【ダージリン】
流していた音楽が丁度止まったところで、現地に到着した。
周辺は見渡す限りの紅葉。時期的にばっちりのタイミングで来られたみたいね。目的地の旅館は、真っ赤に色付いた山々に囲まれるようにして建っていた。
着いたからにはさっさとチェックインしてしまいたいのだけれど、諸事情によりそうもいかず、私達は旅館の駐車場でわちゃわちゃと騒いでいる。
もう、どうして私達の旅行はこう、いつもいつもトラブルばかりなのかしらね。一度だってすんなり着いた試しが無いんだから。全く嫌になるわ。
「半分はアンタの運転のせいでしょうが」
カチューシャが怒鳴り声を上げる。
人聞きが悪い。私の『せい』ではなく『お陰』と言って欲しいものだわ。私の運転の『お陰』で、道に迷っても時間通りに着いたんだから。
「それがおかしいって言ってんのっ」
「まあまあ。着いたんだからいいじゃん、それはさ」
尚も怒鳴るカチューシャを千代美さんが宥め、その場はとりあえず収まった。カチューシャはまだ何か言いたそうにしていたけれど、喧嘩をしても不毛であることは明白なので口を噤んだ様子。
まあ、私達より大変なことになってる人が居るものね。
絹代さんと、あと、酔い止めを飲んでも駄目だったまほさん。
「ふうぅぅ」
見計らったようにまほさんのため息が聞こえた。彼女は例によって私の車の後部座席に横たわり、千代美さんの膝に頭を乗せて唸ったり呻いたりしている。もはやお約束の光景。『戻し』こそしなかったものの、体力をすっかり消耗してしまったみたい。
どう足掻いても、まほさんは私の運転と相性が悪いらしいわね。まあ、彼女は千代美さんが介抱するからとりあえずよし。
問題は絹代さん。
「はあぁぁ」
こちらも、絞り出すようなため息をついて頭を抱えている。
彼女はここまでバイクで来た。
そのサイドカーにはミカが乗っていた筈なのだけれど、どこからどう見てもサイドカーは空っぽ。話を聞くと、ここに来る途中で立ち寄ったサービスエリアにうっかり置いてきてしまった、との事。
「うっかりにも程があるでしょ」
「本当に、本当に面目次第もございません」
その落ち込みようは見ていて気の毒になるほどで、今にも泣き出しそうな顔をしている。口さがないカチューシャの言葉は耐性の無い子には容赦なく刺さってしまうので、『あまり言わないの』という意味を籠めて肘で小突く。
カチューシャは反射的に一瞬だけムッとしたものの、自分でもしまったと思ったらしく、下唇を突き出してそっぽを向いた。
さてと、面倒ではあるけれど、そうも言ってられないわね。少し時間が掛かるけれど、迎えに行きましょうか。
やれやれと運転席に乗り込もうとしたその時、どこからか聞き覚えのある暢気な声がした。
「それには及ばないよー」
絹代さんがハッと顔を上げ、弾かれたように駆けていった先。ミカが山の方からてくてくと歩いて来るのが見えた。絹代さんはまるで数年振りの再会でもしたみたいに、駆け寄る勢いのままミカに抱きつく。そのまま彼女は『ごめんなさいごめんなさい』と繰り返した。
ミカは、そんな絹代さんを宥めるようにして、その頭を撫でている。なんとも、微笑ましいというか羨ましいというか。
でも、ミカはどうやってここまで来たのかしら。曲がりなりにも高速道路に置き去りにされて、それでも然程のタイムラグも無くこんな山の中の集合場所に着くなんて。
「鹿で来た」
「なんと、流石はミカ殿っ」
鹿て。
何を突拍子の無いことをと言いそうになったけれど、思い返せばミカは熊を手懐けたこともあった。熊が可能なら鹿も、まあ。というか実際に着いてるし。
鹿に乗って山を突っ切れば、確かに。
ううん、考えるの辞めた。
ともあれ、何だかんだと揉めはしたもののこれで漸く全員集合。早速チェックインを済ませ、部屋に入った。
大学生の頃にみんなで来た旅館とは違う場所。本当は今回もあそこにしようと思ったのだけれど、残念ながらあの旅館は廃業していた。なんでも、幽霊が出るという噂が後を絶たなくて客足が遠退いてしまったせいだとか。
そう言えば、まほさんと千代美さんもそんな事を言っていた気がする。
さて、今回はどうでしょうね。
見たところ、どこにもおかしな様子は無い。
お札の類も無し。あっても困るけれど。
まほさんは車酔いが余程堪えたらしく、部屋に着くなり畳の上に直に横になってまた呻き始めた。千代美さんが慌てて手近にあった座布団を折って枕を作り、まほさんの頭の下に差し込む。
横になったまほさんの後ろ頭をつつくと、煩わしそうに手をぶんぶん振った。
「休ましてやんなさいよ」
カチューシャに窘められた。見ると、彼女は早くもお風呂セットを抱えている。
ああ、成程。無理にまほさんの回復を待つよりは、休む人とお風呂に行く人に分かれた方が合理的だわね。私もそうしましょう。
「それじゃ、私達はお先に」
「お大事にどーぞ」
「ふふふ」
仕事柄、明らかに常日頃から言い慣れている感のあるカチューシャの言い回しが面白かったみたい。まほさんはこちらに背を向けて寝転がったまま、暫く笑っていた。
何も言い返せないのが逆に笑えてしまって、そのままツボに入ってしまったという感じ。笑う体力があるなら大丈夫ね。
さて、行きましょうか。
「あれっ、そう言えばミカ達が居ない」
「あら本当。いつの間に居なくなったのかしら」
旅館内の探検にでも出たのかも。まあ別にスケジュールがあるでなし、帰る時間以外は好きに過ごせばいいか。
「厨房に忍び込んでたりして」
「絹代さんが一緒なんだから、それは無いでしょう」
なんて、下らない会話をしている間に露天風呂に到着。
実は、早く入りたくてうずうずしていた。楽しみだったのよね、露天風呂。いそいそと服を脱いで浴場に足を踏み入れると、周囲の山々の燃えるような紅葉が視界いっぱいに広がった。
ああ、絶景。これが見たかったのよ。
「来る途中で散々見たじゃない」
「言うと思ったわ」
そういう事じゃないのよ。
全く、カチューシャと一緒だと風情も何もあったものではないわね。今に始まった話ではないけれど。
はあ、とため息をついたその刹那。吹き付けた冷たい風に身を震わせた。
紅葉を目の前にしてこんなことを思うのもおかしいけれど、もう夏ではないのねという気持ちが湧く。
「早く入んないと身体冷やすわよー」
ちゃっかりと既にお湯に浸かっているカチューシャに急かされ、慌てて身体を流してお湯に入った。
ああ、丁度良いお湯加減。外気が少し肌寒いお陰で、熱いお湯がとても気持ち良い。
見渡すと、少し離れたところで二人連れらしき別のお客さんがお湯に浸かって談笑しているのが確認できる。それ以外に人影は無く、浴場はとても静か。
耳を澄ますと、風の音に混じって鈴虫の鳴き声も聞こえた。
「ねえ」
カチューシャの低い声。
ああ、何か面白くない話題だなと感じた。カチューシャの話し始めの『ねえ』は、そのイントネーションで何となく話題が推察できる。今の『ねえ』は、ちょっと良くなかった。
はあ、折角お風呂で良い気分になっているところだったのに。
「何よ」
「アンタさあ、いつまであんな所に住んでる気なの」
妙なことを問い掛けてきた。『あんな所』って、どういう意味かしら。
「マホーシャと千代美の隣」
「ああ、そういう意味。別に当面、引っ越す予定は無いわよ」
まあ、春にちょっとした事情で反対隣に引っ越した事はあったけれど。
別にあの二人と仲が悪いということも無いし、と言うよりむしろ良いと思ってる。あの二人に疎ましがられているという事も、たぶん無い。だから、まあ、彼女達を理由に引っ越しを検討するという発想は今のところ無い。
「でもアンタさあ、こないだぽろっと『独り暮らしは寂しい』って言ったじゃない。ついに言ったなーと思って聞いてたわよ、私」
あうち。
成程、そう言う意味ね。
それは確かにある。あの二人が隣に住んでいるとは言え、だからこそとも言えるけれど、独り暮らしを寂しく思う日は少なくない。
ただ、あまり寂しい寂しい言うのはみっともないかなとも思っているので、日頃はそんな事を口に出さないように意識している、つもり。でも、そっか。自分でも気が付かない間に漏れ出ちゃっていたのね。
ううん、いつ頃の事かしら。
「アンタがミカから四十万カツアゲした時よ」
「言い方」
本当に人聞きが悪いわね、貸してたお金を返してもらっただけよ。流石に全額は可哀想かなとも思ったけれど、こうやって還元してるんだから許して頂戴。
うーん、あの時なら思ったより最近ね。でも『ついに言ったなー』って事は、カチューシャはもっと前から私の心境に気が付いていたという事。
最近妙に優しいなとは思っていたけれど、そういう理由があったのね。
じゃあ、つまり。
カチューシャが言おうとしているのは。
「アンタさ、ウチに来なさいよ」
言うと思った。