それは神無月の昼頃のことだった。
しとしとと降る雨の中、傘を被った青年は名もない獣道を歩く。
腰に差した朱色の鞘を纏った太刀は雨に濡れ、血のような色をしていた。
黙々と歩き続ける青年には表情はなかった。
「・・・・・・」
だが、無感情ではない。
彼は諦めていたのだ。
遠くに大きな雷が一鳴り。
次の瞬間、礫の様な大粒の雨が降り出した。
耳朶を打つのは自身の足音と雨音のみ。
それが青年の心により一層の孤独を与える。
己はこの世界で生きていてはいけないのだと。
青年は目深に笠を被りなおす。
その時ちらりと左の額に人では有り得ぬ小さな角がみえた。
雨は弱まることを知らず、青年を容赦なく襲う。だが彼は歩いた。
歩いて、歩いて、歩き続けた。まるで見えない何かに逃げる様に歩き続けた。
ようやく雨の峠を越えたのは雨雲に覆われた空から明るさが完全になくなった頃だった。
夜目が利く者であっても歩くことはない夜の闇。
だが、そんな闇も今の青年にとっては心が落ち着く闇であった。
青年は近くの登れそうな木を猿の様な身のこなしで登る。
天辺近くまで登り、辺りをぐるりと見わたし最後に空を見た。
今日は月も出ておらず、星々も雲に隠れてみることは出来ない。
青年は木から降り、その場に座り込んだ。
そして、懐から竹筒を取りだし中の液体を一気に飲み干す。
「ぷはぁ」
辺りに酒気が少しばかり漏れた。
「なぁ、教えてくれ」
青年は誰もいない闇に問いかけた。
「人になるにはどうしたらいいのだ?」
青年は星も月も見えない空に問いかけた。
「妖になるにはどうしたらよい?」
青年は問いかける。きっとどこかにいるのであろう神様に。
「俺は。鬼童丸はどうすれば幸せになれる?」
答えはなかった。
鬼童丸は少し酔ったのか紅く染まった頬を手で風を送る。
湿気た空気で生ぬるい風が頬を撫でた。
半人半鬼。それが彼、鬼童丸だ。
京の都を恐怖に陥れた鬼の息子であり、酒呑童子の血を受け継ぐ混血の忌み子。
鬼童丸には生まれる前から居場所がなかった。
誰もが彼の誕生を望んでいなかった。
それでも鬼童丸は居場所が無くても生きてきた。
自分を生んで死んでしまった母の分まで精一杯生きた。
母に誇れるよう誠実で誰かを助ける人になろうと努力した。
だが、そんな頑張りも現実の前では無意味であった。
どの村に行っても鬼童丸の角を見た者は石を投げた。
幾ら善行を積んでも鬼は鬼。人には受け入れられない。
かといって、鬼童丸には妖になることも出来なかった。
もう疲れた。
鬼童丸は諦め、誰ともかかわらず一人で静かに生きていくことを決意した。
そんな矢先だ。
呪術師道満が酒呑童子を甦らせたのは。
京の都で道満と清明、そして、酒呑童子による激闘は僅か一日で終わりを告げた。
だが、それは鬼童丸にとって最悪の展開を迎える。
「俺の息子がお前らを殺しに行く。鬼童丸がお前らを必ず殺しに!!」
酒呑童子が最後に言い放った言葉に安倍清明は警戒し、鬼童丸討伐隊が結成された。
それからずっと鬼童丸は逃亡生活を余儀なくされている。
もはや、静かに暮らすことも出来ない。
「ああ、いっそのこと違う場所なら・・・」
叶いもしない願いを呟き、鬼童丸は浅い眠りに身を任せた。
紅い月が嗤っている。
「我が里から出ていってもらう」
「え?」
それは突然だった。
エウルの母が死んだ翌日にエウルは里の外に放り出された。
訳も分からずただ泣いた。
泣きながら里の離れにある泉に住んだ。
エウルはダークエルフだ。
純血主義であるエルフにとってダークエルフは忌むべき存在であった。
それでもエウルが里に入れたのは彼女の母がエルフの勇者であったからだ。
そして、彼女の父もまた人間の勇者であったから。
そのため今まで誰も文句を言わずに里で暮らすことができたのだ。
だが、それもエウルの母が死んだことにより終わりを告げた。
エウルは心がぽっかりと空いたような孤独な毎日を暮らす。
だが、百年という人間にしてみればとてつもなく長い時間がその穴を次第に埋めていった。
「ふぅ」
狩りを終え、泉で身体を清めたエウルはベッドに眠る。
どうにかこの生活にも慣れてきた。
一人は寂しいがそれも時が勝手に解決してくれる。
それが百年先なのか二百年先なのかは知らない。
ただ、今の暮らしを維持する。
そのままエウルは深い眠りに落ちていく。
紅い月が嗤っている。