母子-ディアレスト-
年を明けて一週間が経った1月7日。三が日もとうに終えて年始の業務に汗を流しているはずの
レイドリベンジャーズとしての仕事の一環というわけではなく、年始早々に有給を取っての実家帰りであった。本当ならば希繋も連れてきたかったが、職場どころか部隊まで同じ彼まで休んでしまうと、さすがに業務に支障が出てしまう。
白露は少しだけ残念そうにしていたが、小学校に行き始めてからパタっと会えなくなってしまった祖母との一月ぶりの再会に頬を緩めており、門を叩くと早足気味に駆け寄ってきた
「あら、逢依ちゃんに白露ちゃん! あけましておめでとう。わざわざ会いにきてくれたの? ありがとー!」
「明けましておめでとうございます。三が日の間に来られなかったので、遅れてしまいましたけれど白露ちゃんとご挨拶に来ました」
「おひさしぶりです、おばあさま! あけましておめでとうございます! 先月から学校に通い始めたので、ご報告に参りました!
三人が和やかに挨拶を交わしながら門を抜け、玄関の戸を開けると、その奥からバタバタと賑やかな足音が近づき、その正体が白露へと飛び掛かった。
「しっ、ろっ、ろっ、ちゃーんっ!!」
「きゃふっ!? さ……咲桜ちゃん……、相変わらずお元気そうで、何よりです……」
母親譲りの紺色の瞳と桜の髪留めがチャームポイントの彼女の名は、笹倉咲桜。世界中に40人を超える兄妹を束ねる笹倉婚代の唯一無二の実子であり、
なお、兄や姉からひたすらに可愛がられた結果、その愛情に応えるかのごとく常に全力で愛情表現するようになり、親しい相手になればなるほど秘められたポテンシャルを惜しみなく活用したハグをするようになった経緯があるが、当然ながら誰も止めない。
白露も最初こそ彼女のハグをまともに受けて意識を刈り取られもしたが、今では彼女から不意打ちハグをもらっても受け止められる程度にタフになり、元々希繋以上だった腕力と体力は、既に逢依(142cm・34kg)を抱き上げられるほどになっている。
「白露ちゃん最近ぜんぜん来てくれなかったから寂しかったよー! 今日はいっぱい遊べるんだよねっ! 一緒に羽子板しよっ!」
「いいですよ。わたし、これでも羽子板ならけっこう自信があります!」
はしゃいで玄関を出ていく二人を見送りながら、逢依は和室へと通された。
◆
「それで、結婚からあと10日で一か月になるわけだけど、
「良好ですよ。とはいえ劇的な変化もありませんけれど。前々から思ってはいましたが、希繋は夫としては理想的な男性像そのものですから。昔から他愛ない会話をする時は笑顔で返してくれるし、食事を出せば美味しいと言ってくれるし、特に何も言わなくても白露の世話をしてくれるし、料理以外なら家事も手伝ってくれますからね」
「まぁ料理は仕方ないよね。希繋ちゃんに作らせたらお医者さんのお世話になっちゃうから。でも、それは逢依ちゃんがカバーできる範囲だし、それ以外のことを積極的にやりながら笑顔を見せてくれる旦那さんは素敵だよね。うんうん、幸せそうで何よりだね!」
座布団の上に腰を落とし、お茶を啜りながら訊ねられたのは、やはりというか希繋とのその後であった。
中には男女として互いを意識する者もいないわけではないが、さすがにきょうだいとしての一線を超えることには足踏みせざるを得ないらしく、希繋と逢依の結婚はそうした
「私が親の虐待に耐えかねて家を飛び出した先で出逢って……今年で15年。希繋のことは良いところも悪いところもたくさん見てきましたし、小学校の間は一緒にお風呂まで入ってましたから、いまさら劇的な変化なんて望めませんよ」
「でも、
「まぁいまさら5kg増えたところでたったの50kgなのですけれど。食事も今までみたいに極端な制限がなくなった分、ある程度は楽になりましたけど、鍛錬に合わせたメニューを作り直す必要があったので、労力的には同じですよ」
悠生が家を出てから、希繋はレイドリベンジャーズとしてのファイティングスタイルを大きく変えた。
エクレールがブーツ型という理由があるとはいえ、今までは足だけで攻撃と防御と回避を全てこなしてきたが、今は両腕で防御することも多くなった。これによって、今までは回避か防御のどちらかしかできなかったが、回避しながら防御という手段が取れるようになった。
その俊足による回避能力はレイドリベンジャーズ全体でも指折りだった希繋が、これまで以上に防御面で逞しくなったのである。
しかし、本人によるとこれはあくまで過程の段階であり、最終的な目標は拳による攻撃を可能にすることらしい。今の彼の拳は、長年の軽量化に伴い骨粗鬆症にも等しい脆さを孕んでしまっており、まずは骨を強化しないことには彼の攻撃スピードに拳が耐えられないとのことだ。
そのせいか、最近は隙あらば煮干しを齧り、朝食では必ず牛乳を飲み、三時の間食は70gのカップヨーグルトを1杯とっている。意識しているにしては最低限の変化に見えるが、今まで減量にばかり気を遣っていた彼にしては劇的な量変化と言える。
この変化について、逢依としては今までが細すぎたせいでいつか物理的にポッキリ折れるのではないかと心配していた身として大歓迎しており、食事も露骨に量が増えたわけではなくメニューが変わっただけなので食費的にも大した打撃ではないため安心している。
「ふふ、相変わらず逢依ちゃんは希繋ちゃんにベタ惚れだねぇ。希繋ちゃんの方は段々と……って感じだったけど、逢依ちゃんは割とちっちゃい頃からだもんね」
「ええ。希繋が自覚してくれたのが高校に入るくらいでしたから……だいたい8年くらいは片想いでしたね。まぁ、それでもあんまり焦りとかはなかったですね。基本的に悠生のほうが同年代の女子に人気でしたから」
「あー……確かに悠生ちゃんはモテたよねぇ。本人は女の子に構うより男の子たちと遊んでる方が好きな子だったから、そういう意味では希繋ちゃん以上に心配な子だったけど、今は彼女さんいるんだよね?」
「はい。
優秀な科学者が一生涯に3機も設計できれば紛れもなく「天才」と称される中、29歳という若さで退団するまでのおよそ8年間に28機の
ユナイトギアの開発には、「感情を理解し、自我を持ちながら人類に味方するAI」を、一機ごとに異なるパターンで製作しなければならない。なぜなら、同じパターンのAIばかりでは、ひとつのギアに適合できない装着者がいればどのギアに対しても適合できなくなってしまうからだ。
AIに個性を持たせることで、適合できるギアと適合できないギアを作り、より多くの装着者を生み出すことができる。だが――そのために「AIの個性」を幾つも造ることのできる科学者は多くない。だからこそ、28機という驚異的な数のギアを造り上げた婚代は紛れもなく天才だったのだ。
希繋たちを始めとする、多くの「家族」たちを養うことができるだけの資産を持つのも、これが大きく影響している。本人によれば、向こう数代に亘って苦労しないだけの金額が既に貯金されているらしい。
そして、そんな婚代に追随するほどの頭脳を持つとされるのが、悠生の恋人である仲嶋菜咲である。
5年前、既存のELBシステムに共通する基礎フレームの強化理論を提唱し、レイドリベンジャーズに入団。入団後も数々の既存ギアを改良し、今に至るまで12機の新造ユナイトギアを開発している。
また、その中でも最高傑作とされるのが、逢依の持つ第一四四〇号ユナイトギア・クリュスタルスなのだ。
「へー、すごい子なんだねぇ。でもでも、お母さんは別にそこまですごいこととか、してないはずなんだけどなぁー?」
「婚代さんが凄くなかったら菜咲はおろか並の研究員はサルか何かになりますから、さすがにそろそろ自分の偉業に自覚をもってほしいのですけれど」
いやいやそんなー、と言う母に溜息を洩らしながらお茶請けのあさり煎餅を齧ると、ふと思い出したように逢依は問いかけた。
「そういえば、
「今? 今は確かー……46人かな。咲桜ちゃんと白露ちゃんをカウントしなければ」
もちろん、婚代もきょうだいも二人のことは家族同然に扱っているが、「何番目の家族か」と問われると、番外的な存在であると言わざるを得ないのだ。
また、多くのきょうだいを抱える
そのため、年上の弟や妹もいれば、年下の兄や姉も存在する。婚代によれば、
「増えましたね……」
「まぁ、賑やかなのはいいことだよ。本当ならみんな一緒に暮らしたいけれど……みんなの気遣いも嬉しいからね、無理強いはできないよね」
気遣い、というのは、この家にいない世界中に散ったきょうだいたちのことだろう。かつてこの家で育てられていた18番目までのきょうだいたちは、ある時期を境に全員が一斉にこの家を出た。
それには婚代の娘である咲桜が大きく関わっているのだが、婚代も咲桜もそのことについては寂しげな笑顔を浮かべるばかりで、あまり語ろうとはしない。
ただ、逢依だけでなく、その時に家を出た全てのきょうだいは皆、婚代と咲桜のことを今でもとても愛しているし、19番目以降のきょうだい以上に誇りに思っている。それだけは、婚代にさえも否定させないほどに。
「私たちはただ、婚代さんと咲桜ちゃんに幸せになってもらいたいだけです。今までも、これからもずっと……」
「ありがとう、逢依ちゃん。……本当に、ありがとう」