まほチョビ(甘口)   作:紅福

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油すまし
名前と絵はある
それだけ

名前が付いたことで有名になった誰かの話

ダージリン視点


油すましの名

 雪が、積もった。

 

 こんな量の雪を見るのは初めてかも知れないわね。まあ、残念ながら雪が積もったくらいではしゃげるような齢でもない。

 さっさと雪かきをしないと車が出せないし、時間が経てば凍ってしまうかも知れない。

 

 休日の朝から重労働だけれど、やってしまわない事には安心出来ないのよね。

 という訳で雪かき中。

 

「雪と言えばカチューシャとノンナだが、彼女らは来ないのか」

「来る訳ないでしょ」

 

 ぼやくまほさんに突っ込みを入れる。

 ノンナはともかく、雪かきをやらされると分かっていてカチューシャが来る訳が無い。カチューシャが来なければノンナも来ない。

 

 全く遣ってられんな、と言いつつまほさんは私の倍近く雪かきを進めている。

 それでも矢張り、二人だけでは心許ない。

 

 カチューシャ達は来ないけれど、今日は一人、私の後輩が助っ人に来てくれている。

 三人なら多少ましに作業が出来るから、とても有り難いわね。

 

「本当、貴女が来てくれて助かったわ」

「いえいえ、他ならぬダージリン様の頼みですから」

 

 笑う彼女に、ふ、と溜め息が漏れた。

 未だにみんな私の事をダージリンと呼ぶのよね。あれは聖グロリアーナで代々使われている称号みたいなものだから、私の事は名前で呼んでくれて構わないのに。

 齢だって然して違わないのだから、様付けするのもおかしいのよ。

 

 そうは言ってもなあ、とまほさんが口を挟む。

 

「今は単なるニックネームとして機能してしまっているからな」

「そうですね。私にとって、ダージリン様はいつまでも『ダージリン様』なんですよ」

 

 まあ、そうかも。

 思えばカチューシャも『カチューシャ』のままだし、通じさえすれば名前なんてそれでいいのかも知れない。通じる名前があるのは有り難い事、か。

 でも、やっぱり少し気恥ずかしいわ。

 

 はあ、とまた溜め息が出た。

 スコップを地面に突き立てて杖のようにして寄り掛かる。疲れた。

 

 ふふ、とまほさんが笑うのが聞こえた。

 

「何を笑ってるのよ」

「いや、すまん」

 

 千代美の癖が移ったかな、と一人で完結させるように呟く。

 何なのよと詰め寄ると、彼女は少し渋ってから、白状するように言った。

 

「スコップを杖にして猫背になるダージリンを見て、妖怪の絵を思い出したんだ」

 

 はーあ。

 

 今までで一番大きな溜め息。『ダージリン様』と呼ばれてこそばゆい思いをしている所に妖怪扱いは無いでしょう。

 自分で言うのも何だけれど、私は人より容姿が整っている方だと思う。聖グロリアーナで淑女の何たるかも嫌と言うほど学んだ。

 その私を妖怪呼ばわりするなんて、失礼な人だわ。まあ、まほさんが失礼なのは今に始まった事じゃないけれど。

 

 で、絵を思い出したと言うからには何か特定の妖怪なのでしょうね。

 

「ああ、名前までは思い出せないが」

 

 杖を持って立っている妖怪だ、とまほさんはふんわりした事を言った。

 何よそれ。杖を持って立っている妖怪なんていくらでも居るんじゃないの。

 

「他に何か特徴は無いの」

「うーん、簑を着ている」

 

 手掛かりが増えたような、増えてないような。

 

「油すましですかねえ」

「ああ、そんな名前だったかも知れないな」

 

 話が聞こえていたのか、一人作業を続けていた彼女がぼそりと言った。

 あぶらすまし。聞いたことがあるような、無いような。

 

「私も詳しくは知りません。『なんか知ってる』って程度で」

 

 杖を持って、簑を着て、立っている、だけ、という連想から私も絵が一枚浮かんだんです、と彼女は言った。

 

「結構進んだな。みんなお疲れー」

 

 甘酒作ったから休憩しないか、と玄関先から千代美さんが声を上げた。

 あら、良いわね。紅茶でもコーヒーでもなく甘酒。今の話題にはぴったりじゃない。

 

「頂きましょう」

「はい、ご馳走になります」

「丁度いい、妖怪博士に油すましの話を聞こう」

 

 言ったまほさんに対して、誰が妖怪博士だと突っ込む千代美さん。

 ふうん、千代美さんって妖怪に詳しいのね。小説をよく読んでいる影響かしら。

 

「部屋に図鑑があるだけだ」

「十分だと思うが」

 

 二人の夫婦漫才を聞きながら、彼女達の家のリビングで甘酒をご馳走になる。

 ああ、暖まるわ。

 

「美味しいです」

 

 安斎さんは料理がお上手なんですね、と彼女が言う。

 千代美さんの事は『安斎さん』と呼ぶのね。

 

「あはは、特別なのはダージリン様だけですよ」

「分かるよー。私にも、未だに私の事を『アンチョビ姉さん』って呼ぶ後輩が居るからな」

 

 どこも一緒なんだな、と千代美さんは笑った。

 そして、仕切り直すように言う。

 

「でさあ、なんで油すましなんだ」

 

 千代美さんに訊かれ、まほさんが簡単に経緯を説明する。早くも二杯目を飲みながら。

 私がスコップを杖代わりにして立った姿をまほさんが見て、妖怪の絵を思い出し、挙がった名前が『油すまし』。だから、まほさんが思い出した絵と『油すまし』がイコールなのかはまだ分からない。

 

 それを聞いた千代美さんは、そういうことなら絵を見ようと言い出し、部屋から『図鑑』を持ってきて、油すましの項を開いた。

 そういうものがすっと出てくる辺りが博士だな、とまほさんは笑い、絵を覗き込んだ。

 

「ああ、この絵だ」

 

 ここでようやく繋がった。まほさんが思い出した絵、イコール油すまし。

 確かに、杖を持って、簑を着て、立っている。それだけ。言われてみれば、どこかで見たことがある気もする絵だわ。

 

 で、これは何をする妖怪なのかしら。

 

「何もしないよ」

 

 強いて言うなら返事をするだけかな、と千代美さんは言って、解説文を要約して読んでくれた。

 

『孫を連れたお婆さんが山道を散歩中、昔はここらに油すましが出たそうな、と話すと、今でもいるぞと声がした』

 

 へえ。

 

 えっ、それだけなの。

 

「そう、名前の由来も、何をする妖怪かも分からない。声がしたってだけ」

「驚かす訳でもないのか」

「結果的には驚いたかも知れないけど、油すましは返事をしただけだからなー」

 

 でもなんか有名なんだよな、と言いながら、千代美さんは首を捻る。

 確かに、妖怪に興味の無い私達でも断片的に油すましを知っていた。それが何故なのかと考えても、一向に分からない。

 

「絵の印象が強いが、この絵が生まれたのは名前があったからか」

「言われてみれば、そうですね」

 

 声がしただけでなく、名前があったから伝わったのね。

 伝わったから絵が生まれ、それによって、更に広く伝わった。

 

「そうなるかな。ちなみに熊本の天草の話らしいぞ」

 

 ああ、あの辺なのか、と熊本出身のまほさんは私達より現実味を持って油すましを記憶した。

 この、何者なのか分からない妖怪は、これでまたひとつ有名になった、という訳ね。

 

「名前って大切なんですね」

 

 何やら実感が篭ったような声で彼女は言い、甘酒を飲み干した。

 さて、そろそろ雪かきを再開しましょうか。

 

「頑張れよー。昼も何か暖かいもん作るからな」

「楽しみにしてるぞ」

 

 まほさんにそう言われた千代美さんは、まほさんの首にマフラーを巻きながら、今日一番の笑顔を見せた。

 

「頑張りましょうね、ダージリン様」

 

 一番張り切っているのは、もしかしたら手伝いに呼びつけられた彼女かも知れない。

 その理由はきっと、『ダージリン様』に呼ばれたから、なのかしらね。

 それじゃあ、私も彼女に合わせて昔の名前で呼んであげた方が良いのかも。

 

 なんとなく、そう思った。

 

「そうね。頑張りましょう、ルクリリ」

 

 久し振りにその名前で呼ばれたらしい彼女は、一瞬ぽかんと口を開けた後、照れ臭そうに笑った。


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