まほチョビ(甘口)   作:紅福

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(8/12)姑獲鳥の冬

【まほ】

 

 本屋を出て、コーヒーショップに寄る。普段、カチューシャやノンナがよく屯している店だ。

 今日はどうやら連中は居ないらしい。カチューシャは笑い声がうるさいから、居ればすぐに分かる。まあ、居なければ居ないで静かで良い。

 ともあれ、空いている席を探す。奥の方が好きなので、出来ればそっちがいい。

 千代美は、私が席を確保する間に注文へ。この店はトッピングだ何だで長々とした名前の注文も出来るようだが、私はよく分からないのでやらない。カウンターの様子を見ていると、そういう注文は作るのにも時間が掛かるようだ。

 短い注文をすれば早く済むので、私はそちらの方が有り難い。ミルクも自分で入れる。

 カチューシャなんかは盛り盛りにして楽しんでいるようだが。

 

「お待たせしましたー。コーヒーとミートパイ、お二つずつですねー」

 

 店員のような声を出して、千代美が昼食を運んできた。

 ありがとうございます、とこちらも調子を合わせる。

 

「ほいミルク」

「ん」

 

 コーヒーにミルクを足し、口を付ける。途端、違和感を覚えた。

 ふーむ。これは、どうなのだろう。決して不味い訳ではない。美味しくないと言うのも少し違う。

 美味しいことは美味しいのだが、何というのだろう、これは。

 

「んー。『違う』、かな」

「それだ」

 

 成程、そういう事か。普段、千代美が淹れたコーヒーばかりを美味い美味いと飲んでいるせいで、他の味を『他の味』と認識するようになってしまったのだ。

 流石に千代美のコーヒーが店より美味いということは無いと思うが、いまいち自信が無い。他のコーヒーを飲むと先ず『千代美のと違う』という違和感を覚えるようになってしまったようだ。

 

「まぁー、私は嬉しいけどなあ」

 

 などと言いつつ、千代美も複雑な表情でコーヒーを啜っている。恐らく、全く同じ感想なのだろう。

 ともあれ食事だ。

 

「いただきまーす」

「頂きます」

 

 ミートパイにかぶり付く。

 が、矢張り、うん。うーん。

 

「言いたいことは分かってる。帰ったらサンドイッチ作ってやるよ」

「やったあ」

 

 胃袋を掴まれるとは、まさにこの事だろうか。

 ともあれ、そんなこんなで軽食を終え、少々の休憩。

 さて、こういう休憩の時間に目安というものはあるのだろうか。店の側からすれば『食ったら帰れ』というのが道理だと思うが、周囲を見回してみると意外に勉強や読書などに耽っている客が多い。私達が席に落ち着く以前からそうしている者も居る。あれは、流石に少し長すぎるのではないか。

 店が混んでいる訳でもないから良いのかも知れないが、どうにも落ち着かない。

 

「まあ、気持ちは分かるけどな」

 

 言いながら、千代美は鞄を漁り始めた。何やら済ませてしまいたい作業があるとかで、ここでそれをやるつもりらしい。

 やがて、千代美は鞄から文庫本を取り出した。

 私はそれを見て、若干たじろぐ。

 

「えへへ、家から持って来ちゃった」

 

 千代美が取り出したそれは、『鉄鼠の檻』。

 今回の出来事のきっかけになった本で、改めて見ても異様な厚さだ。先程、本屋の棚に並んでいるものも見てきたが、他の文庫の四、五冊分はあろうかという感じだった。

 千代美から借りてページ数を見てみると千三百を超えていた。辞書か。

 

「まほに買ってもらったブックカバー、早速掛けようと思ってさ」

 

 言うが早いか、千代美は作業に取り掛かった。

 成程、これは確かにフリーサイズでないと包めない代物だ。千代美は鼻唄雑じりで、慣れた手つきで文庫にカバーを掛けていく。

 一分と掛からず、作業は終わった。

 

「はい完成」

「うーん、凄い」

 

 カバーも凄いが、千代美の手際も面白かった。

 そうか、私は読書をする千代美の事をほとんど知らないのかと気が付いた。

 そう考えると、不意に孤独感を覚えた。千代美は目の前に居るのに。それが、私の知らない千代美なのが無性に寂しい。

 

「あい」

 

 あい。

 む、何者だ。

 見ると、どこから来たものか、二歳か三歳くらいの赤ん坊がいつの間にやら隣に座っていた。

 

「あいあいあーい」

 

 そうかそうか、よろしくな。

 なかなか元気が良い。

 

「迷子だろうか」

「んー、母親は注文にでも行ってるのかなあ。店の外って事は無いだろうから、そのうち探しに来るだろ」

 

 言いながら千代美は赤ん坊をあやし始めた。赤ん坊は卓上の文庫本に興味を惹かれたらしく、しきりに触りたがっている。

 おいそれは駄目だぞと言おうとしたら、千代美に手で制された。

 ああ、そうか。

 千代美は躊躇すること無く、赤ん坊に本を持たせた。

 案の定、赤ん坊は手にした本を弄繰り始める。無論、読書などという概念はまだ形成されておらず、ただ紙の束で遊んでいるというだけだ。当然、それによって頁はくちゃくちゃになるが、千代美はそれを怒るでもなく、これはこうするんだぞーなどと言いながら、赤ん坊に頁の繰り方を教えている。

 すると赤ん坊も、不思議に大人しく千代美の真似をして頁を繰るようになった。

 成程な。あの本に付いた折り目を見るたび、千代美は今日の事を思い出すのだろう。それが『痕跡本』というものの考え方なのだな、良い趣味をしている。

 しかしその、なんだ。

 千代美と赤ん坊、なんとも良い絵面だ。

 

「紗利奈、こんな所に居たの」

「あーい」

 

 母親らしき女性が済みません、と頭を下げながら近寄ってきた。

 驚いたことに同世代か、年下かと思うほどの若い女性だった。

 

「良いんですよー」

 

 笑って、赤ん坊を母親のもとに帰す。その時、千代美がほんの一瞬、名残惜しそうな顔をした。

 ああ、そうだ。

 我々はもう大学を出た。

 年下の女性が赤ん坊を抱えていても、何らおかしな歳ではないのだ。そう、千代美にだって、あれくらいの子供が居てもおかしくない。

 私などと出会わなければ、きっと、今頃は。

 

「まほ、何考えてるんだよ」

「んん」

 

 千代美は、私の唸り声から心境を読み取ったらしい。仕方ないなといった風にため息をついて、静かに話し始めた。

 またお化けの話になっちゃうんだけどさ、と前置きをする。

 

「まほ、姑獲鳥(うぶめ)って知ってるか」

「うぶめ」

「うぶめ。漢字でこう書くんだ」

 

 そう言って千代美はメモ帳とペンを取り出し、さらさらと書き始めた。『姑獲鳥』、これで『うぶめ』と読むのか。

 何故だろうか、既視感のある文字列だ。

 

「『鉄鼠』のシリーズの一作目のタイトルが『姑獲鳥の夏』だからな。さっき本屋で目に入ったんだろ」

「そういう事か」

「あと、うちにもあるし」

 

 千代美は苦笑いをする。

 迂闊。私は日常的に視界に入っていたものを見落としていた事になるのか。

 

「ふふふ、まさに『姑獲鳥の夏』だ」

「どういう事だ」

「読んだら分かるよ。まあ、それはさて置いて『うぶめ』は、こうも書く」

 

 次に千代美は『産女』と書いた。ふうむ、こちらの方がまだ『うぶめ』と読める。

 ん、この字面は。

 

「うん。『産女』はね、お産で死んじゃった女の人の幽霊」

「じゃあ『姑獲鳥』は」

「子供を攫う鳥」

 

 名前の読みは同じなのに、字で特徴が変わるのだろうか。

 

「元々は違うものだったんだけど、どっかで混同されちゃったんだろうなあ」

 

 そこまで話して尚、千代美は次の言葉を言おうか言うまいか迷っているようだった。話の内容から『子供』の話題だと分かるが、それでもまだ、千代美が何を言いたいのかは分からない。

 

「ざっくり言うとさ、子供が持てない女は、それだけで化け物扱いされる時代があったって事だ」

 

 あくまで解釈のひとつだけどな、とばつが悪そうに付け足す。

 そして千代美は堰を切ったように話し始めた。

 

「私だってそりゃ、赤ちゃん欲しいよ。恋愛小説なんか読むくらいだし、異性への憧れも人並みにある。まほが男だったらなあ、って考える事もあるよ」

 

 ああ、やはり、そうか。

 まあそうだよなと、諦めにも似た感情がこみ上げる。

 そんな私の顔を見て、千代美は焦れたように尚も話し続けた。

 

「わからないかな。まほじゃないと嫌なんだよ、私。今は現代で、色んな未来がある。昔とは違う。でも未来は何個も選べるものじゃない。私は、まほと一緒に居たいって思ってるんだよ。それを選んだんだ。昨日の夕方、言っただろ。『どこにも行かないから安心しろ』って」

 

 千代美はひとつ、呼吸を置いて、言った。

 

「だからさ、そんな顔するなよ」

 

 んん。

 済まない、としか言えなかった。

 千代美は笑い、私の頬をつつく。

 どんな顔をしたらいいか分からず、私はもう一度だけ、済まない、と呟いた。


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