真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
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張邈決戦編 第十話

 

 

 

 勝てる、という実感が、程遠志の身にはっきりと湧いてきた。

 張遼が曹操軍に加わってから、状況は格段に良くなったと言えた。武官の不在。張邈の予期せぬ裏切りから、武に長けた将は皆徐州攻めに向かっており、鄄城には一人たりとも残っていなかった。その大きな穴が、張遼という女将軍一人で綺麗に埋められた。

 前線で実際に矛を振るって戦う将軍は何よりも兵士たちの士気向上となる。そして、士気が増せば増すほど、城は落ち難くなり、兵士たちはそれを見てさらに奮起する。それが繰り返されることで、雪だるまのように兵士たちは力を増していき、十全以上の能力を発揮していく。

 

 すべてが、上手くいっていた。

 

 ―――だと、いうのに。

 程遠志の隣にいる鄧茂だけは、何とも言えぬ不安げな表情が解けなかった。

 

「鄧茂?」

「あ、うん、程遠志。何か、変じゃない」

「変って何がだよ」

「いつもと違う感じがするの」

 

 抽象的な言葉に、程遠志は思わず苦笑した。理論的な言葉を張曼成は好み、鄧茂もそれに迎合することが多々ある。そこに「流れ」という抽象的な考えを程遠志が持ち込むのだが―――今回はどうやら違うらしかった。張曼成や厳政も、どういうことだ、というように首を捻っている。

 

「程遠志はわからないの? いつもと違わない?」

「何も感じねえよ」

「そもそも」張曼成がそこで口を挟んだ。「いつもとは何のことだ」

「流れが来てる時のことだよ。流れが来てるときはいつも、程遠志から出る雰囲気とか、空気とかが変わるの。それがまったく皆無というわけじゃないんだけど―――まだ、完全に出てない気がする」

「俺にはわかんねえな。流れを掴んだ、とは思うんだけどよ」

「今の流れがこっちにきてるのは間違いないけど、何か変な感じがするの」

 

 鄧茂が物憂げな表情でそう言う。彼の萎れたその姿は、活気づく曹操軍の中でも異彩を放っており、程遠志たちも伝染して少し不安そうな顔になる。

 

 ―――その時だった。

 

 

 

 城内で、自らの士気向上を表すように、叫んでいる男がいた。

 その男が、唐突に声を潜めたかと思うと、目を大きく広げて口から血を吐いた。

 

 

 

「はあ!?」程遠志は、慌てて走り、駆け寄る。「おい、どうしたよ!」

 

 答えは返ってこない。目を見開いて、呼吸をしていない。

 意味が分からねえ。どうして急に。

 程遠志は、そう叫ぼうとして、留まった。自重したわけではない。異変を感じた。何かが身体の奥底から這い上がってくるような、喉を掻き毟りたくなるような激痛が、遅れてやってくる。張曼成の焦る顔が、厳政の呆然とした顔が、鄧茂の泣きそうな顔が、程遠志の視界の端に映って、消えた。目を開けていられなかった。その代わりに、口が開いた。何かを吐き出した気がした。

 

 

 ――――――その兵士と同様に、程遠志も血を吐いて倒れた。

 

 

 

 

 

 

 その異変に、荀彧は素早く気がついた。

 十数人に一人程度の割合で、口から血を吐いて突然倒れる者が続出していた。荀彧が目にしたのは一、二人で、凡将ならばただの疲労や過労だ、と見過ごしてしまう可能性もあった。しかし、彼女は曹操軍を司る軍師である。すぐさま異変を察知し、顔色を変えた。正門をともに守る程昱にも伝令を飛ばし、すぐに状況を整理しようとする。

 そこから、情報はどんどんと増えていった。声を大きく叫んでいた者から、優先的に身体を折って倒れていった。各部署で均等な数が倒れているわけではなく、一点において集中的に被害が出ている箇所がある。そしてその被害者の中に、程遠志の姿もあった―――最後の報告を聞いて、荀彧は顔を僅かに顰めた。今なお、張邈軍は攻めてきている。その防衛の最中で倒れられるのはまずい。

 荀彧の守る部署で倒れた兵士は比較的少なく、まだ全体に動揺は波及していない。士気も十全を保てている。彼女はすぐさま程遠志の方へ兵士を派遣した。

 

「桂花ちゃん」そこで、少し離れた場所で士気をしていた程昱が戻ってきた。「どういうことですかー」

「突然、倒れだす兵士が続出してる」

「……どういうことでしょう」

「毒よ」荀彧は断言した。「毒が盛られているわ」

 

 ―――荀彧は、限りなく少ない思考で答えを導き出した。

 事実、張邈は毒を仕掛けている。兵士たちが意味も分からず倒れ、動揺する最中、荀彧だけがその答えに辿りついた。「だけど」と、荀彧は続ける。「どこで盛った?」

 

「集中的に被害が出ている場所がありますから、そこの兵士が裏切ったのでしょうか」

「……集中的とはいえ、私のところでも、他のところでも被害が出てる。その一点の兵士が裏切っただけではこの惨状は引き起こせないはず」

「ならば、全体で内応者が出たと?」

「それも変ね―――」荀彧は、そこで閃いた。「いや、そうじゃない! 董卓軍だわ」

「董卓軍?」

「張遼の裏切りから、董卓軍の内情は筒抜けになった。董卓が張邈に捕まっていることから、兵士たちが嫌々従っていることも明らかになった。こちらから伝令や偵察を安全に潜り込ませることもできたし、城を持たせるため張遼が連れてきた兵士や、張遼に従いたいと訴える者もいた」

「その兵士の中に―――」

「董卓軍を装って、張邈の手の者が侵入していた」

 

 これもまた、的を射ていた。張邈の思考を完全に読み切っている。

 だが、と荀彧は思う。城に入ってきた人間は、十人いるかいないかである。皆、武に自負を持つ人間ばかりであり、その顔を張遼自身知っていた。それ故信用して中に迎え入れたのである。

 つまり、その人間が裏切っていたのだとすれば、張邈は前もって董卓軍に手の者を潜入させていたことになる。張遼や華雄が疑念を持たない程度の期間を。周りの董卓軍兵士に同族意識を持たせる程度の期間を。それがひょっとすれば反董卓連合の折まで遡るのではないか、と考えると荀彧の背に寒気が走った。董卓軍に潜入させる余裕があるならば、当然知己である曹操の元や、隣国の陶謙の元へ潜入させる余裕もあるはずだ。徐州で行われたとする虐殺も、その前の徐州攻めも―――延いては曹操の父の殺害も張邈が絡んでいるのではないか。そして今なお、曹操が徐州で足止めを喰らっている理由も。

 計画的だ、と荀彧は確信した。戦慄が走ったと言ってもいい。董卓軍に潜り込ませた兵士の中には、この戦いの前に死んだ者もいるだろう。策が策として起動せず、無駄死にとなったものも多くあるはずだ。それでもいい、と思ったのだろうか。曹操を兗州から押し退けるためには、必要なことと割り切ったのか。

 では、その原動力は何なのだ。張邈のことを曹操は信頼し、友情以上の感情を持っていた。そのことを荀彧は知っている。「いずれ、身も心も手に入れるべき存在」と、閨で囁くように呟いていたことを嫉妬とともに記憶している。それほどまでに想われる女が、何故敵意と執拗さを剥き出しにして攻めてきているのだ。

 

「桂花ちゃん?」

「あ―――」荀彧は思考の海に溺れかけていた。「な、なに?」

「董卓軍の兵士が犯人だったとして、どこで毒を混入させたのでしょうか」

「それは、そうね。恐らく、兵士へ作らせている配給のご飯の中ではないかしら」

「私もそう思いますー。一部に被害が出たのはその部分に多く毒を混入したためで、他の部署にも一応の被害が出たことも理解はできます」

 

 荀彧の言葉に程昱も頷いた。軍師二人が導き出した答えは一致していた。

 

 

 ―――しかし、これは間違っている。的を射ていない。

 

 

 張邈の手の者は、決して料理に対して毒など持ってはいない。もっとより容易い手段であった。

 井戸である。各所の井戸の中に、毒を投げ入れただけのこと。この簡単な事実に荀彧や程昱が辿りつかなかったのは、井戸に見張りを配置していたことにある。人体に悪影響をもたらす程度の毒を、配置した人間の目を欺いて設置することなどは物理的に不可能だと思っていたのだ。

 

 ―――彼女たちは見誤っていた。

 張邈の作戦が計画が長期に渡るものだと見抜いた荀彧も、その陰湿さと執拗さを大きく見誤っていた。

 

 鴆、という鳥がいる。史記や漢書にも記された鳥であり、江南地方に主に生息するとされていた。その羽を使った毒は鴆毒と呼ばれ、無味無臭で透明の液体であり、僅かな量で数千人の人間を殺したという伝承が残っている。それがあくまで伝説的なもので、少々大袈裟な表現ではあるものの、この毒に対する脅威を表す明確な逸話だと言えるだろう。

 この妖鳥は、晋から唐の時代の間程で絶滅する。時の権力者である司馬炎や劉裕が徹底的に駆除し、後顧の憂いを絶ったことが原因である。そして、この後漢の時代においても数は少なく、殆どの人間は目にすることなく一生を終える程度の存在であった。荀彧や程昱も、あくまで文献上でしか存在を理解していなかった。

 それを張邈が前々から用意しており、この鄄城という城を落とすために用いたとは―――彼女たちには想像もできなかった。それに、そもそも井戸を汚染させるほどの毒を盛れば多くの人間から恨みを買うことになるだろう。占領後の治世にも明らかな影響があるはずだった。

 

 そこまでの狡猾さと、執拗さ。もし程遠志が知れば目を大きく開けて驚き、その卑怯さに息もできなかっただろう。或いは、その姿に裴元紹を連想したかもしれない。黄巾に身を窶してまで程遠志を追いかけ、餓死しかけてながらもその恨みを胸に生き残り、張邈に拾われるまでに至った。

 

 そんな彼と、この張邈はどこか近しい部分がある。

 もしかすれば、そう思ったかもしれないが―――程遠志がこのことを知る機会はない。

 

 

 

 

 

 








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