第1話 邂逅
────私は夢を見ているのだろうか?
目の前には巨大なガストレアの死骸があった。コモドオオトカゲを十倍くらいに巨大化したようなその個体は、下顎が吹き飛んでいた。
それ自体は別に珍しくもなんともない。同じことは私の持つショットガンでも可能だろう。
────では、それを拳でやれと言われたらどうか。
私には無理だ。上位のイニシエーターには出来る存在も居るのかもしれないが……私の目の前でアレを殴り飛ばしたのは
『
目の前で起こっていても、到底信じられることではなかった。
……とりあえず落ち着くために、少し前のことでも考えよう。
私はついさっきまで、津波の様に押し寄せる夥しい数のガストレアを一人で食い止めていた。
──私が此処で足止めしなければ、里見さんが全力で戦えない。その一心でフルオートショットガンを撃ち続けた。
そうして弾が切れ、私は劣勢になった。丸腰でガストレアの大群に挑んだのだから当然だ。
口では劣勢になったら逃げると言っておきながら、それでも戦い続けた理由は……自分らしくない、非合理な感情論。
──私の存在を肯定してくれた人に、生きていて欲しい。
だから私は叫んだ。いつもと違う喉の使い方をしたからか 『普段の私を知る人が聞いても私だと判別出来ないだろうな』 と思うくらい変な声が出たが、どうせ誰も聞いていないからと、逃げ出したくなる度に叫んだ。
……もしかしたらそのせいだったのかもしれない。だって、彼の第一声は────
☆
──覚醒と半覚醒の間を漂うような、ゆらゆらとした感覚。だが心地良いその感覚は、自覚すると同時に消えてしまった。
気がつくと自分は森の中で、木に隠れて星が見えない夜空を見上げていた。
右を見て、左を見る。なぜ自分はこんな夜中に森に入ったのだろうか。
これは夢かと訝しんだが、夢にしては思考がハッキリし過ぎている。
──自分の名前は?
勿論『神崎真守』だ。この名前と付き合って十年経ったが、この名前を自分はかなり気に入って
そう、過去形だ。名前そのものを嫌いになったのではない。自分にこの名前は相応しくないと思う出来事があった筈だ
────思い出した。オレは、守らなかったんだ。
守れなかったのではない。オレは自分の意思で、あの子を見捨てた。
成績も良く、運動神経も抜群で、その場に居るだけでクラス全体の雰囲気を明るくしたあの子を、見捨てたのだ。
皆、あの子が『呪われた子供たち』だと知った途端に手のひらを返した。
『気持ち悪い』なら
── 妾は人間だ!
……誰も、聞く耳を持たなかった。
そう叫んだあの子には、ただただ死のように冷たい視線が向けられるだけだった。
オレはその『視線』が自分に向くかもしれないと、我が身可愛さであの子を裏切った。
──初めて会った日に、約束したのに。
『オレは神崎真守! 真実の真に守護の守って書いてマモル! 真に人を守れる男になれって意味なんだ! カッコいいだろ!? だから、
──オレは、何もしなかった。
口だけだった。泣きそうな目で『助けて』と訴えたあの子から、オレは目を逸らしたのだ。
そしてあの子は、学校を辞めた。
おそらくあの子はもう学校に行けない。
『呪われた子供たち』を受け入れてくれる学校など存在しないことは、小学生のオレでも察せている。
──もしあの時、オレがあの子を守っていれば、心の支えになれていれば……あの子は学校を辞めなかったのではないか?
もしあの子があのまま学校に通えていれば、将来凄い人になったのではないか?
……いや、本当は解っている。実際はオレがあの子を庇ったとしても、あの子は学校を去っただろう。
そしてその場合オレは、味方を失って残りの学校生活を過ごすことになったのだろう。
──だがそれでも、最後に見たあの子の顔は泣き顔ではなく笑顔になっていただろう。
あの子を罵った口で話しかけてくるクラスメイトの前で、オレは苦痛を感じずに済んだだろう。
だからオレは、森に入った。
──そうだ。オレはあの子に謝るために此処へ来た。
普通は『呪われた子供たち』でもない普通の子供は、こんな危険地帯には入れない。なのになぜオレは此処に来れたのか。
答えは単純明快。オレは森に向かう民警に『ガストレアからの逃亡時に生き餌として使ってくれ』と頼み込んで、ヘリに密航したのだ。
ガストレアが動けない子供と逃げる武装集団のどちらを優先して襲うかは、考えるまでもないだろう。
生け贄を用意すれば生存率は一気に上がる。人道的に問題があるが、荒くれ者の多い民警だ。密航させてくれると言う人はすぐに見つかった。
そして現場に到着した後も、オレの幸運は続いた。
なんと──未踏査領域に男性の子供がいることに気付いた民警のお兄さんが、オレを買った荒くれ者を殴り飛ばしたのだ。
── クソファッキン! テメェみたいな人間のクズがいるから、いつまで経っても民警は嫌われ者のままなんだよッ!
── 運が良かったわねアンタ。兄貴がいなかったら死んでたわよ?
それからは、二人と共に行動した。
時間が夜だったから昼間よりも活動している個体が少なかったことと、二人の腕が良かったことから、一度もガストレアに遭遇することはなかった。
そのままの調子で進むことが出来ればなんの問題もなく目的地まで辿り着くことができて、オレはあの子に再会できただろう。
──だが、オレの幸運はここまでだった。
近くで誰かが爆薬を使い、ガストレア達が起きてしまったのだ。
……その結果がコレだ。
今オレは、首から下のほぼ全身にガストレアの舌らしきものを何本も突き刺され、体液を大量に注入されていた。
抵抗しなかったからか、奴等は必要以上の傷を体に付けないつもりらしい──それでも複数の個体に群がられ、全身に穴が空いていたが。
ガストレアに体液を注入されれば、ガストレア化する未来は避けられない。
今は意識がハッキリしているが、もうじき心まで染まってしまうのだろう。
正直、オレはもう心が折れていた。
ガストレアウイルスが人間の体を作り替えるのに、そう長い時間は必要ない。正確に何分何秒かかるのかは知らないが、今このガストレア達から逃げたとしても、オレがあの子を見つけるまでこの自我が残っているとは思えない。
(……あの二人は、無事かな? せっかく目的を諦めてまで、自分から身投げしたんだ……無事で、いてほしいな……)
──だが、どうやらオレはまだ運に見放されてはいなかったらしい。
「ワたしガ! 逃げタらッ!
「…………里見?」
聞いたことのある名前だ。
たしか、最後にあの子と遊んだ時──
── やあお前たち、よく集まったなッ。俺が噂の
……あの子がよく口にしていた、ヒーローの名前。名字を耳にしたのはあの一回だけだったが、確かにあの人は『里見』と名乗っていた。
ならば────
自分に群がるガストレア達を殴り飛ばし、走る。
────こんな所で寝ていられない。
ガストレアウイルスの影響か、全身穴だらけでも痛みはない。それどころか力が溢れている。
叫び声の主が、本当に蓮太郎さんの知り合いかは判らないが、可能性は十分にある。ならオレは、その可能性に賭けよう。
────見つけた。
小型のガストレアに対し、ショットガンの銃身で殴って応戦する少女がいた。
そしてオレは、その少女に背後から襲いかかろうとしていたガストレアを殴り飛ばしつつ、問う。
「君は藍原延珠を知っているか!?」