零時。
「コンビニ」
そう、唐突にまほが呟いた。
お風呂にもとっくに入って、そろそろ寝る準備をしようかって時に呟く言葉じゃない。コンビニに行きたいのか、こんな時間に。
小腹が空いたなら何か作ろうかと言ったら、どうもそういう訳ではないらしい。
言うが早いか、彼女はいそいそと外出の支度を始めた。
コートを羽織り、ニットの帽子を被る。
「待て待て待て」
何を買いに行くのかは知らないが、私もついて行く。
いくらまほでも、夜道を女一人で歩くもんじゃないぞ。
「頼もしいな」
「おう、いざって時は守ってやる」
言って、私も外出の支度をした。まだまだ寒いから、しっかり着込まないとな。
まほの首にもマフラーを巻いてあげた。
「暖かいなあ」
何故かまほは、しみじみと言った。
髪は結ばなくてもいいか。どうせ、行って帰ってくるだけだ。
「じゃあ、出よう」
「うん」
玄関を開けると、雪がちらついていた。
この間積もった分がまだ溶けきってないのになあ。この雪も明日の朝には積もるのかも知れない。
手を出すと、ひとつぶ、指先に当たって溶けた。
真夜中の住宅街を歩く。道の端は所々が凍っていて、足元には気を付けないといけない。まほは、転ぶぞ、と言って私の手を握ってくれた。
指を絡めたあと、その感触を確かめるみたいに『にぎにぎ』と二回私の手を揉む。手を繋ぐ時の、まほの癖。
すごく可愛い癖なんだけど、きっと無意識なんだろうな。
私だけが知っている、まほの癖だ。
「コンビニで何買うんだ」
「んん」
曖昧な返事。
もしかしたら、買いたい物がある訳じゃないのかも。
コンビニに到着。
当たり前だけど、何時だろうと灯りは消えず、店内は昼と何ら変わらず音楽が流れている。暖房も効いていて、一瞬、時間や季節の感覚が失せる。
不思議な場所だな、真夜中のコンビニって。
まほの様子を見ていると、やっぱり何を買うでもなくぶらぶらしている。結局、買いたかった訳でもなさそうなホットの缶コーヒーを二本買って店を出た。
また、手を繋ぐ。
にぎにぎ。
まほは何も言わず、繋いだままの手をコートのぽけっとに突っ込んだ。
片方の手は缶コーヒーで、もう片方の手はぽけっとの中で。何故だろうな、コンビニの中に居るより暖かい。
公園の前を通り掛かると、まほが声を上げた。
「ここがいい」
言って、手近なベンチの雪を払って腰を降ろし、キン、と缶コーヒーを開ける。私もそれに倣った。
一口飲んで視線を交わす。あんまり美味しくないな、これ。
結局、何がしたかったんだろう。
「手を、繋ぎたかった」
私の考えを見透かしたみたいに、まほが言った。
なんだそりゃ、と思ったけど、まあ分からなくもないな、と思い直す。繋ぎたいよな、手。
でも、やっぱり急過ぎるよ。
「そうかな」
「そうだよ」
言い出したのが零時、もうすぐ一時だぞ。
それに、私が来なかったらどうする気だったんだ。
「来てくれると思った」
ごめんな、ありがとう、と言ってまほは笑った。
コーヒーを飲み終わっても腰を上げる気配は無く、何かを言い淀んでいるのが伝わってくる。
足元の薄氷が、ぱり、と音を起てた。
まるでその音が合図だったみたいに、彼女が口を開く。
「実はな、まだ千代美に言ってない事があるんだ」
そう、言った。
散々一緒に暮らしてて、実家にも行って、今更まだ言ってない事があるなんて、俄には信じられない事だけど、何だろう。
ずっと言いそびれていてな、とまほは、私の髪についた雪を払いながら言う。
もっとくっついて、と言われ、腰を引き寄せられた。
密着。あったかい。
「キス、してくれるか」
言われるまま、キスをする。
短く、唇を触れさせるだけの、小さなキス。
まほは珍しく、震えていた。
何を言われるんだろう。
不安が胸に積もる。
でも、まほはきっと、もっと不安なんだと思う。
まほの手をぽけっとに引き込み、ぎゅっと握った。
守ってやるよ。
まほはひとつ、大きく深呼吸をした。
そして。
「貴女の事が好きです。私と付き合ってください」
静寂。
そっか、まだだったか。
「ごめんな、まだだった」
「うん、初めて言われたかも」
いつまでも言えてなかった事がずっと引っ掛かっていたらしい。この冬の間に言おうと決めてたんだ、とばつが悪そうに、まほは言う。
遅いよ馬鹿、と小突いてやった。
もう終わるぞ、冬。
「私も好きだよ。大好き」
「そうか。ありがとう」
まほは何度目かの『ごめんな』を言いながら、私の頬を撫でる。
その時やっと、自分が涙をこぼしていることに気が付いた。
ぽろり、ぽろりと。
馬鹿。
降り続く雪の下、暫く、まほの胸に顔をうずめて泣いた。
まほは私の頭を撫でながら、私が泣き止むのを待ってくれた。
帰り道。
また手を繋いだ時、いつも思うんだが、とまほが呟いた。
「手を繋ぐ時の千代美の癖、可愛いな」
ああ、私にもあったんだな、そんなの。
「無意識だったのか」
「うん」
もっと知って欲しいな。
それに、もっと知りたい。
もうすぐ春が来る。
これからも、よろしくな。