真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
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張邈決戦編 第十三話

 

 

 

「城が、士気を取り戻した……?」

 

 張邈は不可解な思いにさせられた。毒を撒き、士気を落とした。まだこちらの軍の士気も戻っていないことから今日中に落とすことまでは望んでいない。それでも、明らかに今の現状は異常だった。

 張邈軍と曹操軍は共に士気が低下している。どちらも毒が原因であったが、互いの状況が等しいわけではない。仕掛けた側と仕掛けられた側。時間が回復させてくれる張邈軍と、毒の疑心が蔓延る曹操軍では置かれている立場が違う。その差は時間が経つにつれてだんだんと開いていき、明日、明後日にはもうどうしようもなくなる。最初は「いずれ来る援軍」という時間を味方につけていたはずの曹操軍が、その時間が原因で負けるとは何とも皮肉なものだ。張邈はそう思っていた。

 そう思っていた、というのに。

 

 城に籠る曹操軍が、張邈軍の攻撃を弾き返し始めていた。

 張遼の奮戦、荀彧、程昱の防戦。彼女らの力があれば不可能なことではない。しかしそれは、戦場で実際に戦う大部分の兵士たちが士気を取り戻すことが必要不可欠なはずだ。すなわち、今の現状では不可能なことのはずだった。

 だというのに、目の前の現実はそれを否定している。

 不可解で、不快だった。張邈は無表情をそれでも崩さなかったが、裴元紹は焦れて暴れていた。張超も理解ができぬとばかりに顔を歪めている。

 

「おかしいだろ、どういうことだよ」

「姉上」張超は汗を額から垂らしていた。「士気が、戻っているのでは」

「あり得ない。あの状況から兵士の士気を一瞬で戻すなんて、馬鹿げているわ」

「しかし……」

 

 現実で、その馬鹿げた現象が起こっていた。張邈にも説明ができない現象である。

 

「流れが、変わったってのか」

 

 裴元紹が呟くように言った。かつて程遠志との砦での小競り合いを思い出し、臍を噛んだ。

 張邈はそれを聞いて、即座に否定した。「あり得ない」「流れなど存在しない」体中から奔流のように否定する感情が流れ出てくる。それでも無感情、無感動でいられたのは彼女だからだとしか言えない。

 

 

 

 

 

 

 そして―――数日が経過したが、未だ城は落ちない。

 

 曹操軍の士気が上がったとはいえ、それでも問題はない。張邈はそう強引に思い、強引な攻めを繰り広げていた。動きの悪い董卓軍を強引に動かし、士気の下がる自らの軍を鼓舞し続けた。

 流れに逆らうように、張邈は藻搔いていた。何が彼女をそこまで突き動かすのか。それはわからないが、この戦いの後のことなど考えぬ、というような戦い方だったことは間違いない。城に籠る曹操軍の士気が戻ろうとも、まだ間に合う。間に合わせる。執拗で執念じみた感情の奔流がそこには見えた。

 事実、程遠志が流れを掌握して今でも、楽観的な思考をする曹操軍の人間はそこまで多くなかった。未だわからない。荀彧は曹操がこの城に到着するにはまだもう少しかかると予想した。力押しに切り替えて、必ず落ちぬとは言い切れない。格段に状況が良くなったとはいえど、安心できるほどではない。

 

「まだ」張邈は、小さく言う。「まだわからないわ」

「そうだ、わからねえ。十分落ちる可能性がある」

 

 裴元紹とそれに同意した。彼の目は血走り、まだ無表情を維持する張邈とは真逆の容貌になっていた。

 

「あと、華琳が来るまで五日程度。それまでに落とす」

「しかし、姉上。具体的な方策は」

「ないわ。最早、この状況に策や戦術など必要じゃない。やるべきことは、一日中、兵士を酷使して力攻めを続けることだけよ」

「それでは、兵士から脱走者も出てしまいます!」

「そうね」張邈は首肯した。「それでも、この城は落とす必要がある。華琳が居ぬ間に兗州を完全制圧しなければ、すべてが水泡に帰すわ」

 

 例え、何もかもに恨まれたとしても。張邈は小さく漏らすようにそう続けた。

 

「……これまで、私たちは夜襲を一切かけてきませんでしたよね。それは相手の士気を落とすだけではなく、こちらの軍に十全の働きを期待する効果もありました」

「失策だったわ。相手の士気が完全に元に戻った今、完全に裏目となった」

「それならば、夜襲を行うのではなく、これまでと同じように攻め続けましょう。仮に曹操が帰ってきたとしても、万全のこちらの軍で勝ってから、兗州を制圧すれば良いではないですか。今の軍には休養が必要です、この城に全力を尽くす意味など」

「ふざけるな」裴元紹は言葉を挟んだ。「それじゃ、程遠志を倒せねえだろうが」

「お前は黙っていろ」

「いいえ、黙るのは貴女よ。張超」

 

 な、と張超は言葉を失う。何故だ、どうして。そう瞳で問いかけるも、張邈の表情は変わらずいつも通りのままだった。

 無表情の奥に見え隠れする、謎の執着の理由がわからなかった。裴元紹が程遠志に執着しているのは張超にも理解できるし、彼を知る人間ならば誰だってわかっていることだろう。だが、自らの姉である張邈がこの城に、この戦いに、ひいては曹操軍にここまで執着する理由がわからない。

 

「力で攻めるわ。華琳が来る前に、どうにかして落とさなければならない」

 

 自分に言い聞かせるような言葉だった。無感動だった声質が、多少変化していた。気負いか緊張か。張り詰めたような感情がその声に残っている。それ以外にも、仄かに別の感情も伺えた。激怒、怨嗟、諦観。さまざまな、普段の張邈ならば絶対に抱かないであろう感情たちだった。

 

 果たして、張邈軍は鄄城へ総攻撃をかける手筈になった。「流れ」に逆らい、歯向かう選択肢を選んだのである。

 裴元紹は程遠志の流れを知っているから、嫌な予感はした。張超は程遠志という男のことなど知らないが、それでも謎の、言葉にできない寒気を感じていた。おそらく張邈軍全体に言えることだろう。負けるのではないか、という絶望感が充満しつつある。演説などでなんとか誤魔化してはいたが、それがいつまでも持つわけではない。

 真の意味で動揺していないのは、張邈だけだった。感情の発露が見られないわけではないが、それでも動揺や絶望をしていない。怨みを買うことなどどうでもいい。流れなど存在しないと断ずる彼女の強さがそこにはあった。

 

 まだ、戦いが決まったわけではない。

 全てが終わったわけではないのだ。

 

 張邈はそう思いながらも、どこか諦観した横顔が見せていた。無表情だった顔が、物憂げな色を帯びている。付き合いの短い裴元紹にはそれに気が付けなかったが、張超はすぐに気がついた。姉の無表情が崩れることは稀にあったが、そのような表情を見たことはなかった。今まで何を考えているのかわからなかった姉が、本心を露にしている。拍子抜けのような、見てはいけないものを見てしまったような気分になり、若干戸惑う。

 姉の本意がわからぬ、というのが悩みだった。だというのに、その一端を掴んでみれば謎の感情が胸から湧き出てくる。この感情は何なのだ、と目を瞬かせた。

 

 

 

 ……張邈は必死に藻搔いていた。

 

 その姿を曹操軍の人間が見ればどう思うだろうか。敬意のような感情を抱く者はいないだろう。荀彧は曹操をこの時期に裏切った彼女を許すはずもない。程昱も、元董卓軍の張遼もそれは同じだ。抱く感情があるとすれば、それは「警戒」だろう。まだ勝負を諦めていない。何が起こるかわからぬから、気を引き締めねばと考えるはずだ。

 しかし、城に籠るほとんどの曹操軍の人間はそうだろうが、程遠志の見解は違う。仮に彼が張邈の姿を見ても敬意を持ったり警戒をすることはない。彼は何の感情も抱くことはないだろう。

 黄巾の砦の時と同じである。程遠志は、今、完全に流れを掌握している。厳政を助け、裴元紹の手を逃れて、張角三姉妹を救い、五体満足で砦から抜け出さねばならなかった。その時でも彼は余裕綽々としていた。『流れがきた時点で、この状況は昼寝の時間だとか、宴会の時間だとかのようなもんだ』その考えは、張遼の内応から流れを誤認したことがあっても、変わっていない。流れに身を任せることが行動原理の彼は、この状況にも笑っていられる明確な自信があった―――流れが運命を変えるのだ、という自信が。

 

 そして、その時が来ようとしていた。

 

 

「―――申し上げます!」

 

 

 丁度、城を取り囲んでから十五日目のことだった。

 張邈の陣に怒声にも似た声が木霊する。その声色からは多大な焦りと恐怖が窺えた。

 

「うっせーな。どうしたってんだ」

「わ、我が軍の背後から他軍が……!」

「お」裴元紹は、そこで目の色を変えた。「援軍か? そうだよな」

 

 ―――裴元紹の考えは、愚かなものではない。

 只今の兗州に敵は殆どいない。他州から敵がこの状況を見て領土を掠め取りに来る可能性は存在したが、それでも、この張邈軍本隊が存在する鄄城を標的にはしないだろう。そう状況を鑑みれば、こちらへ向かってきている軍は兗州に存在する民兵か、他の州から来た張邈への援兵に思える。

 別段、変な考えではない、が。

 

「……どこの所属なの」

 

 張邈は嫌な予感がした。その寒気は彼女の信じていない「勘」や「流れ」にも似たもので、小さく嫌悪感を抱きながらも問いかけざるを得なかった。

 その様子を見て、張超は背筋に寒いものが走った。謎の感情が身体から溢れ出てくる。裴元紹も、遅蒔きながら綻ばせていた表情を元のものへ戻す。

 伝令の兵士はその三者三様の様子を見てすらいなかった。張邈軍ならば誰もが抱いている、張邈に対する敬意すらも揺らぎ始めている。それは今回の戦いで使った毒の影響でもあった。張邈に対する信頼感の低下が原因でもあった。しかし―――それよりも圧倒的に多大に、単純な自分の身が危機に瀕しているという恐怖が伝令の表情には存在していた。

 

 伝令は、叫ぶように言う。

 

「え、援兵ではありません……軍勢の旗は『曹』! 曹操軍本隊が、後ろから猛追しています!!」

 

 ―――そこで、遂に。

 張邈の大きく崩れることがなかった表情が、美しい彫像を毀損するように度を失った。

 

 

 

 

 








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