まほチョビ(甘口)   作:紅福

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赤えい
陸と間違える程のでかい魚


(1/4)赤えいの艦

「ぐ、うおお」

 

 とある広場のベンチに前屈みで腰掛け、地面に向かって呻き声を吐いた。声だけでなく他のものも吐きそうだ。ああ、気持ちが悪い。

 

 まるで深夜の酔っ払いの様相だが、今は真っ昼間だ。

 しかし酔っているか酔っていないかで言えば、まあ酔っている。酒ではなく、車に。

 

「だらしないわねえ」

「お前の、せいだろうが」

 

 やれやれといった表情のダージリンに啖呵を切ったが、鼻で笑われて、それきりだった。

 まあ、啖呵を切る側が息も絶え絶えでは迫力も何もあったものではない。ダージリンの反応は道理と言える。しかし少しは悪びれろ。

 

 私は例によって例のごとく、彼女の荒い運転のせいで車酔いをして、こうして広場のベンチで呻いているのだ。

 

 広場の雰囲気は、まあ悪くない。

 土地柄という表現が合っているのかは分からないが、人通りが多いにも関わらず、皆一様に品好く歩いているお陰で、全く五月蝿くない。

 時折、初夏の緩い風が吹いて頬を撫でるのも実に風情がある。寛ぐシチュエーションとしてはなかなかだ。

 

 しかし、それとこれとは話が別でな。

 

「お前はいつになったら車の運転が上手くなるんだ」

「随分な人ね。私だってかなり上達したのよ」

 

 彼女の運転する車に乗るたび、こうして体調を崩す人間が目の前に居ると言うのに、よくもまあそんな事が言えたものだ。

 思えば、私が初めて彼女の運転で体調を崩した時には確かに『ごめんなさい』と言われた記憶があるのだが、今となってはそんな気配は毛程も感じない。昔はもう少し、何と言うか、可愛げというものがあった気がするんだが。

 

「お詫びにミートパイ奢ったじゃない」

「いや、あれもなあ」

 

 悪いが、端的に言う。不味かった。

 ダージリンの高校生時代からのお勧めで、機会があれば食べてみたいとは長らく思っていたが、まさかあんな味だったとは。

 

『あそこの店主は元々、スイーツ専門だったみたいで、甘いパンはとても美味しいんですけどね』

 

 という、彼女の後輩の言が頭を過った。

 確かに店自体は彼女らの高校生時代から今に至るまで繁盛を続けているらしい。それは偏に味が良いからだろう。

 ただし、それはそれとして、ミートパイが取り立てて売れている様子は無かった。

 

 甘ったるいミートパイなど初めて食べた。

 

「あの美味しさが分からないなんて信じられないわ」

 

 こういう奴が長年、一定数を買っているのだろうなとは思う。

 

 ものの好みを形成するのは環境だ。

 美味いとか不味いを通り越して『これ』が好き、という感覚は分かる。

 味の悪い家庭料理などその典型で、それを食べて育ったという補正があるから、味云々より以前に『好き』と感じ、『好き』と『美味しい』を混同してしまう。

 そして、そういう補正の無い人間が下す評価とのズレに首を傾げる事になる。

 

 あのミートパイもその類いだろうと思う。

 

「もう、文句ばっかり」

 

 そう言って膨れっ面をするダージリンを見ていると、流石に少し申し訳なくなってきた。

 車で振り回されて、不味いミートパイを食わされて。それでも尚、申し訳なさがこちらに湧くというのも不思議な話だが、そこが彼女の彼女たる由縁なのだろうか。全く、得な女だ。

 まあ、折角の日にベンチで呻いているだけの私の隣に、何故かいつまでも座ってくれているのは有り難い。

 

 お陰で間が持つ。

 

「馬鹿ね。千代美さんと少し離れたくらいで寂しがるなんて」

「いや、そういう訳では」

 

 ないが。

 

 ないと思うが。

 

 まあ、少し嫌な気分になったのは確かだが、それはまた別の理由だ。決して、離れるのが嫌だった訳ではない。

 

「どうかしらね」

 

 呆れたようにため息をつくダージリン。

 本当、どうだかな。

 

 先程。

 私、千代美、ダージリン、オレンジペコ、ローズヒップの五人で広場を歩いていた時のこと。

 母親か何かと勘違いしたものか、私の脚に子供が抱き付いてきた。子供は、歩くことを覚えたばかりのような年頃で言葉もたどたどしく、『あいあいあーい』と口癖のように発している。

 辺りを見回しても親御さんらしき姿は無く、どうやら暫くの間、私達の後を付いてきたお陰ではぐれてしまったようだ。

 

『紗利奈ちゃんじゃないか』

 

 子供を抱き上げ、千代美が言った。

 紗利奈ちゃん。冬の『鉄鼠』騒動の際に会った女性、マルヤマさんの子供だと千代美は言う。言われてみれば見覚えがあるような気がしなくもない。

 しかし、これくらいの年頃の子供の顔を覚え見分けることは、私には難しかった。勿論、それぞれに違った顔立ちがあることは分かるのだが、どうも『子供』という括りでしか見ることが出来ない。

 紗利奈ちゃんにも会ったことがあるとはいえ、あれもほんの数分の出来事で、ぱっと見て思い出せるほどの記憶は無い。

 

『えー、紗利奈ちゃんだよ。なー』

『あいっ』

 

 子供を抱き上げた千代美が笑い掛けると、子供は元気よく右手を上げ、返事のような声を出した。

 まあ何にせよ迷子には変わりない。土地勘のあるオレンジペコとローズヒップが迷子センターへの案内を申し出て、千代美はそちらに向かった。

 

『千代美、私も』

『いいっていいって。まほはそこのベンチで休んどけ』

 

 そして、現在に至る。

 

「あの時のまほさん、すごく寂しそうな顔してたわよ」

「んん」

 

 目敏い奴だ。しかしそれでも、はい寂しいですと素直に言えるものではない。そこは強がらせろ。

 そこで会話は一旦途切れた。しかし不快な沈黙という訳でもない。

 何故だかは知らないが、案外、心地良い。

 

 さあっ、と潮風がまた頬を撫でた。

 

「良い風ね」

「ああ。なんだか懐かしい風だ」

 

 潮風。

 ここは停泊中の聖グロリアーナの学園艦、その舳先にある広場だ。

 

 比較的近い場所に聖グロの艦が寄港するとあって、皆で観光に行こうということになった。

 学園艦の寄港は、謂わば街がひとつ向こうからやって来るようなもの。陸にも艦にも絶大な経済効果を齎す。

 まあ、そうは言っても聖グロには大して観光する箇所も無い。というか目ぼしいものは学生時代に学校間の交流やら何やらで、だいたい見た。どちらかと言えば、ダージリン達の里帰りに付き合わされたような形だ。

 それでもこうして艦上で不味いミートパイを買ったりして経済を回しているので、やはり寄港というのは一種のイベントなのだなと感じる。

 

「そう言えば、学校に顔を出したりしなくていいのか」

「いいわよそんなの、面倒くさい。OGが顔を出した所で煙たがられるだけだわ」

 

 昔暮らした風景をみんなと眺めて感傷に浸れたらそれでいいの。ダージリンはそう言って、不貞腐れたような顔をしてベンチに深く身を沈めた。立ち上がる気は無さそうだ。

 

 そういうものか。

 言われてみれば、確かに何年も前の卒業生にやあやあ諸君と顔を出されても、現在の生徒にとっては面倒くさいだけか。というか実際に、ダージリンはOGを相手に面倒くさい思いをしてきたのかも知れない。

 まあ、詮索は止そう。彼女がいいと言うんだからいいんだろう。

 

 ダージリンに倣って深く腰掛ける。

 ずっと前屈みになっていた私はその時、気が付いた。

 

「空が広いな」

「ああ、分かるわ。陸じゃ見られない空よね」

 

 二人でそうやって、暫く昼下がりの空をぼんやりと見上げる。

 

 すると、何やら不躾な声が聞こえた。

 

「お爺さんですか、貴女方は」

 

 視線を降ろすと、土産物の袋を提げたオレンジペコとローズヒップ。困り顔の二人がいつの間にやら立っていた。

 あんまり失礼なこと言っちゃ駄目ですよ、とローズヒップを窘めつつ、オレンジペコもこちらに困り顔を向ける。

 

「観光客はそろそろ退艦の時間ですよ、お二方。学園艦が出港してしまいます」

「あらいけない、もうそんな時間なのね」

 

 言って、ダージリンは腕時計を確認する。

 

 しかし千代美がまだ戻っていない。

 

「迷子ちゃんの母親が知り合いだったとかで、少し話し込んでましたわね。先に行っててくれと言われたのでそうしましたが、まだ戻ってませんの」

「連絡してみるか」

 

 電話を取り出し、千代美に発信。暫し待つ。

 

『おーこーめー、おー米米ー、ビタミンミネラル食物繊維ー』

 

 私の鞄の中から着信音が聞こえた。

 

 あ、あの馬鹿者。

 

「何なのよその変な歌」

「ダージリン様、そこじゃないです」

「さっき迷子センターを覗いた時には、もう居ませんでしたわね。てっきりここに戻っているものと思いましたわ」

 

 だったら良かったのだが。

 今日が出港日というのが、何とも折が悪い。

 

「捜索している時間はありませんわよ」

「迷子センターに戻るとも考え難いですしね」

「駐車場ででも待っていてくれたら良いのだけれど」

 

 喧々諤々と議論を交わす。

 しかし、話し合ったところで答えが出るものではない。

 

「仕方ない。行こう」

 

 そう言うと、全員に恐ろしく意外そうな顔をされた。

 いや、皆に迷惑を掛けるのが申し訳ないからそう言ったのだが。

 

「まほさんがいいなら、いいけれど」

 

 よくはないが、仕方ない。

 千代美を信用するしか無いだろう。

 

 靄々としたものを抱えつつ、四人で退艦した。

 

 そして駐車場。

 嫌な予感はしていたが、千代美は、居ない。

 

 学園艦の出港の汽笛が聞こえた。


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