しずくの反対
ダージリン視点
布団の中で悶々としている。どうにも眠れない。
眠れないから余計に、眠ろう眠ろうと念じてしまう。そんな事をすると却って寝付けないものなのよね。
カチューシャでも呼び出そうかと思ったけれど、彼女は眠るのが早い。時計を見れば時刻は零時。とっくに眠っているし、起こしても起きないわ。
「コンビニ」
誰にともなく呟いて、身体を起こした。
別にコンビニに行きたい訳じゃない。布団の中でいつまでも愚図愚図しているよりは幾らかましだから出掛けるだけ。かと言って、こんな時間では開いている店も限られる。
ファミリーレストランという選択も無くはないけれど、少し距離に難があるし、お腹が空いている訳でもない。コンビニぐらいで丁度良い。
近頃は運動も不足しているし、たまには歩きましょう。
髪は結ばなくてもいいわね。
どうせ、行って帰って来るだけだもの。
何だかわくわくしてきたわ。こんな時間に外に出るなんて、滅多に無いことだから。
いそいそと軽く着替えてコートを羽織り、玄関を開ける。
当たり前だけれど、外はしんと静まり返っていて、扉の音が思いのほか大きく聞こえたことにびっくりした。隣の迷惑にならなかったかしら。
音を起てないようにそろそろと扉を閉める。気を取り直して、いざ出発。
思ったより寒くない。もう、すっかり春なのね。
真夜中の住宅街を歩く。
普段は車で移動しているから、徒歩だと見慣れた景色も全然違って見える。こんなに雰囲気が変わるものなのね。
なんだか悪い子になったみたいで凄く新鮮だわ。夜歩きが癖になってしまいそう。
布団の中で愚図愚図しているより断然良い。
外に出てみて良かった。
コンビニに到着。
何と言うか、本当に深夜でも昼間と変わらず営業してるのね。こうやって深夜に来てみてようやく実感が湧く。
なんだか時間の感覚があやふやになってしまいそう。
時間が流れているのは外だけなのかも、なんて。
「あれっ、ダージリンさん」
後ろから声を掛けられ、どきりとした。
まさかこんな時間、こんな場所で人に出くわすなんて。何故か悪戯が見付かった時のような、嫌な感じがした。
平静を装って振り返ると、ああ。
「みほさん、お久し振り」
私に応え、お久し振りです、と愛想よく笑うみほさん。そういえば彼女の家はこの近くだったわね。
彼女というか、彼女達か。みほさんは今、逸見エリカさんと二人暮らしをしている。
こんな時間に買い物かしら。私も人の事は言えないけれど。
「お酒が足りなくなっちゃって」
「あら、お二人で飲んでるのね」
「そうなんですよー」
買い物は済んでいるらしかったので、少しの立ち話をして別れる。
ところが、みほさんがお店から出て行って少しの後、トイレから逸見さんが出てきた。辺りをきょろきょろと見回して、ため息。その唇が『またか』と動くのが見えた。
「逸見さん」
声を掛け、みほさんがさっさと一人で帰った旨を告げると、逸見さんは顔を真っ赤にして、挨拶もそこそこにみほさんを追い掛けて行った。
面白い二人。仲が良いのね。
二人を見送ったあと店内を暫く見て回ったけれど、結局、食べたいものも飲みたいものも特に無く、読みたい本も足りない消耗品も思い浮かばないことを確認しただけで終わった。面白いものが見られたから、無駄足とまでは言わないけれど。
まあ、折角来たのに何も買わないというのも何と言うか、あれなので、特に飲みたい訳でもないホットの缶コーヒーを買って店を出た。
帰り道。
ぽけっとの中の缶コーヒーが熱い。まだまだ寒いつもりで暖かいものを買ったけれど、冷たい方でも良かったかなと思えた。
このまま家に持って帰って冷めるのを待つのも馬鹿みたいだし、そうすると結局、ごみを増やすのが嫌で飲まずに置いてしまうような気もする。
そんな事を考えながら歩いていると、公園に差し掛かった。
「ここがいいわ」
宣言をするように声を上げた。
深夜徘徊、思い切って寄り道。
いよいよ悪い子だわ。
ああ、桜が咲いている。
シチュエーションとしては悪くないわね。適当なベンチを見付け、散った花びらを払って腰掛けた。
キン、と缶コーヒーを開けて一口。まだ熱い。
コーヒーが冷めるのを待ちながら、夜桜に見入ることに。
その時。ぽろりと、涙が零れた。
えっ、嘘。
なんで。
それはひとつぶでは治まらず、次々と零れる。
一瞬、意味が分からず困惑したけれど、それには直ぐに思い当たった。切っ掛けは、そうね。さっき、コンビニでみほさんと逸見さんに会ったことかしら。
あんまり、気が付きたくなかったな。
寂
「ダージリン」
声がした。
私を呼ぶ、声。
嘘。なんで。
どうして貴女がここに居るのよ、まほさん。
「尾けた。すまん」
座るぞ、と言って彼女は私の返事も待たず隣に腰掛ける。
「隣人がふらふらと深夜に一人で出掛けたのが心配でな」
「何故、気が付いたの」
「玄関の音」
ああ。
大きな音を起ててしまったとは思ったけれど、まさかそれで私が出掛けたのに気が付くなんて。全く、良い耳をしてるわね。
それはそうと、涙は今も零れている。
見ないでよ、と強がると、まほさんはため息で応え、目を逸らしてくれた。
「真っ直ぐ帰るようなら黙っているつもりだったが、泣き出すのでは見過ごせないぞ」
「そう、ね。ありがと」
彼女は何も訊かず、ただ隣に居てくれた。
それでいい。今はそれが一番、嬉しい。
不意に強い風が吹いて、視界が白く染まる。
雪が、空を埋めたように見えた。
ああ。
「桜吹雪か」
感心したように、まほさんが呟く。
「ねえ」
「ん」
「名前で呼んで」
今夜だけで構わないから。
そうお願いすると、まほさんはまた、ため息で応えてくれた。