路地裏のアイゼンティア   作:宇宮 祐樹

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『逃れるために』

 

 

 灰のかかった暗闇から、声がかかる。

 

「よ、カイン。調子はどうだ?」

 

 昼間の廃屋というのは、路地裏とはまた違った暗さだった。だんだんと光から遠ざかっていくのではなく、園と喧騒から切り離されたような、そんな決して干渉できないような暗闇。そんな中から聞こえた声に、ドアをくぐった俺は視線を向けた。

 そこに座っていたのは、使い古されてよれたトレンチコートに、鍔のくたびれた中折れ帽を被った壮年の男性だった。纏う雰囲気はとても薄いもので、人ごみの中へひとたび消えてしまえば、どこかに行ってしまいそうな、どこにでもいるようなものだった。

 

「……リヒトーフェン」

「なに、仕事の話さ。そうカッカすんなっての」

 

 こちらをからかうような口調で、彼――リヒトーフェンは答えた。

 

 俺達の商品は、包み隠さずに言えば薬だった。

 無論、治療などに使うものではなく、依存する形のもの。白い粉、といえばと言えば分かりやすいのだろうか。もともとそちらの気がない俺にとっては、その薬は商品以外の何物でもなかった。この粉を服用した人間がどうなるのかも、俺にとっては関係のない――手の届かないものだった。

 俺達の仕事はそれを秘密裏に仕入れ、様々な方向へ引き渡すこと。このただの粉で多くの人間が動くのが不思議だった。その先には、俺の理解できない力と金が渦巻いているような気がした。

 

「それで、俺はどうすればいいんだ」

 

 観念してそう口にすると、俺の組織の頭であるリヒトーフェンは、薄く笑った。

 

「別に難しい話じゃねえさ。俺達の後ろについてるお偉いさんからの依頼でな、とある組織を潰してほしい、ってわけだ」

 

 淡々と告げるリヒトーフェンに、顔が歪む。

 

「尻拭いか?」

「そう言う訳じゃねえさ。実はその組織もうちと同じモンを扱っててな。色々とこっちの管理下で好き勝手してるもんだから、少し邪魔になる。お前だって、給料が少ないのは嫌だろ?」

「……つまり、いつも通りに潰すと?」

「そうだ。疑いも無く飲み込めるのは、素晴らしいことだ」

 

 にっこりと、彼は満足気な笑みを浮かべ、そして肉のついた人差し指を立てながら、一つ。

 

「一ヵ月」

 

 語る瞳はこちらを覗き込んでいて。

 

「俺達に与えられた期間はそれだけだ。無論、お前にも声をかける」

「……見張りとしてか?」

「まさか。お前だって、自分が見張りに向いてないのは分かってるだろ」

 

 それは、どこかで聞いたことのある言葉だった。

 

「全体的な目星はついてるんだが、どうもあちら側も馬鹿ではないみたいだから……地道な作業だ。お前に声をかけることも多くなる。すぐに動けるようにしておけ」

「ああ」

「……何か、不満か?」

「いや、何も。俺は、これしかできないから。これだけしかできない俺が生きていけるのなら、不満はない」

 

 こうして誰かから必要とされているから、俺は此処にいるのだろう。それは彼女に手を伸ばすことと同じで、俺ができる数少ない事のうちの一つだった。

 純粋な力というのは、この世界で必要とされているものであり、俺はそれを持っている。

 誰かがそれを求めているのなら、俺はそれに応えることが出来る。

 

「だから俺は、此処に居るんだ」

 

 そうすることで、俺は生きてきたのだから。

 

「――そう、だったな」

 

 それは、彼も十分に理解しているようだった。

 

「まあ、いい……それともう一つ話をしよう」

 

 溜め息を一つ、リヒトーフェンがそう言った。

 

「最近、ここらでスリが流行っているらしいじゃないか」

 

 遠くを見つめながら語るリヒトーフェンの目には、耐え切れないような苛立ちと、少しの呆れが見えて、俺はそれに体が固まるのを感じていた。

 体の内から冷やされるような、そんな感覚。俺は知らないけれど、叱られる、というのはこういうものなのだろうか。

 

「なんでも少し前から、毎日スリの被害が絶えないんだと。そんなもんだから、街の警備も厚くなってきて、動きたくてもあんまり動けなくなっちまってな……まったく、誰のせいなんだか」

 

 首の後ろを抉られたようだった。

 

「そろそろ、処理をしないとなぁ」

 

 動きが凍る。胸を杭か何かで穿たれたようで、俺は何か言おうとしても言えなかった。

 リヒトーフェンの品定めするような視線が、こちらを貫いてくる。おそらく、全て彼は知っているのだろう。俺が彼女のことを見逃しているのも、俺が彼女を殺せないのも、俺が何を怖がっているのかも、全て。

 

 組んだ腕が震える。今俺が身を投じている世界の事を忘れていた。

 けれど、それでも、彼女がどこかに行ってしまう事は、それ以上に怖いことだと思えた。

 

「ま、そう言う訳だ。よろしく頼むぞ」

 

 それだけ残して、リヒトーフェンは奥の漆黒へと消えていく。

 逃げられない。改めて、彼の言葉を理解した。

 

 

 いつもは眺めているだけの人込みに紛れていると、決まってどうしようもない気持ちになる。

 

 ここにいる人々は、俺とは違う正しい生き方をして、この明るい元を歩いているのだろう。真上で照っている太陽がこちらを見下しているような気がして、俺はすぐにいつもの路地裏へ逃げたくなった。

 人ごみを歩む足が速くなる。俺はこんなところに居られるような人間ではない。このまま、いつもの路地裏へ、惨めに身を隠してしまおうか。そして、俺と同じ彼女を眺めるだけの、無為な時間を過ごそうか。

 そう考えながら雑踏を歩いていると、ふと、見慣れた金髪が視線をよぎった。

 

「……ジーナ?」

 

 間違いはない。いつも見張っているから、それは確実に言えた。

 この時間にスリをしているのは見た事がなく、こんな早くから彼女を見ることは何気に初めてだった。そして、彼女がしきりに辺りを見回しながら、何かを隠しているように歩いているのを見ることも、初めてのことだった。

 そうして、再び彼女が人ごみの中へ消えていく。

 

 気が付けば、俺は彼女を探していた。

 あるいは一種の逃げだったのかもしれない。俺とかなり近しい彼女が、同じように明るみに出ていてるのが気になって、彼女に近づきたかった。そうしなければ、俺はずっとこのままだと思った。

 それに、彼女に先程の話をしなくてはいけない。そうしなければ、変われるはずの彼女がどこかに行ってしまいそうだったから。

 

 姿を現しては消す彼女を追って着いたのは、一見の本屋であった。

 軋んだ音をたてる扉をくぐると、その中には静寂と知識が広がっている。立ち並ぶ本棚の間を眺めていると、その中のひとつ、隠れるようにしゃがみ込んでいるジーナの姿が映った。

 足音を立てて近づいてみるが、彼女が気付く様子はない。開いて読んでいる本の内容が見えるほどに近づいても、その内容に夢中になっている彼女が振り向くことはなかった。

 

「……何してるんだ?」

「うわっッ!?」

 

 声をかけたところでようやく彼女がこちらを向いて、閑散とした店内にその声を響かせた。

 

「な、なにしてんのよアンタはっ」

「いや、お前のことを見かけたから、気になって」

「それ、本当にストーカーじゃないの……とにかく、いきなり声かけないでよ。びっくりしたじゃない」

「すまない」

 

 頬を膨らませる彼女に頭を下げる。まったくもう、と彼女は再び手に持った、とても厚みのある本を開いた。

 

「……花の本か?」

「見りゃわかるでしょ。なによ、変?」

 

 呆れたように示すジーナの手の内には、様々な色の花が映っている。彼女はそれらの色彩に目を馳せながら、時々少しだけ訝しげな表情を浮かべながら、分厚い本の頁をめくるのであった。

 その本は一言でいえば図鑑のようなものであった。正確に写された花の絵に付け加えられるように、俺の知らないような単語や用語が所狭しと並んでいる。その文字列を見て、ジーナは少しだけ眉をひそめたり、逆にすらすらとそれを目で追っている時があった。

 

「お前、文字は読めるのか?」

「あんまり。でも、何が書いてあるかくらいは」

 

 紙に映る短い文字を、ジーナの細い指がなぞる。

 

「例えばこの花のこの文字は、春になると満開になる、とか。あとこの文字は、花びらが一枚しかない、とか」 

「全部覚えてるのか。凄いな」

「お花屋さんになるんだったら、これくらいは覚えないと。でも、まだ全部覚えてるわけじゃないから」

 

 指を差して語るジーナは、どこか楽しそうだった。

 

「花屋になるために必要なのか」

「そりゃそうよ。お花を売るんだから、当然知識も必要になるわけだし」

「そうか」

 

 彼女が変わるためには、金に加えて多くのものが必要そうだった。けれどそれで俺の様にならず、あの人ごみに紛れられるくらい、真っ当な生き方ができるのなら、それは相応のことにも思えた。

 ジーナの本をめくる手が止まる。楽しげに笑っていた彼女は消え、その横顔には影が差していた。

 

「ほんとは、文字も読めたらいいんだけど」

「……誰かに教えて貰うとか。それこそ、これを買ってしまってもいいんじゃないか」

 

 人差し指には、昨日の輝きがまだ残っていた。

 

「……そうしたいのも、山々なんだけどね」

「まだ使うべき、ではないと」

「いや、そう言う訳じゃないのよ。ただ……まあ、色々とね」

 

 俯いたまま、彼女が呟く。

 

「知ってる?お金って価値があるけど、私には価値がないのよ」

 

 そう語るジーナは、今にも消えてしまいそうだった。

 このままの彼女では、先の彼女へは届かないのだろう。それだけは、何としてでも避けなくてはいけない事だと思う。それは俺の身を削ってでも、阻止しなければいけない事のようにも思えた。

 彼女には無いものが、俺にはある。

 本来ならば彼女が持っている筈の、変わるための一つの手段。それは俺にはとても過ぎたもので、無価値にしか思えなかったけど、今の彼女が必要とするのなら、それはとても価値のあるものに見えた。

 持つ者は、持たざる者へ。在るべきものは、在るべき処へ。

 そんな、彼の言葉を思い出した。

 

「ちょっとそれ貸してみろ」

「は? あんた、何言って――」

 

 そう言いかけた瞬間、ジーナの瞳が見開かれ、

 

「やばっ」

 

 ぱたん、と大きな音を立て、ジーナが勢いよく本を元の位置に戻しながら、俺を盾にするようにして背中の方へと回り込んだ。

 いきなりの彼女の行動に訳も分からず呆然としていると、すぐにジーナとは反対の方から声が飛んできた。

 

「このクソガキ! お前また来てるのか!」

 

 振り向くと、そこに立っていたのは大柄の男であった。おそらくこの店の責任者なのであろう、俺よりもひとつかふたつほど年上の彼は、俺の後ろのジーナを睨みつけながら、怒号を飛ばしていた。

 訳の分からなくなっている俺を挟んで、ジーナが切り替えす。

 

「うるっさいわね! 客にぜんっぜん売ろうとしないアンタが悪いんでしょ!」

「お前みたいな小汚いガキに売る本なんか置いてねえ! それに、お前が来ると店の評判が悪くなるだろうが!」

「はん、こんなボロい店なんて、元々最悪だっつーの! なによ、あんた周り見えてないわけ?」

「あ? 今なんつった? 今日という今日は許さねえからな、このクソガキ!」

 

 本屋とは思えないような騒がしさである。けれど咎めるような人間はそもそもおらず、ジーナの言い分も少しだけ分かっているような気がした。それに、ジーナが本を買いたくても買えない理由も、目の前の男を見れば火を見るよりも明らかだった。

 終わりの見えない言い争いに、どう口を挟もうか迷っていると、ジーナを睨んでいた男の目が俺へと向けられる。

 

「そこの兄ちゃん、あんたそのガキの連れか?」

「……まあ、そうだな」

 

 少しだけ悩んだけれど、首を縦に振る。

 

「悪いがあのガキを連れて、帰ってくれねえか? あいつ、いくら注意しても引き下がらねえんだ」

「はん、それがモノを売る人間の態度かしら?」

「スリやってる犯罪者に売るモンなんて置いてねえよ。何なら今ここで衛兵に――」

「少し、いいか」

 

 続けようとした彼の言葉を急いで遮る。

 

「……彼女が読んでいた本、あるだろ。あれ幾らだ?」

「あ? もしかして兄ちゃん、こいつの肩持つつもりか?」

「聴いてるんだ。頼む」

 

 圧しかけるように続けると、店主の彼は呆れたように答えてくれた。

 

「金貨二十と銀貨八枚だな。それに、そいつ口止め料で金貨八枚。これ以下は受け付けない」

「ちょ、ちょっとあんた、足元見るのもいい加減に――」

「いいだろう」

「え?」

「……はぁ!?」

 

 本一冊にしては高額だが、買えない事は無い。

 それに金貨八枚で彼女が救えるのなら、安いものだと思う。

 

「それで彼女を見逃してくれるなら」

 

 呆然としたままの彼に懐に入っていた分を渡す。けれど、彼が金を受け取る様子はなかった。

 さっきまでの騒がしさが嘘のようで、彼は目の前に出された金貨を訳も分からないように見つめているだけ。奇妙な沈黙に、首が傾いた。

 

「……足りなかったか? すまない、もう少しあるから……幾ら必要だ?」

「いや、足りてるけどよ……」

「それならいい。頼むから、彼女のことは黙っておいてくれ」

 

 それでも彼女のことを言われたなら――その先は、あまり考えたくなかった。

 どちらにしろ、俺はそれを行動には移さないのだろう。

 乱雑に置かれている本を拾い上げる。思ったよりも厚みと重みがあったそれをジーナに差し出すと、彼女は少し不満そうに俺を睨んでいた。

 

「何だ、いらなかったのか?」

「……なんで、こんな事したのよ」

「お前が読みたいと思ったから。それに、それがちゃんと読めるようになれば、お前も変われる」

「そう、だけど、さ」

 

 何か彼女の癪に障っただろか。けれど、彼女はこれが欲しいと言っていたはず。それに、彼女が今の自分から変わるために、これは必要な物なのだろう。

 

「他に欲しい本は?」

「あったら買ってやる、って言うの?」

「ああ」

「……そう言われて、答えるほど頭は弱くないわよ」

 

 伸ばしてくる手はどこか震えていて、受け取ろうとしているのを怖がっているのが感じられた。けれど彼女は一瞬だけ振り切ったような表情を浮かべると、俺の手からその本を奪い取る。

 在るべきものは、在るべき処へ。それに彼女の手が届かないのなら、俺が変わりに手を伸ばす。

 それが、正しい選択だと、そう思った。

 

「騒ぎたてて申し訳なかった」

「……知らん。あんたはちゃんとした客なんだ。勝手にしろ」

「すまない」

 

 それだけ残して、ジーナに振り返る。

 

「目当てのものは手に入ったな? とりあえず出るぞ。水やりもまだだろ」

「……わかった」

 

 どうしてか、彼女の顔には影が差しているままだった。

 

 

「同情のつもり?」

 

 夕暮れから離れ、いつもよりも増して暗い路地裏を歩いていると、買った本を抱えているジーナがそんな事を聴いてきた。

 

「同情……というのは、良く分からない」

「……あんた、分かんないことだらけじゃない」

「ああ。けれど、それでお前が変われるのなら、お前はそれを手にしなければいけないと思う。それでお前が先へ進めるのなら、俺は何だってするつもりだ」

 

 それだけが俺の本心だった。

 彼女の手が届かず、俺の所へ落ちてしまうのなら、俺の手を切り離して、彼女の手に継ぎ足せばいい。そうすることで俺の所へ来なくていいのなら、俺は自らの両腕を彼女に差し出しても良いと思った。

 それが同情というのなら、そうなのだろう。

 

「……後で何か言っても、お金は返さないからね」

「何も言わんさ。好きにしろ」

「ふん」

 

 口を尖らせる彼女だったが、抱えたそれに落とした視線には明るい色が差していた。

 

「それに、そうやってお前のものを買えば、お前がスリをする必要もなくなって来るだろ」

「は? あんた、何言っ――……もしかして、バレてるの?」

「前からそう言っているだろ」

 

 あれだけ言っていたのに、分かっていなかったのだろうか。思わずため息が漏れた。

 

「前々から言っているが、もうスリはやめろ。お前のためを思って言っている」

「……じゃあ、どうすればいいのよ。この指輪、もう使えってこと?」

「そう言う訳じゃない。それはお前が本当に、心から欲しいと思ったときに使え」

 

 両手に抱えたそれを見下ろして、ジーナが呟く。

 そんな彼女に、俺は今なら手を伸ばせるような気がした。

 

「ジーナ」

「何よ」

「今後、もし金がなかったらスリじゃなくて俺に言え。そうすれば何とかしてやる」

「……カイン? あんた、自分がなに言ってんのか、本当にわかってる?」

「分からん。けど、もう二度とスリはするな。これが最終警告だ。いいか、よく聞け」

 

 気が付けば、俺は彼女に向き直り、その翡翠の瞳を強く見つめていた。

 

「お前はお前の好きなようになればいい。行きたいのなら、どこへでも行けばいい。前にも言ったように、俺が見つけてやるから。けれど、もう二度と帰ってこれないような、先の無い暗闇は行くな。見つけられないところへ……こちらへは、来るな」

 

 我儘なのだろうか。けれど、そうしなければ、彼女はこのまま戻って来れなくなってしまいそうだった。

 逃げられない暗闇への道が続いているのなら、俺がそれを絶ってやればいい。たとえそれで、俺自身が暗闇から逃げ出せなくても、彼女さえ救われれば、それでもいいと思えた。

 

「お前は変われる。そのためなら、俺は何でもしてやる」

 

 愚かなのだろうか。けれど、俺にはその言葉しか伝えられない。

 静寂が続く。彼女はその大きな瞳を見開いたまま、俺の事を碧色に映していた。そこには恐怖とか、不安とか、ふらふらとした感情ばかりが募っていて、今にも崩れ落ちそうに震えていた。

 やがて、彼女が薄い唇を開く。

 

「なん、で」

 

 その顔に浮かんでいるのは、歪なものを見るような、あるいは恐怖にも似た感情だった。

 

「なんで、そんな事言えるのよ……おかしい。あんた、やっぱりおかしいよ……」

 

 自分が狂っているかどうかすらも、もはや今の俺には分からない。けれど、彼女が俺のようにならないのなら、俺は全てを投げ出しても良かった。

 やがて。

 

「……本当に、信じていいの?」

 

 すすり泣く彼女は縋るように、俺の眼を覗き込んだ。

 

「こんな私を、救ってくれるの?」

 

 その問いかけは、俺にとっては何の者でもなく。

 

「それでお前が変われるのなら。俺のように、ならないのならば」

 

 何度でも、俺は彼女に手を伸ばすことが出来る。

 それだけが俺にできることで、俺がなさなければならない事に思えた。

 

「……ほんっとに、さ。優しいんだね、カインは」

「優しい?」

「だって、こんな私に付いてきてくれるんだから。こんな私を、救おうとしてくれるんだから」

 

 救えるなら手を伸ばすことが、普通じゃないのだろうか。それが自分の身を削って届くものなら、救おうとするのが当然ではないのだろうか。

 その言葉を理解することは、まだできない。

 けれど、

 

「ありがとう」

 

 やはり彼女の言葉はどこか胸に残り、俺の空白を満たしていた。

 

 


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