真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
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張邈決戦編 第十四話

 

 

 

 誰もが予測できない速さだった。

 張曼成は、曹操は運が悪ければ城が囲まれてから三十日は来ないと危惧した。荀彧はそれでも曹操ならば二十数日には来ると信頼した。張邈は誰よりも曹操を理解しているから、二十日以内には来ると警戒した。

 その誰もの予想をぶち抜いた。十五日で、曹操は到着した。張邈に限って言えば全くの外れではないが、彼女自身ここまで迅速な対応が為されるとは考えてもいなかった。

 

 

 曹操は冷めた瞳で戦場を睥睨していた。

 彼女の脳内は、この戦場にいる誰よりも活発に活動している。考えねばならぬことも、思わねばならぬことも多く存在した。今の鄄城の状況。荀彧や程昱、程遠志の生存確認。そして―――知己である張邈が裏切った理由。常人ならば圧し潰されるほどの重圧が彼女を包んでいた。それを考えながらも、曹操は違う部分へ思考を回していた。考えねばならぬことがまだ他にもあった。

 

 ―――数日前まで、その重圧に耐えながら陶謙、劉備連合軍と戦っていた。徐州虐殺から敵軍の士気は高く、容易く曹操は退却することができなかった。実際のところ、ここまでの早い帰還は、曹操自身望めぬと考えていたのである。

 何が迅速な帰還をもたらしたのか。夏侯惇、夏侯淵の奮戦や、郭嘉の策もある。曹操自身前線の兵士を鼓舞し続けたことで、退却戦ながら有利に戦況を進めることができていた。

 

 それも、一種の理由である。しかしそれ以外にもある―――天運である。

 

 戦いの最中であった。劉備、陶謙軍の圧力がにわかに弱まり、及び腰になった。曹操はそれを見逃さず、即座に攻撃を仕掛けた。退却を捨て、すぐさま直接的な戦闘に移れたのはかねてからの軍の強化の賜物であり、前線の指揮官にある程度までの裁量性を持たせたことも理由である。結果、敵軍を打ち負かすことができ、機能を完全停止させるまでに至った。動きを止めた劉備たちに目もくれず、曹操は兵士たちを叱咤して兗州へ急ぎ―――今がある。

 どうして劉備、陶謙軍の動きが弱まったのか。曹操は行軍の最中伝令から報告を聞いていた。陶謙の死去、である。病を無視し、老体に鞭打ってまで出陣したことが、彼の身体へ止めをさした。劉備と、その配下の者がいくら有能であろうとも、陶謙軍なのだから主君が死ねば動揺する。動揺を治めることは能わず、敗走した。

 曹操はその知らせを聞き、兗州へ向けて進みながらも考えた。これがただの偶発的な出来事だろうか。

 あまりにも都合が良すぎる。仮に、陶謙が死ななかったとしても負けることはなかっただろうが、確実にこの行軍速度を維持することはできなかった。鄄城に辿り着くまでの時間が二、三日遅れ―――張邈の予期した時期と同じくらいに到着していたことだろう。

 しかし、偶発的でなければなんだというのだ。奇跡や神を曹操は信じない。張邈のような徹底的な現実主義者ともまた違ったが、努力をせず祈るのみの人間を彼女は嫌悪していた。この出来事がまるで天から授かったもののようで、一瞬そう思ってしまったことに曹操は激しい自己嫌悪を抱いたが、その感情をも隠匿した。すぐさま利用すべきだと思い立ち、軍全体に陶謙の死を伝え、「我が軍に流れが来ている」と鼓舞した。厳しい行軍に音を上げさせぬため、その情報を士気向上に用いたのである。

 

 

「―――どうにか、辿り着きましたね。華琳さま」

 

 いつしか曹操の隣には夏侯淵と夏侯惇が控えていた。

 

「そうね」曹操は小さく言う。「陶謙の死には、助けられたわ」

「戦場の状況は?」

「恐らく、まだ城は落ちていない。間に合ったのよ」

 

 ふう、と夏侯淵は安堵の吐息を口から出した。彼女自身そのことに気づいていないようで、自然なものだった。

 

「香水は―――どうしてこのようなことを」

 

 夏侯淵は痛ましげな瞳になっていた。傲岸不遜な猛将の姿はそこになく、ただ一人の悲しみに打ちひしがれる少女の姿だけだった。その悲嘆が自分自身だけのものではなく、曹操の内心を忖度したものだと、他の二人も理解している。

 曹操は敢えて表情を崩さなかった。負の感情は隠匿しなければならない。夏侯惇のように悲嘆の表情を漏らしたり、夏侯淵のように安堵の溜息を容易に吐いてはならない。様々な禁足事項を自分に課すことが、乱世に覇を唱える主君の務めだと考えているからだ。

 

「香水にも何か考えることがあったのでしょう。この戦いが終わり、彼女を捕らえればわかることよ」

「そうですね……」夏侯淵は目に力を籠める。「そのためには」

「すぐさま香水を―――張邈軍を殲滅する」

 

 応、と夏侯淵も、夏侯惇も吠えた。曹操は彼女たちの―――とりわけ夏侯淵の表情に少しだけ焦りが存在しているのを理解している。城がまだ落ちてはいないとはいえ、城内の人間の安全が確保されたわけではない。程遠志。流れを信奉する男。彼もまた、城内で戦っているのだろう。

 夏侯淵が程遠志を憎く思っていないことを、曹操は早い段階から知っていた。告白された、と彼を責めた時。黄巾の砦から逃げてくる彼を救う時。そして、その極めつけが自らの姉である夏侯惇を助けた時なのだろう。少しだけ妬く気持ちは存在したが、主君とは配下の感情までもをすべて掌握するような存在ではない。自由にすればいい、と放任していた。

 

 曹操は程遠志の持つ流れを信じていない。夏侯惇と夏侯淵の言葉を閨で聞いて、単なる嘘偽りごとではないと理解しながらも完全に信じたわけではなかった。嘘でないというのに、信じない。矛盾のような言葉ではあったが、そこには曹操のささやかな抵抗が存在していた。

 その感情はこの戦場においても変わらない。変わらないが、城内に籠って奮戦しているであろう程遠志の姿を脳内に描くと、不思議と愉快な気持ちになった。隠匿する感情は負のもののみで、笑顔を旧くからの親友たちに隠す必要はない。曹操はくすり、と笑い、気負った様子の二人へ言葉を投げかけた。

 

「貴女たちは程遠志の流れを信じているのでしょう。それならば―――この絶好の状況で、彼が生きていないわけがないと思うようになさい」

 

 

 

 

 

 

 

 張超は曹操が到着して、すぐに判断した。分岐点は過ぎた。敗北である。

 張超は姉に隠れているものの無能ではない。寧ろ敗北への嗅覚というものは、多くの経験から姉よりも優れたものになっている。「姉上、退却しましょう」と、茫然自失の張邈へ謎の感情を抱きながらも、それを無視してすぐさま声をかけた。

 張邈はしばし、いつもの無表情を崩して様々な感情を表情に出していた。なぜ負けたのだ、というようで、やはり負けた、というどこか諦観にも似た矛盾した思いがそこには見られた。「ええ、そうね」と絞り出すように言葉を吐く。精神的に不安定だからとはいえ、退き際は心得ている。

 張邈軍は毒を使い、士気を回復させることを放棄してここ数日強攻を続けていた。それは鄄城の攻略という短期的な視点からすれば正しかったかもしれないが、長期的に見れば愚策としか言えなかった。その結果として、曹操本隊の登場に明らかな動揺と確かな士気低下が軍を包んでいる。張邈がいくら知恵を絞っても、既にどうしようもないところまで状況は変化していた。

 

「おい、ふざけんなよ。何言ってんだ」

 

 その姉妹の会話に、押し入ってくるものがあった。裴元紹である。

 彼の目的は曹操などではない。初めから―――張邈軍に所属する以前から、彼は程遠志以外の人間に興味など持っていなかった。恨みを晴らす、という名目がある。それを果たさずして退却などできるか、と言わんばかりだった。

 

「このままでは、我が軍は崩れるわ」

「ふざけんな! この軍に入れば、程遠志を殺せると言ったのはお前だろうが」

「そうね」張邈は素直に頷く。「それは間違いだったわ。諦めなさい」

「テメエ―――」

 

 裴元紹はすぐさま張邈へ襲い掛かった。張邈は剣の心得がある。そのため、裴元紹の闇雲な攻撃を避けることなど容易いことであったが―――そうしなかった。

 裴元紹の太い腕が張邈の喉に伸び、絡みついた。「ぐッ」と、彼女は悲鳴を漏らし、顔を歪めた。

 しかし、それも一瞬のことだった。「貴様」という声がしたかと思うと、裴元紹の脇腹に掌底が抉り込むように放たれた。張超の瞳が爛々と輝き、姉の危機に動いていた。裴元紹は目を白黒させ、張邈の喉から手を放し、横向きに倒れる。

 

「殺しましょうか」

「いいえ。そもそも私の責任よ。何をされようと受け入れるつもりだった」

「自暴自棄にならないでください。とにかく、戻りましょう」

「どこへ」

「我らが故郷へ」

 

 迂遠な喋り方をする張超に、張邈は笑みを零した。無表情の仮面を取り払った姿。張超の見たい、と熱望していた姿である。曹操の登場から精神的に不安定になり、一時的に錯乱している。張超はそう判断し、役得だなと考えた。幼いころから知りたかった姉の感情が今では容易く見ることができる。

 

 しかし、と張超は思った。何故だろうか。見てしまえばこんなものか、とも思う。

 見なければよかったという感情―――すなわち失望が、胸元から音を立てて膨れ上がっていた。

 

 

 

 

 








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