻めるのは董卓の残党よ。私子飼いの兵士をそう簡単に消耗する必要はないわ」

「前線を、彼らに張らせると」

「ええ。この兗州を制圧し、戻ってきた華琳を打ち破れば、董卓の残党なんて目障りなお払い箱になる。その時に私の兵力と董卓軍残党の兵力差を上回っていれば上回っているだけいいの」

「しかし―――それでは姉上が董卓軍に恨みを持たれることになりますよ」

「あのね、非水」張邈は、そこでようやく表情を変えた。「恨まれるなんて、別にどうでもいいことなのよ」

 

 なんとも形容しがたい表情だった。今まで見たことのない顔である。張超は思わず戸惑い、次に浮かんだ感情は恐怖だった。怖い。怖い! 裴元紹もその豹変に気づき、慄いていた。どうして、急に姉は表情を豹変させたのだ? そう思った時には、既に張邈の顔は元に戻っている。

 何があったのだ、と張超と裴元紹は思う。

 張邈は、ただただいつものように能面じみた顔を維持するばかりだった。

 

 

 

 

 華雄は張邈のことが嫌いだった。彼女だけではない。董卓軍に所属している兵士たちの殆どは、張邈という女のことを憎み、嫌っている。残党の軍はおおよそ三千人。その中に、一人たりとも好意を持っている人間は存在しなかった。

 張超のように張邈に二面性のあることを知っているわけではない。快活で、誰からも愛され、世間から信望の高い女だ、ということは理解している。それでも、嫌いなのだ。

 何故か、と問われれば簡単である。

 

 

 ―――張邈は、密かに董卓の身柄を確保していた。

 

 

 ことの顛末は、汜水関の戦いの頃まで遡る。汜水関から出てきた呂布と、背後を突いた高順。連合軍は挟撃の危機に陥ったものの、先陣の奮闘によって何とか凌ぎ切った。

 そのような状況下の折、洛陽では大きな政変が起こっていたのである。董卓、賈詡に反乱すべく立ち上がった十常侍や王允、鄭泰。彼らは私兵を持って密かに董卓を襲い、これを捕獲した。その数日後、怒涛の如く帰ってきた董卓軍によって彼らは誅されることとなったが―――董卓は見つからなかった。

 董卓、賈詡を密かに確保していたのは、鄭泰の親友である何顒という気の小さな男だった。反董卓派を気取ってはいたものの、彼女のその幼い姿を見て、これを弑するのは不可能だと諦めた。かと言って、無罪放免と解き放つ勇気もなく、官軍に連れて行く非情さもなかった。

 悩んだ末、何顒は友人に董卓を引き渡すことにした。誰かに押し付けよう、と考えたのである。彼には二人の候補がいた。若い頃に私塾で親友として誼を結んだ袁紹か、その袁紹の友人である張邈か。袁紹に渡せば董卓はきっと殺されるだろう、と彼は考え、張邈に引き渡すことにした。してしまった。

 

 結果、董卓は張邈の手に落ち、何顒は殺された。董卓がどこにいるのか知られるわけにはいかない。そのような安い理由で虫のように殺された。張邈からすれば、それだけの男だった。

 

 

 華雄はそのような事情は知らない。理解しているのは、董卓が囚われの身にあるということだけだ。その下手人は張邈。それ故許せぬ―――という単純な思いを、董卓軍残党は皆共有していた。

 

「華雄っち」

 

 ふ、と呼ばれて華雄は右を見る。そこには張遼がいた。偃月刀を肩に背負い、猫のような表情を浮かべている。

 華雄は理解している。平然とした様子の彼女が誰よりも今の不自由を嫌い、苛立っていることを。張邈の傘下に収まっている現状へ激しく文句を言っていた張遼、高順の姿を彼女はよく覚えている。

 

「張邈に言われたぞ。鄄城を先陣で攻めろ、だそうだ」

「けったくそ悪い話やな。結局、ウチらを捨て石にする意図がミエミエや」

「月様が囚われている現状、従う他ないだろう」

「……まあ、せやな。仕方ない」

 

 張遼は口惜しげに舌打ちした。

 

「なあ」華雄は小さく囁くように言う。「私たちは、これでいいのか?」

「あと少しの辛抱や。月と詠が自由になれば、こんなとこからさっさとおさらばできる」

「どうやって自由にするんだ」

「それは、あの男に任せや」

「高順、か」

「せや。あいつにすべて託した」

「信頼できるのか」華雄は、目に疑惑を込めて言う。「私はあの男のことをよく知らん」

「自信家で、気障な男やけど―――実力は確かや。張邈の隙を突くんなら、全力で曹操を攻めてる今しかないんや」

 

 張遼の目は遠くを見ていた。陳留国。そこで牢に入れられているであろう董卓。彼女を高順が助ける姿―――それを幻視していた。

 

「仮に、高順が月様を助けられたとして。その知らせが来る頃には、張邈も逃げられたことを察するだろう。そうなれば私たちはここで誅されるのではないか」

「鄄城が落ちる前やないと、キツイな。いくらウチと華雄っちでも独力で張邈軍には勝てん」

「ならば、私たちは城攻めを怠けた方がいいのか」

「いいや」張遼は静かに首を横に振る。「月をウチらが奪還する狙いを気取られるかもしれん。城攻めは、普段通り行うしかないんや」

「馬鹿な。このまま普通に攻めれば、鄄城などそう長く持ちこたえられるはずもない」

 

 華雄はそう言い、張遼を見る。

 張遼は何かを考えているようだった。彼女の脳内に一つの言葉が蘇る。汜水関決戦の折、高順と笑いながら話した言葉である。「生き残るよ。オレとお前なら」彼の自信ありげな言葉が彼女の勇気を後押しした。

 

「……様子を見て、ウチは曹操軍に寝返るかもな」

「はあ?」華雄は目を見開いた。「どういうことだ!」

「あくまで、秘密裏にや。表立ってやない。最悪バレたら嫌気がさして出ていったとでも言ってくれや。そうでもしないと、曹操軍が持ちこたえられるかわからん」

「私たちと殺し合うというのか?」

「せやな。月を守るためや。恨まれても構わん。他に代案でもあるか?」

「……いや、ない。だが―――下手をすれば、お前も死ぬぞ」

「は」張遼はそこで、ようやく笑った。「格好つけて死ねるんなら、大満足や」

 

 

 

 ―――これから、一日後。

 張邈の裏切りから始まった、音に聞く「鄄城の戦い」が、幕を開ける。

 

 

 

 








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