小学生から見たらモナリザも二宮金次郎も人体模型もオバケですよね
【千代美】
時間はもうちょっとで十八時ってところ。
まほの帰りを待ちながら夕飯の支度をしつつ、ついでにダージリンとカチューシャの晩酌のおつまみを作っている。既にうちのリビングで飲み始めてる二人と談笑しながらの、忙しいけどのんびりとした楽しい時間。
実はこういうの、結構好きなんだよな。料理を作るのも食べるのも勿論好きだけど、やっぱり私が一番好きなのは作った料理を人に振る舞うことだ。自分が作った料理を食べて貰って、美味しいって言って貰えるのがすごく好き。
だから料理のリクエストなんかがあると、ついつい張り切ってしまう。今日みたいに『飲むからなんか作って』と押し掛けて来るのだって大歓迎だし、金欠のミカがご飯を食べに来るのも私は嬉しく思ってる。まほはあんまり良い顔をしないけど。
なーんて、こんな言い方をすると、まるでまほに隠れて悪い事をしてるみたいだ。
まあ、まほが居たらこういう時間が過ごせないのも確かだから、当たらずとも遠からずって所か。
「マホーシャは独占欲強そうだもんねぇ」
「それはまあ、あはは」
否定はしない。
私が他の誰かに優しくするだけでヘソを曲げるからな、まほは。一時期はペパロニにまでやきもちを焼いてたっけ。
あの頃に比べれば最近は大分マシになった方だと思うけど、傍から見たら、どうだかな。
「鬱憤、溜まってたりするんじゃないの」
「うーん、どうかなあ」
ダージリンに言われて、ちょっと考える。
そりゃ全く無いって訳じゃないけど、鬱憤って言うほど溜まってる事となると、どうだろう。
無い、かなあ。全然思い付かないや。
「円満ねー」
「えへへ」
そうかな、そうかも。
上手くやれてる方だとは思ってるけど、改めてそう言われるとやっぱり嬉しい。
「私なんかカチューシャの愚痴、既に十個は言えるわ。部屋は煙草臭くなったし、脱いだものは片付けないし」
「ちょっと、やめてよ。アンタだって訳わかんないマッサージ器具とか買いまくって収納圧迫してるじゃない」
私の照れ笑いが引っ込むよりも早く、たちまち二人はお互いの愚痴合戦を始めてしまった。一緒に住み始めてまだ一ヶ月と経っていないのに、よくもまあそんなに挙げられるもんだ。
喧嘩してるように見えるけど、ああいう戯れ合いなのは分かってるから止めはしない。遠慮なく不満をぶつけ合えるっていうのも、ひとつの『円満』の形だと思うし。愚痴が尽きないのだって、それだけ相手のことをよく見てるって事なんだろうしな。
「ひっぱたくわよっ」
「やってみなさい、追い出すわよ」
物は壊すなよ、頼むから。
しっかし、まほに対する不満かあ。
思い付かないっていうのも考えものなのかな。相手のことをちゃんと見てない証拠、みたいな。まあ好きすぎて目が曇ってる自覚は、ちょっとある。
あー、なんか、そう考えると不満を挙げられないのも問題のような気がしてきた。何か無かったかなあ。
うーん。
「あ」
そう言えばひとつあった。
不満とまでは行かないかも知れないけど、ちょっとモヤっとしてる些細な事。
「あら、聞きたいわ」
「なになに、マホーシャ何やったの」
今の今まで言い争ってたのが嘘だったみたいに、二人は揃ってこちらに耳を傾けた。すっごいな、息ぴったりだ。
こういう事って言ってもいいのかなと少し迷ったけど、すっかりわくわくしちゃってる二人に気圧されて、私は口を開いた。
「えっとさ。まほが最近、スマホをいじることが増えたなーって、思ってて」
期待に満ち満ちていた二人の表情が変わった。
カチューシャは『それのどこが悪いのか』と思ってるような、訝しげな顔。一方ダージリンは、カチューシャとは違ってちょっと神妙な顔付きになった。
「それは確かに、珍しいわね」
うん、ダージリンなら分かってくれそうな気がした。
まほを毎日見ているからこそ気が付く違和感って言うのかな。些細っちゃ些細なんだけど、まほがスマホをいじる事って実は今まで全くと言っていいほど無かった。あっても連絡に返信したりする程度で、なんというか、自発的に触る事はほとんど無い。
それが何故か増えてきた事に、ちょっとモヤっとしてる。
そうそう、『何故か』だ。まほがスマホを頻繁にいじるようになった理由が分からない事もモヤモヤの原因なのかも。
「ゲームとかじゃないの」
「違うと思う」
いじると言っても長時間って訳じゃない。ふとした瞬間にポケットから出して何かを確認するみたいにちらっと見て、すぐに仕舞う。まほが繰り返しているのは、そんな動作。
時計を見てるのかなとも思ったけど、そんなに頻繁に確認する意味はよく分からない。
「操作と言うよりは確認なのね」
「なんかの通知でも見てるのかしらねー」
うーん、通知か。
そうすると誰かから連絡が来てるって事になる、のかな。だけど返信してる姿はあんまり見ない。全くのゼロって訳じゃないけど、どう考えても『確認』の回数と合わない。
って事は、つまり。
「返信は千代美さんに隠れてやっている、とか」
「ええ、ちょっと、それってまさか」
浮気。
考えたくはないけど、事実を並べていくとどうしても可能性として浮かび上がってしまう。成程、思い付いてはいたけど考えたくなくて目を逸らしてたから、それが『モヤモヤ』として現れてたんだな。
「ただいま」
ううーん、最悪。
ものすごいタイミングでまほが帰ってきた。
コートを脱ぎつつ、ダージリンとカチューシャが既に出来上がってるのを見て一瞬だけ顔を顰めたあと、すんすんと鼻を鳴らしながらキッチンに寄ってきた。
「今日はシチューか」
「えへへ、当たりー」
鍋から顔を上げてまほの方を見ると、スマホをポケットに仕舞う所。もしかして今、私と話しながらスマホ見てたのか。
今の今までダージリン達と話してたこともあって、それはなんか、ショックが大きい。
「マホーシャ、ちょっと」
「なんだ。おい、何をする」
険しい顔をしたカチューシャが、後ろからまほの肩を掴んだ。そうしてまほが怯んだ隙に、今度はダージリンがまほの手からスマホを掠め取る。
あっと言う間、完璧なコンビネーションだった。
「ごめんなさいね、まほさん。ちょっと黙っていられなくなったの」
「何の話だ。ひとまずそれを返せ」
まほの視線は、ダージリンの手の上で弄ばれているスマホに釘付けと言っていいほど注がれている。まほは珍しく、明らかに狼狽していた。
なんだよ、そんなに大事なのか、スマホが。
「まほさんがスマートホンを見ている時間が増えて寂しいなって、千代美さんが話してたところなのよ」
「ん」
意外そうに、まほがこっちを見た。
「それは、悪かった。少し頻度を減らそう」
あっさりと頭を下げた。
それはまあ嬉しいけど、でももう、違うんだよな。頻度の話はもういいんだ。問題は、どうしてまほがそんなにスマホを気にするようになったのか。今の私はそれが知りたい。
この際だから、包み隠さず話して欲しい。
「そ、それは」
「言えないのか」
少し言い方がきついかなと思ったけど、抑えられなかった。
まほは観念したように腕をだらんと垂らし、それでも暫く迷ってから、ダージリンに向かって手を出して、スマホを受け取り画面を開いた。
「これを、見てたんだ」
そう言って渡されたスマホに映し出されていたのは、ただのロック画面。そこから見て取れるのは、画面下に表示されている現在の時刻と、待ち受け画像。
浴衣姿で、頬に指を当ててにっこりと満面の笑みをカメラに向ける、私。夏祭りの時に撮ったやつだ。
えっ、見てたって、待ち受け画面をか。
「んん」
画面から視線を上げると、まほの顔は絵に描いたように真っ赤だった。
段々と状況が飲み込めてきた私も、つられて赤くなった。
「お前、馬鹿、まほ、お前ぇぇーーっ」
まほは夏祭りの時に撮った私の写真が思いのほか気に入ってしまったので、それを待ち受け画面に設定していたらしい。そうしたら、当たり前だけどスマホを開くたびにその写真が見られるのが嬉しくて、それで頻繁にスマホを取り出すようになったというのが理由。
ああ、ダージリンにスマホを取られて慌ててたのは、そういう訳か。
浮気でもなんでもなかった。
「変えろ、恥ずかしいからっ」
「ええー」
「ええーじゃない、馬鹿っ」
ダージリンとカチューシャは、すっかり白けた様子で私達の言い合いを眺めている。
「アンタ、こんなのの隣で独り暮らししてて、よく今まで我慢出来たわね」
「慣れると面白いのよ」
うーん、どうしよ。
実は私も、まほの寝顔を待受画面にしてるなんて言い出せない感じになってきたな。
こっそり変えるか。いや、でもなあ。
「千代美、鍋っ」
「えっ、うわあっ」
今日も円満。