まほチョビ(甘口)   作:紅福

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(12/12)八百比丘尼の皿

【まほ】

 

 千代美は夕飯を作るため部屋に戻った。さっきまで本を抱えてぽろぽろと泣いていたというのに、切り替えの速いやつだ。

 こちらの部屋には私、ミカ、そして家主のダージリンが残っている。

 私も何か手伝おうと腰を上げると、ミカに呼び止められた。

 

「まほ、話があるんだ」

「私にか」

「うん。彼女の料理についてさ」

 

 千代美の料理について。一体どんな話だろうか。

 ミカは、怒らないで聞いてくれるかいと前置きをした。

 

「今朝のサンドイッチね、実はあまり美味しくなかったんだ」

 

 瞬間、頭に血が上るのを感じた。食べ物を恵んで貰っておいて、こいつは一体何を言い出すんだ。

 咄嗟にミカの胸倉を掴もうとしたが、ダージリンに制された。

 

「怒らないで、って言われたばかりでしょう。人の家で暴れるのはカチューシャだけで沢山だわ」

 

 そう言われると立つ瀬が無い。腹は立つが、それは最もだ。

 拳を握り、耐え、詫びた。

 

「すまん」

「いやいや、私も言い方が悪かったね。決して不味いと言っている訳じゃないんだ」

 

 美味しいことは美味しいんだけど、とミカは何か良い言い回しを探しているようだった。

 それもそれで癇(かん)に障ったが、覚えのある思考でもあった。私は今日の昼、千代美と全く同じやり取りをしている。

 と言う事は、ミカが探している言い回しというのは、もしかして。

 

「『違う』、か」

「ああ、それだ」

 

 千代美の料理に何か問題でもあるのだろうか。彼女の腕前はどう考えても一流で、千代美の料理を口にする者は軒並み『店が開ける味だ』などと感想を漏らす。

 ミカは一体何が不満だと言うのだろう。これまで誉め言葉ならば山程聞いてきたが、『違う』などという感想は初めてだ。

 

「店が開ける味。そうだね、彼女の料理はいつもそうだ」

 

 でも今朝のサンドイッチは違った、とミカは言う。

 

「彼女は人に料理を出す時は店が開ける味、つまり万人向けの味にする」

「それが今朝は違ったと言うのか」

「うん」

 

 未だ、話が見えない。

 一体何が言いたいのだ、ミカは。

 

「私は分かったわ」

 

 紅茶を淹れて運んできたダージリンが口を挟んだ。

 

「ここまで言って気が付かないまほさんは本当に幸せ者ねぇ」

「全くだね。まほ、今朝のサンドイッチは万人向けじゃなく、まほ向けの味にしてあったんだよ」

 

 ミカはそう言って紅茶に口を付け、顔を顰めた。

 

「こーれーは、不味いね」

「ごめんなさいね。淹れるのは下手なのよ、私」

 

 困惑する私を余所に、二人はもう話が済んだものと思っているらしく、和気藹々と雑談を始めてしまった。

 何か正解が提示されたような雰囲気だが、正直言って、私にはまだ分からない。

 

「ま、待て、私向けの味とは何だ。どういう事だ」

 

 ミカはまたも言い回しを探すような間を置いた。

 しかし言葉が見付からなかったのか、やがて、諦めたように言う。

 

「それは千代美しか知らないんじゃないかなあ」

 

 突き放すような言葉。

 なんとも反応に困ってしまい呆けていると、今度は唐突な質問が飛んで来た。

 

「まほ、目玉焼きの好みはあるかい」

「あ、ああ。半熟で、醤油をかけるが」

 

 戸惑いつつも素直に答える。先程とは打って変わり、なんだか滑稽なやり取りだ。

 今度は一体何だと言うのだろう。

 

「うん。目玉焼きってさ、とても好みが分かれるだろう。味付けから焼き加減まで人それぞれに好みがあって、人は何故かその好みを異様なほど大切にする。そこにちょっかいを出せば、すぐにでも喧嘩になりかねない食べ物さ。だけどまほ、君と千代美はそれで喧嘩なんかしないだろう」

 

 確かに、そうだ。私と千代美は目玉焼きの好みが全く違う。

 だが、それで喧嘩になった事など一度も無い。

 

「ねえ、まほ。千代美は、まほの好みに合わせて目玉焼きを焼いてくれてるんじゃないのかい。まあ目玉焼きに限った事じゃないけど、千代美は全ての料理でまほの為の味が出せるんだと思う。まほが気付かなかったのは、たぶん。まほにとっては単に『全部美味しい』からさ。だから、改めて言うよ。サンドイッチ、食べちゃってごめんね。あのサンドイッチはたぶん、まほの為の物だったんだ」

 

 ああ、そうか。

 そういう事か。

 考えれば考えるほど、辻褄が合う。目玉焼きどころか、コーヒーの一杯ですら、千代美は私の好みに淹れてくれるのだ。店のコーヒーに違和感を覚えてしまうほどに。

 では仮にミカの推測が事実だとすれば、私は、私の事をそこまで想ってくれている人に対して、『私と出会わなければ』などと考えてしまった事になる。

 それは果たして、許される事なのだろうか。

 

「千代美さんが貴女を嫌う筈が無いでしょうに。見ていれば分かるわよ」

 

 ダージリンが、焦れたように言った。

 私のための味か。

 それが事実かどうかは厳密にはまだ分からないが、それでも、今後千代美の料理を口にする心持ちは大分変わってくる。

 しかし確かめようにも、千代美に直接訊くのは何だか憚られる。

 ああ、そうだ。

 千代美は今まさに、全員分のサンドイッチを作っている。恐らくそれで分かる事か。まあ、きっと、何が入っていても美味い。

 それは間違い無いだろう。

 ひとまず、行くか。

 

「ミカ、改めて色々と済まなかった」

「気にしてないよ」

「千代美の本の事、ありがとう」

 

 大事にしてあげることだね、と笑い、ミカは紅茶を不味そうに飲む。

 

「本当に不味いね、これ」

「溢さずにお話が出来れば何でも良かったのよ」

 

 言って、ダージリンはわざとらしくこちらを軽く睨んだ。

 

「ち、千代美を手伝ってくる」

「ふふ、行ってらっしゃい」

 

 どんな顔をして会えばいいやら。

 

――――――――――

 

【千代美】

 

「千代美」

「まほ」

 

 強張ったまほの顔を見れば、隣で何の話をしてたかなんてだいたい分かる。

 

「ミカから聞いたんだろ」

「んん」

 

 バレちゃったかー。

 まあ、ミカに口止めしなかった辺り、私にもいつか知ってほしいという想いがあったんだと思う。彼女の言う通り、私は人に料理を出す時とは別に、まほに料理を出す時だけ使う味がある。

 と言っても、隠し味がどうとか、そういう難しい事をしてる訳じゃない。単に『まほ好みの味』を把握して、それに合わせてごはん作ってるってだけ。

 

「いつから」

「いつからだろう」

 

 覚えときゃ良かったかな。

 そんくらい、ずっと前から。

 

「何故」

「決まってるじゃん」

 

 好きだから。大好きな人だから。

 そして、その人に好かれたいから。

 お化粧と同じ事だ。

 

「ほら、サンドイッチ出来たよ。こっちがまほの分」

 

 今朝作ったのと同じサンドイッチ。

 まほはそれを一口食べて、呟いた。

 

「美味い」

「えへへ、やったあ」

 

 まほの目にみるみる涙が溢れ、流れ出す。

 彼女はサンドイッチの皿を置いて、私を抱き締めてくれた。

 

「ごめん、千代美。昼の事」

「気にすんな」

 

 まほの腕に力が篭る。痛いけど、それが嬉しい。

 私はまほの頭を撫でながら言った。

 

「どこにも行かないから安心しろよ」

「分かってる」

 

 本当かなあ、という言葉は飲み込んだ。

 でも、ひとつだけ。

 二人でソファに倒れ込み、私はまほにお願いをした。

 

「昨日のあれ、やってよ」

「こうか」

 

 まほは私の頭を掴んで、ぎゅうっと胸に押し付けた。

 息が、止まる。

 

「どこにもやらん」

 

 ああ、堪んない。最高だ。

 ぞくぞくとしたものが背中を走り抜け、もう、それだけで。

 

「ご馳走さまだわ」

「全くだね」

 

 ダージリンとミカの声が聞こえた。

 ああもう。嘘だろ、おい。

 

「お、お前ら、いつからそこに」

「いつからかしらね」

「『いつからだろう』ね」

 

 だいぶ前から、って言うかほぼ最初からじゃないか。

 すっかり狼狽えているまほを加えて、三人が喧々諤々とやり合う声が聞こえる。

 

「隠れてたのか」

「やだなあ、人聞きが悪いよ」

「貴女達が話し掛け辛いだけでしょう」

 

 ま、まほ。

 そろそろ、あの。

 

「うわ、千代美っ、大丈夫か」

「手を離しなさいよ」

 

 ぷはあ。

 た、助かった。

 

「ダージリン、彼女達はいつもこうなのかい」

「ええ、見てて全然飽きないわ」

 

 口々に勝手なことを言っている。何も言い返せないのが悔しいような、嬉しいような。

 

「あの、サンドイッチ、出来上がってますんで」

「うん、頂いてる。美味しいよ」

 

 さすが千代美だ、とミカは笑う。

 

「じゃ、残りは向こうで頂きましょうか」

「そうしよう」

 

 言って、二人はサンドイッチの皿を持ってそそくさと出ていった。

 ここに居るのは今度こそ、私とまほだけ。

 ちょっとだけ長いキスをして、訊いた。

 

「何か食べたいもの、あるか」

「魚」

 

 鰯でいいかな。

 私がそう返すと、まほは小さく頷いた。


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