「…………」
「……応えてはくれません、か……」
倒れ伏せる
「……イーリス」
『よろしいのですか?』
「そのために戦ったんです、構いません」
震える声を隠すことなく、優芽はイーリスに命じる。
彼の脚に装着されたユナイトギアを――エクレールを破壊せよ、と。
『……了解。アクアプレッシャーを使用します。エモーショナルエナジー、
イーリスの翼を撃ち抜く、赤色の光――。
光に射抜かれた片翼はすぐにその姿を取り戻すが、唐突な出来事に優芽の思考が僅かにフリーズする。
「優芽ッ!」
「……ッ!」
背後に立つ気配から声をかけられて、思考が
静かに視線を向ければ、そこに立つのは赤い瞳の黒い獅子。優芽はアクアコートを身に纏ったまま、ディアドロップを希繋に突き付ける。
しかし希繋の方は、そんな優芽をただ見つめるままに構えることもせず、静かに口を開いた。
「……この間もそうだったな。今日もだ。君は、俺を倒して『エクレールを破壊する』という目的がありながら、逆に俺と『いつまでも戦い続けたい』という願いを心のどこかで抱いている」
優芽は何も言い返さない。ただ、その場に静かに佇むだけで、睨むような視線すらも返しはしない。
「お前もホントは気付いてんだろ。エクレールを破壊すれば、確かに俺を救うことはできるかもしれない。だけど、それじゃ俺とエクレールの繋がりを、キズナを守れないってことに」
優芽が突き付けたディアドロップを優しく払いのけて、希繋は一歩ずつ確かに優芽へと近付いていく。
二人の距離は既に3メートルも開いてはいない。互いが手を伸ばせば繋がることのできる距離だ。しかし、それでも二人はまだ交わらない。
「俺なら大丈夫だ。お前がくれた警告は、俺の心に確かに届いた。俺は――エクレールと共にその『悲劇的な未来』を変えてみせる」
「その言葉を……信じたい気持ちは、あります。けれど……あたしはッ!」
とん、と希繋の胸を押して、優芽は互いの間に「隙間」を作る。
埋めようと思えばなんてことのない隙間だが、それは優芽の意思が作り出した、弱々しくも確かな隙間だ。
「あたしは……信じきれないッ! あなたにもしものことがあったら……! あたしがエクレールを破壊することで、その「もしも」すらも壊せるなら、あたしは――ッ!」
「……ありがとう、優芽。だけど俺……やっぱりエクレールと離れたくはないんだ。だから……きっと今のままの君を受け入れることはできない。君だってそうだろ……?」
だから、と希繋はその手を伸ばす。
「今はまだ、わかり合えなくたっていい。いつか一緒に歩める時がくるって信じて、まずはお互いに悔いを残さないように戦おう。これは、その誓いの握手だ」
その手を取れば、わかり合うことはできなくても、この想いだけは――桐梨希繋を救いたいという願いだけは、報われるかもしれない。優芽の脳裏に、そんな甘い囁きが聞こえた。だが――、
「その手は、取れません。あたしはたとえあなたに嫌われても、あなたに憎まれても、エクレールを破壊する。そう決意して……いえ、そう『覚悟』して戦っています。だから、あたしはその手を取れない」
「……! そう、か……。覚悟……そうだな。俺も決めてたはずなんだけどな……やっぱりいつも『甘さ』が残る。悠生にも、逢依にも、いつもそうして怒られる……」
そう言って苦く笑うと、希繋は優芽から離れた。
二人は互いに、相手の全力をその身で受け止めた。それは、きっとただの力のぶつかり合いだけではなかったはずだ。
あれは――今の『桐梨希繋』と『和泉優芽』の全てだ。
「じゃあ……こうしようか。俺とお前、どっちかがぶっ倒れるまで戦って、それでも見つけられない答えなら、その時は手を取り合って、一緒に答えを探そうぜ」
「……後悔しますよ。お互いに」
「するだろうな。だけど、今はこれしかないだろ?」
二人は同時に間合いを取り合うと――構えた。
仕切り直しだ。今度はもう手札の探り合いなんてどうだっていい。自分の持つ手札の中で、最強のカードを切る。そう決めて、二人のギアが赤と虹に輝き始めた。
「エクレールッ!」
『了解。クリムゾンインパクトを使用します。エモーショナルエナジー、
「イーリスッ!」
『了解。レインボーストリームを使用します。エモーショナルエナジー、
体勢を低く構えて助走をつけるタイミングを図る希繋と、胴体を蛇のように変化させて衝撃の反動に備える優芽。
蹴りと砲撃。威力がどちらにあるかは、その字面を見るだけで十分すぎるほどにわかるだろう。人間の放つただの蹴りが、何かを壊し、誰かを殺すために造られた兵器の一撃と同等のはずがない。
けれども、優芽は油断などしない。いや――むしろ、未だかつてないほどの緊張感と緊迫感に挟まれながら、虹色の光を収束していく。
『――
『――
バチン、という火花の音とまったく同時に、希繋の姿が消える。だが、その姿が見えずともどこを目指しているかはもうわかっている。
故に、同時に優芽もその虹色の収束砲を発射する。目標は――直線上だ。
「ぜあああぁぁぁぁッ!!」
「てえええぁぁぁぁッ!!」
ぶつかり合う『赤』と『虹』は、どちらも衰えず周囲の建物を巻き込みながら強烈な衝撃波を生み出す。
純粋な破壊力でいえば、本来『赤』が『虹』に拮抗することなどありえない。だが、それでも優芽はこの状況を想定していたように、不敵に笑う。
(やはり……! 『今のあたしの全力と同等の力』を出してきましたね……ッ! これが、覚悟さんが言っていた桐梨希繋のもうひとつの脅威的な力……!)
桐梨希繋。その名のおそろしさは――『希望を繋ぐキズナ』だけではない。その名の強さ、本当のおそろしさは、『
すなわち――どんな時でも絶対に諦めず、あらゆる状況に『適応』し、限界なく進化し続けること……。それが彼の力、桐梨希繋の……『
(でも……だとしたらあたしが『今のあたし』を乗り越えればいいだけのことッ!)
レインボーストリームの出力は既に最大。そして何より、
だがそれは希繋の方も同じ。彼は数多くのユナイトギア装着者の中で『最もユナイトギアに適合できる人間』ではあるが、それはあくまで希繋自身の問題だ。エクレールの方は、既に限界が近づいている。
そして、希繋のクリムゾンインパクトはその推進力として常時エクレールが電気をスパークさせ続けている。この撃ち合い、大事なのは威力ではない。大事なのは――諦めない根性。
「――ッ! くっ、こんな時に
勢いを増していく希繋のスパーク。そして逆に勢いを失っていく優芽の砲撃。このまま行けば、あるいは――。
「イーリスッ! リミットブレイクですッ!!」
「なッ……! このタイミングで、リミットブレイクだと……ッ!?」
『了解。第七号ユナイトギア・イーリス、リミットブレイクします』
リミットブレイク。それはユナイトギア装着者にとって、正真正銘の最後の手段。
装着者が持つ最も強い正の感情を一時的に
エモーショナルエナジーの増加は、そのまま技の威力の増強となる以上、この盤面においてリミットブレイクを発動するのはおかしなことではない。だが――、
「やめろイーリスッ! 優芽の心はもうギリギリだッ! 限界を超えた感情エネルギーの摘出の果てに、装着者がどうなるのか……! それはお前が一番よくわかってんだろッ!」
『はい。しかし、マスターの命令に従うのが我々ユナイトギアの使命であり、至上の喜びです。故に、私がマスターの命令に背くことはありません』
「いい子です。そうですッ! あたしのことは構いませんッ! 今ここで桐梨希繋さえ倒せば……彼さえ救えるのなら、バックファイアであたし自身がどうなろうと構いません! だから……お願いしますッ!」
リミットブレイクは通常の装着者にとってもバックファイアが怖くて使えないような諸刃の剣。
まして優芽のように
故に、希繋がとる手段はひとつ。
「チッ……! 解除しろエクレールッ! これ以上はお前のフレームが耐えられないッ!」
『しかし、それではディアマスターが!』
「いや……策はあるッ! だから構わず解除しろ!」
『……了解。桐梨希繋との
レインボーストリームとの真っ向勝負はひとまず後回しにしながら、希繋はその奔流の側面を滑るように回転し、優芽へと接近。
その回転の威力を借りてイーリスごと優芽を地上に叩き落とし、それを追うように希繋も降下する。
「はぁ、はぁっ……! けふっ……! ギ、ギアの装着を解除してなお、あの運動能力……あなたは本当に、どこまでも桐梨希繋ですね……!」
「元々、エクレール装着の有無は俺にとって電気を使えるようにするかどうかくらいの差しかない。格闘に関するところは、ほとんど俺自身の運動能力に頼りきりだからな」
曲芸師みたいな真似を、と悪態づいて意識を手放した優芽に苦笑いしながらも、希繋は彼女の体を抱き上げる。
すると、希繋の背後に二つの気配が突如として現れた。しかし彼はその気配に驚くことも警戒することもなく、むしろ逆に一歩ずつ近付いていく。
「
「……
和泉優芽、水面覚悟、海凪総交。この三人が、今回の事件――『未来事件』の主犯。
三人の顔を記憶に焼き付け、希繋は総交へと優芽を引き渡す。
「……リミットブレイクのバックファイアが来る前に優芽を止めてくれたことには、ひとまず感謝する」
「この子、頑張り屋さんだから、ちょっと無茶をしすぎちゃうところがあるんです。ですから、相手があなたで本当によかったと思ってますわ」
総交は無表情のまま、覚悟は笑顔のまま、まずは希繋に礼を述べる。
だが、希繋はその言葉を素直に受け取ることはできなかった。
「いや、手遅れだ。確かにリミットブレイクのバックファイアには間に合ったが、既に
希繋は、その場に崩れ落ちた。そしてそのまま、泣き崩れてしまった。
決意はしていた。覚悟もしていた。だけど、それでも彼は耐えられなかった。
「うぅ……っ、あぁっ……!」
「……なぜ、あなたが泣くのですか、桐梨希繋」
「優芽が無茶をしたのは、優芽自身の選択だ。お前が自分を責めることではない」
優芽のリミットブレイクは、決して希繋がそうさせたわけではない。優芽自身が自ら選び、実行したのだ。その責任は、誰でもない優芽が背負うべきなのだ。
しかし、それでも希繋は涙を止めることはできなかった。
「……行こう、覚悟。もう俺たちがここに居る理由はなくなった。追っ手がこないという保証もないしな。ここは一度退いて、優芽の発作に備えよう」
「ですが、彼は……」
「……いいんだ。こいつには、こいつ自身が解決しなきゃいけないことができた。それだけだ……」
総交の言葉に従うように、覚悟も希繋に背中を向けて歩き出した。
その場に取り残された希繋だけが、そこに小さく、儚く、陰った世界に這い蹲っていた。