路地裏のアイゼンティア   作:宇宮 祐樹

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『それぞれの在処』

 

 

 そこにはただ、平和があった。

 

 街をゆく人だかりはいつものように、何を知るでもなくそこに在った。彼らの知らないところで別の何かが蠢いていようが、それらが知ることはない。たとえ世界のどこかで他人が死んでいようが、彼らが悲しむことはない。それらはいつも通り、何も変わることはなくそこに在るのだろう。それを、人々は平和と呼んでいた。

 世界のことを、俺はよく分かっていない。

 貴族たちの力の流れも、裏で引き起こされる金のことも、俺にはあまり関係のない話であった

 ただ、必要なのは今を生きる手段だけ。言い換えれば、他の事を気にかける必要など、今の俺にはあるはずもない。

 それなのに。

 

 ――彼女のことを、思い出していた。

 彼女は救われなければいけないと思った。そうしなければ、どこかに消えてしまいそうで。繋ぎ止めなくてはいけなかった。それこそが、今の俺にできる、唯一のことだった。

 彼女を救わねばならない。彼女は救われなくてはいけない。

 変わらなければ。今の自分と決別し、この暗闇から抜け出さねば。そうすることで、初めて彼女は救われるのだろう。

 そのためなら、俺は金も、命も、全てを投げ出せるような気がした。

 

「カイン」

 

 薄暗い路地裏には、一つだけ光が差し込んでいる。

 建物と建物の間の、わずかな隙間。そこだけはまるで劇場のようで、降り注ぐ光は俺にとってはとても眩しすぎるものだった。

 そこに、人の形がひとつ。光をよりいっそう煌めかせるような金の髪に、まっすぐに強い意思を持つ瞳はこちらへ向けられている。

 

「なによ、その顔して。ヘンなもんでも食べた?」

 

 ジーナはそんな事を呟きながら、からからと笑っていた。

 

「いや……これだけ言ってもやめないのか、と思っていた」

「あんた嫌味もヘタね。この仕事、向いてないわよ」

「……別に好きでやってるわけでもない。これしかすることが無いだけだ」

「あっそ。じゃあ私もそれね。『別に好きでやってる訳じゃない。これしかすること無いだけだ』」

 

 お互いに、本心からの言葉のようであった。

 親は居ない。生まれついてから各地を転々として、今はリヒトーフェンの所にいるだけ。自ら変わるようなこともせず、ただ流れるように生きてきた。それは彼女も同じようだった。

 そうする以外に、俺は生きることができないように思えた。それは彼女も同じなのだろう。これ以外に知らない事も、これ以外を怖がっているのも、全て。

 ――彼女を思う気持ちが、少しだけ強くなった。

 

「金、貯まらないのか」

「ぜんっぜん。あんたが稼ぎの半分を横取りしてるせいでね」

「……何か、他に稼ぎの良い仕事でも」

「そんなの、こっちが紹介してほしいくらいだっての。ま、そんな仕事ある訳無いけどさ」

 

 自嘲めいた笑みを浮かべながら、ジーナがいつものように俺の隣へ身を預ける。

 

「んな事より、今日はいいもん持ってきたのよ」

 

 そう言いながら彼女が懐に入れてあった小包を取り出して、その中のものを俺へと見せつけるように掲げてくる。唐突なその行動に、俺は眉をひそめながら、指先にある小さなそれを見つめた。

 

「ほらカイン、ちょっと見てくれる?」

「なんだそれ」

「見てわかんないの? 指輪よ、ゆびわ」

 

 差し込んだ光に照らされたそれは、きらきらと光る小さな輪の形だった。銀の小さな円の端には、まるで世界を映すかのように輝く紅玉が佇んでいる。焔のようなそれを金の瞳に写しながら、ジーナはぼんやりと紅の先の光を見つめていた。

 

「そんなもの、どこから盗んできたんだ」

「違うわ、落ちてたのよ。だから拾った、それだけ。別に盗んで来たわけじゃないもん」

 

 問いかけると、彼女はつん、とそっぽを向いて返す。どうやら拾った云々は本当のことらしく、いつもよりも口数が多いことがそれを示していた。

 ため息と同時に、目の前にまた違う鈍い輝きが投げ込まれる。手の内にある金貨の枚数は、五枚。今度はちゃんと盗んで来たものらしく、いくらか厚みのある財布を懐へと戻しながら、ジーナは再び指先で輝く指輪を見つめていた。

 

「これ、売ったらどれくらいになると思う?」

「どうして俺に聞く」

「あんたなら何か分かるでしょ?」

 

 その適当な態度も、彼女の言う通りなのも含めて、思わず溜め息が出た。

 

「……まあ、売らない方がいいぞ」

「え? こんなに綺麗なのに?」

「逆だ。高すぎる」

 

 燃えるような赤い色の宝石は、それが持っている価値を示すのに十分なものだった。

 

「ルーヴェルト、って聞いたことないか」

「……ああ、あの領主の」

 

 さすがのジーナでも知っているらしく、手にした宝石を見つめながらそう呟いた。

 ルーヴェルト伯爵。数年前に亡くなった親の跡を継ぎ、ここの領土を実質的に支配している男である。

 彼についての詳しいことはよくは知らないが、彼を取り巻く力については、仕事の関係で嫌と言う程知らされていた。

 

「そんな赤い宝石、あそこの家しか持っていないからな。俺でも知ってるんだ。持ってるだけで目をつけられる。ましてや本人の目に触れたら、何をされるか――」

「別にあたしがどうなろうと関係ないわ。お金がもらえるなら、何でもいいのよ」

 

 気分を害したのか、ジーナは口を尖らせながらそっぽを向いた。

 

「で? いくらになるのよ、これ」

「……金貨でも二百枚はくだらないだろうな。下手をすれば、それの倍」

「――――、それなら」

「待て」

 

 すぐにどこかへ行こうとする彼女の手を、思わず引き留めた。

 かろうじて掴めたその手首を見ると、首筋が凍り付きそうになるのを、感じた。

 

「何よ、これでお金貰えるのよ? なら売った方がいいじゃない」

「バカかお前、そうなったら最悪死ぬかもしれないんだぞ」

「じゃあこのままこんな暮らし続けるつもり?」

 

 そう叫ぶ彼女の瞳には、圧されるような何かが感じられた。

 

「これで死んだらそこまでよ。元々こんな命なんてないのも同然なんだから。それくらいなら、賭けるしかないのよ」

 

 その言葉は、心のどこかに残っていた。

 俺達に明日があるかなんて、分かるはずもなかった。今を生きるので精いっぱいで、見えない明日のことを考える暇など無いのだから。

 金が欲しいというジーナの気持ちは分かる。それこそ、彼女の夢を聴いたから、彼女の生い立ちを聴いたから、それは痛い程に理解できる。同じ立場にいるからこそ、できてしまう。

 しかし。

 

「……何よ、まだ文句あるの?」

 

 失望にもにた視線が、俺を貫く。瞳に込められた意志も、俺には理解できた。

 けれど、それでも、今ここで繋ぎ止めている彼女の腕を、離すことはできなくて。

 

「お前がいなくなるのは、悲しく思う」

 

 口から小さく漏れ出したのは、そんな呟きであった。

 

「はぁ? あんた、自分が何て言ってるのか分かってる?」

「それくらいは分かるさ。お前にはどこにも行ってほしくない。お前が居なくなるのは嫌だ」

「嫌……って、あんたねえ……なんかもっと、他の言いかた無かったの?」

 

 ため息交じりに、ジーナはそう返した。

 

「あー、もう……分かった。売らない。こんなもん、どっかに捨ててやるわ」

「それでいい。関わらないのが懸命だ」

「だったらさっさと離しなさいよ。いつまで掴んでんのよっ」

 

 そう呆れたようにして、ジーナが腕を振りほどく。あれだけ離れなかった手はいとも簡単に振りほどかれて、けれど彼女はそこに居た。

 少しだけ赤くなったような腕を見つめると、ジーナはむすっとした顔でこちらを睨む。

 

「それで? なんで私がいなくなると嫌なのよ」

「それは…………」

 

 言い淀む。喉の奥で、何かが燻る。

 

「お前がここに居てほしかったから。手の伸ばせないところへ、行ってほしくなかったから。お前は俺と違って、変われると思ったから」

 

 答えるのにはどうにも難しくて、そんな拙い言葉でしか俺は彼女に返せなかった。けれど彼女は何かを分かったようにして、静かに目を伏せながら、嘆息を一つ吐いた。

 

「まったく……私も変な奴に目をつけられたわね」

「悪かったな」

「少女趣味で、支配欲ばっかりで、しかもこんな薄汚い奴なんて……あんた性癖盛りすぎよ?」

「……ちょっと待て。何の話だ」

「何ってあんたの事じゃない。自覚ないの?」

「自覚も何も、そんな話はしてないだろ」 

「重症ね。それって変態って言うのよ」

 

 そんな風に言われる筋合いはない。言い返すにも呆れた俺を見て、ジーナはけらけらと悪戯っぽく笑っていた。

 

「ま、あんたは本当に無自覚なんだろうけど。他の女にそんな事言っちゃダメよ?」

 

 そうやって、どうして他の女が出てくるのかが分からなくて。

 

「……言わない。こんなことを言えるのは、お前だけだから」

 

 当たり前の事を、俺は口にしていた。

 ジーナという少女だからこそ。俺とは違い、光の見えた彼女だからこそ、俺はこうして救おうとしているのだろう。それ以外に伸ばす手を、俺は持ち合わせていないから。

 それでも、手の届く彼女を救おうとするのは、おかしい事なのだろうか。

 

「―――――、本っ当に、あんた、いい加減にしてよ……」

 

 考えていると、ジーナはそう呟きながら、ずるずるとその場に座り込んだ。

 

「どうした?」

「……なんでもない」

「何でもなくはないだろ。大丈夫か?」

「だーっ、うるさい! お願いだから話しかけないでっ! ってかこっち見るな! いいから!」

 

 ぎゃーぎゃーと喚く彼女に首を傾げていると。 

 

「どうか、したのかな?」

 

 そんな声が、路地裏の向こうから聞こえてきた。

 こんな薄汚いところに響くはずの無い、芯の籠った強く通る声。その声に、体が固まるのを感じた。背筋が凍り付いたようで、その声のほうを向くのには少しだけ時間が必要だった。

 肩まで伸びる赤い髪に、それと同じ色をした、焔の瞳。身に着けている豪華な衣装も全てその色で統一されている。言い表すならば、彼は艶やかな紅色だった。

 

「……あんた、誰よ」

「ああ、すまないね。倒れ込んでいるところが見えたものだから、つい」

 

 そう彼は笑って語り掛け、

 

「僕はルーヴェルト。ルーヴェルト・アルクフォンドという」

 

 ジーナの顔が、一瞬だけ強張った。

 

「それにしても、大丈夫かい? 君もひどいな、介抱してあげないなんて」

「そいつが勝手になっただけ、だ。俺は何も知らないし、何もしていない」

 

 目に見えるほどに震えている彼女の代わりに、そう答える。それでも彼は俺の言葉を素直に呑みこんだようで、不思議そうな顔をしながらに首を傾げていた。

 

「それで……何をしにきた? あんたみたいな奴が、こんな所に何の用だ?」

「おや、知ってくれているのかい? 嬉しいなあ、僕も頑張っている甲斐があるよ」

 

 うんうん、と満足気に頷く彼から、ジーナが恐る恐ると言った様子で立ち上がる。そうして彼女は逃げるようにして、俺の後ろへと隠れていた。

 しかしそれに気づかない―――あるいは、関係ないといった様子で、ルーヴェルトが続ける。

 

「ええと、情けない話なんだけどね。指輪をひとつ、どこかに落としてしまったんだ。無くなってるのに気が付いたのはここの近くでね。こう……赤くてとても綺麗な宝石のついたものなんだけど」

 

 ジーナが、俺の服の裾を握った

 

「どこかに落ちてるのを見たことがないかい? あー、と」

「カインでいい。それよりもあんた、一人で出歩いていいのか?」

「心配いらないさ。それとも、すぐに護衛の騎士でも呼んでみるかい?」

 

 目を細めたまま、彼が言う。凍り付くようだった。

 おそらく彼には全て見透かされているのだろう。俺達がどういう人間なのかも、ジーナが指輪を持っているのも、全て。そうでなければ、こんな俺達に声をかける筈がない。

 けれど、彼は選択肢を寄越してきた。貴族であるがゆえの余裕なのだろうか、それともただ単に俺達を弄んでいるのだろうか。彼に疎い俺には、それがあまり分からない。

 赤い色の眼はよく分からなかった。

 

「いや……いい。それで、指輪の話だったか?」

「うん、そうだね。向かいの大通りのほうはあらかた探したんだけど見つからなくて。もしあるとしたら、ここら辺に転がり込んだか、それとも誰かが拾ったか盗んだかなんだと思うけど……」

 

 けれど一つ分かるのは、試されている、ということだけ。考え込む素振りをしても、彼からの視線が絶えることはない。こいつが何を考えているのか、良く分からなかった。

 必至に探る俺を無視するように、彼は一人で続ける。

 

「僕としては、手元に戻って来てくれれば後は何もないけれど」

「……どういう事だ?」

「ん? そのままだよ。僕が指輪を手に入れられれば、後は何もないってことさ。たとえ盗まれたとしても、正直に白状してくれればいいだけ……ああ、別に君達を疑っている訳じゃないよ? 本当だよ?」

 

 楽観的なのか、それとも興味がないのか。掴み所の無い、どこかふわふわとした回答だった。

 では彼の言う事を信じられるか、と言えば嘘になる。その言葉は簡単に呑みこめるのもではなく、しかしそれに逆らえばどうなるかも分からない状況で。

 裏の世界に身を浸していても、やはりこういう場合は慣れない。向いていない、という彼女の言葉を改めて実感した。

 

 やがて。

 

「ジーナ、貸せ」

「…………っ」

 

 こっそりと呟くと、いつもよりも慌てた様子でジーナが懐から指輪を取出し、それを俺の手の上に載せる。そうする以外に、俺達に選択肢は残されていないようだった。

 

「こいつが拾っていた。東の方の通りだ。別に盗んだ訳じゃない……だから見逃してやってくれないか」

「………………」

 

 せめて彼女だけは、と言葉を添えると、ルーヴェルトは目を大きく見開いて、

 

「ほ、本当かい!? すごいな、まさか一発で辿り着くなんて!」

「…………は?」

 

 そう、声を荒げながら俺の手から指輪を受け取った。

 

「うわぁ、やったあ! 二度と見つからないと思っていたから、とても嬉しいよ!」

「……そうか。良かったじゃないか」

 

 何というか、子供っぽい反応であった。あれだけ身構えていた俺が馬鹿に思えるくらいには。

 呆れた俺など眼中にないのか、ルーヴェルトは手の内にある宝石をまじまじと見つめながら、うん、と一つ確かに頷いて、再び声を上げる。

 

「確かに本物だ! 凄いな! 何事も聞いてみるものだね……本当に助かったよ!」

「拾ったのは俺じゃない。礼なら彼女に」

「う、うぇ? あ、私、は、別に……」

 

 後ろの彼女を指差すと、彼は興奮が収まりきらない様子で、ジーナの手を取った。

 

「ありがとう! この恩は一生忘れないよ! ええと……」

「シータ。シータだ」

「……シータちゃんだね! うん、いい名前だ! とても優しい響きがする」

 

 身元が知られるのはあまり良い事ではない。その点、俺達は名前を一つ変えればどうにでもなるので、そこはとても楽だった。

 そうしてぶんぶんと何度も手を振られているジーナが、ふと思い出したように口にする。

 

「……報酬」

「ん?」

「報酬とか、ないの?」

 

 ……まあ、妥当か。

 一瞬だけ首筋が寒くなったけれど、ルーヴェルトはそれを真正面から受け取ったようで、何かを考え込むような素振りを見せていた。先程まで俺が考え込んでいたのが、馬鹿みたいだった。

 心配性なのだろうか。それとも、こういった人間を知らなかっただけか。

 

「そうだな……君たちは、何を望む?」

「お金」

「直球だね。でも正しい。そう言えるというのは、とても強いことだ」

 

 笑いながら、ルーヴェルトは手の内の宝石を彼女に見えるように撮み上げた。

 

「では、今から仮定の話をしよう。もしかしたら、これは僕のものではないのかもしれない」

 

 唐突な彼の物言いに、思わず顔が歪む。彼女も同じようにして首を傾げながら、けれどルーヴェルトはその反応を楽しむようにして、釈然とした態度でありながら続けた。

 

「僕のものではないのなら、僕が貰う権利は無い。となれば、これは拾った君が持つべきものだ」

 

 そう言いながら、ルーヴェルトは彼女の手を取って。

 

「もしこれを取りに来るものが居なければ、これは――君が本当に欲しいものを手に入れる時に、使うといい」

 

 人差し指へと、赤色の輝石を添えた。

 

「何のつもりだ」

「別に何という訳でもないさ。彼女が求めたのなら、僕は与えるまでだよ」

 

 そう語る彼の瞳には、とても強い色の意志が込められていて、それは彼という人間を表しているような気がした。決して動かないような、そんな強さを感じた。

 

「持つ者は、持たざる者へ分け与える。在るべきものは、在るべき処へ。そうして皆が仲良くできたのなら、それはとても素晴らしい事じゃないかな?」

「……それで救われると思っているのか」

「少なくとも、僕はそう思っている。愚直であろうと、それが皆を救う手段だと」

 

 それは、鏡を見ているようだった。

 

「とにかく、だ。それはもう君のもの。君がどうしようが、全て君の自由だよ」

「……後で返してって言っても、知らないから」

 

 ぽつりとつぶやいた彼女に、ルーヴェルトがくすりと笑う。

 

「それなら心配はいらないかな。よかったよ」

「……あんたも変なヤツね」

「変な、とは心外だな。僕は正しいことをしたつもりさ。それで君が救われるのなら、本望だよ」

 

 本心かは分からないけれど、彼が浮かべている笑みに裏めいたものは見えなかった。

 

「それじゃあそろそろ僕はお暇しようかな。いくら探し物があったとはいえ、少しばかり邪魔をしたいみたいだからね」

「……邪魔?」

「ああいや、勘違いしないでくれ。ほら、薬指は外しておいたから。紳士のたしなみ、ってやつだよ。どのような場所でも女性には優しく、ってね」

「薬指……? いや別に、どこでも――」

 

「ちょっと何いってんの!? 違うわよっ! あんた頭おかしいの!?」

 

 急に声を荒げて足を振り上げるジーナに、思わず羽交い絞める。

 

「いきなり何してるんだお前!」

「うるさい! ってかあんたもあんたで気づきなさいよっ! この鈍感バカ!」

 

 けれど彼女は止まらないようで、去っていくルーヴェルトと真後ろ俺へと、じたばた暴れながら叫び続けていた。俺としては見当もあったものではないけれど、ルーヴェルトはどこか穏やかな目をしながらもう一度こちらへ振り返り、

 

「元気そうでなによりだ。それじゃあ、お幸せに」

「だから違うって言ってるでしょ! なんなのよあいつ! ちょっと! 待ちなさいよ!」

 

 ジーナの必死の叫びも空しく、ルーヴェルトはここから姿を消した。

 

「ったく……なんで私の周りは変なヤツしかいないのよ……」

「ルーヴェルトか」

 

 どこかふわふわとした、夢のような奴だった。そのせいで会話のペースも掴まれてしまったけれど、妙にそれが嫌だとは感じない。それが彼の本質なのか、はたまた貴族の間で身に着けた技術なのかは分からなかった。

 けれど、彼の基底にあるものはひどく見慣れたものに見えた。

 持つ者は持たざる者へ。力はそのあるべき処へ。そうすれば、皆が救われる。

 その考えはとても子供じみて、夢のようだけれど、それが実現できるだけの力が、彼にはあるように見えた。

 

「いや、あんたも同じ……ってかさ。いつまでひっついてんのよ」

「……ああ、悪い」

 

 持ち上げたジーナを離すと、彼女はつん、とそっぽを向いて、そのまま自分の人差し指へ視線を落とす。嵌められた指輪は、ぼうっとした輝きを放っていた。

 

「あいつ、あんたと似てたわね」

「どうして?」

「変に誰かを助けようとしてたとこ。あんたと同じで、見境がないとこ」

 

 つまらなさそうな彼女の言葉に、どうも上手く答えることはできない。

 ただ、俺が思っていたのは。

 

「それは普通の事じゃないのか?」

 

 返ってきたのは、これ以上ないくらいに開かれた彼女の翡翠の瞳であった。

 

「……ほんと、どうしてあんたはこんな所にいんのよ」

「何かおかしい事言ったか?」

「おかしいわよ。あんたとあいつが同じくらい」

 

 それは恐らく、心のどこかで理解できた。

 誰かが救われるのは、とても素晴らしい事だと思う。それだけの力があれば、俺は彼女を確実に救えるのだから。そう言った意味では、彼は鏡のようにも見えた。

 ただ。

 

 彼の眼は、俺の眼とは少しだけ違うようだった。

 

 


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