真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
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黄巾党編 第五話

 

 

 

  荀彧は氷のような無表情だった。眼前には、彼女が予想した通りの光景が広がっている。

  数時間前に、戦闘が始まった。味方左翼と敵右翼の衝突。それに次いで中央と、味方右翼、敵左翼の衝突が起こった。

  単純な兵力を比較してみると、黄巾党と曹操軍にそう大した差はない。寧ろ、黄巾の方が兵士の数は上回ってすらいた。兵の練度を鑑みて、ようやく互角。そのような戦力差だった。

  だからこそ、曹操は夏侯淵と荀彧に敵軍を打ち破るのではなく、負けるな、としか命じなかった。前もって黄巾党から漏れていた出陣計画から、どれくらいの兵士が出陣するかはわかっている。押し留める程度でよかったのだ。

 

「でも、それでは」

 

  それでは華琳さまは本当の意味で喜ばないだろう、と荀彧は考えた。戦力的に同じならば、後は将の力量のみ。黄巾などの将に自分が劣るはずもない。彼女はそう自負している。

  そして、この結果だ。曹操軍左翼は黄巾党の右翼を崩壊させた。散り散りに逃げる黄巾党に、もはや戦意は見られない。

 

「桂花、完璧だったな」

「当たり前よ。こんなやつらに遅れをとるはずもないわ」

「兵士の数ではこちらの方が劣っていた故、ここまで早く終わるとは思わなかった」

「相手が弱すぎたわ。左翼に置いておいた隠し予備を使うまでもなかったし」

 

  そう言いながらも、荀彧はどことなく不満そうな顔だった。

  彼女らしい、と夏侯淵は思った。才のある者はそれを相手に求める傾向がある。主である曹操が強敵を求め、人材を集めるように。手応えがない、と荀彧は感じているのだろう。黄巾軍が弱すぎて、これでは自分の実力を華琳さまに認めてもらえない、という恐れも勿論あるのだろうが。

 

「ただ、問題があるとすれば、こちらの軍の統制も今ひとつ取れていないことか」

「そうね。黄巾の敗散に釣られてる。深追いしてる軍が要所要所にあるはず。逃げるんなら、逃しておけばいいのに。華琳さまに到底見せられた様ではないわ」

「砂煙の所為で戦場全体の把握も未だにできていない。恐らく、一過性の混乱だろうが、練度の底上げがまだまだ必要だな」

「一応、伝令は全体に向かわせたわ。もう半刻もすれば元どおりになるでしょうよ」

「そうか。ならば、後は待つだけだな」

 

  夏侯淵は静かにため息を吐いた。華琳さまに叱られることはないだろう。寧ろ、押し留めるだけでよかったところを完勝したのだから、褒められるに違いない。そう理解していたが、それでも、彼女の胸中から漂う憂鬱な思いは消えなかった。

  課題はまだ大きい。大陸に覇を唱える軍としてみると、この混乱は到底見逃せるものではない。志願兵の割合が高い所為か、まだ訓練が足りぬだけか。

  今回の戦いから、ほとんど収穫はなかった。ある程度までの練度の確認と、予想外の事態に指揮系統が混乱する危険性があることのみ。相手が正規軍ならば、ここまで容易く勝てなかっただろう。

 

「夏侯淵さま、伝令が参りました」

 

  本陣前の警護をしている男が大声を発した。

  ほお、と夏侯淵は溜息にも似た声を漏らす。荀彧は眉を少しだけ潜めた。

 

「通せ」

「かしこまりました」

 

  夏侯淵がそう言うと、三人の者が入ってきた。頭を深く下げ、にじり寄るように動いている。夏侯淵はそれを見て、何か見覚えを感じた。

  当たり前のことだ。曹操軍の人間なのだから、見たことぐらいあってもおかしくはない。そうは思ったものの、なかなかその疑問は解けなかった。

  何か変だ。

  何が変なのかはわからないが、そう思った。

  疑念を感じているのは荀彧も同じなのか、彼女も首を傾げながら口を開いた。

 

「随分と早いわね。他の伝令は、まだ帰ってきていないわよ」

「存外早く混乱は鎮まりました。他の伝令ももうそろそろ帰ってくる頃でしょう」

「早すぎるわよ。あんた、ちゃんと役目を果たしたんでしょうね」

「勿論」

「他の伝令を送ってもいいのよ」

「構いませんとも」

 

  妙に堂々とした伝令だった。荀彧は軍師であり、曹操軍の中枢に位置する少女である。命令一つで首が飛ぶ、たかが伝令がよくもそんな態度を取るものだ。夏侯淵は少し呆れた。

  荀彧は勿論良い顔をしていない。伝令は丁寧な言葉を使ってはいたものの、どことなく横柄で、尊大な内心が透けて見えていた。

 

「あんた―――」

「此度の作戦、お見事ですね」

 

  荀彧の言葉を遮って、伝令は口を開いた。

  何を急に。場の全員はそう思ったことだろう。唐突で、意味のない讃美だった。

 

「あんた、私の策を理解でもしたつもり?  調子に乗らないでくれる」

「勿論、理解できていません。俺にわかったのは、黄巾党が簡単に負けちゃったな、ってことくらいですし」

「そりゃそうよね。伝令の、それも男が。理解なんてできるはずない」

「―――斜行陣」

 

  ふっ、ともう一人の伝令が呟くように声を漏らした。夏侯淵も、荀彧も、伝令二人も。合わせて彼の方を見る。

 

「ただの横陣と見せかけ、左翼に兵を集中させて、一瞬で打ち破った。希臘(ギリシア)のエパメイノンダスが取った策に似ているな」

「はあ?」

「俺なりの考察だ。合っているか」

「……私はあんたの言っている人間を知らないし、知る気もない。これは私が独自で決めた策よ。それで、左翼騎兵の存在には気づいたの」

「それは知らなかった」

「なら、この策の本質を理解できたとは言えないわ。それで理解したつもりになるなんて、男風情がなんと烏滸がましい!」

 

  荀彧は目を怒らせて声を荒げた。

  夏侯淵はそれと対照的に、静かに辺りを見回した。脳が彼女に告げている「何かおかしい」という異変はどんどん加速している。最初の慇懃無礼な男。敬語を使わない男。何も喋らずニヤニヤしている女。伝令たちが、こんな態度を取るはずがない。

 

「貴様ら、何者だ?」

「伝令ですよ」

「嘘をつくな。桂花、伝令はこんな顔をしていたのか」

「数十人は送った伝令の顔なんて覚えていないわよ」

「とにかく、顔を上げろ」

「顔を上げて、いいのかよ」もう伝令の男は敬語を使う気もないらしかった。「それなら上げるけど、驚くなよ」

「早く上げろ」

「言われなくても」

 

  そこで、ようやく三人の伝令の顔を、夏侯淵は見た。「あっ」と彼女は声を上げる。

  どこかで見た顔だった。そのどこかが一瞬思い出せず、固まった。取るに足らない出来事だ、と記憶の隅に置いたものが、再び現れてくる。名前は。そうだ、確か名前は!

 

「貴様、程遠志!」

 

  夏侯淵が叫んだ途端、陣の向こうから鬨の声が上がり、どっと兵士が流れ込んできた。

 

 








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