死体を放っとくと怒る
珍しく、まほと喧嘩した。
本当に珍しい事だ。
全く、一切、ゼロという訳ではないけど、それくらい私達は滅多に喧嘩をしない。
隣に住んでるダージリンでさえ、私達が喧嘩してる所を見た事が無い、と思う。
前に喧嘩をしたのはいつの事だったか、全然思い出せない。もしかしたら本当に一回も喧嘩をした事が無いんじゃないか、そんな錯覚を覚えるくらいだ。
それなのに、昨日、喧嘩した。
きっかけは些細な事。
そう、そんな事かと思う程の些細な事だ。たぶん、こんな事で人に相談したら笑われるだろう。
だけど私達には、いや、少なくとも私には大事件だ。
今週は忙しくて、私もストレスが溜まってたというか、単純に疲れてた。
あんまり疲れとかのせいにはしたくないんだけど、そういう事なんだと思う。だって、普段なら笑って流せる事だし。
昨日の夕飯の時の、まほの一言だ。
『千代美、ピーマン』
まほはピーマンが苦手。それは重々分かってる。
それでも、料理にピーマンを入れる事はある。ただし、まほの皿に盛る分だけはピーマンを抜く。
別にそれは、まほに頼まれてやってる訳じゃない。私が勝手にやってる事だ。
なんでそんな事をしてるかと言えば、自己満足ってことになるのかなあ。まあ、ピーマンに限った事じゃない。
コーヒーだって、目玉焼きだって、何だってそうだ。私は、まほに出すものは全部まほの好みに合うように作る。作れるから、そうしてる。
私にとって料理は、本来の味や彩りよりも、まほに美味しく食べて貰うことの方が大切になっちゃったんだ。
なっちゃった筈なんだけど、昨日、失敗した。
夕飯刻。まほに出す野菜炒めの皿に、ピーマンが入っちゃった。
それを見たまほが、言った。
「千代美、ピーマン」
子供かよ、と思った。
だけど、よく考えたらまほは悪くない。
私がまほの皿のピーマンをいちいち抜いてるなんて、まほは気付いてないと思うし。
まほにとっては、単に久し振りに見る嫌いな食べ物でしかなかったんだと思う。
昨日の私はそこまで考えが回らなかった。
かちんと来て、返した言葉。
「あっそ」
我ながら、最悪だったと思う。
それからまほは一言も喋らなかったし、ピーマンだけ綺麗に残した。変なところ、器用なやつ。
そのピーマンは、勿体ないから私が食べた。
まほに料理を残された悔しさ。悲しさ。怒り。そんな、嫌な気持ちがごちゃ混ぜになって、ちっとも美味しくなかった。
私までピーマンが嫌いになりそうだ。
それから一切、会話をしていない。
ああ、『おやすみ』と『おはよう』は言った。そんだけ。
スマホも今日だけは静かだ。普段だったら、まほとの雑談が途切れることなんて無いのに。
なんで連絡をくれないんだよ、ばか。考えれば考えるほど、腹が立つ。
そんな事を一日中、鬱々と考えていた。
良くない感情をいっぱい溜めた。
溜めて溜めて、そんな気持ちで夕方の買い物をして、そんな気持ちでご飯を作った。
そして、ふと我に返る。
一体いつまで、こんな事で喧嘩してるつもりだろうか。
さっさと素直に謝って、さっさと仲直りしちゃえばいいじゃないか。
そう思ったんだけど、少し遅かった。
現在は、まほがピーマンを残してから、だいたい二十四時間後。つまり夕飯刻。
今夜のおかずは、肉詰めピーマンだ。
良くない感情を料理にぶつけた結果がこれ。やらかした、ってのは、こういう事を言うんだろうな。
目の前に座ってるまほも、露骨に出されたピーマンを目にして硬直している。
更に私は、狼狽えた頭で言葉を探し、また失敗を重ねる。
「嫌なら食べなくてもいいぞ」
うん、最悪。
違う、これは違うんだ。
食べたくなかったら残してもいいし怒らないよ、って言いたかったのであって、決して嫌味とかそういうんじゃなくて。えっと、その。
「千代美」
まほの低い声に、怯りと身を竦める。
ああ、終わった。
また今日も喧嘩になっちゃうのか。
一体、何を言われるんだろう。
「昨日はごめん。私の言葉が悪かった」
へ。
一瞬、まほが何を言ったのか分からなかった。
呆ける私をよそに、まほはピーマンに箸を付ける。
そして少し迷ってから、思い切り齧りついた。
顔を顰めながらも、しっかりと咀嚼して、飲み込んで、息を吐く。
「美味い」
「嘘つけ」
いいや美味いと意地を張るまほ。
無理するなよ、涙目じゃないか。
「千代美、よく聞け」
普段食べないピーマンを食べたせいなのか、何なのか。
凄むまほの顔には、妙な迫力があった。
何を言うつもりだろう。ちょっと、姿勢を正す。
「ピーマンも、ちゃんと食べる。だから、その、怒らないでくれ」
「ふふっ」
思わず笑いが漏れた。
子供かよ。
「私の方こそ、ごめん」
やっと言えた。
それからは二人とも、堰を切ったように喋った。
今日一日、喋らなかった分を取り戻すみたいに、沢山、沢山喋った。
「どうして連絡くれなかったんだよ」
「それは、こうやって顔を突き合わせて謝りたかったからだ」
そっか。
じゃあ、しょうがない。
ただ、それはそれとして、まほも私からの連絡を待っていたらしい。
互いに連絡を待っていて、互いに連絡をくれない事にやきもきしていた、って事か。
「千代美が連絡をくれないなんてな、私にとっては怖すぎるぞ」
苛々を募らせていた私とは反対に、まほは私に何と言って謝ろうかと、そればかり考えて今日を過ごしたという。
「今週は私も疲れてた。あまり疲れのせいにはしたくないが、そういう事なんだと思う」
「んふふ」
何故笑うんだ、と、ムッとするまほ。
おんなじこと考えてたんだよ、私も。
「私も疲れてた」
「そうか。じゃあ仕方ない」
言って、二人で笑った。
そして話題は。
「千代美。もしかして、今まで私の皿からピーマンを抜いてくれていたのか」
「うん、実はそうなんだ」
まほに美味しく食べて貰うため。そう思って、やってた事だ。
だけど、そういう事はしなくていいぞ、と怒られた。
なんでだよ、と訊くと、一言。
「私は、千代美と同じものを食べたい」
その一言で、溜まっていた良くない感情が一度に吹き飛ぶのを感じた。
ああ、嬉しい。
にやける。
好き。
「じゃあ、明日もピーマンでいいかな」
「そ、それはちょっと」
えー。