真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
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張邈決戦編 第五話

 

 

 

 

 鄄城に程昱、程遠志が戻ると、既に荀彧が焦った顔で全体に命令を出していた。

 籠城の準備をせねばならぬ。彼女は一人奔走し、程昱や程遠志に「遅すぎる」と罵声を取ばした。この緊急時にもいつも通りだな、と程遠志は少し考えつつも、いや違うかと思い直す。そもそも、程昱と自分を同じように叱り飛ばしている時点で平時の荀彧とは様子が変わっているのだ。男に対してまともな苦言を呈すだけ、彼女は余計な物事に目がいかなくなっている。

 

「どうしましょうねー」

「籠城するのは決定事項ね。伝令は既に送ったし、華琳さまが来るまで耐えきる以外の勝利はないわ」

「何日かかると思います?」

「……早くて、十日。遅ければ一か月程度。徐州で完璧に軍を纏められていれば、それほどの時間はかからないと思うけど」

「つまり、だ」程遠志は口を挟む。「徐州で軍の混乱なんてことがあれば、その分援軍が遅れるってことか」

 

 荀彧は小さく程遠志の方を見る。嫌悪感に満ち溢れた表情。ようやく、そこで男と自分は話している自覚が湧いてきたらしい。しかし、この状況で余計な罵倒など飛ばしている暇はない。吐きそうな気持ちを彼女は何とか抑えて、「……ええそうよ」と言葉を返した。

 程遠志は小さく鄧茂がいればよかったな、と思った。彼が女と誤解されていることだけが、今の荀彧と互いに不満なくコミュニケーションを取れる唯一の手段だった。鄧茂や張曼成、厳政とはまだ出会えていない。この城の中にいるはずなのだが、どこにいるのだろう。

 

「風」荀彧は小さく、喘ぐように言った。「何か、策は思いつく?」

「あるとすれば、河川の渡しを破壊し、張邈の行軍速度を落とすことですかねー」

「……時間は、稼げて数日でしょうね」

「十分とは言い難い時間ですが、ないよりはましかと」

 

 程昱、荀彧の表情には、焦りが浮かんでいる。具体的な策、というのはこの籠城戦において提示し難いものであった。考えねばならぬことが多くある。張邈がここにきて反旗を翻した理由がわかれば、説得することが可能やもしれない。それに、説得が失敗しても付けこんで離間の計を狙えるかもしれない。

 だが、わからない。張邈の裏切りも、何故黄巾と董卓軍残党が仲間になっているのかも―――そして、それを探る人夫も足りない。

 多くのことが不足していた。

 考えねばならぬことは、それに反比例するように山積みになっている。

 

「……すぐさま、鄄城周りの河川の渡しを破壊するよう兵を向かわせるわ」

「桂花ちゃんは、他に何かいい策を考えていますかー?」

「董卓軍か黄巾賊。どちらかにこちらへ内通する武将がいないか。その確認をしたいわね」

「……厳しいと思いますよ」

「わかっているわ。でも、やるしかない」

 

 荀彧は程昱からゆっくりと視線を外した。その先は程遠志。顔を嫌そうにしながらも、問いかけなければならないことがあった。

 

「あんた、黄巾党に知り合いはいる?」

「いる。敵の将軍の一人、裴元紹とは腐れ縁だ」

「―――その男を、裏切らせることとかって」

「不可能だな。あいつは俺を恨み切っている。この城が狙われた遠因も、俺の所為かもしれねえ」

 

 すまねえな、と程遠志は軽く侘びる。

 荀彧は顔色も変えなかった。彼女からの罵声を待っていた彼には意外なことだった。「使えない」「これだから男は」と怒涛のように罵倒される予感があった。

 荀彧は長い溜息を吐きながらも、程遠志を真っ直ぐに見つめた。

 

「……十分よ。敵の中枢に位置する人間があんたを恨んでる、っていうのは、まったく使えない情報じゃない」

「へえ」程遠志は心のままを口にした。「俺を責めないのか」

「もっと余裕を持てる状況なら、あんたを心の済むまで罵倒したわよ」

 

 荀彧は頭を自分の指先で何度も叩いた。状況は切迫しており、彼女はそちらへ頭脳をすべて回すため私怨や嫌悪に使う力を何とか抑制しようと努めているらしい。普段からそうしてくれればもっといいのによ、と程遠志は軽口を叩こうとして、自重した。荀彧が、程遠志の方を見ていたのである。 

 

「でも」荀彧は一つ、小言を言うように呟いた。「これからで、いいけど」

「なんだよ」

「私と話すときは、鄧茂を介すようにして。このまま自制を続けていると戦いの前に憤死するわ」

 

 その荀彧の瞳は―――今までの、懐かしい悪感情が多量に含まれたものだった。平時の彼女の表情と同じだ。何故かその視線を受けて、程遠志は何故か苦笑を隠しきれなかった。この猫耳は、いつもこんな顔を浮かべているのが普通だったよな、なんて今更になって思う。「俺もその方がいいと思うぜ」と程遠志はその表情のまま、返した。

 

 

 

 

 敵の行軍速度が殆ど落ちぬまま、鄄城に向かってきている。

 そんな知らせが届いていた。半日ほど前に、河川の渡しを破壊したのに、である。程昱と荀彧はそれを受けても尚、冷静だった。

 

「風、どんな手を使ったと思う?」

「予備の渡しを即座に作ったか、それ以外の方法か―――いろいろと候補はありますが、このままでは思ったような時間は稼げないですねー」

「そうね―――あと、どれくらいで張邈は来るかしら」

「もう来るはずです。数日どころか、半日しか時間は稼げませんでしたねー」

「おいおい」程遠志は頬から汗を流した。「大丈夫なのかよ。このままだとまずいんじゃねえの」

「あんたは黙ってて」

 

 荀彧は程遠志の方を見ようともせずぴしゃりと言った。程遠志は不機嫌になることもなく、ああそうだった、と思い隣を見る。半日前。昼の段階ではいなかった鄧茂が、そこにはいる。

 程遠志は軽く肩をすくめてみせる。鄧茂はその意を得た、とばかりにオウム返しで言った。

 

「このままじゃ、まずいんじゃないの?」

「問題ないわ。鄄城に籠れば、これだけの兵力でも一月は持たせる自信がある。半日で、完璧な籠城の用意は全て整えてあるもの」

 

 荀彧は鄧茂の方を見て二度三度頷いた。タメ口を許される程度にはこいつら仲いいんだな、と程遠志は小さく驚き、その性別を猫耳軍師に伝えてやろうか―――なんて夢想したが、流石に自重する。

 荀彧は程遠志がそんなことを考えているとも知らず、胸を張って得意げにしていた。半日前、程昱と程遠志、鄧茂や張曼成、厳政は外に出ていていた。張邈の反乱を知り、総指揮を取って籠城の準備を完成させた彼女の手腕は称賛されるべきものだろう。そう自負していたし、誰もがそう思っていた。

 

「僕たちにできることはない?」

「あんたたちは、兵士の士気向上に努めてくれればいいわ。恐らく、私や風がやるよりも効果が出るでしょうしね」

「だってさ、程遠志」

「それはわかったが―――そもそも張曼成と厳政は今どこにいるんだ?」

「市民の避難を進めてる。その中でも戦えそうな人は民兵として組み込むって」

「へえ。一万弱くらいにはなるか」

「いいえ」荀彧が、鄧茂の方を向いて言った。「多くても八千程度になるわね。直接ぶつかるには、全然足りていないわ」

 

 籠城しかない、と荀彧は続ける。後詰が確実に来ると断言できる以上、無為に野戦を仕掛けるべきではない。程昱もそれに賛成だった。

 

 城の中を、何者かが走ってくるような音がした。荀彧と程昱は小さくそちらを見て、すぐに察する。来たのだ。張邈軍が。そのことを伝えに、外にいた兵士が駆けてきたのだろう。

 問題などどこにもない。荀彧と、程昱は確信している。半日前に焦り、慌てて準備をしたことが功を奏した。河川の渡しを破壊できるから、と悠長に時間を浪費していれば、ここまでの余裕とゆとりは持てなかったに違いない。

 

 軍師二人が泰然としているのに対して、程遠志と鄧茂は頬から汗を流していた。

 程遠志は嫌な予感がしていた。ただそれだけ。いつもの前触れにも似た―――曹操軍に加入してから頻度が急増したように思える、この感じ。流れ。嫌な流れだった。

 程遠志が汗を流しているのを見て、鄧茂もまた嫌な予感がした。単なる同調行動ではない。彼は理解している。程遠志という人間と誰よりも長くいたから。彼の信奉する「流れ」が冗談や嘘の類でなく、今から何か曹操軍にとって不利益なことが起こるのではないかと危機感を抱いた。

 

「し、失礼します! 火急の用にて!」

「張邈軍が来たのでしょう。わかってるわよ」

「はい、ですが……」

 

 ですが? と荀彧は眉を顰める。程昱もまた、小さく首を傾げた。

 程遠志と鄧茂は、さらに不安になる。

 

「と―――とにかく、下を」

「下?」荀彧は伝令を睨みつけ、城から下を見た。「なにを―――」

 

 固く閉じられた門の向こうに、まだ遠くではあるが張邈軍が見えた。まだ理解できることである。目下に入るほどまで近づかれているとは思わなかったが、変なことではない。

 違和感があるとすれば、張邈軍の先頭に―――謎の縛られている男がいた。磔のようなものに繋がれ、運ばれている。なんだ、あれは。荀彧は理解できず言葉に詰まり、後ろからひょっこり首を出した程昱もまたわからない。程遠志も、同じである。

 気がついたのは鄧茂だけだった。「あ、あれ」目を大きく開け、声を震わせて言う。「徐州攻めに行ったはずの、兵士だ」

 

「はあ!? どういうことよ!」

「張邈軍に裏切ったってことか!?」

「いやー」程昱は冷静に、程遠志の言葉を否定する。「状態から見て、何か事情がありそうですね」

「そ、それが、まだここまでは声が届かないのですが、先ほどからあの兵士が何か叫んでいまして」

 

 何を、とばかりに程昱が眠そうな瞳を真剣にして見る。荀彧もまた、伝令を見る目が鋭くなった。

 伝令は二人の軍師に鋭い瞳を向けられ、明らかに動揺した。言うべきか、言わぬべきか。迷っているようでもあった。しかし、何を悠長な時間を、と荀彧が目に見えて苛立ったのを察して、慌てて口を開いた。

 

「じ、実は」伝令は、身体を震わせながら言う。「曹操さまが、徐州にて虐殺を行った故、逃げてきたと」

「馬鹿な。戯言よ。あんたはそれを信じてるの―――これだから男は愚昧なのよ」

「私もそう思います、しかし」

「なにか」程昱は目を素早く動かした。「信じなければならないようなことが、他に?」

「はい―――その。徐州攻めに配属されたはずの者は、あの男だけではないのです。張邈軍の各場所に数十人、同じように拘束されたまま、徐州の虐殺について叫んでいます!」

 

 しん、と場が静まった。

 あり得ないことだった。三日、四日前に徐州へ向かったはずの者が、どうしてここに戻ってきている?

 それに、もし仮にあの者が正しいことを述べているのだとすれば―――曹操は徐州に到着するや否や即座に虐殺を敢行したことになる。あの恐ろしく冷静で、怒りを隠していた彼女が? 曹操を激烈に信奉している、荀彧以外の人間は、微かにその可能性を探った。探りつつも、あり得ないと思った。

 

 

「少なくとも、これじゃ」程遠志は呆然と言う。「徐州で何か一悶着あったとしか思えねえ」

「一悶着あったら」鄧茂も続けて言う。「曹操さまの徐州からの援軍は遅れることになる、よね」

 

 

 一か月は持つ、と豪語した荀彧。しかし、そもそも一月以内に曹操は帰ってこられるのか?

 そして、逃げてきた男たちが叫ぶ「徐州虐殺」という言葉を聞いて、この城に籠る人間は士気を保てるのか?

 

 程遠志と鄧茂には判断できなかったが、荀彧の頬から僅かに汗が零れたのは、見えた。

 

 

 

 

 








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