菊菜が彩桜学園に転校してきて最初の日曜日となる10月1日。叶枝はいつものように望夢と二人で――ではなく、望夢と菊菜との三人で街へ繰り出していた。
理由というほどの理由もない。ただ菊菜が洩らした「新生活最初のお出かけは新しい最初のお友達としたかったんだー」という言葉に、その
県でみればそれなりに栄える愛知県とはいえ、政礼町はその端にある田舎だ。町内唯一の政礼駅も、せいぜいあるものといえば無駄に広い公園と小さな書店。そして古くて安くて美味しくない定食屋だけ。
なので集合地点は同じエリアの中でも駅前ではなく公園の入り口。周囲にいる学生やカップルも、同じように入り口か公園内で集まって足を進めている。それがこの辺りの若者たちの常識だからだ。
「そういえば菊菜って前の学校どこだったんだ?」
「え? 隣町の永岑高校だけど……なんで?」
「ああ、やっぱすぐ近くか。いや、集合場所を決める時、すぐここ選んでたから、このあたりのこと元から知ってたのかと思って」
「あー、そうだね。何度か遊びに来たこともあるし、
転校してそう日も経たないのに、菊菜の歩みには迷いがない。買い物の順序もよく、集合地点の公園から近くて軽いものから順に、少しずつ店への距離と荷物の重みが増していく。
とはいえ両手に余るほどの荷物というわけでもない。貧弱そうな菊菜の細腕でも十分に持ち運べる量の荷物だ。それほどこの町の地理と、店の種類や数を知っているということだろう。
楽しげに鼻唄を奏でながら歩く彼女の表情には、清々しいほどの明るさと喜びだけが浮かんでいる。
「で、次はどこ行くんだ?」
「うーん……ちょっと歩き疲れたし、お茶にしよっか」
「なら向こうの喫茶店にしよう。あそこなら落ち着けるし何よりデザートがめちゃくちゃ美味しいらしいし。……なにその目。いやホントだよ。クラスの女子経由の情報だから信じてよ」
休憩を提案する菊菜に、望夢が具体的な場所を提示すると、叶枝が露骨に嫌そうな視線を向けた。菊菜も苦笑いして止めないその理由は、望夢のいう「美味しい」の基準がいまいち信用ならないからだった。
決して彼が料理をできないだとか味音痴だとか、そういうことではない。なんならそこらの女子よりは美味しい料理が作れるし、まっとうに美味しいものだけを探す食べ歩きをしたら、彼の舌ほど信用できるものもなかなかないというくらいには舌が肥えている。
しかしそこで終わらないからこそ叶枝も菊菜も苦笑いしているのだ。実は望夢、一時期まっとうに美味しいものばかり食べ過ぎて「刺激的な」食べ物をやたら求めていた頃がある。その名残か、今の彼は真っ当に美味しいものはもちろんわかるが、頭のおかしい味に対しても強靭な耐性を持ってしまっていた。
ようは、うっかり「ヤバい」類の料理を友人に勧めてしまうことがあるのだ。そしてこの数日間の間に、菊菜もその被害をばっちり受けている。
「まぁ、情報の出処がお前じゃないなら信じるけど……これで本当にヤバいやつだったら殴るからな?」
「いくらなんでもぼくの信用なさすぎでしょ。ていうか、こないだのに限らずアレなやつ食べさせちゃったのは全部わざとじゃないからね?」
「わざとじゃないから、なおさら怖いんじゃないかなぁ……?」
自業自得だとはわかっていても不満をこぼしてしまう望夢を宥めながら歩き続け、ようやく一休みできる店に到着――した瞬間のこと。
「――ッ!」
「……叶枝!」
二人の耳に届いたのは金切り声にも断末魔にも似た絶叫。そして全身の毛が逆立つこの感覚――これは。
「えっ? どうしたの望夢くん?」
「ごめん桐咲ちゃん、ちょっとここで待ってて!」
「すぐ片付けてくる!」
「えっ? えっ?」
そう言い残して、全ての荷物を菊菜に預けて二人は街へと駆け出した。
間違いない。あの叫び、あの感覚、あれはまさに――。
「……二人とも行ったかな」
残された菊菜は二人を見送ると、スカートのポケットから旧型の携帯電話を取り出すと、一人の人物へとコールする。
3コールと経たず返事を返した相手にクスクスとおかしそうに笑うと、彼女はただ一言。
「行ったよ。あとは任せるけど、無茶しないでね」
『本当はこういうの前線部隊の仕事だと思うんですけど……任せてください。マスカレイダーが本当に敵視すべき存在かどうか見極めるのも、情報部の仕事ですから。……あとその声と喋り方ほんとに気持ち悪いんで業務報告の時くらいやめてください』
「違和感とか言わないでほしいなー。わたしだって別に好きでこんなことやってるわけじゃないんだから、ちょっとくらい見逃してよ。ねっ?」
『……切りますね』
返事すら返す間もなく本当に切られた。
◆
叶枝と望夢の駆け抜けた先に広がっていた光景は「やはり」最低で劣悪な感情ばかりが渦巻く惨状だった。
我が物顔で街を暴れるレイダー。悲鳴を上げて逃げ惑う人々。良い感情など微塵も生まれるはずのない光景。湧き上がる激情と、それすらも急激に凍てつかせるほどの冷たい理性が、彼らの闘志を高ぶらせる。
「望夢……」
「うん、行こう」
叶枝の差し出した右手に望夢の左手が重なり、もう一方の手首に装着された灰銀のバトルデバイスが回転を始める。
回転と共に熱を発するバトルデバイスと、ちょっとずつ体温を失っていく望夢の手を感じながら、叶枝はただ静かに激情と理性を均等に保ち、逆にバトルデバイスの回転によって巻き起こる旋風に涼しさを感じる望夢は、叶枝の手の温かさを感じながら激情と理性をより昂ぶらせた。
そしてそれらの激情と理性が最高潮に達した時、彼らの「覚悟」が言葉となって現れる。
「変、貌ッ!」
「変貌……!」
言葉と共に泥のように溶けた望夢のカラダが叶枝の肉体へ吸い込まれ、そして相棒の力が溢れ出るかのように全身が灰銀へと変異し、孔雀の翼を纏う流線形の美しい姿へと変貌を遂げた。
ヒトとは到底呼べない体と力に涙しながらも、その涙を灰銀の仮面に隠して戦うレイダー……『マスカレイダー』としての二人の姿だ。
(直にレイドリベンジャーズも到着するだろうが……こいつらは俺たちの得物だ。背中から撃たれない程度に暴れさせてもらうぜ!)
目視できる範囲だけで四足歩行型4頭、球体型2頭、二足歩行型2頭、蛞蝓型3頭、飛行型3頭の計14頭。球体型1頭を除きおおよそ小型・中型ばかりだが、球体型はその形状の性質上、格闘攻撃がほとんど意味をなさない。
ひとまず飛行型と球体型を後回しにしつつ、マスカレイダーは最も近い位置にいた四足歩行型2頭と蛞蝓型2頭に狙いを定めた。
『――――!』
(蛞蝓型は背部の突起から伸びる触手による中距離からの打撃および絞撃。データ通りだな)
『――――!』
(っと、四足歩行型は頭部の突起による刺突だったな。蛞蝓型と比較すると僅かに機動性に優れる。注意力が落ちれば即座にグサリ、ってことか)
冷静にレイダーの性質と傾向から行動を予測し、回避と同時に拳を打ち込み、ひるんだところに踵落としで仕留める。
左右から挟みこむ蛞蝓型2頭の触手攻撃も、逆にそれ自体を捉え、力任せに振り回した遠心力ごと両者をぶつけ合う。この隙に背後から忍び寄る四足歩行型の攻撃にも狼狽えず、振り向きながら投げつけた蛞蝓型によって防ぐ。
都合よく3頭のレイダーが一カ所にまとまったことで、脚を覆うように纏っていた翼が大きく展開し、強い羽撃きを伴ってマスカレイダーの体を宙へと持ち上げる。
「スィヤァァァァッ!」
そして宙に浮いたまま足を突き出すと、再び羽撃いた翼がさらに強い衝撃波を生みながら落下速度を加速させ、一カ所にまとまっていた3頭のレイダーを一網打尽に葬った。
(まずは3頭……こんなのをあと10頭以上か。時には数十頭にも及ぶ大群を殲滅するレイドリベンジャーズは化け物の集団かよ……)
レイダーの脅威性は「感情を奪う」ことが最たるものとして挙げられるが、それ以外にも感情由来の攻撃でなければまともなダメージにならない防御性がそれと言えるだろう。
単純な物理攻撃では衝撃を生むだけで、
そのために感情武装であるELBシステムが存在し、その中でもレイダーに対して致命傷を与えられるほどの威力を生み出す『ユナイトギア』だけが、人類最後にして最大の希望だとされているのだ。
(ユナイトギアがあれば……いや、ダメだな。この肉体はレイダーだ。ユナイトギアのポジティブ感情と反発し合うだけだ。ユナイトギア装着者と明確に敵対してないだけ儲けもんだと思おう)
マスカレイダーの肉体は言うまでもなくレイダーのそれだ。それはつまり、ユナイトギアの特効対象であるということでもある。
ユナイトギア装着者同士の戦闘は、ユナイトギアという兵器を用いた超人同士の戦いと言い換えることもできるが、ユナイトギアとレイダーの戦闘は、装着者の慢心や未熟などがない限り、基本的にユナイトギアのワンサイドゲームである。
もちろん、感情を常に燃やし続けるユナイトギアは、長時間に亘って使用し続ければ感情を焼き尽くすことにも繋がるが、それがほとんど例を見せないほどに、ユナイトギアのレイダーへの効果は絶大なのだ。
だからこそ、マスカレイダーとして活動するにあたって、叶枝と望夢は真っ先にレイドリベンジャーズの信用をとりに行った。出来る限り敵対の意思がないことを証明するように立ち回り、ユナイトギア装着者が自分たちを見て即座に攻撃する可能性を少しでも低くしようとした。
その結果こそ、まだ当の二人こそ知らないもののレイドリベンジャーズの内部でひとつの「疑問」を生み出すほどになったのだが、マスカレイダーとしては「ひとまず出会い頭に攻撃されなくなっただけで上等」というものだった。
(……今の戦闘に気付いたレイダーが寄せられてきたか。1、2、3……6頭。四足歩行型2頭と二足歩行型2頭と蛞蝓型1頭と飛行型1頭か。飛行型は機動性が高いから後回しにしたかったが、そうそう思い通りにはならないか)
正面から押し寄せる2頭の四足歩行型レイダーを手刀で地に叩き落とし、そのまま串刺しにするように拳を突き立てる。残り4頭。
蛞蝓型が伸ばした触手を掴み取り、そのまま引き寄せて蹴りで突き刺すと、灰となって消える蛞蝓型レイダーに隠れて接近していた二足歩行型が鎌のような腕を横薙ぎに払うが、翼の羽撃きによって生み出される衝撃波とその反動で距離を取り、街路灯を足場にして反転し蹴り飛ばす。
残るは二足歩行型と飛行型が1頭ずつ残るばかりと思ったが、視線を周囲に向ければ球体型2頭と飛行型2頭――即ち残党全てがこちらに向かっている。
(チッ……! 二足歩行型はどうにでもなる、飛行型も2頭までならどうにかできる。だが球体型まで追加となると、さすがにタイプアルファじゃ厳しいな……ッ!)
タイプアルファはレイダー由来のダメージをほとんど無効にも等しいほどに減衰させてくれる反面、攻撃手段はその肉体を使う叶枝の格闘センスに依存する。
故に、その形状性質から格闘攻撃がほぼ意味を為さない球体型は、タイプアルファが最も苦手とする相手であるのだ。
(まずは片付けられるヤツからどうにかするしかない、か……ッ!)
左肩のプロテクターから羽根を2つ抜き、それを飛行型に投擲する。すると飛行型レイダーはバランスを崩し、墜落こそ防いだものの落ちるような軌道でマスカレイダーに接近する。
そんな飛行型レイダーを両手で引っ掴むと、そのままタンバリンのように互いをぶつけて押し潰し、二足歩行型レイダーへと接近。二足歩行型の鎌のような腕が縦に一閃するが、マスカレイダーはこれを左手で払いのけ、開いた胴体に拳を打ち込む。
残るは飛行型1頭と球体型2頭。どちらも強力な個体というわけではないが、まともにやり合うには面倒な相手だ。
(くっ……! いくら苦手といっても、ようはレイダー! 俺たちが倒すべき仇であり、俺たちが倒せる敵だ! だったら、こんなところでへばってられるかッ!)
弱音も愚痴も呑み込んで、震える脚に活を入れて対峙する。
ここを通せば政礼町が――醜い姿に怯えることなく「マスカレイダー」という誇らしい名前をくれたこの町が、レイダーなどという醜悪な脅威に脅かされてしまう。
そう思えば、マスカレイダーとしての魂が、何度でもこの体に鞭を打って立たせてくれるのだ。
(……いこう、望夢ッ!)
翼を広げ、飛行型レイダーに接近しようとしたその瞬間――。
『――――ッ!』
残る3頭のレイダーの頭上に巨大な水のスフィアが現れ、彼らはそれに圧し潰されていった。
「余計なお世話……でしたか? マスカレイダー」
「…………」
虹色の髪に虹色の瞳、そして虹色に輝く翼と、蛇のように太く長い虹色の水で覆われた下半身。
見る者によっては「竜」とも表現できるその姿は、間違いなくヒトのものだ。そう、あれはヒトの生み出した叡智――邪なものを退けるヒトの力。
そしてそれを纏いて邪なものを討つ彼らの名は――。
(レイドリベンジャーズのユナイトギア装着者……!)