不覚。全くもって不覚だ。
酒に酔って正体を失くすなど。
一眠りして、少し酔いが覚めた頭で考える。
まあ、不幸中の幸いと言うべきか、ダージリンの部屋でカチューシャに酒を飲まされて以降は、家に帰ってソファに横になっただけだと思われる。
隣の部屋から隣の部屋に移動しただけ、の筈だ。
ただ、こうして毛布が掛けられている以上は千代美と何かやり取りをしたのだろう。
何か、おかしな事は言わなかっただろうか。
ううん、考えても思い出せない。あとで千代美に訊こう。
しかし美味い酒だった。
なんというか、桜餅のような香りがして、カチューシャが春らしい酒だと言っていたのも頷ける。
出来れば、ゆっくりと時間を掛けて飲みたかった。銘柄は覚えたから、今度買ってこよう。
あれは飲み方を間違えなければ、とても良い酒だと思う。
今回は思い切り間違えた。
バラエティ番組を観ながら、笑ったら尻を叩かれる代わりに酒を飲まされるというのは、余興としては面白いかも知れないが、あんな度数の酒でやることではない。
全く、無茶な事をしたものだ。
車を運転するからという理由で必死に堪え続けたノンナは凄いと思う。
あとは、そうだ。珍しく料理が凝っていた。
カチューシャが馬鹿みたいに買い込んできたスナック菓子の出る幕は無く、テーブルには何やかやと酒に合う料理が並べられていて、それでまた、酒が進んでしまった。
その出来の良さから、最初は千代美の料理かとも思ったが、どうやら違う。
これは直感と言うほか無い。
いつだったか、喫茶店でコーヒーを飲んだ時の感覚に似ていた。
美味さ不味さとは全く別の感覚。
恐らくは、千代美の料理を毎日食べている、胃袋を掴まれている私だけが持っている、直感。
千代美の料理か否か。
直感から言えば答えは否だった訳だが、じゃあ誰のだと言われれば皆目見当が付かない。
千代美の料理と紛うような立派なものをダージリンが作れるとは思えない。
カチューシャはそもそも料理が苦手だし、スナック菓子を買い込んできた時点で違うだろう。
ノンナも、カチューシャを乗せてここまで来ているのだから、同様に違う。
とりあえず今の思考を纏めると、『酔った自分が何をしたか覚えていない』『あれは誰の料理だったんだろう』のふたつ。
どちらも結局、考えても分からん。
ひとまず起きようか、それとももう少し眠ろうか、等と考えていると、ぼそぼそという話し声が聞こえてきた。
『なーるほど、じゃあダージリンが』
『ええ、あちらに置いておくとカチューシャが食べてしまう可能性があったので』
千代美とノンナだ。ああ、私が眠っていたから気を遣っているのか。
体を起こすと、千代美がそれに気付き、おはよー、と声を掛けてくれた。
「おはよう」
食欲あるか、と問われ、あまり無い、と返す。
さっき隣で少しつまんだのもあるが、酒のせいで頭がぐらぐらする。何か食べても吐いてしまいそうだ。
千代美は、やれやれといった風な顔をした。
「ご飯は作ったから食欲が出たら言ってくれよ。あっためるからさ」
「すまん」
ノンナが申し訳なさそうな顔をした。
「済みません、カチューシャが無理をさせてしまって」
「いや、いい」
飲んだのは自分だし、酒自体は美味かった。
それに、ノンナが謝る事でもない。
「ただ、少し飲みすぎて記憶が曖昧なんだ」
私は向こうで何か変なことを口走ったりしなかっただろうか、とノンナに一応の確認。大丈夫だとは思うが。
すると、ノンナは『んふふ』と今まで堪えていた笑いが遂に漏れたような声を出した。
「あの、ええと、言ってもいいのでしょうか」
「た、頼む」
ノンナはそれでも少し迷ってから、顔を赤らめて言った。
「『千代美ー』とだけ」
「『千代美ー』」
「何度も何度も」
「何度も何度も」
今度はこちらが赤面した。千代美の顔も赤い。
「あ、あの、千代美」
「黙ってろ」
顔を両手で覆ったまま、千代美は絞り出すような声で言う。
ノンナは恥ずかしそうに、済みません、と言って押し黙った。
う、うわあ。
気まずい沈黙が流れる。
それを見計らったように、インターホンが鳴った。
沈黙を破ってくれたのはありがたいが、助かったとは言い難い。鳴らしたのはどう考えても面倒くさい奴らだ。
案の定、こちらが応対するのを待たずに、それは激しいノックに変わる。
出ようとする千代美を手で制し、私が出た。
「なんだ。警察を喚ぶぞ、酔っ払いめ」
「アンタも酔っ払いでしょうがあ」
違いないが。
カチューシャ、ダージリン、襲来。
つまみ用に買い込んだスナック菓子の処理に困って、人数の多いこちらで食べようという魂胆らしい。
「酒は出ないぞ」
「もう死ぬほど飲んだから沢山だわ」
そんな訳で、テーブルの上にスナック菓子とウーロン茶が並べられた。
私は、千代美の料理が控えているのに、それに手をつけずにスナック菓子をつまむという事がどうにも我慢ならなかったので、少し離れてウーロン茶だけ飲んでいる。
千代美は気にするなと言ってくれたが、そうも行かん。
それに、食欲も、まだそこまで回復した訳じゃない。
ともあれ、広げた菓子をつまみながらの談話が始まった。
場の空気だけで酔っ払いそうになった先程とは打って変わっての、実に平和な談話。
「やっとノンナにお礼が言えたよ」
「ああ、文庫本の件ね」
冬に千代美が失くした文庫本。それを見付けてここまで届けてくれたのがノンナだ。
礼をしようにも、なかなか話す機会が掴めずにいた。
そう、本を届けてくれたと言えばもう一人。
「あとはマルヤマさんかあ」
ノンナが届けてくれた本。
それを最初に持っていたのが『マルヤマさん』という女性の子供。
千代美がその子供に本を持たせた事が、失せ物探しのそもそもの発端だった。
ややこしいが、千代美の本は、子供、マルヤマさん、ノンナ、ミカ、ダージリンの順に渡り歩いた後に千代美の手に戻った。
千代美はノンナと、そのマルヤマさんに礼を言いそびれている事を気にしていたのだ。
「丸山さんならそのうち会えるでしょう。四月から、私の職場に紗利奈ちゃんが来ることになりましたから」
次に会った時にでも伝えておきますね、とノンナは言った。
紗利奈というのは、そのマルヤマさんの子供の名だったと思う。
ノンナの職場、ああ、そういう事か。
「のんのん先生ー」
「やめてください、カチューシャ」
などと言いつつ満更でもなさそうに笑う、保育士のノンナ。
いや、のんのん先生。
その後、のんのん先生の話で、マルヤマさんは何とみほの後輩で、更に戦車道の経験者である事が分かった。
という事は、私も千代美も、どころかダージリンもカチューシャも過去にマルヤマさんと顔を合わせている可能性があるという事か。
世間は狭い。
そんな事を考えながらウーロン茶を飲む。
同時に、段々と食欲が戻ってくるのを感じていた。
「そういえば、あの子は帰ったのかしら」
何か、思い出したようにダージリンが言う。
他にも誰か、先程の飲みに参加していたのか。
すると寝室の方から、誰かがよたよたと歩いてきた。
「うー、すんませんっす、お布団貸してもらっちゃって」