至高の方々、魔導国入り   作:エンピII

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第一章 
 至高の方々、魔導国入り カルマ-


 ゆっくりと目鼻を覆っていたガスマスクを外し、玄関に置かれたコートハンガーに乱暴に引っ掛ける。草臥れた靴を脱ぎ捨て、四日ぶりとなる自室に足を踏み入れた。

 アパートの一室は、センサーで感知した主人の帰りを照明で照らし出すことで迎え入れてくれる。それと同時に自動換気が静かに動き出す。

 そこまで広くはないが、契約した当初は新築だった。この部屋の設備は、家賃からすれば充実しているだろう。

 個人で住む部屋にしては少し過剰なほどに優れた電子錠に惹かれて契約した。いくらネット対策等を施しても端末ごと盗まれてしまっては意味がない、転職をし心機一転、これから再スタートだと当時の自分はそう意気込で契約をしたのだ。

 今思えば、浮かれていた。

 ゆっくりと、あまりの疲労の為にゆっくりとしか動けない身体を引きずって、リビングに繋がる扉を開く。

 玄関先の光量を落とされた照明と違い、リビングの灯りは部屋の主人をこれでもかと照らし出してくれる。最新設備、当時だが、ならば部屋の主人の気持ちを慮ってくれてもいいだろうと無茶なことを思う。

 

「……疲れた」

 

 転職をし収入は増えた。やればやるほど、結果を出せば出すほど、認められていく。転職した直後の自分はそれが嬉しくてガムシャラに働いた。前職の給料明細と見比べて思わず笑ってしまったほどだ。

 それでも今の職場は、充実した給料の代わりに福利厚生という言葉をどこかに忘れてしまったらしい。

 健康診断で要再検査の結果を突き付けられても、病院に行く時間が取れないほどに。休日前だからと限界まで無理を重ね、ようやく家に帰れるようになるほどに。

 

―体ですか? 超ボロボロですよ。

 

 以前口にした言葉だ。誰に向けて言った言葉だろうかと、ソファーにもたれ掛かりながら思い出そうとする。途中眠気に負けそうになるが、それが切っ掛けになり思い出すことが出来た。

 ユグドラシル、DMMO-RPG、転職と同時に自分が離れてしまったゲーム。

 サービス終了時に、なんとか時間を作り申し訳程度にログインした、自分の人生で一番時間を費やしたと断言できるゲーム。

自分はそのゲームで所属していたギルドのギルド長に向かって、そういったのだ。

 

 他にどんな事を話したかなと、ギルド長であるモモンガの骸骨頭を思い浮かべながら思い出そうとする。

 同時に当時の思い出が蘇ってきた。

 

 ナザリック地下墳墓を初見の一発攻略に成功した事。NPC制作可能レベルの高さに、興奮が堪えきれず思わず叫びだした事。ギルドメンバーから依頼された無茶みたいな行動AIプログラムを、必死になって組んだ事。お返しとばかりに、これでもかと自分の趣味を盛り込んだメイドのデザインを仲間に依頼した事。

 

 楽しい事ばかりではなかったが、それでも今思い返せばすべてが懐かしく思えて、口元に小さく笑みが浮かぶのがわかる。

 だが、すぐに口元から笑みが消えた。自分が最後にモモンガに言ってはならないことを言ってしまった事を思い出して。

 自分は皆で作り上げた思い出のナザリックを、それもたった一人で維持し続けてきてくれたギルド長に向かって、ここがまだ残っているなんて思いもよらなかったなどと言ってしまった。

 

「……失言だったなー……」

 

 当日ログインするために、数日前から無茶をして仕事を進めた。そのために心身共に疲れ切って、眠気がピークだったとはいえ、あまりにもな台詞だ。

 思い返せばあの時、モモンガには一瞬の間があったような気がする。あの人の事だから、こちらを思いやって口には出さなかったんだろう。

 せめて無理をしてでも、最後まで一緒に残るぐらいするべきだったのに、自分は疲れのあまり早々に別れの挨拶をし、ログアウトしてしまった。そのことも今さらながら悔やまれる。

 どうしようかと思う。気持ち的には今すぐにでも謝りに行きたい。そうしなければ自分が長い時間を費やしたユグドラシルの、晩節を汚すようで落ち着かなかった。

 

「よし」

 

 立ち上がって冷蔵庫から栄養ドリンクを取り出し、一気に飲み干す。すぐに眠気が消えるわけではないが、無いよりはマシだ。

 黒いコードを拾い上げ先端のプラグを首の後ろのジャックに差し込む。同時にヘルメットを被り、操作していく。

 

 ユグドラシルがサービスを終了し、もう二週間は経つ。ゲーム自体は残っていないだろうが、運営会社そのものが消えてしまった訳ではない。例えアバターが消えていたとしても、運営のアカウントが残っていれば、そこから連絡を入れることが出来る。

 現に自分は、例えばユグドラシルIIなどが始まってもいい様に、アカウントだけはそのまま残している。モモンガもきっとそうだと望みを掛けながら、必死に操作を進めていく。

 

「すみません、モモンガさん。謝らせてください」

 

 メールでも何でもいい。頼むから連絡がついてくれ。

 明日は久しぶりの休みだ。モモンガの都合さえよければ直接謝りに行ってもいい。アバターではなく、オフ会であったリアルの彼の顔を思い出しながら、なぜその時にユグドラシル以外の連絡先を交換しなかったのだと今さら嘆いてしまう。

 たどり着いた自分のアカウントから、フレンド機能を使ってモモンガのアカウントにメッセージを送る。祈る様にウインドウを見つめる。だが、

 

「……だめか」

 

 返ってきたのはエラー報告。モモンガのアカウントそのものが消えてしまい、メッセージは届かなかった。

 ため息をつきながら、ユグドラシル運営会社の告知を眺める。トップページはユグドラシルサービス終了を告げるもので、あれだけ糞運営糞製作と罵ってきたが、もうプレイできないのかと思うとやはり寂しさがある。

 先ほどと同じように思い出が蘇っては消えていき、何度か目で浮かんだ仲間のアバターの姿に、もしかしたらという希望がよぎった。

 

 彼はモモンガと一番仲が良かった。それに引退時にアバターは消して月額利用の課金は止めるが、アカウントだけは残すと言っていたはずだ。彼ならばモモンガの、ユグドラシルを介さない連絡先を知っているかもしれない。

 慌ててお目当ての彼、金色の派手な鎧に身を包んだバードマン、ペロロンチーノのアカウントにメッセージを送る。

 社会人らしい挨拶に、サービス終了時にモモンガに対し、いやギルドそのものに失礼な事を言ってしまい謝りたいという旨を添えて。

 

「届いた!」

 

 メッセージは弾かれずに無事送られた。時間が時間だけにすぐに返信がある筈もないが、無視されることは無いだろうと思う。

 再びため息、今度は安堵の息をつき、先ほどと同じようにかつての思い出に浸りながら意味も無くウィンドウを開いたり消したりを繰り返す。

 栄養ドリンクが効いてきているために眠気は薄い。このまま栄養ドリンクの効果が消えるまで、こうして思い出に浸っていてもいいだろう。

 

「ん?」

 

 気付くとユグドラシルのゲームウィンドウが立ち上がっていた。まだゲーム自体は残されていたのかと、懐かしさから思わずタッチする。恐らくスタート画面で、すぐサービス終了を知らせる画面に切り替わるのだろうと思った。

 

「……運営、何やってるんだ?」

 

 そんな思いとは裏腹に、通常のログイン作業が問題なく行われていく。自分のアバターもそのままだった。サービス終了しているため課金は止まっているはずだが、データはまだ残っていたのかもしれない。それでもここまで入れてしまう事は問題だろう。

 そういえばサービス終了時に自分はモモンガに対して愚痴ばかり零していた。連絡が取れ、謝ることが出来たのならば、今度は違う話をしよう。これはいい土産話になるかもしれない。

 あの運営、最後にこんなミスしてましたよと笑いながら。

 そしてかつての自分の姿、ヘロヘロのアバターに触れた瞬間、意識は途絶えた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「……ヘロヘロさん?」

 

 目覚めて、携帯端末で時間を確認しようとし、懐かしい人物からのメッセージに気付き思わず声が零れた。

 何年ぶりだろうか。自分がユグドラシルを引退して以来だから、少なくとも二年は経っている。だが懐かしいというよりは、今頃どうしてという思いが勝った。

 仲が悪かったわけではないし、むしろ良い方だったと思うが、それでもリアルに付き合いを持ち込むほどでは無かった。というより社会人ギルドはそういうものだろう。ゲームに嵌っている頃はリアルで会う時間を作るくらいならプレイをしたかったし、ゲームに醒め始めた頃ならばわざわざリアルで会おうとはしない。

 自分がリアルでも、オフ会を除いてだが、付き合いがあったのはギルド長のモモンガくらいだ。

 

「……そうか。ヘロヘロさん、最終日にインしたのか」

 

 失言をしてしまったという話だったが、ヘロヘロの人となりは知っている。本当に、意図せず出てしまった言葉なのだろう。

 だが、たった一言が切っ掛けで、今まで築き上げてきた大事なものが崩れる事はある。自分も社会人だし、実際それが起こるところも見てきた。早めに謝りたい気持ちはわかる。

 

 だが連絡先を知っているからと言って、勝手に個人情報を伝えるわけには行かない。悪用するような人ではないとわかっていても、モモンガの確認は取るべきだろう。いや、この場合自分は仲介に回るのが無難だ。

 それでもモモンガに連絡を入れることに、少しだけ躊躇いがある。

 

 躊躇う理由は、自分が最終日、ユグドラシルにログインしていない事だ。モモンガから、最終日にみんなで集まらないかという連絡は受けた。そして自分は曖昧な返信をし、結局は顔を出さなかった。

 理由は、自分たちが引退した後も、モモンガがたった一人でギルドを維持してきたことを知って。友人が墓守のように過ごしている間、自分はその時間を己の趣味に費やしていたことを知られたくなくて。

 

 エロゲー・イズ・マイライフ

 

 こればかりは、変えようがない。この根底こそが自分だ。

 モモンガもそれは、よく分かってくれていると思う。

 それでも、罪悪感はあった。自惚れるようだが自分は間違いなくモモンガと、一番仲の良いメンバーだったのだから。

 どうしようかと自室を出て、少し遅めの朝食を取ろうとリビングに向かう。

 そのリビングから声が漏れていた。両親の声に混じってもう一人。その一人の職業がらか、それとも自身の駄目が付く音感のおかげか、声の主が誰なのかはっきりとわかった。

 

「……姉ちゃん、来てたのか」

 

 両親にも挨拶をしてから、同じテーブルにつく。寝間着姿の自分と違い、昨日寝る前まではいなかった姉はこざっぱりとしていた。

 

「お前、休みだからって遅すぎるだろう」

 

「……休みの日だけだって。姉ちゃんこそ、どうしたんだよ?」

 

「今演ってるシリーズの打ち上げがあったんだよ。終電逃してな、こっちのほうが近かったんだ」 

 

「……どうせなら自分ちまでタクシー使えばいいのに」

 

「ああ? 節約は基本だろう」

 

 凄まれて、押し黙る。

 姉に睨まれて、これ以上何かを自分が言えるはずもない。

 正直、今の姉に節約が必要なのか疑問符が浮かんだ。

 姉がユグドラシルを引退したのは本業の忙しさからだ。代名詞ともいえる役をいくつも演じ、いまだに人気の陰りも見えない。もちろん本人の努力があってこそだろうが、当時より格段に売れっ子になっている。

 とはいえ今の稼ぎが良いからと言っても、貯蓄をしないよりは当然した方がいいだろう。今人気があるからといって、それが永遠に続くわけではないのだから。

 そう、ユグドラシルがそうあったように。

 

 姉に相談してみようかという気持ちが湧く。姉も最終日は収録がありログインしていないと言っていた。

 たぶんこのままでは自分は、一歩も踏み出せない。

 

「……姉ちゃん、聞いてもらっていいか?」

 

 自分はいつも何かに困った時はこの姉に相談し、後押ししてもらってきたのだから。

 

 

 

「連絡を取れ、今すぐに」

 

 姉の言葉は明解だった。だが、理解していても覚悟が決まらない。

 

「でも……」

 

「……私も最終日にログインしてないから気持ちはわかる。だけどこれは、それとは話が別。お前、ヘロヘロさんとも仲が良かっただろう?」

 

 姉に諭されて、ゆっくりと頷く。友人の頼みを、自分のちっぽけな罪悪感で無下にするわけには行かない。

 連絡してみると言ってから、携帯端末を操作する。

 ヘロヘロからモモンガのユグドラシルアカウントが消えていると聞いたが、自分は彼のプライベート連絡先を知っている。モモンガも今日は休みのはずだ、すぐに連絡が取れるだろう。

 だが思いとは裏腹に、一向に連絡がつかない。

 数度、時間を少し置いて繰り返しても駄目だった。呼び出し音がするだけで、一向に繋がらない。

 

 姉にそのことを伝えると、少しだけ訝し気に眉根を寄せる。

 姉もモモンガの事はよく理解している。連絡を取れない状況なら、彼は留守設定をするだろう。几帳面というよりは、邪魔や横やりを好まない人だからと知っているからだ。

 

「……モモンガさん、ユグドラシルのアカウントも消してるって言ってたよな?」

 

「うん、だからヘロヘロさんが連絡取れなかったって」

 

「……お前、モモンガさんがユグドラシル運営のアカウントを消すと思うか 」

 

「……思わない」

 

「だよな。私も運営のアカウントだけは残している。……一応確認してみるか」

 

 そういって立ち上がる姉に自分も続く。

 両親と同居している自分はもちろん、姉の部屋も姉が家を出て行った時とそのままになっている。そこで直接確認するつもりなのだろう。自分も姉に倣って自室に戻り、モモンガのアカウントを確認してみようとする。

 連絡がつかないことが、無性に心配になっていた。

 

 手早く進めていき、ユグドラシル運営のページに辿り着く。そして気づいた。

 まだユグドラシルのゲームが残っており、そこに消したはずの自分のアバター、ペロロンチーノが残っていることに。

 なんでという疑問が湧く。思わず唾を飲み込んで、高鳴る鼓動を感じながら、恐る恐るアバターに触れ、そこで意識が途絶えた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 目が覚め、そこで初めて自分が意識を失っていたことに気付く。急に意識を失うなんて、余程疲れていたのだろうと、いまだ混乱する頭を振る。

 思いのほかプルプルと震えたそれに若干の違和感を覚えたが、すぐに消える。それよりも開けた視界に映り込む風景が、今まで居たはずの自室とも、意識を失う直前までインしていたユグドラシル運営の画面とも違う事に気付いて、愕然とした。

 通路の左右に窪みがあり、その窪みに武装した石像らしいものが並んでいる。位置的に、自分もその窪みにいることがわかった。

 

 なんだこれと思いつつ右手を上げる。すると体の一部から、裂ける様に触手らしきものが分離した。

 驚いて視線を自分の腕に向けると、それはプルプル震えるピンク色の粘体でできた触手。

 悲鳴を上げなかったのは、自分でも驚くほどだった。べたべたと自分の体を弄れば、四肢のある人間の姿をしておらず、そもそも生命と呼べるのかも疑わしいピンクの肉棒ともいうべき粘体。

 

(まてまてまて、落ち着け私)

 

 そう気持ちを落ち着かせようとするが、先ほど悲鳴を上げなかった時と同じように、さほど驚いていない。まるで生まれた時からこの姿だったかのように。

 

(……ユグドラシルのアバターだよね)

 

 自らぶくぶく茶釜と名付けたアバター、まさにそれだ。当時の最終装備を身に着けた、盾以外は外装に表示されていないが、引退時そのままの姿だ。

 

(モモンガさんのアカウント確認しているうちに、消したはずの自分のアバターが残っていることに気付いた。それに触れてからの記憶がない。……ユグドラシルにインしたのか? サービスが終了しているのに?)

 

 疑問が次々に浮かび、一つずつ確かめるように、ぶくぶく茶釜は自らが出来ることを確認していく。

 

 まずコンソールは浮かばなかった。そしてコンソールを使わないGMコール等も使えない。もちろんログアウトもだ。明らかにおかしい。

 それなのに自らが習得していたスキルの使い方などは、まるで手足の動かし方のように理解できる。

 視線を自分と対になる窪みに向ければ、同時期に引退したギルドメンバーの装備を身に着けたゴーレム、いや、アヴァターラが置かれている。ならばここはナザリックの宝物殿、それもモモンガが名付けた霊廟のはずだ。

 

 そこであわてて自らの装備を確認する。

ここにはトラップが仕掛けられていた。ギルドの指輪なしでは入れない場所なのに、所持したまま霊廟に立ち入ればアヴァターラに襲われるという陰険な、実に自分達らしいと思えるトラップが。

 そして自分がギルドの指輪を所持していないことを確認し安堵する。同時に危惧も覚えた。もしここが本当にナザリック地下大墳墓の宝物殿ならば、ギルドの指輪なしでここから出ることは出来ない。

 

 だが今はできる事の確認からだ。未知の状況で不用意に動く事が危険なのは、リアルでもユグドラシルでも変わらない。動き出すのは確認がすべて終わってからでいい。

 そう思っている自分の前を、身に纏った金色の鎧から残光のようなエフェクトを曳き、一体のバードマンが特に警戒もしてなさそうに横切る。

 それを見た瞬間。ぶくぶく茶釜は気付けば構えていた盾を、その仮面を付けた顔に向かって投げつけていた。

 

「―痛っ!」

 

 盾が直撃したバードマンがこちらを振り返る。それに向かって、この訳の分からない状況に放り込まれたのが自分だけでは無かったと安堵しつつも、声を地よりもさらに少し落として話し出す。

 

「……おい、小僧。昔教えたはずだよな?不用意に出歩くなって。六つの頃そうやって物珍しさに負けて、迷子になったのを覚えてるよな、ああん?」

 

「…………も、申し訳ありませんでした」

 

 仮面に覆われた鼻っ柱を押さえながら、バードマン、弟のペロロンチーノが謝る。その姿にため息をつきながら、息は出ないが、ぶくぶく茶釜も窪みから抜け出した。

 

「ここ、ナザリックの霊廟だよな?」

 

「うん、いつの間にログインしたんだろう」

 

「というかお前、ちゃんと自分がギルドの指輪を持っていない事を確認したか?ここが本当にナザリックだったら、トラップが発動しているぞ?」

 

「……ご、ごめん」

 

 再び謝るペロロンチーノに、ぶくぶく茶釜も再びため息をつく。

 トラップが発動していないという事は、ペロロンチーノもギルドの指輪を所持していないのだろう。だが弟が、その確認もしていないことに頭を抱えたくなる。

 とりあえずそれは置いておくことにし、軽くお互いがどうしてこうなったのかを確認し合う。そうやって話している間に、ぶくぶく茶釜は弟の仕草にはっきりとした異常を見つけた。

 

「おい、ちょっとその仮面を外して喋ってみろ」

 

 何のことかわからなそうにするが、ペロロンチーノは姉の指示に素直に従う。素顔を晒して、言葉を発してみる。

 

「……いつからユグドラシルは表情まで作れるようになったんだ?」

 

「ホントに!? 」

 

 驚いてペロロンチーノが、確かめるように自分の顔に触れる。そして発した言葉と共に口が動き、表情も変化していることに気付き驚きの声を上げる。粘体のぶくぶく茶釜にはそもそも顔がないので、ペロロンチーノは気付かなかったのだろう。

 

「よ、よく分からないけど、とにかく一回ここから出ない? ここがナザリックなら、この先にパンドラズ・アクターがいるはずだし」

 

 いい加減今の異常性に気付いたのか、少しだけ怯えた様にペロロンチーノが言う。

 

「……そうだな」

 

 ペロロンチーノの言葉に頷き、二人で歩を進める。その合間にぶくぶく茶釜は周囲をそれとなく観察し、アヴァターラの数を確認する。左右の窪みの奥には四つの空席があり、さらに自分たちのアヴァターラが置かれていた場所も空席になっている。

 それを見て、一つの推測が生まれる。

 自分と弟はアバターを消していた。ならばこの姿は自分たちのアヴァターラなのだろうかと。

 

(サービス終了後に、自キャラを模したアヴァターラに意識が乗り移った?まさか異世界転移の類? いくらなんでもそれはないよな?私たちの世界はアニメじゃないんだよ? )

 

 自身が演じ、その中で異世界転移などの設定をもった物語のキャラクター達をいくつか思い浮かべながら、ぶくぶく茶釜は盾を二つ構えペロロンチーノの前を進む。

 探索役が居ない今、盾役である自分が先頭を歩く。ここがユグドラシルのゲームの中なのか、それとも全く違う世界なのかわからないが、警戒は必要だ。

 

 霊廟を抜け、待合室のような長方形の部屋に出る。本来ならばここにパンドラズ・アクターが配置されているはずだが、あの黄色い軍服に身を包んだ卵頭は見当たらない。

 その代わりというか、部屋の中心に黒色のドロドロとしたコールタールの塊のようなものがあった。

 ぶくぶく茶釜はペロロンチーノに目配せし、最大限警戒しながらゆっくりと近づく。ペロロンチーノもまた油断なく弓、ゲイ・ボウを構え、コールタールの塊を射線に収める。

 だが歩みを進めていくほどに、自然と警戒が緩んでいく。コールタールの塊は意識なく寝そべっているようだし、そしてその塊に二人は見覚えがあった。

 

「なあ、姉貴。あれって」

 

 二人の時は姉ちゃんと呼ぶ弟が、第三者が居る時の姉貴呼びに切り替えている。ぶくぶく茶釜も頷いた。

 

「私が接触する。お前は一応警戒しておけ」

 

「わかった」

 

 見た目からは想像しづらい軽快な動きで、ぶくぶく茶釜はコールタールの塊に近寄ってそれを覗き込む。

 自分をプルプルと表現するなら、こちらはドロドロだろう。同じ粘体だが、種族が違う彼の顔らしき部分を軽くペシペシと盾で叩くと、どういう原理なのか、うーんと口も無いのに呻き声を上げる。

 そして目らしき部分に光が灯ると、彼、ヘロヘロが叫んだ。

 

「うわ、ピンクの化け物! 」

 

 そう叫びヘロヘロは、グジョボ、グジョボと音を立てながら機敏な動きで後ずさる。

 

(お前もドロドロの化け物だろうが!)

 

 同じ粘体に化け物呼ばわりされ逃げられた。そのことに少しショックを受ける。

 それでもヘロヘロを警戒させないように構えた盾を頭上で振って、敵意がないことをアピールする。

 

「やっほー、おしさしぶりー」

 

「……も、もしかして茶釜さん? 後ろの方はペロロンさんですか?」

 

「そだよー」

 

 ぶくぶく茶釜はヘロヘロを安心させるように、意図的に声のトーンを上げて話しかける。

 

「久しぶりだねー。昔みたいに、かぜっちって呼んでくれていいんだよ? 私も前みたく、ヘロヘロヘロッチって呼ぶし」

 

「茶釜さんをそう呼ぶのは、餡ころもっちもちさんとやまいこさんだけでしょう? そもそも何ですか、ヘロヘロヘロッチって」

 

「……本物みたいね」

 

 軽い引っ掛けにも乗らなかった事で、中身も間違いなくヘロヘロであることを確信し、ぶくぶく茶釜はようやく盾を降ろす。同時にペロロンチーノも弓を降ろし、挨拶をするために歩み寄る。

 

「おひさーです、ヘロヘロさん」

 

「いやー、本当におひさーです、茶釜さんにペロロンさん。……それにすみません、急に連絡しちゃって」

 

「いえいえ、全然大丈夫ですよ」

 

 挨拶は大事だ。だが確認したいこともある。ぶくぶく茶釜は早々に挨拶を打ち切って、他の二人を促して部屋に置かれたソファーに腰掛ける。

 

「ヘロヘロさん。早速だけど今の状況は理解している?」

 

「……いえ、自分はいま気付いたばかりです。ここは、……宝物殿ですか?ナザリックの。いや、そもそもここはユグドラシルなんでしょうか?なんでログインしているんだ? 」

 

 混乱し始めたヘロヘロに、ぶくぶく茶釜は体から裂かれ出た触腕のようなものを向け、落ち着かせるようにポンポンと彼の肩らしき部分を叩く。

 

「おーけー、ゆっくり確認していこう。ヘロヘロさんはもしかしてここに来る直前、ユグドラシルで自分のアバターを見つけた?サービス終了後なのに」

 

「そうです! その通りです! ……そうだ。試しにいつものログイン作業と同じように触れてみたら意識が……」

 

「うんうん、私たちも一緒だね。それでヘロヘロさんは最終日にインしたんだよね?アバターは消してなかった?」

 

「ええ。プレイはしていませんでしたが、月額課金は続けていましたので」

 

「最終日にアバターが残っていたのはヘロヘロさんとモモンガさん、それに後二人。間違いないかな?」

 

「大丈夫です、モモンガさん以外のお二人には時間が合わずに会えませんでしたが、ログイン履歴で確認してあります」

 

「なるほどなるほど」

 

 ピンクの肉棒が納得した様に何度か頷く。

 その間ペロロンチーノはもちろん、ヘロヘロも声を挟まない。未知の状況に対する対応力とでも言うのか、その部分においてはぶくぶく茶釜が、三人の中でもっとも優れていることを理解しているからだ。

 

(私と弟は霊廟で目を覚ました。アバターを消していた私たちがログインするには、アヴァターラに憑依するしか無かったと仮定する。ヘロヘロさんはアバターがサービス終了日まで残っていたのだから、ここで目覚めた?……いや、そもそも私たちはともかく、なんでヘロヘロさんまで宝物殿で目覚めるんだ?普通に円卓でもいいだろうに)

 

 円卓という単語が浮かび、ぶくぶく茶釜は一つ思いつく。

 

「もしかしてヘロヘロさんはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持っている?」

 

「えーと……ああ、ありますね」

 

 そういってヘロヘロは自分の体から弄る様にして指輪を取り出す。粘体は手に持った外装以外は表示されない。そのためその他のアイテムは体の中に埋もれたようになる。

 

「弟、身に着けてる装備品以外に何か所持しているアイテムはあるか?」

 

「……何も無いな」

 

「私はありますよ。……うん? これどうやって取り出すんだ?」

 

 試行錯誤するようにヘロヘロが触腕を動かし、そしてそれが何もない中空に沈む。

 

「おお」

 

 ペロロンチーノが驚いたように声を上げる。

 ヘロヘロは中空から取り出したアイテムをテーブルの上に並べた。薬品の類にスクロールがいくつか、どれもユグドラシルで当たり前のように使われていたものだ。

 そしてぶくぶく茶釜は確信する。

 

(私と弟が装備品は身に着けているのにアイテム類を所持していないのは、基になったのがアヴァターラだからだ。だからギルドの指輪は持たされて無い。ヘロヘロさんは違うから、最終日に所持していたアイテムを今も持っている。……まあこれで、ここから抜け出せないって落ちは無くなったけど、やっぱこれ異世界転移とかゲームの世界に取り込まれたとかの類っぽいな。わかっても何も問題は解決しないけど)

 

 アバターを消していた自分たちがここに居ること、表情があることなどの本来のユグドラシルとの仕様の違い。ここで目覚めるまでの状況からいって、ゲームの世界に取り込まれたというのが、いちばんしっくりくる。

 目覚めたばかりのヘロヘロはもちろん、ペロロンチーノも不審がってはいるが、ゲームの世界に取り込まれてしまったかもとは思っていないだろう。今はまだ混乱を強めるだけだと、ぶくぶく茶釜は自分の推測を口にしない。

 何かほかに情報は得られないかと考えていると、さきほどヘロヘロが広げたスクロールの一つに着目する。

 

「ヘロヘロさん、それ使ってもらっていい?」

 

「<伝言(メッセージ)>ですか? 大丈夫ですよ、それで相手は?」

 

 アヴァターラの空席は自分と弟を除けば四つ。一つはヘロヘロとすれば、残りはサービス終了時までアバターがあったメンバーのもの。もしここに他のギルドメンバーがいるのなら、必然的に霊廟にアヴァターラが残されていない人となる。

 ならば一番繋がると思われるのは―

 

「―モモンガさんでお願い」

 


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