まほチョビ(甘口)   作:紅福

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塗壁

ぬりかべ
浜辺で足が縺れる現象をキャラクター化したもの
壁の妖怪ではない


塗壁の祭

 しゅるしゅる、ぐいぐい、ぎゅうぎゅう。

 

「きつくないか」

「うん、大丈夫」

 

 千代美の腰に巻いた帯を結んでいる。

 いつも思うが、こいつの腰はどうにも華奢だ。折れる訳など無いのだが、気分的に乱暴に扱えないので神経を使う。

 

「よし、出来た」

「おおーっ」

 

 千代美が驚きの声を上げた。

 失敬な奴だとも思ったが、まあ無理も無いか。私が千代美に何かをしてあげるとなった時、失敗したり上手に出来なかったりするのがよくあるパターンだ。挙句の果てには、反対に千代美に手間を掛けさせる羽目になることも、あったり、なかったり。

 

 自分で言って悲しくなってきた。

 

 ま、まあ、それはいい。

 ともあれ今回は上手く出来たのだ。

 

「えへへ、似合うかな」

 

 その場でくるりと回転してみせる、浴衣姿の千代美。

 

「うん、可愛い」

「ふふふ」

 

 返事になってないぞ、と笑われた。しかしそうは言っても可愛いのだから仕方ない。身も蓋も無い言い方だが、千代美はどうせ何を着ても似合うのだ。何にせよ、気に入って貰えたようで何より。

 千代美は上機嫌で鏡の前まで行って、またくるりと回った。

 

 こうしてみると『やってあげる』というのは実に気持ちが良いな。それに、何だろう、言葉は悪いが支配欲のようなものもじんわり満たされる気がする。

 

 私が料理を覚えようとした時に千代美が渋ったのも頷ける。

 千代美が自分で帯を結べるようになってしまったら、それは少し寂しい事だ。

 

「ぴったりだな」

「だなあ」

 

 私のお下がりだが、問題なく着られるようだ。つまり、今の千代美は昔の私と同じぐらいの体格と言うことになるのか。なんだか妙な感慨が湧く。

 

 実家にあった、私の浴衣。

 お母様への近況報告の中で、近所の公園の夏祭りに千代美と見物に行くことを話したら、一も二も無く送られてきた。『千代美さんに着せてあげなさい』とのこと。

 

 お母様には、測るまでもなく寸法が分かっていたのかも知れない。先日、千代美と二人で顔を出した時にでも気が付いたのだろう。

 やはり母親だ、よく見ている。

 

 そうだ、お母様と言えばもう一つ仕事をしなくては。

 ジーンズのポケットからスマホを取り出し、カメラ機能を立ち上げた。

 

「千代美、笑ってー」

「にぃー」

 

 ぱしゃり。

 

 頬に指を当て、にっこりと満面の笑みをこちらに向ける千代美が撮れた。

 ああ、これは完璧だ。非の打ち所が無いぞ、あまりにも可愛い。天才かお前は。

 

「珍しいな、まほ。写真撮ってくれるなんて」

「んん、お母様が千代美の写真を寄越せと言うんだ」

「あー」

 

 夏の始めに顔を出した際、千代美とお母様は、拍子抜けするほど呆気なく打ち解けた。会わせる瞬間まで感じていた諸々の不安が徒労に感じたほどだ。

 今のお母様の千代美に対する態度は、今では溺愛と言っていい。言ってしまえば、あの人は私より千代美を可愛がってる節さえある。

 待てよ、そう言えば私の浴衣が無いじゃないか。そう考えると少し腹が立ってきた。

 

「千代美、もう一枚撮ろう。あんまり笑わなくていいぞ」

「う、うん」

 

 さっき撮ったのは私の待ち受け画面にする。お母様にはもう少し控え目なのを送ろう。

 その後、もう一枚もう一枚と繰り返し、二人だけの撮影会はひとしきり続いた。

 

 さて、そろそろ出掛けるか。

 

「そう言えばダージリンは」

「カチューシャと行くってさー」

 

 んん、そうか。

 

 支度をして玄関を出ると、覚悟していたほどの暑気は無かった。緩く風も出ていてなかなか涼しい。

 耳を澄ますと、祭囃子が微かに聞こえる。

 

「えーっ、聞こえるかなあ」

 

 両耳に手を当てて目を閉じる千代美。暫くそうしていたものの、聞き取ることが出来ないらしく、首を傾げている。

 ああ、いちいち動きが可愛い。

 

 ともあれ、出発。

 千代美の下駄の音がカラコロと夜道に響く。実に風流で、良い音だ。まるで風鈴の音のように暑さを忘れさせてくれる、そんな気がした。

 

 公園に着くと、思っていたより店が出ていてかなり賑わっていた。普段あまり人の居ない公園が、まるで別世界のように感じられる。

 人混みの苦手な私は、反射的に少し顔を顰めた。

 

「帰ろっか」

「ん、いや、いい」

 

 私の顔色に目ざとく気が付いた千代美に気を遣われたが、そうは行かない。せっかく来たのだからせめて一回りくらいはしたい所だ。それに、夕飯もここで買って食べようと話している。ここで帰る方が結局は色々と面倒くさいのだ。

 

 はぐれないよう、手を繋いだ。

 手を繋ぐ時、千代美は私が指を絡めるまで手を『パー』の形にして待つ癖がある。指を絡めてやると、安心したようにゆっくりと手を閉じる。とても可愛い癖なのだが、きっと無意識なのだろう。

 私だけが知っている、千代美の癖だ。

 

 暫く歩いていると、ダージリンとカチューシャに出くわした。

 

「あら、お二人さんも遊びに来たのね」

「千代美さんの浴衣、お似合いだわ」

「えへへー、ありがとー」

 

 二人分の食糧らしきビニール袋を手に手に提げ、これから帰るところらしい。適当に立ち話をして別れた。

 あいつら、今夜は酒盛りか。

 

 少し離れてから、千代美が私の肩をつついた。見ると小さく手招きをしている。

 千代美の口許に耳を寄せた。

 

「ダージリンとカチューシャ、手ぇ繋いでたな」

「そうか、私は気が付かなかったが」

「あっちが私達に気付いて離したからなー」

 

 視力は私の方が良いのだが、こういう時に目ざといのは千代美だ。

 ほほう、あの二人がなあ。なんだかんだで付き合いの長い二人だ。案外お似合いかも知れない。

 

 まあ、まだそうと決まった訳ではないが。

 あの二人から言い出すまで余計な詮索は止しておくとしよう。

 

「夕飯、何が良いかなあ」

「焼きそば、たこ焼き、お好み焼き、りんご飴、フランクフルト、クレープ、金魚、チョコバナナ、わたあめ」

「ちょっと減らせ」

 

 はい。

 

 しかし祭の雰囲気に当てられてか、どれもこれも美味しそうに見えてしまう。千代美も私を咎めるようなことを言っておいて、キョロキョロと目移りをしているようだ。

 そう言えば千代美は、高校の頃は屋台を出す側だったか。もしかしたら、屋台を見て回るというのが新鮮に感じるのかも知れない。

 その千代美の身体が、不意にぐらりと傾いた。

 

 咄嗟に抱き止める。

 

「大丈夫か」

「う、うん、ごめん。下駄にちょっと慣れなくて」

 

 言われ、足元を見た。鼻緒は切れていない。本当に、単に歩き慣れなくてバランスを崩したものらしい。すぐに体勢を整えないところを見ると、捻挫でもしたか。

 もう少し診てやりたいが道の真ん中でごたごたするのも迷惑なので、近くのベンチに千代美を運んだ。

 

「挫いたな」

「あ、うん。ちょっとだけ」

 

 悪戯がばれた子供のように、おずおずと申し訳なさそうに言う。ちょっとも何もあるものか、怪我は怪我だ。出来れば痛みを我慢して見物を続けたかったのだろうが、それで余計に足を悪くされたら堪ったものではない。

 隣に腰を降ろして頭を撫でてやると、悔しそうな唸り声が聞こえた。

 

「何か買って来ようか」

「いい」

 

 見るからに気分が萎えている。機嫌の分かりやすい奴だ。

 思わず笑ってしまいそうになるのを堪えた。今、笑ったら絶対に怒られる。

 

 こうなってしまってはもう、帰るほか無いだろう。しかし千代美を歩かせる訳にも行かない。やれやれとため息を吐き、拗ねている千代美の前に背中を向けてしゃがみ込んだ。

 

「千代美、ほら。おんぶ」

 

 少し、迷うような間を置いた後、私の背中に体重が預けられ、首に細い腕が巻き付いた。

 よいしょと立ち上がり、帰路につく。

 

「ありがと」

「ふふふ」

 

 あからさまに意気消沈する千代美とは反対に、私はすこぶる機嫌が良い。背中に預けられた千代美の重みが嬉しいのだ。

 

 夕飯は何が良いかなあ。

 冷蔵庫の中にあったものを思い出しながら、夜道を歩いた。


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