まほチョビ(甘口)   作:紅福

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(9/12)芝右衛門狸の徳

【千代美】

 

 仕方ない事、なのかな。

 いくら言っても、まほは安心してくれない。というか、トラウマに近いものを抱えてるんだと思う。自分の前から突然、大切な人が居なくなってしまう事に対して。

 それは裏を返せば、まほが私のことを『大切な人』と見なしてくれてるって事なんだけど、なんだか素直に喜べないな。ジレンマだ。

 まあ、私に出来るのは近くに居てあげる事。それに尽きるんだと思う。

 ともあれ、コーヒーショップを出て帰り道。

 夕飯はサンドイッチに変更。大体の材料は家にあるから、スーパーには寄らなくてもいい。でも、夕飯がサンドイッチってどうなんだろう。

 まあ、まほが食べたがってるから良いのか。

 でもどうしよっかなあ。なんか、真っ直ぐ帰るのは勿体ない。

 もっとデートしたい。

 

「映画でも借りるか」

「あっ、賛成」

 

 夕飯の後にでも一緒に観よう。なに借りよっかなー。

 レンタルのカードは財布だったか、カードケースだったか。鞄の中を手探りで漁りながら考える。

 鞄を漁りながら、考える。

 鞄を、漁り、ながら。

 なんか、違和感。

 あ、あれ。

 

「どうした」

「ちょっ、ちょっと待って、まほ」

 

 立ち止まり、鞄を開ける。

 手探りじゃ駄目だ、目で確認しないと気が済まない。いや、あんなもん、手探りでも分かるけど、認めたくない。

 鞄の中を見つめ、立ち尽くした。

 無い。

 

「おい、千代美」

「まほ」

 

 本が、無い。

 本だけじゃない。

 まほが買ってくれたカバーも一緒に、無くなっちゃった。

 途端、頭の中が真っ白になった。

 視界がじわりと歪む。

 

「まほ、どうしよう」

「落ち着け、千代美。ちょっと座ろう」

 

 私達の不穏な空気は周囲にも伝わっているらしい。通りすがる人が皆、こちらを振り返る。

 私はまほに手を引かれ、近くのベンチに腰を降ろした。

 

「とりあえず、いつの時点まであったか思い出そう」

「う、うん」

 

 まほの言葉で落ち着きを取り戻す。

 そうだ、この世に不思議なことなんか何もない。本が『無くなる』なんてことは無いんだ。あるとすれば、人間が何かしらの原因を作った時だけ。ちょっと考えれば分かることじゃないか。

 コーヒーショップでカバーを掛けて以降は大した事をしてないし、他に移動もしていない。ああ、そう考えたらすぐに思い当たった。

 赤ちゃんに持たせて、そのままだ。

 

「じゃあ、ひとまず店に戻ろう。行くぞ」

 

 言って、まほは私の手を引いた。

 

「本が戻ったら、忘れられない痕跡になるだろうな」

 

 そう言って、私の頭を撫でる。

 雪が降ってきた。

 

 まほ、ありがとう。

 

――――――――――

 

【まほ】

 

 結論から言うと、本は見付からなかった。

 千代美の記憶は確かで、店員の談では赤ん坊が本を持っていた事は間違いなかったそうだ。母親がそれに気が付いて、急いで我々を追い掛け、それきりだと言う。信じ難いことだが、戻って来なかったそうだ。

 

「行き逢いませんでしたか」

 

 あっけらかんとして言う店員に一瞬、怒りがこみ上げたが、店員に怒っても仕方ない。落とし物や忘れ物であれば店で管理するだろうが、客が持ち去った物に責任は持てまい。

 それに『持ち去った』とは言うものの、その母親は我々に本を届けようと走ったのだ。店員がそれを引き止める訳も無い。

 会計は注文の時点で済んでいるとはいえ、戻らないというのも妙な話だ。しかし、この店にはもうそれ以上の情報は無い。

 店員も『ここには無い』という以外に言いようがないのだ。

 念のため交番なども当たってみたが、本は届いていなかった。

 

「まほ、ごめん」

「いや」

 

 悪いのは私だ。

 あの時、私が冷静でいれば赤ん坊から本を回収しただろう。最早、過ぎた事だが、千代美の落ち込みようを見ていると悔やんでも悔やみきれない。

 だが、これ以上我々に出来ることはもう、何も無い。

 

「帰ろう」

「うん」

 

 千代美、ごめん。

 

――――――――――

 

【ダージリン】

 

「タオルと着替え、置いておくわよ」

「済まないね、ダージリン。ありがとう」

 

 お風呂の扉越しの会話。

 

「いやあ、屋外で待つことには慣れてるつもりだったんだけど、雪が降るとはね」

「スロット屋さんの開店とは違うのよ。全く、玄関先で凍死されたら敵わないわ」

 

 いつからそこに居たものか。彼女、ミカは隣の部屋の前でまほさんと千代美さんの帰りを待っていた。渡したい物があるとかなんとか。

 今日は折悪く私まで出掛けていたものだから、彼女は寒空の下、ずっとそこで待ちぼうけを喰っていた様子。

 私が帰った時、彼女は二人の部屋の前で胡坐をかいた状態で眠っていた。

 その膝の上には、何やら広げられた本。

 そして周囲には雪が薄く積もっていたのに、足跡が見当たらない。

 つまり彼女は待ちぼうけの間、雪が降る前からその体勢で読書をしていたという事になるのかしらね。

 申し訳ないけれど、最初に見た時は死体かと思ったわ。揺り起こすのにも勇気が必要だった。生きてて良かったわ、本当に。

 当たり前ながら彼女の体はすっかり冷えていたので、こちらの家に引っ張り込んでお風呂をあげている。

 

「夕飯の当てはあるの」

「無いね」

「なんて言いながら、千代美さんの料理が目当てだったんじゃないのかしら」

 

 そこで彼女は、ううん、と言葉を濁した。

 

「その事なんだけど」

 

 彼女が何かを言おうとしたタイミングで、隣の玄関が開く音がした。

 あら、帰って来たみたい。

 

「ええっ、あれだけ待っても帰って来なかったのに、お風呂に入った途端かい」

 

 そういうものよ、と笑った。

 本当、待っている間は全然来ないのよね。

 

「参ったなあ、早く渡したいのに」

「それなら代わりに渡してきてあげるわよ」

 

 いや何から何まで本当に済まないねと、お風呂場から彼女は言った。

 

「このお弁当箱と文庫本を渡せばいいのよね」

「うん、頼んだよ」

 

 彼女が持っていたお弁当箱と、さっき彼女が読んでいた文庫本を持って隣へ。

 それにしてもこれ、果たして『文庫本』と呼んでもいいものなのかしら。

 まるで辞書みたいな厚さだわ。


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