真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
<< 前の話 次の話 >>

38 / 43
張邈決戦編 第九話

 

 

 

「反乱を起こした―――香水が?」

 

 曹操がそう、茫然とした顔で呟いたのは、鄄城が包囲されてから七日も経過した頃であった。

 兗州と徐州の垣根の役割を果たすはずの城が、真っ先に張邈の反乱に呼応した。そのため、荀彧が曹操に飛ばしたはずの伝令は殆どが捕まり、殺された。本来ならば三日前後で辿り着いたはずの時が、七日まで延びてしまった。

 

 現在、曹操は主目標の徐州にある澎城国を既に落としていた。その最中で一部の兵士が徐州にて虐殺を行い、半日ほど軍が混乱する事態に追い込まれることもあったが―――彼女は冷静だった。起きてしまったことはどうしようもない。覆水盆に返らず。すぐさまその兵士を于禁や楽進に命じて処分した。徐州の一部の民から恨まれたり、憎まれたりすることもあったが、それに対してある一定の慰撫と陳謝を行いながらも、手を緩めることなく澎城国を攻め続けた。

 氷のような冷静さと、緻密さを持って動いていたと言っても過言ではない。

 そんな曹操が、一瞬、完全に無防備な表情を見せた。予想もできぬことであった。張邈が? 言葉を反芻し、脳がそれを拒んだ。あり得ぬ、という感情が放流してくる。夏侯惇や、夏侯淵も、旧くから側にいる彼女らだからこそ曹操と同じ気持ちになった。

 張邈と曹操は、私塾時代やそれ以外の私生活でも仲が良かった。袁紹との喧嘩の仲裁をするといった役割を快活に勤めていたこともあり、袁紹とも朋友だった。いずれ起こるであろう袁紹の正面対決の際、彼女は必ず反対するだろう。それをどう言い包めるか―――そんなことを曹操は夢想することさえあった。

 

 結果、曹操はその報告を一笑に付し、その後に来た第二の伝令で真顔になった。ここまでは張邈の思い通りであったが、その次に新たな伝令が訪れた時、曹操は怒りを見せることもせずすぐさま行動を起こした。

 

「澎城国を放棄し、兗州に戻るしかない」

「華琳さま!」夏侯惇は慌てて言う。「まだ、誤報の可能性も……」

 

 夏侯惇は曹操の次に、張邈と親しかった人間である。その妹の張超のこともよく知っていた。この状況で反乱を起こすはずがない、とある種の信頼を持っていた。

 それでも、そうではない、と曹操は首を振った。

 

「この状況は、いち早く兗州に戻ることを優先するべきよ。仮に誤報や偽報だったとしても、その時は再び軍備を整え、徐州に戻ってこればいいだけのこと」

「半分を澎城国に残す、というのはどうでしょうか」

「いいえ、秋蘭。全軍でなければならないわ。この城に残すのが半分の兵士だけでは、劉備たちの攻撃を耐えられない。ならば、残そうが残すまいが何の意味もない。香水が反乱を起こした可能性が一分でもある以上、すぐさま全軍で城へ戻る必要があるの」

「張邈は―――香水は」夏侯惇は、小さく呟いた。「本当に反乱を起こしたのでしょうか」

 

 その言葉には、曹操も黙り込まざるを得なかった。感情を隠匿する、と張邈に称された彼女も、旧くからの付き合いである夏侯惇、夏侯淵の前ではある程度まで素の表情を見せる。

 様々な感情の入り混じった表情だった。三人の伝令が同じ情報と、同じ荀彧の文を持っていた。だから間違いない、という理性的な部分と、それでも張邈が裏切るわけがあるか、という感情的な部分が対決していた。感情を強引に抑え込み、理性を選んだ曹操は冷静ではあったが、その顔はかなり険しいものになっている。

 

「とにかく、ここでじっとしている暇はないわ。春蘭は稟を呼んできて頂戴。早く戻らなければ、桂花や風―――それに程遠志も危なくなる」

 

 その言葉に、ぴくりと夏侯淵は反応する。僅か一瞬のことではあるが、曹操は確かに見逃さなかった。心配しているのか。彼女の強張った顔が一瞬だけ緩まり―――また、すぐに険しくなった。

 四人目の伝令が走ってきた。張邈の反乱を伝える者がこれだけ多くなれば、流石に信じざるを得ないか。曹操は自分の感情をそこで完全に抑え込んだ。張邈が予想し、張超が恐れた激憤を曹操は起こすことなく、溢れ出る感情を完全に内心に留めた。

 しかし。

 いや、だから、と言うべきだろうか。

 四人目の伝令が告げた言葉は曹操自身が予想したものとはまるで違うもので―――彼女はそこでまた、自身の感情と戦う羽目になるのだった。

 

 

 

「―――陶謙軍の新手が、こちらへ向けて出陣中! 兵力はおおよそ二万五千。先鋒は関羽、趙雲です!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 鄄城を包囲して、十日が経過した。

 張邈は鄄城を攻めあぐねているように見えた。三日目までは殆ど董卓軍の独力で攻めていたというのに、四日からは黄巾、本隊も動き出していた。それでも落ちない。その原因は、さまざまなところにあった。

 まず初めに、張遼が初日で裏切ったことにある。初日の城攻めでは頑強に抵抗する将はいたものの、人並み外れた武勇を持つ者は存在しなかった。明確な武官と呼べるものがいなかったのである。董卓軍の華雄に張遼が裏切った訳を詰問したが―――彼女は脅しても賺しても「知らん」の一点張りだった。

 そして二つ目に、曹操軍の異常な士気向上がある。張邈は意図的に力を緩め、余裕を見せることで、士気を下げて早く落城させようと考えていた。それは初日だけを見れば成功だったし、決して間違った作戦ではなかったはずだが―――張遼が裏切り、城内の奮戦が目立つにつれて妙な一体感が城を包みつつあった。勝てるのではないか。城を持たせることは可能なのではないか。明確な勝機が見えたことで、曹操軍の士気は十全を取り戻し、さらに向上しつつあった。

 

 まずい、と十日目にして裴元紹は焦った。このままでは程遠志を殺せない。焦りのまま近くの小机を蹴り飛ばし、荒く息を吐いた。血走った眼は左右に揺れ、やがて一つの目標を捉えた。張邈のいる本陣。戦場での指揮を副将に任せて放棄し、彼はそこへ向かう。

 

「おい」目を鋭くしながら本陣に裴元紹が入ると、女の悲鳴がした。「なんだよ」

 

 にこやかに笑う張邈と微妙な表情の張超。それに文官と思わしき少女が数名―――少女たちは息を荒くする彼を見て姦しく悲鳴を上げた。

 

「あら、裴元紹」

「まず、この喧しい女どもを退けてくれ」

「ええ」張邈は素直に頷いた。「貴女たち、少し外して頂戴」

 

 文官の少女は少し逡巡した。裴元紹の悪評は軍の中にも既に轟いている。張邈を誑かす、気狂いの野蛮人。風采と行動から彼はそんな風に思われており、少女たちは張邈の言葉を聞いても易々と動かず、裴元紹の方を怯えた目ながらも睨みつけた。出て行け、と言わんばかりだった。

 だが、裴元紹が忌々しげに舌打ちをし、張邈が「大丈夫よ」と笑うと、身体を持ち上げざるを得なかった。彼女たちは殆ど非戦闘員のようなものだ。裴元紹の怒りを受けて怯まぬ精神力など持ち合わせていないし、張邈の命には従わなければならないという刷り込みもされている。そうずっと躊躇っていることもできない。

 

 少女二人が去り、張邈と張超と裴元紹だけが場に残った。途端、張邈の顔から快活な笑みが消え、無表情に包まれる。「それで、何の用かしら?」彫像を思わせる仏頂面だった。

 少しだけそれに怯みながらも、裴元紹は語気を荒げる。「このままじゃ、まずいだろ」

 張邈は小首を傾げた。「まずい」まるで、食べ物が美味しいのか、不味いのかを答えているようだった。その表情に一切の悲壮感は見当たらない。もう一度、語尾を上げて同じように繰り返した。「まずい?」

 

「まずいだろ。あの城を落とす前に、曹操が本隊を率いてやってくるかもしれねえ」

「どうかしら。私の見立てでは、期限すれすれのところまでは追い込まれても、華琳が来る前に鄄城は落ちるはずだわ」

「あり得ねえ。俺だってわかる。今のままじゃ、どう考えてもまずい」そこで、裴元紹は張邈の後ろに隠れて見えない彼女の妹を見た。「そうだろ、張超」

 

 張超は裴元紹と目を合わせなかった。それは彼女が彼を嫌っているから、ではない。合わせることもできず、視線をふらふらとさせていた。

 なんだ、と裴元紹は思う。張邈が大勢の前で快活な様子を装っていることは既に知っている。だが、張超のこんな奇妙な様子は、彼も見たことがなかった。

 

「落ち込んでいるのよ、非水は」

「落ち込んでる?」

「冷静さを欠いてる、と言ってもいいわね。私の妹とは、本当に思えない」

 

 張邈は無表情のまま言う。その、挑発じみた言葉にようやく張超は目の色を変えた。顔をさっと朱に染めて姉を睨みつける。

 

「姉上が―――姉上がそれを言いますか!」

「私と違って、非水は本当に律儀だわ」

「恨まれますよ、絶対」

「恨まれることなんて、どうでもいいことだって言ったじゃない」

「おい」そこで、裴元紹が話に割って入った。「意味がわかんねえよ」

「非水、説明してあげなさい」

「…………鄄城は、落ちる。恐らくあと五、六日以内には。姉上の仕込みは、既に完了している」

 

 張超は苦悶の表情で口を開いた。その内容は吉報にしか聞こえなかったが、彼女の口はなんとも言えないように歪んでいた。どういうことだよ、と裴元紹は瞬く。

 

「危ないところだった」張邈は他人事のように言った。「鄄城が士気を取り戻したのは、正直な話予想外よ。もう少しで、二十日を超えるところだったわ」

「……曹操は、二十日以内に来るってのか」

「間違いないわ。恐らく、この戦場で華琳のことを誰よりも理解しているのは私でしょうね。あの城に籠る軍師の荀彧や程昱―――それに、誰だったかしら」

「程遠志のことかよ」

「そう。その男でも理解できないでしょう。彼や彼女は、華琳たちが戻るのに良くても二十日強はかかる、と踏んでるのでしょうね。それは違うわ。徐州で兵士が暴れて虐殺が起き、私の反乱を伝える使者が遅れ、劉備と陶謙の大軍に背を向けられず、すぐに退却できなくなろうとも。華琳は―――曹孟徳は必ず二十日以内にこの場に辿りつく」

「どうして言い切れる」

「それが、曹孟徳だから」

 

 張邈の言葉は、少しだけ自嘲的だった。何か恨み言を述べているかのようで、大衆の前のような快活さや、張超に見せる無表情さのどちらもなく、ただただ陰鬱な雰囲気を漂わせていた。彼女自身が言い終わり、初めてこのような声色になったと目を少し白黒させたりもした。

 

「なんで、あの城が落ちるのかを説明しろよ」

「言う必要もないでしょう。もうそろそろ、自然にわかるわ」

「勿体ぶるなよ」

「一つだけ言うとしたら、状況を利用したとでも言うべきかしら」

「状況を?」裴元紹は怪訝な顔になる。「状況は日々変わってんだろ。張遼とかいう女が裏切ってから、今のとこまでいいとこなしだ。明らかに流れが悪い」

「状況が変わっているからこそ」張邈はそう言った。その前置きは奇しくも、九日前に荀彧が程遠志に投げかけた言葉と同じものだった。「私は、その裏切りを利用できると踏んだのよ」

 

 張邈はそう言って、無表情を崩して笑った。

 頭の中に浮かぶものがあった。反董卓連合で、開かれた大宴会での時のことであった。程遠志という男が真面目な顔で言っていた。「流れに従って行動した」と。遠くだったので一部分しか聞こえなかったが、裴元紹が偶発的に言った「流れ」という言葉が、その記憶を深層心理から呼び起こさせた。

 流れというものを、張邈は信じていなかった。存在するはずのないもの。群集心理が働いて生まれた幻想。そうだと確信していた。

 張遼の裏切りから、群集心理がうまく働き、「流れ」というものを上手く誤認しているのだろう。そのようなものはきていない。誤解しているだけだ、と張邈は思う。そのおかげで士気は上がり、城を保つことが今の今まで可能となったが―――それは、ここまでだ。流れなどきていないし、存在しない。それを思い知ることになるだろう。

 

 

 

 張邈は鄄城の方を窺うように見た。城内から上がる鬨の声や、怒号。それが少しずつ小さくなっているように思えた。始まったか、と笑う。ここからが、本当の戦いになるのだ。

 

 

 

 

 








※この小説はログインせずに感想を書き込むことが可能です。ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。