第9話 分岐
──あぁ……アイツの言った通り、もう少し体力をつけておくべきだったなぁ……
もう五キロは逃走しただろうか。足の筋肉はパンパンになり、服は汗を吸い肌に張り付いて気持ち悪い。
「ツネヒロ、大丈夫?」
隣を並走している少女をチラリと見遣る。自分同様薄汚れた作業着を着ていて、年は自分より三つも下だ。
だが彼女は息一つ上がっておらず、気づかわしげに揺れる彼女の瞳は深いワインレッドだった。ガストレアと同じ赤い瞳。
「ぼ、僕は、だい、じょう、ぶ……朱里こそ、へい、き?」
噴き出す汗を懸命に拭いながら語りかけると、朱里は小さく頷く。
くずおれそうな膝を支え、歯を食いしばる。もう、自分一人の人生じゃないんだ。彼女を巻き込んでしまった以上、諦めることは許されない。
ここで捕まってしまえば、またあの暗い穴蔵に逆戻りだ。それだけは、絶対にご免だと思いながら後ろを振り返ると────
「見つけた!」
「「ひっ!?」」
────人間離れした速度で突っ込んでくるナニカがいた。
「ツネヒロ、私が戦ってるうちに逃げて!」
このままではすぐに追い付かれる。それを理解した彼女は反転し、ナニカに向かっていく。
「だ、駄目だよ朱里! あんなのに勝てる訳──」
「確保!」
言い終わる前に朱里が糸で拘束された。
その光景を見た瞬間、僕はナニカに向かっていった。
朱里が敵わないなら僕に勝てる道理はない。それでも────
「朱里を……離せぇ!!」
──ナニカへ拳を叩きつける。
「ツネヒロ、何やってるの!? 早く逃げて! 殺されちゃうッ!」
「それでも良い! 逃げた先に君がいないなら、死んだ方がマシだ!!」
──父の借金を返すために未踏査領域のバラニウム鉱山に送り込まれた時点で、僕の人生から希望は失われた。
だが彼女にはまだ希望があった。その希望は、いつしか僕の希望にもなっていたのだ。
だから、また希望を失うくらいならここで殺されも良いと決意した──だけど
「……残念だけど逃がさないし、殺しもしない。確保」
「お疲れさまです真護さん。これでやっと正規ペアが組めますね」
「うん。それは嬉しいんだけど……夏世、この人たち……本当に犯罪者なのか?」
「……本人たちが目の前にいるんです。聞いてみれば良いじゃないですか」
「それもそうだね。
──で、貴方たちは何をやったんですか? オレにはどうしても、貴方たちが進んで罪を犯す人間には見えないんですが」
「実は……」
僕達はまだ、希望を持って生きていけるらしい。
☆
「全然悪い人たちじゃありませんでしたね……どうします? もう『見つけました』と、先程依頼人に連絡してしまったのですが……」
「依頼人?」
風切り音と共に、常弘の足下に凄まじい速度でなにかが突き刺さる──ボウガンの矢だ。
「おぅ、見つけたぞクソガキどもッ!」
矢を放った人物──羽賀の眼には、隠しようのない憎悪が宿っている。
「待ってください! あなたが依頼人ですか? 聞きたいことがいくつかあるんですけどまずは一つ──
「あとで報酬はやるから黙って──」
「──いいから、答えてください」
「……チッ。あーあーそういやいたなぁ。ギャアギャアうるさくわめくから
「──吹き飛べクソ野郎ッ!!」
油断していた羽賀の顔面に、真護の拳がねじ込まれる。顔貌が叩き潰れ前歯を四本破壊、羽賀は鼻血を噴き出しながら五メートル近く吹き飛び、完全に沈黙した。
「手加減はしたので、一応生きてる筈です。後は貴方たちの好きにしてください」
「いや、好きにさせちゃ駄目ですからね?」
夏世はメモとペンを取り出すと、それに何か走らせて、常弘の手に握らせる。
「ここにいる殺人課の、多田島という警部の所に出頭してください。彼は『呪われた子供たち』の差別主義者ではないので力になってくれる筈です。里見蓮太郎の紹介だと言えばすぐに会えると思います。ヤクザが仏に見えるくらい恐ろしい顔の警部が出てきたら本物です」
「さ、里見蓮太郎!?」
「はい。私たちは天童民間警備会社の民警見習いですので、里見さんとは顔馴染みなんです」
「み、見習い……じゃあ天童民間警備会社の正社員ってどれくらい強いのよ……」
「戦闘力のみに関して言えば、この人は里見さんより強いですよ?」
「「えぇっ!?」」
「フフ、なにせ彼は──ちょっと失礼します」
夏世がパートナーを自慢しようとしたのを、携帯の着信音が遮る。
「真護さん、新しい獲物です。ステージⅠが23区で目撃されました。高空から迷い込んできた羽虫型のようです。かなり遠いですが、貴方なら大丈夫ですよね?」
「当然!」
そしてそのまま話が再開されることはなく、真護は夏世を背負い走り去った。
「…………行っちゃった……まだお礼も言ってないのに……」
「うん……
……朱里、僕将来民警になりたいッ! だから、その……良かったら、僕のイニシエーターになってほしいんだ!」
朱里は一瞬驚いて瞳を見開くが、はにかんで笑うと小首をかしげた。
「ツネヒロが、そうしたいなら」
その笑顔の眩しさに常弘は耳まで真っ赤になる。
そして気恥ずかしさに顔をそむけながら、二人は真護と夏世が消えた方を見つめていた────
☆
────凄い。
オレは今東京エリア第一区、聖居内の記者会見室で聖天子様の演説練習を見て、圧倒されていた。
何が凄いかと聞かれても答えられないが、彼女の演説には、興味のない話題でも人を聞き入らせる『なにか』があった。それこそ、聞いた人がその場に居る目的を忘れて夢中になってしまう程の『なにか』が。
「ごきげんよう、
──声を掛けられ、正気に戻る。
だが、ここで返事をしてはいけない。何故なら────
「聖天子様、もうオレは
「すみません、つい以前の癖で」
────神崎真守は、未到査領域で死んだことになっている。
これはおそらく、咄嗟に本名で呼ばれた時に正しい対処が出来るか、テストされているのだろう。
ちなみに今のオレは新しい身分証を貰い、『守屋真護』という名の20歳独身プロモーターということになっている。
「いえそれは構いません。それより、人払いをお願いします」
「えぇ」
────周囲の人間が下がった後、聖天子様が壇上を降りてこちらに近づいてきた。
「それで、直接聞きたいこととは? あまり長く時間は取れませんので手短にお願いしますね」
「では単刀直入に聞きます。
★
────結論から言って、聖天子様ですらグークルさんの情報を持っていなかった。
以前『ボクについて調べても何も出てこないよ? なんなら聖天子様にでも聞いてみれば良い』と言われたから本当に聞いてみたのだが……本当にあの人は何者なんだろうか。
この前背後から襲いかかってみたら『気配がダダ漏れだよ?』と言われて返り討ちにされたし。
──ちなみに襲った理由は、妹に危険な情報を渡したからだ。
情報の危険性は、室戸先生にしっかり話されたから少しは理解しているつもりだ。
その危険性は、情報屋のグークルさんならオレよりよっぽど深く理解しているだろう。
なのに彼は舞に情報を渡した。オレはその訳を聞きたかったのだ。
結果としては返り討ちに遭った上で訳を話され、グークルさんが来なければ舞は衰弱死していた可能性が高かったと知り、借りが増えてしまったのだが。
────まぁそれは別に構わない。グークルさんが何者だろうと、オレの恩人であることに変わりはないし、借りはいつか返すのだから。それに、此処へ来た本命の目的は果たした。
本命の目的とは、急遽入った依頼で聖居に来れなくなった蓮太郎さんの代わりに、護衛任務の説明を受け、契約書を受け取ることだ。
普通は聖天子様の説明会を優先するだろうに、蓮太郎さんが依頼を優先した理由は、以前彼が彼女に掴みかかりかけ、更には叙勲式をぶち壊しにしたから顔を合わせづらいということと、オレが聖天子様に直接聞きたいことがあると頼んだことの二つ。
で、なんで今オレがこんな説明口調で振り返りなんてしているのかと言うと────
「……出口、どこだよ」
単に、迷ったから気を紛らすためだ。
そうして暫く彷徨っていると、若い男性に声をかけられた。
「お困りのようですね。出口まで案内して差し上げましょう」
「本当ですか!? 助かります!」
これで漸く出られる──と思ったが
「代わりに、貴方が持っている契約書を破り捨ててくれたら……ですがね」
「はい?」
「ちなみに断った場合……腕と足の骨を一本ずつ粉砕します」
また暫く、道に迷うことになりそうだ。仕方ない。
頭を掻く自然な動作を意識し、傷を作る。発動する能力は──シャチがベストか。
──〝反響定位〟
溜息を吐くフリをして、超音波で周囲の状態を確認する──伏兵が五人。
「たった6人じゃあ、オレには勝てませんよ」
「──ッ!? 強がるな! お前達、出てこい!」
「……オレはただ、道案内をしてくれたらそれでいいんですが」
「いつまでそんな呑気なことが言っていられるかな……? お前達、やれ!」
そして五人がオレに飛びかかり──
「おやすみなさい。良い夢を見れたらいいですね」
オレは名も知らぬ六人を、チョウセンアサガオの能力で眠らせた。