まほチョビ(甘口)   作:紅福

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ベルゼブブ。

蝿です。


ベルゼブブの群

 夕方、自宅でシャワー。

 最近は一気に暑くなったから冷たいシャワーを浴びることも増えてきたけど、今日は熱いのを思いきり浴びている。

 

 匂い、ちゃんと落ちてるかな。

 

 すんすんと自分の身体を嗅いでみたけど、まあ、お風呂だからよく分からない。まほは鼻が良いから、なんだかすぐに気付かれちゃいそうで怖い。

 何をしてたんだって訊かれたらどうしようか。正直に答える訳にも行かないから、なんか上手い言い訳を考えておかなきゃ。

 出来るだけ嘘はつきたくないけど、こればっかりはなあ。

 

 まほには喋らないって約束したんだ、エリカと。

 

 なかなか無い組み合わせだったなと我ながら思う。

 エリカとみほ、同居中の二人。まほと私は、あの二人と時々会って四人でご飯食べたりしてるんだ。そう、『二人と二人』なら時々会う。

 いつか言った事があったけど、まほにとってあの二人は妹なんだよな。みほは勿論だけど、最近ではエリカもまほにとって妹みたいな感じになってきた。かく言う私も、まほの妹という意味で、みほが妹みたいに見えてきた今日この頃。

 と、考えていくとやっぱり私とエリカだけが、なんと言うか、ちょっと薄い。『妹みたいなもんみたいなもん』って所か。ややこしいなあ。

 ともかく、悩みとまでは行かないけど、ちょっと気になってた。エリカとも仲良く出来ないかな、って。

 別に仲が悪いって訳じゃないんだけど、もうちょっと何ていうか、距離を縮められたらなと。

 

 そんなことを考えていたある日、当のエリカから珍しく電話が掛かってきた。

 

『あの、まほさんはそこに居ますか』

 

 挨拶もそこそこに、いきなりの質問。

 丁度その時は、夕飯の仕度をしながらまほの帰りを待っていたところだった。居ないよ、と答えるとエリカは露骨に安心した様子で言葉を続けた。

 

『お願いがあるんです。まほさんには内緒で』

 

 やけに気にするなあ。

 でもまあ、私に頼み事をするとなればまほに知れると考えるのが普通だからな。まほに内緒というのが大切なんだろう。

 案の定、お願いというのはまほには知られたくない事で、尚且つ私にしか頼めない話らしい。

 

『みほとも相談したんですけど、やっぱり安斎さんしか居ないって結論になって』

「ふむふむ」

 

 まほに内緒でというのが引っ掛かるけど、頼られて悪い気はしない。『姉みたいなもん』冥利に尽きる。

 

 で。

 相談の内容というのは、冷蔵庫がいつの間にか壊れてて中の食品を全部駄目にしてしまい処分に困っている、というもの。

 なんだその程度の事か、と思った。確かに少し厄介ではあるけど、然るべきゴミの日に捨てれば良いだけの事じゃないか。

 

『それは、はい、そうなんですが』

 

 流石にそれは、みほもエリカも分かってる。

 だけど二人とも忙しくて、運悪くゴミの日に寝過ごしたりしたのが重なり、そのままズルズルと時間が経ってしまった。結局今は、あろうことか冷蔵庫の方をただただ見ないようにして暮らしているらしい。つまり、放置だ。

 

 ぞわ、と鳥肌が立った。

 

 冷蔵庫が壊れてるって事は、その中はもちろん常温。いや、最近は暑いからもっと酷い事になっている筈だ。その中に、駄目にした食品を放置している。

 き、きっついなあ。

 

「そう言えば、普段のご飯はどうしてるんだ」

『コンビニでお弁当を買ったり、外食したりですね』

 

 ああ、そっか。二人の家はコンビニが近かったな。

 じゃあ、普段から冷蔵庫を使う習慣はあんまり無くて、だから『いつの間にか』壊れてたって事なのか。

 

 うーん、まあ、突っ込み所は山ほどあるけど、言っても仕方ないしな。頼ってくれた事は嬉しいし、私は次の休日に顔を出す約束をした。まほに内緒で。

 まあ確かに、こんな話がまほにバレたら二人とも大目玉だろう。

 

 そして今日。

 冷蔵庫の検分のため、私はエリカ達の部屋を訪れた。

 

 ひとまずお茶でもどうぞ、と出された冷たいペットボトルに何とも言えないものを感じる。そっか、コンビニが近いと冷蔵庫が壊れてても生活できるんだ。

 ペットボトルのお茶を飲みながら、キッチンに鎮座している冷蔵庫の方に目を向けた。リビングとキッチンが繋がってるタイプの部屋なので、普通に視界に入って来る。これを見ないようにして生活するのは、逆に根性が要るような気がした。

 異臭とかは無いけど、妙なオーラを纏ってるようにも見える。

 

「気付いた時にすぐ捨てれば良かったんですけど、その、忙しくて」

「うーん」

 

 言い訳じみたエリカの説明を、みほは渋い顔で聞いていた。

 そのみほの膝の上には、何故か今日のために友達から借りてきたというガスマスクが置かれていて、彼女はそれを所在なげに弄っている。

 

 ふと、みほが顔を上げた。

 

「ねえ、エリカさん。やっぱり私達だけでやろうよ」

「何言ってるのよ、最初に『絶対無理』って言い出したのはみほじゃない」

「そ、そうだけどー」

 

 ありゃ、なんか小競り合いが始まったぞ。私に遠慮してる、というよりはまほにバレるのが心配なのかな。

 しかし、『妹』だと思って眺めると、この小競り合いもなんだか可愛く見えてくる。ああ成程、まほは普段こんな気分なのか。

 

「心配するなよ二人とも、まほには内緒にしててやるからさ」

「そ、それは有り難いんですけど。あの、安斎さん、先にひとつ、絶対に訊いておかなきゃいけない事があるんです」

「アンチョビさん、虫は平気ですか」

 

 虫、と聞いてピンと来た。

 成程そういう事か、と。

 

「普段から食材を触ってるから、虫は大丈夫だよ」

 

 新鮮な野菜に虫が付いてるのなんてよくある事だし、何なら気が付かずに包丁を入れて、えらいことになったりもする。普段から料理をしてると、自然にそういうのが大丈夫になってくるもんだ。

 

 ただし、あくまで『大丈夫』。『平気』ではない。

 でもここでそれを言うのは余計だ。二人をがっかりさせてしまうだけだから、努めて平静に答えた。ホッとしたような二人の顔を見て、何故だかこっちまで安心する。これから何をやらされるのか想像が付いてる筈なのに。

 

 そっかあ、虫が湧いちゃったかあ。

 

「そう、なんです。だから冷蔵庫を開ける事も出来なくて」

「気持ちは分かるけど」

 

 言ってる間にさっさと捨てちゃえよ、とは思う。

 ただ、ここで説教をしたって仕方ない。私の役目に変わりは無いからな。

 半分ほど飲んだお茶に蓋をして、どれどれ早速始めるかと立ち上がると、エリカに呼び止められた。

 

「あ、あの、まだ駄目です」

「駄目ってなんだよ」

 

 冷蔵庫を開ける前に耳を当ててみて下さい、とエリカは妙な事を言った。

 

「こうか」

 

 言われるまま、冷蔵庫に耳を当てる。

 普通なら外側も少しひんやりしている筈の冷蔵庫は、室温と同じでちょっと生暖かい。本当に動いてないんだなあ。

 だけど、何故か冷蔵庫の中から音が聞こえた。何て言うか、小さい轟音って感じの、無数の。

 

「蝿です」

「うううわぁぁぁ」

 

 慌てて冷蔵庫から離れた。

 あ、ああ、そういう事か。この中では今、無数の蝿が飛び回ってるんだな。確かにこれは不用意に開けたらとんでもない事になりそうだ。

 

「一匹とかなら、平気なんですけど」

「う、うん、流石にこの数はびっくりするなあ」

 

 ですよねぇ、とため息混じりにみほが呟き、立ち上がる。

 

「それで、私達が考えた作戦がこれなんです」

 

 そう言って、みほはさっきから手に持っていたガスマスクを私に差し出した。それはとりあえず受け取ったものの、正直、まだどういう計画なのか想像が付かない。

 ふと、エリカがしゃがみ込んで何やらごそごそとやっているのが目に入った。ああ、設置型の殺虫剤だ。煙が噴き出して部屋中に広がるやつ。

 

 で、私がガスマスクを持たされたという事は、成程。

 

「天岩戸作戦です」

 

 とてもとても申し訳無さそうに、みほはそう宣言した。

 天岩戸って、そんな話だったかなあ。

 

 ともあれガスマスクを装着した私は、二人が退避したのを見届けたあと、殺虫剤の煙が立ち込める部屋の中で冷蔵庫と対峙した。こんなに威圧感のある冷蔵庫は初めて見る。

 虫は大丈夫とは言ったけど、これはちょっと自信が無いぞ。

 まあ、ぼやいても仕方ないか。頑張ろう、私はお姉ちゃんだ。

 

 意を決して冷蔵庫の扉を思いきり開けると、中に居た蝿の大群が一斉に飛び出してきた。

 

 とまあ、そんな顛末があって。

 なんだか物凄い罪悪感に駆られながらも、夥しい数の蝿の処理を済ませ、エリかとみほに食材の捨て方もざっくりと教えて帰ってきた。あとは分からない事があった時にでも、その都度連絡をくれればいい。

 

 まほには内緒で、というのも重ねて言っておいた。

 みほはそこまででもなかったようだけど、エリカがすごく気にしてたから、安心させる意味で。

 

「や、約束ですよ」

「うん、約束」

 

 ああしてみるとエリカも可愛いもんだ。この騒動で私達の距離は、ちょっとくらい縮まったかな、と思う。

 という訳でシャワーを済ませてリビングで涼んでいると、丁度まほが帰ってきた。

 

「お帰りー」

「ただいまー。風呂上がりか」

「えへへ、セクシーだろー」

 

 ふざけてポーズを取ってみせると、まほは馬鹿、と言って笑った。 

 

「みほ達の家では大変だったようだな」

「あ、うん。えっ」

 

 バレるの早っ。でもなんでバレてるんだ。

 食材や殺虫剤の匂いが落とし切れてなかったのか。いや、それにしたって行き先までバレてるのはおかしいぞ。

 

「用があってな、みほ達の家に顔を出してきたんだ」

「へえ」

「千代美の匂いがしたから、そう言ったらエリカが勝手に全部喋った」

 

 あ、そっちかあ。

 あっちに残した私の匂いに気付かれたんなら何も言えないや。良い鼻してるとは思ってたけど、そんなレベルだったか。

 

 って事は、みほがずっと消極的だったのは、こうなる事を予見してたのかな。

 

「ちょっと叱ってきた。ちょっとだけな」

 

 ふとスマホを見ると、みほとエリカからの連絡が数件入っていた。

 これ、開くの怖いなあ。


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