────雨が降ってきた。
ただでさえ夜間で視界が確保しにくく、強風で弾道の制御が難しかったのに、雨まで降ってきては狙撃なんて不可能だ──と、私以外の同業者は諦めるのだろう。
だがフクロウの因子と『NEXT』の力を持つ私には関係ない。
「聖天子、貴女に恨みはありませんが……ここで死んでいただきます」
(ごめんなさい)
心の中で謝罪し、引き金を引く。
──狙撃弾は狙い通り、リムジンに吸い込まれた。
車体は横に滑って標識に激突……停止。
後は燃料タンクを撃ってリムジンを爆発させれば今回の任務は終了だ──と思っていたのだが。
(……逃がしましたか)
車外に転がり出た人影が4つ。
無能な聖天子付き護衛官だけなら、今の一撃で殺れた筈なのだが……まぁいい、次で撃ち抜く。
ターゲットの前に誰かが立ったが無駄だ。貫通して当た────ッ!?
「すみませんマスター、失敗です。護衛に手練れの民警がいました。『シェンフィールド』回収後、速やかに撤退します」
『民警だとッ? 情報にはないぞ、あのマヌケな聖天子付き護衛官だけではないのかッ? クソッ、クソッ……おい、民警の姿を見たか?』
「はい、しかし遠すぎて顔立ちまでは見えませんでした」
──最後の狙撃弾はイニシエーターの蹴りで弾かれた。
見間違いでなければ、凄まじい使い手だ。強敵といえる。
「私を邪魔したあなたは…………誰」
── ありがとう。これで────
────待て、今私は何を考えた?
私は、敵に感謝したのか?
まさか……私は聖天子を殺すことを躊躇している?
────いや、あり得ない。そんな筈はない。
今まで何人も殺してきたのだ。今更一人の命を奪うことに抵抗なんて……
── またね、フロストさん
……どうして今、『彼』のことを思い出す?
「…………解らないなら、会って答えを出せばいい」
明日の予定は決まった。
☆
────朝、蓮太郎さんが室戸研究室を訪れて爆弾を投下した。
「聖天子様が狙撃されたぁ!?」
「あぁ。今回は延珠のおかげで一人も死なずに済んだが、次もそうとは限らない。だから真守には、その狙撃兵を倒して欲しいんだ」
「えぇ良いですよ……! オレとしても、聖天子様には生きて『ガストレア新法』を施行してもらわないと困りますからね。十秒で倒してやりますよ!」
オレのトップスピードは時速945kmらしいから、四秒あれば一キロは進める。そして一秒で敵を見つけて、残り五秒で拘束してやる──なんてことを考えていたら、蓮太郎さんに笑われた。
「む……なにが可笑しいんですか?」
「あぁ悪い、前に延珠が同じこと言ってたのを思い出してな」
(まぁ……コイツの場合は本当に出来そうだから怖いが)
「おぉ……それはちょっと嬉し──」
────電話だ。誰から?
「出て良いぞ」
「ありがとうございます。
もしもし? うんオレだよ。 ……お願い? まぁ、オレにできる範囲なら。 ……了解、じゃあ駅で会おう。
すみません蓮太郎さん、ちょっと用事ができました。詳しい話はその後で」
「おう分かった。午後七時くらいにもう一回来るから、それまでには帰ってこいよ?」
「了解です。では行ってきます!」
☆
────徐々にひとけがなくなっていき、不可思議なものが散見され始める。
巨大な怪物の足跡、血がこびりついた椅子、赤錆で真っ赤になった自動車──なるほど、これは確かに人が住みたがらない訳だ。
まぁだからこそ、この場所を……えら、ん…………
「さて、ここなら誰かに聞かれる心配はない。思う存分話し合おうか」
……しまった。眠くて一瞬意識が飛んでいた。
「…………すみません……眠くて、聞いていません……でした」
「謝らなくていいよ。それ、夜行性動物の因子でしょ?」
「──ッ!? いつから気付いて……?」
一瞬で眠気が吹き飛んだ。ボロを出した覚えはないのだが……
「鎌かけだったんだけど、正解か。察したのは今日呼び出された時。普通の人は絶対、外周区には近付かないからね。それと、そんだけ眠そうにしてたら誰だって変だなって思うよ? 電車の中でカフェインの錠剤をポリポリと異常な量食べてたし……そんな十歳の女の子がいたら皆そう思うでしょ……たぶん」
「なら貴方は、私が『呪われた子供たち』だと知った上で誘いを受けたのですか……?」
「うん。それが?」
「…………私たちのこと……恐くないんですか?」
「君たちの正体を知った途端に手のひらを返すクズ共の方が、よっぽど恐い」
彼は一瞬、とても辛そうな顔をした。
きっと『子供たち』に関わった過去があるのだろうが……私は、その『子供たち』の中でも更に異端だ。
だって、私は────
「──貴方の目の前に居るのが、人殺しだとしても?」
……何を、口走っているのだろう。
こんなことを言われたら、誰だって────
「恐くないよ。だって君、あの三人に能力を使わなかったし。誰彼構わず殺したがる快楽殺人鬼じゃないなら、恐がる理由はない」
「……ぇ?」
拒絶しない、と言うのか? この人は。
「──ッ! 私が殺したのは、一人や二人ではありません! 何人も、何人も……! 数え切れないほど殺しました!」
……あぁ、さっきから私は、どうして会ったばかりの人に、こんな自分の闇を曝け出しているのだろう。
「……そっか。辛かったね」
どうしてこの人は、私を突き放さないんだろう。
「……っ! 何なのですか、貴方はッ! なんで……!」
そうして『何故だ』と言いながら泣き始めた私の頭を、彼は優しく撫で、落ち着くまで背中をさすってくれた。
こんなに泣いたのはいつ以来だろうか──だが仕方ないだろう。両親が死んでからは、弱みを見せられる相手なんて誰もいなかったのだから。
同年代の親しかった仲間は皆死んでしまったし、生き残った5人の仲間は全員妹世代で、私は年長者として気丈であり続ける必要があった。
年上ならマスターがいたが、あの人に弱音なんて吐いたら何をされるか分からない。
……あぁそうか。私はずっと────
「ありがとうございます。もう落ち着きました。真守さんは優しいですね……なんだかお兄さんみたいです」
────こんな
「実際、フロストさんくらいの妹がいる兄だからね」
「そうですか……羨ましいなぁ……」
こんなに優しいお兄さんがいるなら、きっと妹さんは幸せ者だろう。
「二人だけの時は『お兄ちゃん』って呼んで、頼りにしてくれても良いんだよ? 最近妹は『お兄ちゃんって言うの面倒。真守なら三文字で済むから』とか言って、『お兄ちゃん』って呼んでくれないから、ちょっと寂しかったし」
────少し驚いた。
『羨ましい』の部分は面と向かって言うのは恥ずかしかったから、聞こえないように小声で呟いた筈なのだが……思っていた以上に声が出ていたらしい。
(……なら、少しくらい甘えても────)
「嬉しいです、でも遠慮しますね。胸を貸してもらえただけで、十分以上に満足しましたから」
────駄目だ。
にっこりと笑顔を作り、辞退する。
私は殺し屋。命令とはいえ数多の人生を、幸福を奪ってきた極悪人。
そんな私が何かを望むなんて、烏滸がましいにも程がある。
「嘘だな」
「嘘じゃないです」
「いいや、嘘だね」
「……どうして、分かるんですか?」
この演技はマスターや妹たちにも気付かれたことがないのに……
「フロストさん、もう何年も泣いてなかったでしょ? 泣き方が壊滅的にヘタだった。
……オレの前では我慢しなくていいから、辛いことは吐き出して、やりたいことは遠慮なく言うこと。全部、受け止めるからさ」
「……まだ二回しか会ってない子供のために、そこまでする理由はなんですか?」
今までの自分の行動を棚に上げて、問い詰める。
でもとにかく、このままじゃ駄目だと思った。このまま彼の優しさに甘えたら、私はもう────
「……見捨てたんだよ。オレ」
「……え?」
彼の口から、予想外な言葉が出てきた。
「ある女の子を、守るって約束したんだ……でもオレ、その子に助けを求められた時……何もしなかった」
「……何もできなかった、ではなく?」
「うん。その時オレは、保身に走ったんだ。
……今でも死にたくなるくらい、後悔してる」
「……その子は、どうなったんですか?」
「──ヒーローに、救われた」
「……はぇ?」
てっきり救いの無い話かと思っていたせいで、気の抜けた声が出た。
「今その子は、幸せに暮らしてるよ。それにオレも、謝ったら許してくれた」
「……結局、それの何が理由になるんですか?」
「オレの理想に、誰かを見捨てたという汚点は二つも必要ない! だから、黙ってオレに救われろ! 以上!」
「……ははっ、なんですか、それ! やっぱりダークですね、真守さんは!」
────この人になら、頼っても……いいのかもしれない。
気付けば私は、今まで押し殺していた願いを吐き出していた。
ずっと行ってみたかった所があると。
ずっと食べてみたかった物があると。
ずっと気になっていた物語があると。
「よし、じゃあ一つずつ片付けいきますか!」
「え、本当に叶えて……?」
「男に二言はない!」
── これ、一回言ってみたかったんだよ
そんなことを言いながら、彼は優しく私の手を引いてくれた。
だから────
「……フロストさん?」
急に立ち止まった私の方に振り返り、心配そうな顔で私を呼ぶ彼に、笑い掛ける。
「違います」
「え?」
「私の名前、本当は〝ティナ・スプラウト〟っていうんです」
「……本名を教えてくれたってことは、オレはスプラウトさんの信用を勝ち取れたと思っていいのかな?」
「『スプラウト』ではなく、『ティナ』と呼んでくれますか……? 私も真守さんのこと、『お兄さん』と呼ぶので」
「──分かったよ、
この時から、『痛い』だけだった私の人生から、痛みが消えていった。
それは今だけの……この人といる時だけの錯覚なのだろう。
だがそれでも良い。今はただ、この時を楽しみたいと──そう思えた。