お祓い!霊夢さんっ!   作:海のあざらし

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其ノ窮 姦姦蛇螺 シンカ

 はー、と溜息。大きく深く、そして長い。空を覆う雲に阻まれて、星月の光はほんの一筋程度しか地表へ到達できていない。九分九厘の暗闇が広がる外を眺める瞳には、憂いが濃く色付けされている。

 

「お疲れね。無理もないか」

 

「流石にね」

 

 華仙はつい先程まで、巫女の成れの果てと文字通り身を削り合う死闘を繰り広げていた。弱らせておいたから後は倒してくれれば良い、そう言われて対面した上裸の巫女は、彼女を見るなりすぐさま森へと身を隠した。

 絶対に逃がすなと言いつけられていたので、すぐに追いかけ森へと追って入った。ほぼ探すまでもなく、奴は視線の先にいた。蹲り、何かを囲っているようにも見えた。

 

 子だと思った。この怪異は親子で幻想入りを果たし、そして今外敵たる華仙から我が子を庇っているのではないか、覆うような姿勢を見てそんな気がした。紫から伝え聞いた異常なまでの闘争心も、子を守るという大義名分があると考えれば納得できる。

 霊夢を襲ったのは許し難いが、もし想像が的中しているなら、今回の一件は生命活動の連鎖が引き起こした不幸な事故だ。穿った結論だろうか、華仙は決してそう思わない。命ある者の究極にして最短のコミュニケーションが『殺害』である以上、これ及びこれに付随する行動は無軌道に批判されるべきでない。最早幻想郷の敵となった姦姦蛇螺をその手で殺すことに、小さな罪悪感さえぽこりと浮かんだ。

 

 ……居館にて数多の動物を従える彼女だからこそ至った、独特で偏見のない仮説であった。

 

 完全に見誤っていた、そう言わざるを得ない。例え歴史に名を残す博愛主義者であっても、かの怪異に対してだけは極端な偏見の目でもって接する必要がある。伏した怪異のまさに為していたことを目の当たりにして、初めて悟った。

 ぼんやりとしか見えないはずの姦姦蛇螺の姿も、華仙ならはっきりと捉えられる。人並み外れた彼女の目は、持ち主の意思を受けて危うく覆われかけた。何を喰っている、分かっていても口調荒く問うのを抑えられない。

 

 緩慢な動作で振り向いた蛇螺の口元から、まるで葉巻とでも言わんばかりに細い腕が覗く。柘榴色の魔口、そしてそこらに散乱する()()()()()()()()()()()()()()()()。断面は潰れ、しかし全体として部位ごとの特徴を残している。蛇巫女の笑みが、より一層深まったように思えた。

 

 肉体が思考を凌駕した。ほんの一瞬、須臾の間の出来事は、奴の手を余さず吹き飛ばすには充分だった。咄嗟の防御など通用しない、()()()()と評するに値する豪腕であった。我に返り、血飛沫の中で見上げた巫女の顔は、変わらず悍ましい笑みを浮かべていた。

 不味い、理性の叫びに従って前への慣性を無理矢理打ち消し、その足で後方へ飛び退いた。大口を開けて迫り来た表情は、地獄の悪鬼羅刹と表現してもおろかなるか。がちん、と巨大な歯が空を噛み鳴らす硬い音が、華仙の恐怖心を否応なく刺激した。

 

 そこからの勝負は、泥沼と言って差し支えない。己の肉体を武器とする両者の激突に無傷の勝利など有り得ず、また無死の敗北も存在し得なかった。自身も左腕が半ば千切れかかるという重傷を負い、しかし華仙は姦姦蛇螺を破壊した。喰らったものよりも多数の破片に、そして原型を残さず。最後に震えるように蠢く多腕を踏み砕くのに、躊躇いは無かった。

 

「貴女の報告通り、ばらばらになった肉片が見つかったわ。もう大分他の妖怪に持っていかれたみたいで、殆ど残っていなかったそうだけど」

 

二童子(あの子達)が見に行ったの?」

 

「いえ。ちょっと見せられなさそうだったから、適当な妖怪を見繕ったわ」

 

 見繕った、即ち術で操ったのだろう。相変わらずあの2人には甘い。苦笑いしつつ、木造りの枡に注いだ酒を飲む。この枡で飲んだ酒は、立ち所に怪我や病気を治してくれる。これで明日には左腕も元通りである。右腕が治らないのは、称えるべきか恨むべきか。

 

「相当な異変だったわね」

 

「本当に。霊夢の大怪我に始まって、紫と貴女は疲弊。挙句の果てに、里から死人が出るとはね」

 

 期間にして数日、先の幻想郷を揺るがした大異変に比べれば至極短期に終わった。だが、被害内容は甚大なものに上った。思えばスペルカードルール定着の礎となったかの異変より、怪我人重傷人は出ども死者だけは誰一人として出なかった。

 本気で幻想郷を転覆させようとした事案の少なさと、ルールに従う紳士性とが、幻想郷にある種の秩序をもたらしていた。問題を起こしても、それはスペルカードにより()()解決される。この定式の中で、全てが廻っていた。

 

 守られないルールの脆弱性を、強く実感している。どれだけ細かく定めても、実行されなければ所詮は机上の空論に過ぎないわけで。

 少しばかり強固な規則の上に胡座をかいていたようだ。ぽっきりと折られる前に、高慢の鼻は引っ込めておくのが良い。

 

「明日私から守護者に話をしておく。貴女達は休暇でも取りなさい」

 

「そうね。お言葉に甘えようかしら」

 

 ふぁ、と可愛らしい欠伸。茨木仙人はおねむのようだ。ルールの埒外への対応は急を要すれども、激闘に身を投じた彼女達には今暫くの休息を。

 たん、と静かに襖を閉じる。今、この屋敷で起きているのは自分だけとなった。誰も彼もが朝早く起きれそうにないこの状況、これは明日の朝ご飯担当は自分か。薄く笑い、隠岐奈もまた宛てがわれた寝室へと戻っていく。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ふわりと香る良い匂いで、藍は目を覚ました。

 

「……?」

 

 誰か料理でもしているのか。主人は起こすまで起きないし、式は別の用を任せているので屋敷にいない。まぁ火事にでもならない限りは好きにしてくれ、そこまで考えて寝惚けていた頭が一気に覚醒した。

 ちょっと待った。今、何時だ。部屋にかけてある時計を確認する。長針と短針が、綺麗な直角を形作っていた。

 

 どたばた、と大急ぎで居間に向かう。いつもであればとっくに朝食が終わっている時間に目が覚めるとは、何たる失態か。あぁでもご飯は用意されているみたいだからまだ救いが……いや違う、そこが1番の問題だ。

 彼女の代わりに台所へ立ったのは、一体誰なのか。霊夢と紫ではないとして、残る候補はあと2人になる。そのどちらに料理をさせたとあっても、充分に八雲の名折れとなってしまう。

 

「あら、おそよう」

 

「……おはようございます」

 

「冗談の通じない狐だこと」

 

 結果、気を利かせてくれたのは摩多羅神だった。卓に並べられた米、魚、幾つかのサイドディッシュ。一目見てそれなりに熟れた作り手の料理だと分かる。米粒がきちんと立っているのに感心しつつ、ふと思う。

 

「摩多羅殿」

 

「何かしら、寝坊助さん」

 

「ねぼ……まぁ否定できませんが。その、お料理はよく?」

 

「よくとまでは言えないけれど、偶には自分で作るわよ」

 

 それがどうした、と言わんばかりに小首を傾げる。主自ら料理に取り組むとは、中々に珍しいようにも思える。もしかすれば八雲邸が特殊例なだけで、他の屋敷では主人の料理が振る舞われる機会というのはさして珍しくもないのか。それをすぐに知る術は、藍には無い。

 

「紫様は、料理があまり得意でなく」

 

「知ってるわ。この前うちで小火騒ぎを起こしてくれたもの」

 

「誠に申し訳ございませんでした」

 

 藍の預かり知らない所で、さらりと問題事を起こすのはやめてほしい。寝起きの心臓に悪いし、小火って大体どの程度だったのか。少し鍋から火が漏れたくらいならまだ苦言で済むが、物が燃えたとなれば彼女は敬う使役者に対して長々とお説教をしなければいけなくなる。場合によっては、弁償も。

 あれやこれやと思考を走らせる藍を、きょとんとした顔で隠岐奈が見る。藍が心配性なのか、それとも隠岐奈がおおらかなのか。どちらかと言えば前者に寄るが、双方共に間違っていない。

 

「ま、冷めないうちにどうぞ。皆を起こしてくるわ」

 

「私が行きますから、摩多羅殿は席に」

 

「あら。悪いわね」

 

 悪いわね、は丁寧に改変して彼女の台詞としたい。緊急の呼び出しにも嫌な顔一つせずに応じてくれて、剰え翌日の朝ご飯を作らせてしまったなんて、申し訳ないったらありはしない。この上まだ寝ている面々まで任せてしまったら、もう藍には立つ瀬が無くなる。僅かに残った己の立ち位置を死守すべく、早足で各々の寝室へ向かった。

 霊夢をとんとん、華仙をとんとん、紫をごんごん。順に肩、肩、頭。皆が皆眠い目を擦り、或いは何故かひりひりする頭を訝しみながら居間へ参上する。多少手荒な真似に出た辺り、彼女に心の余裕は無いらしい。

 

「……藍、卵焼きを焼く時間変えた? あと醤油の量も」

 

「……はい?」

 

「いつもより香ばしい匂いがするわ」

 

 開口一番、ごく普通のことのようにとんでもない発言が飛び出した。100歩譲って焼き加減はまだしも、調味料の量の変化など匂いだけで言い当てられるものではないと思われるが、やはりそれだけ長く彼女の食事を味わってきたからこそだ。正直嗅覚以外の第六感でも働いているんじゃあないかと疑ったのは、内緒である。

 

「今日の朝ご飯は、摩多羅殿が用意してくださったのです」

 

「ふぅん。隠岐奈って料理できたかしら」

 

「失礼ね、貴女よりは100倍できるわ」

 

 紫の軽口に、隠岐奈がかぷっと噛み付く。倍率はさておき、成程否定すべき箇所が無い。紫がこの質の朝食を用意するのは、不可能とまでは言わずとも困難を極めるので。

 座布団に座って、全員で合掌。いつ如何なる時もご飯を食べる前の作法は欠かすべからず、である。いつもは2人、式の式がいても3人で囲むに過ぎない卓も、今朝は常ならぬ人数ということで些か狭く感じる。たまにはこんな風な、人口密度が高めの朝食があっても良いだろう。秋の気配が深まりつつある朝には、丁度良い暖かみだ。

 

 1口で食べ切れるサイズに切り分けられた卵焼きが、霊夢の口へと運ばれる。歯をほんの小さく押し返す微弱な弾力が、確かな食感を生んでいる。

 

「美味しい」

 

「霊夢は薄味が好きだったかしら。ごめんなさい、作った後で思い出したわ」

 

「いや、これはこれで美味しい。ほんとに」

 

 自分の味や硬さの好みは、他ならぬ自分自身が一番良く知っている。だけど、それを加味しても隠岐奈の作った卵焼きの方が美味しく感じる。何だろう、隠し味とかで奇天烈な捻りをもたらすタイプではなくて、単純にお勝手技量が高い。彼我の差に唸りながらも、箸を止められない。

 

 食卓は喧々諤々和気藹々、暫くぶりに温和な雰囲気が流れていた。

 

 

 

 

 

「このお味噌汁……強いわ」

 

「私も長く生きてきたけど、お味噌汁を強いと言う友人を持ったのは初めてね」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 鈴虫がいよいよ本格的に鳴き始め、夜の肌寒さに夏の終わりを感じる頃。紫は博麗神社を覆って()()結界を解除しに足を運んでいた。

 解除、と言うと少し語弊があるかも知れない。恐らく襲撃によって大きく破損、もしくは全壊しているだろうと当たりを付けているので、後始末とでも言うべきか。

 

「……」

 

 果たして、結界は跡形もなく消え去っていた。姦姦蛇螺に叩き割られ、消滅したのだろう。一切の手抜き無しに張り上げた防壁を突破されるとは、正直考えていなかった。有事の際の対策まで練っていたのは、彼女自身英断だったと思う。

 何にせよ、もうあの結界は用済みだ。壊れていたところで気にしやしないけど、本気のガードが敗れたことは若干腹が立つ。結界において、この幻想郷で紫の右に出る者はおらず、彼女はそれを己が誇りの1つとしているがために。

 

 破片が散乱していたら、それを片付けるつもりだった。神社で物を散らかしたままだと、霊夢に怒られてしまうので。一通り見て回ったところ、その必要は無さそうなので、次いで神社建築の屋内の調査に移る。

 あの時、藍とバトンタッチした直後に姦姦蛇螺は襲いかかってきた。屋内に踏み入って荒らし回るには、時間的余裕が無い。被害は無いに等しいだろうが、念の為という奴である。

 

 最も重点的に確認したいのは寝室だ。そこを破って霊夢を襲おうとした、と藍から報告が上がってきている。となれば、悪影響が発生しているとすればきっとそこだ。場所が場所なのでささっと見て退出しよう、襖を開け、危うく紫は噴き出しかけた。

 

 霊夢が寝ていた。いつの間に、さっきまで友人達との話に花が咲いていたじゃあないか。大方夜も更けてきたということで皆帰り、彼女は眠かったので布団を敷いたのだろうけど。タッチの差で遅かった、これでは入念な調査ができない。

 仕方がないので簡易的な調査に留めることにした。外へ繋がる出入口付近を中心に、手早く確認を進めていく。少なくとも直ちに人体へ害をもたらす置き土産は残されていないらしく、ならまぁゆっくりと寝てもらっても大丈夫か。

 

 霊夢はぐっすりと眠っている。怪我も順調に快方へ向かっており、全治は目と鼻の先だ。上手くいけば明日にも完全復活を遂げることだろう。いつも本当に良く頑張っているのは紫だって知っているし、怪我が治ってから1週間くらいは療養の名目でお休みをあげよう。出かけるなり友達と遊ぶなり、好きに使ってくれて構わない。

 

 整った寝顔は、無表情ながらも柔らかい。紫陽花のような少女だ。花開く僅かな時間(とき)が永遠になれば良いのに、そう願うのは無粋なのか。いっそ神にでもなってくれたらもっと長く一緒でいられるのに、そう想うのは無駄なのか。

 ……あぁ、とても眠い。そうだとも、そういうことにしておこう。これ以上は、透明な漆黒に囚われてしまいそうだ。そっと立ち上がって、部屋を後にした。きし、きしと微かに軋む床を歩く。

 

 人間の寿命は、遥か昔に神が決めた。顔の美醜に惑わされ、人は花の如く儚く散る定めを背負った。もし紫がかの神と知己であったなら、何てことをしてくれたお前と詰め寄っていたかも知れない。

 

 人間は有限であればこそ美しい。では無限を身に宿した人間は美しくないのか。時の流れに身を任せ、色褪せていくだけが種の本質か。

 八雲 紫は執着心が強い。諦めも悪いので、1度狙った獲物は逃がさないし手に入れた宝は手放さない。そんな彼女をして触れてこなかった灰域(グレーゾーン)、干渉を躊躇う禁忌(アンタッチャブル)。それこそが寿命である。

 

 人間を人間たらしめる、あまりにも脆い幹。内と外の境界は非常に強固で、とても乗り越えられたものでない。それでも、どうしても抑えが利かなくなってしまったなら。欲望が理性を惨たらしく打ちのめしたなら、禁を解くのも、吝かではない。

 

 人のいない居間に腰を下ろす。原初の色を残す原風景、黒の帳に身を隠す。この場所が、紫は好きだ。とても静かで、何も見えなくて、孤独が優しく身を包みこんでくれるから。心を攫う波を鎮め、凪の湖面を為すに相応しい。

 今こうして穏やかな心を求められるのも、様々な人妖のお陰だ。戦闘、保護、支援。種々の形で協力してくれた彼女達には、篤く感謝しなければ。暗闇の中で、薄い笑みが陽炎めいて揺らめいた。

 

 静寂は美しい。まるで絵画や彫刻のように。

 静寂は嫋やかだ。それは、ただそこにいる。

 静寂は静寂だ。それ以外の何者でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「紫様!」

 

 静寂は弱い。あらゆる音に掻き消される。

 

「騒々しいわね。何事?」

 

「そ、外を」

 

 息せき切って飛び込んできた式を窘める。恋人のように近く身を抱いていた孤独が、風の前の塵よろしく霧散するのを、少し惜しく思う。それに、久しぶりに実家で寝ている霊夢を起こすわけにもいかないし。

 ()()()()()()()()()、目が言外に訴えかけているような気がした。平時の落ち着きは見る影も無く、焦りが透けて見える。

 

「外をご覧くださいっ」

 

 そんなに衝撃的なものを見つけたのか。即座に紫へ報告してくる辺り、自分の手には負えないと判断してのことだろうが、一体何を目の当たりにしたのか。一先ず庭の遊びを接続する襖から、外を窺うことにした。

 

 ──絶句。

 

「……な」

 

 嗚呼、如何に表せと。闇に蠢く鈍い紅を、泡立ち沸き立つ半固体の巨塊を。

 まだ終わっていなかった。夜明けはまだ遠い。本当の恐怖が、ここに幕を開ける。


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