真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
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張邈決戦編 第十一話

 

 

 

 張邈の策は、さまざまな影響を両陣営にもたらした。味方陣営の中にも当然動揺が伝わった。張超は動揺を通り越して顔色が土気色になっていたし、裴元紹以外の張邈を慕う将たちの誰もが真意を疑った。すぐさま離反するものが誰一人としていなかったのは、ここまでの彼女が高めていた名声あってのことだろう。毒を―――鴆毒を使うということは、それほどまでのことだった。

 大陸に名声を響かせていた張邈も徐州で虐殺を行ったとされる曹操同様に悪評をばら撒かれることにいずれなる。誰しもがそう理解した。

 それでも、張邈は揺らがなかった。この戦いにすべてを賭けている。何がそこまで彼女を動かすのか。曹操に対する因縁も、鄄城に対する思いも何もないはずだというのに。それは、彼女以外の誰にもわからないことである。

 

 そして当然、張邈軍の士気が下がったのと同様に―――それ以上に、曹操軍の士気も下がった。被害の総勢は百人足らずに留まったものの、恐るべき程の精神的衝撃が襲い掛かった。毒が盛られ、その場所がわからない。自分も毒を飲んでしまっているかもしれない。

 結局、その日の張邈軍の攻撃を凌ぎ切り、毒が井戸に盛られたことを荀彧が遅れながら察することはできても、十全以上に保たれていた士気が元に戻ることはなかった。将軍の中でも、程遠志は倒れ、意識を取り戻したもののいつものように身体を動かすことはまだ叶わない。

 そして、城内の井戸は確実に汚染されていないといえるもの以外九割は打ち壊した。必要なことではあったが、かなり余裕のあった水量は激減した。井戸以外に確保している水瓶も存在したが、それを合わせてもおおよそ、もって十日強。城の包囲が始まってから二十数日後には水が完全に確保できなくなる。

 

 二十数日後には、確実に曹操はこの城へ辿りついている。荀彧はそう信じていたし、敵方の張邈は確信している。それ故この水不足も本来ならば心配することではないのだが―――それを一兵卒が確信することはない。水がなくなり、残り残量もほぼ絶望的だとわかれば当然戦意を喪失する。

 

 

 鄄城は、ほとんど絶望的な様相を呈していた。

 

 

 その城の中で、未だ諦めていない者がいる。

 

 

「風」荀彧は汗を流しながら言った。「華琳さまは、どれくらいで戻ってくるでしょうね」

「早くて、二十日ほどかとー」

「あと十日近くは、持たせる必要がある」

「しかし。今のままでは、明日明後日と持たせることも厳しいでしょう」

「兵士の士気向上を、何よりも優先しなければならない」

 

 荀彧は顎に手を当て、少し考えこんだ。

 その時、扉が開いた。荀彧と程昱は警戒心を露にしてそちらを見る。この時間帯に敵が侵入したとは考えづらいが―――今のこの戦況では敵以外も警戒しなければならない。

 が、現れたのは敵でも、反乱を起こした兵士でもなかった。三人の人間。程遠志と鄧茂と張曼成。

 

「よお」程遠志が声を上げた。「元気かよ」

「今のあんたが、それを言うの」

 

 皮肉なことに、その言葉を喋る彼が一番不健康そうな顔色をしていた。土気色の表情で、鄧茂に肩を借りている。荀彧は心配するような素振りを見せることなく呟いた。

 

「勝ったと思ったんだけどな、このざまだ」

「運が悪かったわね。毒が仕掛けられたのは、あんたの持ち場が大部分だった」

「流れを見誤った。張遼がこっちにきて、完全に掴んだと思ったが―――掴み切れていなかった。何の毒を喰らったのかは知らねえが、かなり強烈な奴なのは確かだな。俺と同じ状況で喰らった人間はさっき死んじまったよ」

「……致死性の毒物。それに見張りの人間は、どうして気がつかなかったの」

「知らねえよ。というか、それを考えるのも億劫なほど頭が痛え」

「あんたに死なれては困るわ、今」

「お前が言うか、他ならぬお前がよ」

 

 力なく程遠志は笑った。ふ、と声がした。荀彧も一瞬だけ意地の悪い笑みを浮かべ、すぐに元の無表情に戻した。

 

「まあ、だ。とりあえず、今日は耐えきったわけだ」

「そうだな」張曼成は顎に手を当てた。「今日、どうして張邈は夜襲をかけて徹底的に攻めなかったのか。徹底的に攻めれば今日中に落とせたかもしれない」

「下手に強行できない程度には、相手の兵士の士気も落ちてるんだと思いますー」

「相手の士気が低いならば、このままでも耐えることは可能だろうか」

「いいえ」程昱は首を振った。「張邈軍の士気低下は、毒を使ったからです。使われた側の我々よりも明らかに状況は上です。張邈本人が演説を続け、兵士に適切な休みを取らせれば、この戦場に限れば数日で士気を回復させることが可能でしょうー」

 

 程昱の言葉に荀彧も頷いた。

 ならば、である。結局のところ兵士の士気回復が最優先である。今のままでは現状維持も難しいだろう。張邈軍の兵士が董卓軍を装って侵入した可能性がある、として張遼に連絡を取り、怪しい者は既に処分した。すなわち、恐らく新たな毒物が井戸や食事に混入することはないはずである。

 それでも、それを今の兵士たちは簡単に信じられない。士気が低下すれば、戦意も喪失する。戦意が喪失すれば疑心暗鬼も生まれる。そして、疑心暗鬼が生じやすい土壌はすでに出来上がっている。兵士の数を増やすため、城内に民兵を招き入れたことは今の鄄城において完全に裏目となっていた。何もかもがうまくいかぬ状況。程遠志の方へ来ようとしていた流れが反転し、悪くなっている。

 

「演説と言えば」荀彧は小首を傾げる。「厳政はどこへ行ったの?」

「兵士への演説を任せたらよ、消えた」

「……大丈夫なんでしょうね」

「厳政は逃げねえよ。あいつはそういう奴だ」

 

 顔を真っ青にしながらも、程遠志は決めつけて言った。鋳型に嵌め込んだような言葉だった。程遠志らしい、とかつて抱いた感想を再び思い、張曼成は小さく笑う。

 鄧茂は笑わなかった。程遠志が怪我を負ったところを彼は少し前まで見たことはなかった。呂布にそれを止められ、今度は毒を身体に入れられた。この毒で死んだ人間もいる。平静でいれるはずがなかった。

 

「とにかく、だ。流れをもう一回引き寄せなければならねえ」

「程遠志、一回休まないと」

「鄧茂」程遠志は首を振った。「休んでる時間なんてねえよ。今はこの状況を覆さねえと」

「覆す策は、何か考えているんですかー?」

「策はよ、全部任せるよ、お前らに。最初から俺にできることは一つだけなんだ」

「流れ、ですかー」

「そうだ。それを変えることが俺に唯一できることで、この状況を覆すことにつながるはずだ」

 

 程遠志は程昱を、そして荀彧を見た。策はあるかと問いかけるようだった。

 荀彧は目を逸らさなかった。「あるわ」程昱もまた、同じだった。「あります」

 

「……えらく即答するじゃねえか」

「舐めないで。董卓軍を装った張邈に嵌められたのは事実だけど、それを利用できるのも確かだわ。張邈軍が動揺している今こそ、董卓軍へ使者を送り、軍自体を遅延させることもできるはず」

「そんなこと、できるのかよ」

「できます。ですが、それでも、恐らく時間延ばしにしかならないでしょう。華琳さまが辿りつくまで間に合わず、無駄に終わってしまう程度の時間ですー。それまでの間に」

 

 荀彧と、程昱はそこで程遠志を見た。

 彼は小さく、口の中で呟くように「それまでに」と程昱の言葉を真似て発した。

 

「それまでに、流れを引き寄せて、兵士の士気を上げて」

 

 どこか唇を噛んで、悔しそうに荀彧は言った。

 

「なんだよ」程遠志は目を大きく開け、驚いた。「俺の流れを信じるのか」

「……ええ、そうね。信じるわ」

「軍師のお前が、か」

 

 程遠志は口が開いたままになった。荀彧や程昱が自身の流れを少しずつ信じてくれていることは彼にも理解できていた。それでも、公の場で荀彧が断言するとは思わなかった。程昱は何も言わないが、荀彧の言葉に否定をせず、ただ程遠志の方を向いていた。それだけで内心は十分に察せられた。

 妙な感情が湧いてきた。正反対な感情だった。今まで認められることのなかった流れ。それが堂々と認められたことに対する嬉しさと、素直になれぬ悪戯心が湧き出てきた。嬉しさの方が割合が大きく、それを恥ずかしがるように悪戯心が湧き出てくる。何だこの感情は、と程遠志は目を白黒とさせた。同時に、この感情に身を任せてみようとも思った。

 

「お前と俺は、多分、そこまで仲良くなることはねえだろうな」

「そうね。そもそも、男と私が仲良くなることなんてないわね」

「処刑もされかけたしよ」

「……それについては謝るわよ。貸しだと思っていいわ」

「それに、この戦いだって、生き残れないかもしれねえよな」

 

 荀彧は急に何を言うのだ、と鋭い目になった。程遠志は涼しい顔である。「だから」と言葉を続けた。

 

「言い残すこと、みてえなのはねえか」

「別に、ない」

「具体的なことを言うんなら、誰にも言えず隠していた秘密とか」

「ないわよ。脈絡なく、急に何を言うの」

「俺はある。というか、俺らにはだけどよ」

 

 なあ鄧茂、と程遠志は横を向く。急に話を振られて鄧茂も固まった。固まって、何を言いたいか察した。

 程遠志には様々な思惑があった。場の空気を和らげるためという理由も、無駄な会話を続けるべきだという理由も。しかし、そのような企み以外にも、単純に素直な嬉しさを隠すための悪戯心が鎌首を上げている、というだけの可愛らしい理由もあった。毒を喰らい、自分の弱さを知ったからこその感情かもしれない。自身の心の嬉しさを、誤魔化すように程遠志は意地悪く笑いながら言う。

 

「鄧茂はよ、実は男なんだよ」

「――――――はあ?」

「誰にも言うなよな。特に、曹操さまには」

「こんな土壇場で、何を急にそんな詰まらない嘘を」

「嘘じゃないよ」鄧茂はそこで、ようやく笑った。「実は、だけど」

「はあ?」

 

 荀彧は固まったまま、動かない。程昱は片眉を上げ、鄧茂の方へ行き、胸を触った。「ち、ちょっとぉ!?」と鄧茂は妙に色っぽく喘ぎ、程遠志を閉口させたが、程昱の顔は驚きに包まれた。「本当ですねー」と、少し掠れた声で程昱は言う。「嘘でしょ」と荀彧は言い、鄧茂に手を伸ばして―――触らず戻した。「風、嘘でしょ?」「本当ですよー」と会話を交わし、鄧茂にも問いかけた。「嘘でしょぉ?」「本当だよ」

 ―――すぐさま、程遠志の方に涙目で向き直った。

 

「なんでこんな時にあんたはそんなことを言うの!?」

「こんな時だからだろうが。あ、さっきの貸し使っていいからよ、これは曹操様には言わないでくれ。普通に怒られそう」

「言えないわよ! 言ったら多分とんでもないことになるわ!!」

 

 荀彧は絶叫し、程遠志の脛を二、三度蹴る真似をした。鄧茂の肩を借りている程遠志に流石に暴力は振るいづらかったらしい。

 程昱はその姿を見て少し笑った。この鄄城に籠る面子で、このように団欒とした会話をしたのは初めてだった。張曼成も微笑し、鄧茂も引き攣った表情ながらも笑みを零した。そして、睨み合っていた程遠志も、荀彧もやがて何かを皮切りに笑い出した。程遠志が大笑で、荀彧は失笑にも似た笑いではあったが、笑ったことには他ならない。皆笑った。

 

 

 

 兵士たちの士気は下がっている。毒を入れられ、疑心暗鬼が生ずる一歩手前である。

 それでも。

 それでも―――この城の中で、未だ諦めていない者たちがいた。

 

 

 

 

 








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