路地裏のアイゼンティア   作:宇宮 祐樹

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『夢の末路』

 

「カイン?」

 

 まどろみの中に聞こえるのは、そんな声だった。

 

「……ジーナ、か?」

「あんたを起こすやつなんて、私以外に居ると思う?」

「そう、だな……それもそうか……」

「まったく、もうとっくにお昼過ぎよ。いつまで寝てるつもり?」

 

 呆れたような声に起きようとするけど、それは叶わなかった。ふわふわと浮いているような体はそれを拒んでいて、それが届かないと言うことを知っているようだった。

 俺が横たわったままのベッドへ、ジーナが添う様に腰をかける。細い指は俺の腕をつぅ、となぞって、けれど朧げな意識はそれを感じることはできなかった。

 

「……一緒に居ることを、思い描いた」

「うん」

「どこかで、ジーナのことを思っていた。お前がいないことが、とても辛くて……満ち足りなかった。嫌、だったのだろうか。それすらも曖昧で、分からなかった」

「……うん」

「けれど一つだけ、俺でも分かったことがある」

「なに?」

 

 彼女は、ただ俺の事を見つめていて、

 

「俺は、お前と離れたくない」

 

 崩れるような、霞んでいくような笑みを浮かべたのだった。

 手を伸ばすことも叶わなくて、俺は遠くへ行ってしまう彼女に何もすることが出来なかった。ただ感じるのは彼女への強い羨望で、俺は間違いなく彼女のことを求めていた。

 どこか深い処へ堕ちていく感覚と共に、まどろみが溶けていく。彼女の映る景色は淡い光に包まれて、いつしかそこには、冷たく光る朝日があった。

 

 残るのはただの空虚だけで、伸ばした手は空を掴む。

 それは、八度目の夢だった。

 

 

 窓に打ちつける雨を、眺めていた。

 

「カイン」

「………………ぁ、何を?」

「何ボケっとしてんだ。早く済ませるぞ」

 

 影からこちらへ呼びかけるリヒトーフェンに振り向くと、そこには血と屍の匂いが漂っていた。込み上げる吐き気を抑えながら一歩前へ踏み出すと、靴の裏から静かな水音が聞こえてくる。その中を一歩進んでいくごとに、雨の淡い光も遠くなって、薄暗い世界が俺だけを包み込んでいた。

 

「どうやら、大方は片付いているらしいな。俺達が出るまでも無かったってワケだ」

「そうか」

「……お前、ずいぶんと興味なさそうじゃねえか。どうした?」

「何、も」

 

 蹴り飛ばす死体も、壁を這う血の痕も、今の俺には関係のないことだった。

 広い酒場だった、気がする、俺達が敵とみなした集団はそこを拠点としていて、外の面を偽って薬を市場へと流していたらしい。また地下には独房じみたところがあって、そこには女を閉じ込めていた、というのも、歩いているうちにリヒトーフェンは話していた。

 

「地下に女を囲って、上には酒。客を寄せるには一番手っ取り早い手段だな」

「そうなのか」

「ああ。でもまあ、その分情報が早くに洩れる。だからこうして、俺達に手っ取り早く見つかっちまう。その分、俺達はちゃんと弁えてるからな。こんな軽い商売と一緒にされちゃ困る」

 

 壁にべっとりと貼りついた肉は、二度と剥がれることはないように思えた。

 

「他の連中は」

「もう終わらせてある。後はお前の仕事だ」

 

 軋む階段を上がっていくと、それにつれて血の匂いも増していく。思わず口元を手で覆いながら階段を上がり切ると、そこには無数に転がった死体と、その先で待ち構える大きな扉が視界に入ってきた。

 血塗れの廊下を歩きながら、リヒトーフェンがその扉へと手を駆ける。その先の広い部屋は血とガラスと刃と、そのほかの色々なもので荒らされていて、大きな机の前に設置されたソファーという間取りがかろうじて理解できた。

 中にはいくらか血を浴びた男が五人か六人ほど中央で何かを囲んでいて、リヒトーフェンのドアの音に気付いた一人が、俺と彼へ頭を下げた。

 

「リヒトーフェン様」

「おう、ご苦労。いい働きだ」

「ありがとうございます」

 

 静かに退く彼へ適当に手を振りながら、リヒトーフェンがその中心へ歩み寄る。その茶色のコートの背中越しに見えたのは、椅子に縛り付けられた女性だった。

 髪は茶色で、瞳は黒。露出の高い紅のドレスを着ていて、けれどその顔には血が滲んでいる。切れそうな鋭い目つきがリヒトーフェンを突き刺すけれど、彼はそれに物怖じもするはずもなく、少し腰を下ろしながら彼女へ問いかけた。

 

「で、指示した奴は誰だ」

「……言うもんか」

「そうか」

 

 呆れたように肩をすくめて、リヒトーフェンが俺へ視線を預けて、

 

「ほら、仕事だ。頼んだぞ」

 

 そう、俺の肩を叩いた。

 

「…………」

「なにさ、そんな顔。私みたいなのを見るのは初めてか?」

「いいや……そう、だな。初めてだ」

 

 それが、何か関係するわけでもないけれど。

 床に転がっている酒瓶を拾い上げて中身を透かすと、まだ大分残っているようだった。

 

「言っとくけどね、こんなチンケな奴に私が口を割ると思うなよ! 女だからって舐めてかかからないでよね! いいか? たとえ私を殺したとしても、あんたら全員」

 

 そう叫ぶ彼女の脳天へ、酒瓶を叩きつけた。

 鈍い音と固い感触が、腕へ直に伝わってくる。けれどそのガラスは意外としぶといらしくて、何回か彼女の頭へ叩きつけても、割れることはなかった。

 やはり中身が入っていると、力が上手く入らない。いつもは窓のガラスだったけれど、今日は生憎の雨だったから。

 

「――――……か、ぁ……」

「気絶はさせるなよ。起こすのが面倒だから」

「……分かった」

 

 気絶した人間を起こすのは、確かに面倒くさかった。時間の無駄だ。

 瓶の中を一気に煽ると、熱い液体が喉の中を通っていく。最低限、毒は入っていないらしかった。酒もあまり好きという訳ではないけれど、そのまま捨てるのも勿体なかった。

 いくらか軽くなった瓶を側頭部へ叩きつけると、いくらかヒビが入るのが見える。次は一気に振りかぶって、勢いよく瓶を叩きつけると、飛び散ったガラスが床へ散らばった。

 

「お、おい、カイン? そこまでしたら、死ぬんじゃないか?」

「……俺は殺せないから。だから、こいつも死なない」

「無茶苦茶だろ……」

 

 周りの人間がうるさく言うけれど、床に散らばる破片を集める。片方の手のひらに埋まるほどに集めたそれを軽く握りながら、ぼんやりと目を向いている彼女の顎を持ち上げた。

 

「答えないのか?」

「……誰、が…………」

「そうか」

 

 そのまま指で口を開き、片手に持った瓶の破片を流し込む。口の中に頬張った破片をもらさないようにそのままの手でふさぎながら、勢いよく拳を振りかぶった。

 右の頬を三、四発ほど。口の中の傷だけだから、死ぬ事はない。

 おさえつけた手を離すと、じゃらじゃらとした破片と共に、血が垂れているのが見えた。

 

「が、はッ……げ、……ぉェ……」

「答えないのか」

 

 底の割れた瓶を掴みながら、露出した太腿へそれを突きたてる。そのまま何回か足へ擦らせると、ざりざりと言う感触と共に、血が白い脚を流れていった。

 露出が高い服で良かった。脱がせるのも面倒だし、こんな男に脱がされても彼女に悪いだろうし。 

 ……少し、酔いが回ってきたかもしれない。

 

「ああぁっ、ぁあ……ぎ、いぃい」

「答えないのか」

 

 口は開くけれど、望んだ言葉が出てくるわけではなかった。

 頬を切りぬこうとしたけれど、やっぱり聞こえにくくなるのでやめることにした。だから足に刺さった酒瓶を抜いて、もう片方の太腿へそれを突きたてる。筋肉が付いていないから、男よりも深く突き刺さった。

 けれど反応が変わる事は無く、仕方なくナイフを取り出す。くるくると手の内で回しながら、振り上げた銀の刃を、彼女の肩へ突きたてた。

 血が目元へ飛び散る。少し汚かった。

 

「はー……ッ、ぁ…………あん、た……いい男ね…………」

「フローラも言っていたから、知っている」

「カイン、って、言ったかい…………いいね、私は好きよ、あんたみたいなやつ」

 

 褒められるのが慣れていないから、いまだに返すのには困るけれど。

 ようやく、言葉を発してくれた。

 

「答えないのか」

「…………ああ、そう、か……そういう、ことね」

 

 まだ答えることはないらしい。けれどすぐ死ぬというわけでもない。

 

「カインって……あんたのことだったのね…………」

 

 振り上げた手が止まる。

 嫌な予感がした。全身の皮膚の下から虫が這い出るような、そんな悪寒が俺を包んでいた。

 

「どこかで聞いたこと、あると思っていた、ら……なるほどね……あ、はは……」

「………………何、を」

「そうね……あの子、本当にお金が欲しかったみたい、で……少し、ちらつかせたら……面白い様に、ついてきて……」

「カイン、聞くな」

 

 後ろからかかるリヒトーフェンの声が、遠くで聞こえていて。

 口から出てくる言葉を、理解することができなかった。それを耳に通して呑みこんではいけないような、視界にさえ入れてはいけないような、禁忌のようなものを感じていた。

 

「何度も、何度も呼んでたわ…………ふふ、そうねえ……良い気味だったわ……」 

「おま、え」

「落ち着け、カイン。きっと関係ない。でたらめだ」

「ふふ……う、ふふふふ……あ、はは! あははははっ!!」

 

 まだ決まったわけじゃない。そんなこと、あるはずがない。

 そうだ、これは別人なんだ。いくらなんでも話が出来過ぎている。

 そんな可能性なんて、あるはずもない、の、に――

 

「あの白い髪飾り」

 

 …………ぁ?

 

「とっても、似合ってたわよ」

 

 ――そこから先のことは、あまり覚えていなかった。

 

「あああああぁぁあぁぁっ!! お前ッ! ジーナを! ジーナをどこにやったッッ!!」

 

 頭がぐちゃぐちゃになった。理解した脳味噌を、全て吐き出したくなった。

 地面に倒れる彼女も、手の平へ突き刺さる破片も、何も感じなかった。ただ心を埋め尽くしているのは、どろどろになった黒い何かだったと思う。

 

「ふ、ふふ……」

「何がおかしい……ふざ、けるな……! ふざけるなよぉッ!」

「カイン、落ち着け! カイン!」

「離せッ! ジーナはどこにいる!? ジーナはどうなったんだよ!! なあ!!」

 

 後ろから伸びる手を全て振り払って、俺は倒れている女へ叫び続けていた。喉は痛くなって、殴りつける拳も軋んでいたけれど、それを止めることはできなかった。

 

「答えろ!! 答えろッ!! 頼むから早く! 早く吐き出せよッ!」

「…………ふ、ふふ……面白いわ、今まで生きてきた中で、一番…………!」

「あ……ぁぁぁぁああああああ!!!」

 

 傍にあった瓶で女を殴りつけると、かくん、と首が横を向く。

 その時だけは、殺すことのできない自分を、ひどく恨んでいた。

 

「クソっ、おいリヒトーフェン! 地下は手ェつけてねえよな!?」

「あ、ああ……まだ、何も……」

「畜生……ちく、しょうッ…………!」

 

 廊下に転がっている死体も、漂ってくる血の匂いも、今の俺は感じられなかった。ただ一つ、頭の中にあったのは強い拒絶で、それが決して届かないものだと、頭のどこかで理解できていた。理解できて、しまっていた。

 血濡れた階段を抜けて、地下へ続く階段へ。半ば転げ落ちるように階段を下りていくと、固く閉ざされた扉が一つ、俺の目の前へ立ちはだかった。

 

「ジーナ! おい、ジーナっ!」

 

 鉄を叩く音には何も返ってこない。

 軋んだ扉をこじ開けるのに、そう時間は要らなかった。

 

 暗い。

 

 光から完全に閉ざされたその空間には、微かな明かりすらも存在し得なかった。ただそこには、二度と手の伸ばせないような暗黒が広がっていて、俺はそこに、一つの何かを見た。それを理解するには、くらんだ頭を無理やりに叩きなおすしかなかった。

 それは人のかたちだった。白い布にくるまれた以外は何も無く、細い手と足が投げ出されたようにして横たわっている。まるでそれは死体のようにぴくりとも動かず、ただそこに存在しているだけのようでもあった。

 滲んだ視界に短い金の髪が輝いて、

 

「あ、…………ぁ……ぁ……」

 

 白い花が、虚ろな彼女に添えられていた。

 

「なん、で……お前、なんで…………!」

 

 光から閉ざされた固い扉の向こう。

 暗闇の中に見えたのは――

 

「……カイ…………ン?」

 

 ――変わり果てた、ジーナの姿だった。

 

□ 

 


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