飛ぶ頭
ろくろ首と同一視されたり、されなかったりもする
金曜日の帰り道、携帯電話の通話アプリで千代美と他愛の無い雑談を交わしている。
明日は休みだ。話題は明日の予定だったり、今夜の過ごし方の相談だったり。
話題は何故か尽きない。他愛の無い内容である筈が、千代美との会話だと何でも弾む。私は話下手な筈なのだが、千代美が話上手であるお陰でバランスが取れているのだと思う。
稀に話題が尽きたと思えば、しりとりが始まったりもする。便利な時代だ。
『まほ、今どこー』
居場所を告げると、千代美は思いのほか近い所に居た。
待ち合わせて合流する。
「一緒に帰りましょー」
「そうしましょー」
子どものようなやり取りをして、二人で商店街を歩く。
そういえば夕飯の買い物がまだらしい。千代美が手ぶらだ。
「今夜は家にあるもので済まそうと思ってたけど」
なんか食べたいものでもあるのかと訊かれた。
まあ、特に無い。ただ、せっかく外で一緒になったのだから、真っ直ぐ帰るよりはどこかに寄るのもいいなと思っただけだ。
そう言うと、千代美は目を丸くした。
「まほ、珍しいな」
「何がだ」
「まほが寄り道を提案するなんてさ」
そうだろうか。
言われてみればそうかも知れない。
いや、きっとそうなのだろう。
何せ私よりも私の事をよく知っている千代美の言うことだ。
「じゃあ、どこに寄ろっか」
「ふうむ」
考えていると、焼きたてのパンの香りが漂っている事に気が付いた。見回すと、すぐ目の前にパン屋があった。
しかし隣に料理人が居るというのに、その選択は無いだろうと我ながら思う。
「パン屋かあ」
私が匂いに釣られた事に目聡く気が付いた千代美が、不機嫌そうな声を出した。
これから夕飯なのに、と。最もだ。
「ああ、でも、明日の朝ごはん用になら買っておくのもいいかもな」
朝ごはんの手間が省けるなら、そのぶん布団から出なくて済むし、と千代美は意味ありげな視線を送ってきた。
成程、そういう考え方もあるか。
「まほさえ良ければだけど」
「ほう、積極的だな」
そう言うと、千代美は『へっ』と間の抜けた声を出した。
左手の人差し指をくるくると回し、少し考えるようにする。何秒か後にようやく私の言った意味が分かったらしく、違うっつうの、と叫んだ。顔を赤くした彼女が私の背中を叩く。
「痛っ」
「まほ、朝は米派だろ。そういう意味で言ったんだよ」
あっ。そういう事か。
今度は私が赤面する番だった。
顔を覆った右手が冷たくて気持ち良い。
「すけべ」
「はい」
返す言葉も無い。
私はすけべです。
「まあいいや。明日の朝ごはんって事でいいな」
「んん」
そんな訳で、パン屋でお買い物。
私がお盆を持ち、千代美がトングを持つ。さあどれにしようか。
「まほはどんなパンが好きかなー」
トングをかちかちと鳴らしながら千代美が鼻歌混じりに言う。
そう言えば、千代美は私の好みの把握に努めてくれているが、私は千代美の好みをあまり知らない、ような気がする。
訊いてみた。
「千代美はどんなパンが好きなんだ」
「んっ」
想定外の質問だったらしく、千代美は小さく上に向けたトングでくるくると空をかき混ぜた。
考え事をする時の千代美の癖だ。手に持っているものを回す。何も持っていなければ指を回す。
くるくると暫し考え、彼女はにやりと笑って言う。
「当ててみろ」
「そう来たか」
言われてみれば、これは難問だ。
ここですんなり当てられたら格好良いのだが、正直、皆目見当が付かない。
一通り店内を巡り考えたが、ピンと来るものは無かった。つまり、知らないのだ。そこでようやく確信に至る。私は千代美の好みを知らない。
それでもどうにか当ててやろうと、何か手掛かりになるものは無かったかと記憶を探る。
千代美と言えば。
千代美と言えば何だ。
改めて店内を眺めていると、紙皿に載ったパニーノが目に入った。
この店のものはトマト、チーズ、レタス、厚切りのベーコン、そして大葉を挟み、炙ってある。
そうか、千代美と言えばアンツィオ、イタリアだ。高校生の頃はピザだのパスタだのと騒いでいた記憶がある。
見て回った限りでは、この店の中で一番それっぽい物がこれだ。パニーノ。
しかし、果たしてこれが正解なのだろうか。そう考えると自信が無くなってきた。
恐る恐る、千代美の方を振り返る。
千代美は、笑いを堪えていた。
「ご、ごめん、まほ、かわいいな」
どうやら千代美は、うんうん唸りながら悩み店内をうろうろする私が面白くて仕方がなかったらしい。
「ひどいやつだな」
「ごめんごめん」
じゃあこれにしような、と言って、パニーノをひょいとお盆に載せた。結局、それが正解なのかどうかは有耶無耶なままとなってしまったようだ。
じゃあ次はまほの分だ、と言って千代美はパンを選び始める。
当ててみろ、と言ってやった。
仕返しではないが、千代美が悩む姿も見てやりたい。
「これだろ」
私の意に反して、千代美が事も無げに棚から取ってお盆に載せたそれは、キャラクターを模した餡パン。
お世辞にも出来が良いとは言えないその中から、特に不格好なものを選んで寄越した。
あまりにも呆気ない。
「せ、正解」
「えへへ、やったあ」
会計を済ませ、店を出る。
やっぱり割高だなあ、自分で焼いた方が安上がりだなあ、などとぼやく千代美に、何故、と問う。
「出来の悪いやつから選んであげないと残っちゃうからな」
「い、いや、そうじゃなくて」
何故分かった。
「だってまほ、あのパンの前でも少し足を止めたろ」
「まあ、そうだが」
「それに、店の前で足を止めたのも、あのパンの焼きたての匂いのせいだったろ」
あっ、成程。それは自分自身でも気が付かなかった。
やはり、私よりも私の事をよく知っている。よく見ている。
付け焼き刃では敵う筈もない。
千代美は笑い、パンを袋から取り出して私の顔の前で振り振りしながら言った。
「まほ、新しい顔よー、なんつって」