至高の四十一人という名の化け物の一人が此方に向かってくるのを見て、エルフ達は思わず緊張し、そして恐怖した。
アインズ・ウール・ゴウン魔導国、その支配者であるという至高の四十一人。ここ数日で無理やり施された教育では、強力な力を持った人ではない化け物の集団だと言う。
舞踏会に参加したエルフは五人。最初はもう少し居たのだが、この国の皇帝の最終チェックを超えたのはそれだけだった。最初に経産婦は弾かれた。奴隷となる前線に出るエルフの女の殆んどが、エルフ王の御手付きだ。出産の経験がある者は多い。
舞踏会に参加できなかった者たちは、元の主人のもとに返されたのかもしれない。恐らく自分達同様碌でもない所だろう。この帝国でエルフに人権など無い。そしてエルフは人よりも優れた容姿を持つものが多い。そういったエルフがどう心を砕かれ、どんな目に遭うかは、自分たちが一番理解している。
エルフ達は慌てたように一斉に頭を下げ、醜悪な巨人を迎えた。
この醜悪な、それでいてエルフよりも優れた美貌を持つパートナーを伴う巨人を篭絡できなければ、自分たちに未来はないことを理解しているから。
「こんにちは。初めまして、ボクはアインズ・ウール・ゴウン魔導国至高の四十一人のやまいこです」
こう名乗るのはまだ少し抵抗あるんだけどねと恥ずかしそうに続ける、このやまいこと名乗る醜悪な巨人の声にエルフ達は驚く。よく通る、そして女性らしい綺麗な声をしていたからだ。
「あ…………。わ、私達は」
緊張からか、あまり口が回らず名乗ることすら上手くできなかった。そんなエルフ達にやまいこは優しく語り掛ける。
「緊張させちゃったかな?無理もないか、ボク怖い顔をしてるから」
緊張を解そうとしているのか、やまいこが笑う。だがすぐにそれを否定する声が上がった。
「やまいこ様はお美しいです!」
急に夜会巻きをした女が叫ぶ。その声に、エルフ達だけで無く、やまいこも吃驚した様に自身のパートナーを振り返った。
「あ、ありがとうユリ。でも、無理して褒めなくて大丈夫だよ?」
「そんな事はありません!やまいこ様は誰よりも美しく、そしてお優しい方です!」
必死に言うユリというパートナーに、わかりづらいがやまいこは苦笑いした様に見えた。そして軽く、ユリの髪型を崩さないようにか、額の付近を撫でる。その見た目からは想像もできない優しい仕草に、エルフ達はまたもや驚かされる。
「ふふ、嬉しいな。ありがとうユリ」
「ぼ―私は本当の事を言ったまでです!」
興奮した様にユリは言うが、それが嘘やお世辞で言っているのでは無い事はエルフ達にも理解できた。少し話を聞いただけでも、このやまいこは優しさに満ちていた。そう、スレイン法国に囚われ、帝国に流れてくる間に出会ったどんな人間たちよりも。
「ああ、ごめんなさい。ボクから話しかけたのに。……失礼だけど、その耳はどうしたのかなって、踊ってる時からずっと気になってたんだ」
言葉に、思わず途中から切り落とされた耳に触れる。奴隷の証たるそれに。
今回の舞踏会で、至高の四十一人を篭絡するために集められた女たちは美貌を重視している。この斬り落とされた耳は大いに欠点であろう。その欠点さえなければ、この舞踏会に参加するエルフの数はもっと多かったはずだ。
だが帝国には部位欠損を癒せるほどの信仰系魔法詠唱者は居ないらしい。居たとしても帝国は今神殿勢力と不和を起こしているから無理だと、選抜時にあの皇帝が言っていたのを覚えている。
「あの……これは……」
恥じる様に、手で耳を隠す。故郷から連れ去れられ初めて出会った優しい人、モンスター相手でも、この醜く斬り落とされた耳は見られたくはなかった。
「……<
癒しの光がエルフ達を包む。光が収まった頃に、自分たちに変化が起きている事に気付く。
恐る恐る切り落とされたはずの耳に触れると、それが癒され元に戻っている。思わず確認するように他のエルフ達を見れば、皆同様に切り落とされた耳が、傷跡一つ無く癒されていた。
「ごめんね。勝手に癒しちゃった。ボクの妹も、エルフなんだ。だからどうしても気になってて」
申し訳なさそうにするやまいこの顔がよく見えない。理由は解かる。自分たちが涙を流しているからだ。漏れる嗚咽を隠そうと口を手で覆う。だが幾人かのエルフは膝をつき、泣き崩れてしまう。うれしかった。やまいこは傷を癒してくれただけでなく、こちらを労わる様に優しく声を掛けてくれた。
「……良ければ事情を聞かせてくれるかな?どこまで力になれるかわからないけど、キミ達の身の安全くらいは守ってあげられると思う」
そう言って優しく肩に触れられる。醜悪な見た目に反し、その手は暖かく、慈愛に満ちていた。
「あ……わ、私た……ち……」
言葉に詰まるエルフ達にユリが優しく言う。
「やまいこ様は至高の御方たちの中で一番お優しい方です。その御方が約束されたのですから、心配ありません。……貴方たちは、この方に救われたのです。安心なさい」
「ちょっと、ユリ。大げさ」
「私は事実を言ったまでです」
「もう。少しモモンガさんの気持ちがわかってきたよ……。よし。……こほん。キミ達はボクが―アインズ・ウール・ゴウンの名に懸けて保護を約束します。だから、ゆっくりでいいから話してくれるかな?大丈夫、ボクも、ボクの仲間たちもとっても強いから」
そう笑うやまいこに、エルフ達は涙に濡れた顔を伏せ、平伏した。自分たちの境遇を聞いてもらおうと。そして救ってもらおうと。
こうして至高の四十一人を篭絡するべく集められたエルフ達は、やまいこによって保護されることとなるのだった。
◆
「皆、よく働いてくれました」
舞踏会会場でソリュシャンに抱きかかえられたヘロヘロの言葉に、一般メイド達が一斉に頭を下げる。ヘロヘロとしてはここでお礼の一つでも言いたいのだが、どうもお礼を言うのは受けが良くない。だからヘロヘロは別の褒め方をする。
「ナザリックの、そして私のメイドとして、とても誇らしく思います」
メイド達が感極まったように、再び頭を下げる。ヘロヘロはその彼女たちに頷くことで答えた。
ダンスパートナーを務めてくれたソリュシャンは勿論の事、一般メイドの彼女達もこの一週間よく頑張ってくれたと、ヘロヘロは素直に思う。各々のダンスパートナーの着付けを手伝うのは当然彼女達だし、護衛用に召喚した傭兵NPCに対して教育を施したのも彼女達だ。ナザリックを離れる事にも嫌な顔をせず、むしろ誇らしげだった彼女達に何の不満があろうか。
そんな自分が創造した理想たちに、何か答えなければ創造主失格だろうとヘロヘロは思う。
(まあ、私の財布事情は相当ヤバいんですけど……)
それでもだ。何か応えなければならない。ヘロヘロは覚悟を決めて彼女達に問うことにする。
「今回の働きを讃え、褒美を授けたいと思います。何かありますか?……ソリュシャン、君は?」
最初にダンスパートナーを務めてくれたソリュシャンを振り返りながら見上げる。抱きかかえられているので、顔を合わせようとすると、どうしてもこうなるのだ。
「……私はもう戴いております。これ以上の褒美は過分かと」
「ん?そうですか?」
もしかして今ソリュシャンが着ているドレスの事だろうかとヘロヘロは思う。もしそうならば、それは仕事初めに支給する制服のようなもので、褒美と言えるのだろうかと首を傾げるが、無垢な子供が欲しいと言われても困るのでそれ以上は何も言わないでおく。ヘロヘロはこれ以上ぶくぶく茶釜に怒られたくないのだ。
「では皆は何が欲しいですか?遠慮せずに言ってください」
改めて一般メイド十三人に向き直る。もしかすれば固辞されるかもと不安に思っていたが、彼女達はもう一度頭を下げ、代表するようにインクリメントが一歩前に出る。
「では、ヘロヘロ様にお願いしたい事があります」
「ええ、どうぞ」
何かをねだられるというのも悪くないとヘロヘロは思う。子供は勿論、彼女も家族もヘロヘロは居ないのだ。初めての経験に自然と気分が高揚する。
(インクリメントは新しい本か何かだろうか。他の子は美味しいお菓子とかかな?ああ、子供や恋人にプレゼントをあげる気分って、こんな感じなのかもしれませんね)
ワクワクしながら、彼女達の願いの言葉をヘロヘロは待つ。
「私たちも、ヘロヘロ様をその胸に抱く名誉を賜りたく存じます」
「……はい?」
思わず聞き返す。彼女達が何を言っているか理解できない。いや、理解は出来ている。ただ、なぜそれが褒美なるのか理解できないだけだ。
「ええ?えーと……それは私を抱っこしたいという事ですか?」
念のため確認すると、彼女達は一斉に表情を暗くする。却下されると思ったのかもしれない。
「……駄目でしょうか?」
その残念そうな、無念そうな、そんな感情が込められたインクリメントの言葉に、本気かこの子達と思わずヘロヘロはソリュシャンを窺う。ソリュシャンは一瞬逡巡するが、すぐに首を縦に振った。どうやら本気でそれが褒美になるらしい。ならば今の逡巡は、ヘロヘロを手放すことによるソリュシャンの躊躇いだというのか。
「……いえ、構いません。少し驚いただけです。ソリュシャン?私をインクリメントに渡してもらえますか?」
「……はい」
明らかに名残惜しさが込められた言葉と共にソリュシャンは、まるで赤ん坊を抱き渡すかのようにインクリメントに近づきヘロヘロを差し出す。
その姿に一般メイド達は目を輝かせ、特に最初に渡されたインクリメントは普段の物静かな姿からは想像も出来ない程に興奮していた。
「……ふわあああぁ」
ヘロヘロを抱きかかえた途端、聞いたことも無いような声をインクリメントは上げる。
「大丈夫ですか?酸性は勿論カットしてますが、私重くありませんか?」
五十レベルを超えるソリュシャンと、一レベルの一般メイドの彼女達とでは筋力に大きな差がある。いくら今のヘロヘロの体が小さいとはいえ、重くない訳ではない筈だ。それでも―
「重くなんてありません!ずっとこうしていたい位です!……ふわあああぁ、柔らかくて冷たくて気持ちいい……」
(ほ、本当に大丈夫か、この子達!?……まあ、このシチュエーション!私的にはご褒美ですけどね!かなり変態っぽいので口に出して言いませんけど!)
ヘロヘロ的には一般メイドの胸に抱かれて文句がある筈もない。
しかし彼女達には本当にご褒美になっているのか表情を窺うと、インクリメントはご満悦だし、順番待ちをするデクリメント達はそわそわしている。
(……彼女達が満足するなら、それで良しとしますか。私には得しかありませんしね!)
こうしてヘロヘロは舞踏会のラスト、オナーダンスの時間まで一般メイド達に代わる代わる抱かれる事となる。
そしてこれはアインズ様当番に続く、ヘロヘロに創造された一般メイド限定の新たな当番。ヘロヘロを抱きかかえて移動の手伝いをする、通称『ヘロヘロ様当番』。その誕生の瞬間でもあったのだ。
(……はあぁー、しかし柔っこくて気持ちいい。……ん?)
メイド達に新たな役目が誕生した事を気づかないヘロヘロは、後頭部に当たる柔らかな感触に、メイド達と同じような感想を抱きながらも目ざとくやまいこに視線を向ける。
視線の先ではやまいこが、帝国の貴族だろうか、ドレス姿の女性に話しかけられ、その手を取ろうとしていた。
ダンスに誘われたか、誘うかしたのだろう。舞踏会であるなら別におかしいことでは無い。
ヘロヘロが注視したのは、その貴族らしき女性だ。
茨を編んだようなサークレットに蒼い薔薇が乗っている。特に視線を奪われたのはその髪色だ。綺麗な金髪で、縦ロール。自分の理想たるプレアデスとの共通項。
ヘロヘロは何度か頷いてから、ぽんと右手らしき部分で造った拳らしきものを左手らしき部分で造った掌に打ち付ける。
「うん!あの子を、ナザリックに連れ帰りましょう!」
◆
「……初めまして、アインズ・ウール・ゴウン魔導国至高の御方。一曲お相手頂けますでしょうか?」
ラキュースは今までの自分の恐れが嘘だったように、堂々と至高の四十一人に対して声を掛ける事が出来た。自分の足が恐れを覚えたように動かなかった先ほどまでとは違い、今のラキュースに迷いは無い。
このティア、ティナの二人から教わったやまいこという名の至高の四十一人が、帝国の奴隷と思われるエルフの傷を癒す場面を目撃した為だ。傷を癒された事に感激したのだろう、泣き崩れるエルフ達に手を差し伸べる様は、ラキュースの目から見ても慈愛に満ちていた。
「御方の相手を、一度譲って頂いても?」
ラキュースは舞踏会の礼儀として、パートナーの女性にも声を掛ける。マナーとして初対面の女性からダンスに誘うのは正しい礼儀とは言えないが、この際仕方が無いだろう。
見れば帝国からの出席者には女性が多い。その幾人かは、怯えを隠しながらも、必死に他の至高の四十一人に声を掛けているのが見える。今回の依頼を受ける際にラナーが言っていた帝国皇帝の別の狙いというのにも、ラキュースも薄々気付き始めていた。
篭絡しようとしているのだろう、この至高の四十一人を。そして自分達に依頼が来たのも、蒼の薔薇メンバー全員が女性という理由もあったはずだ。
「わぁ!嬉しいな!まさか誘ってもらえるだなんて思ってもみなかった!勿論。ボクで良ければ、踊って頂けますか?」
やまいこの声に、ラキュースは驚く。想像していた声と違い、女性らしい澄んだ声をしていたからだ。
驚きを必死に抑えつつ、一礼して下がるやまいこのパートナーを見送る。そして、笑顔を浮かべているのか、やまいこの帽子の下の醜悪な顔が歪んでいた。ラキュースはその顔に、先ほどのエルフ達とのやり取りを見ていたせいか、それ程の嫌悪感は覚えずに、やまいこから伸ばされた手を取ることが出来た。
まずは第一段階の成功だ。やまいことパートナーを引き離すことが出来た。
イビルアイは、やまいこ本人よりも、パートナーの女性を気にしていた。
ヤルダバオトが引き連れていたメイド悪魔の一人アルファと、佇まいが似ているらしい。交戦時は互いに仮面をしていたために確証はないらしいが、ラキュースがやまいこと一曲踊っている間にイビルアイが接触する手はずになっていた。
(……お願いね、イビルアイ)
至高の四十一人。この存在は、いずれ来るであろうヤルダバオトとの戦いにおいて、切り札になる者なのか。それとも至高の四十一人こそが、ヤルダバオトと与する者なのか。
ラキュースはこの一曲の踊りで、それを見極めようとしていた。
「そういえば、自己紹介はまだだったね。ボクは魔導国至高の四十一人のやまいこです」
何度言っても慣れないなと笑うやまいこが自己紹介すると、手を握ったダンスに誘ってくれた貴族らしき彼女は微笑んで答えてくれた。
「ありがとうございます、やまいこ様。蒼の薔薇、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラと申します」
「うわ、凄い!アダマンタイト級冒険者の!?」
「……私達をご存じなのですか?」
「うん、話は聞いています。モモン―」
そこまで言って、やまいこは失言を悟る。蒼の薔薇の話はアインズから聞いているが、そう正直言うのは不味い。どう言い繕うかと迷っていると、先にラキュースから口を開いた。
「ももん?漆黒のモモンから私たちの話を?」
うまい具合に誤魔化せたようだ。分かりやすい偽名を使ってくれていたアインズに感謝して、やまいこは慌てて頷く。
「そう、モモンさんから聞いています。とても強い冒険者チームだって」
イビルアイという仮面を被った少女らしき人物にエントマが殺されかけた話を思い出し、王国での件は確実にこちらに非があるとやまいこは思っているが、それでも僅かに体が強張る。
やまいこの変化に、ラキュースが少しだけ緊張したようだ。やまいこは慌てて笑顔を浮かべて、彼女を安心させる。それと共に、意図的に今はまだ王国での件は忘れることにした。
「そうですか、彼が……」
色々考え込んでいるようだが、やまいこもまたラキュースとの距離を測りかねていた。アインズから蒼の薔薇の話は聞いているが、ほとんど名前くらいだ。イビルアイという人物に対してはかなり感情が籠っていたが。
そういえばとやまいこは思い出す。このラキュースという女性が魔剣の使い手で、国一つを飲み込む力を持つかもしれないとアインズが語っていた事を。誇張かもしれないが、警戒が必要だろうとも。この状況を利用して真偽を確かめるべきだろうか。
いろいろ考え込み始めるが、それでもラキュースと共にステップの一歩目を踏む。今流れている音楽は現地の曲なのだろうが、なんとなくリズムは理解出来ている。それなりに踊れはするだろう。
さてどうするかと悩むやまいこに線のようなものが伸びてくる。<
『やまいこさん、やまいこさん』
<
『その人、私に紹介して下さい!』
緊急案件かと思い<
『いやー、一目で気に入りました!金髪に縦ロール。胸もそれなりに大きそうですし。うん、ナザリックに人間はレイナースとセバスの子しか居ませんしね。オーレオールは八階層から中々動けませんし、増やしてあげようと思っていたところなんですよ』
まるで日中に一人でお留守番をしているペットが可哀想だから、もう一人増やそうと思いますというような気軽な口調でヘロヘロが続ける。その彼に思わずやまいこは頭が痛くなり始めた。
レイナースの件も、ヘロヘロはぶくぶく茶釜からかなり厳しく叱りつけられたと聞いていたが、どうやら彼は懲りていないらしい。
(……満喫してるなー、ヘロヘロさん……)
本当にこの世界を楽しんでいる。楽しみ過ぎだ。
「……かぜっちに知らせるよ?」
だから忠告を籠めて、一言だけ<
『……諦めますので、この件はどうかご内密に……』
それだけ言って<
凄まじい効果だ。
思えばぶくぶく茶釜が肉親でもないヘロヘロに対し、必要以上に厳しく当たったのはこういう暴走を押さえつける為だったのではないだろうかと、やまいこは思う。
「……かぜっちに知らせる?」
「ああ、ごめんなさい。……なんでも、なんでもないんです……」
やまいこの呟きは当然一緒にダンスを踊るラキュースにも届いていたらしい。疑問符を浮かべる彼女にやまいこは何でもないと首を振る。
ラキュースに対して申し訳ない気持ちで一杯だった。本当に、身内が不埒な事を考えてごめんなさいという気持ちで。だから決意を籠めて呟いた。彼女を混乱させるだけだろうと承知しながらも。
「……ラキュースさんは、ボクが守るからね……」
「……私を守る?それはどういう事でしょうか?」
予期せぬやまいこの言葉に、ラキュースは混乱する。
この目の前のやまいこは、不思議な相手だった。
醜悪な見た目に対し、声はとても優しく、舞踏会の喧騒の中にあっても聞き取りやすいものだった。
何よりもラキュースが驚いたのは、こちらを見るその目だ。
ラキュースはアダマンタイト級冒険者として、様々な化け物と相対してきた。その中で、やまいこのような目をした相手は、一体、一匹、一人とていなかった。
優しい目。まるでこちらを慈しむような、そんな目だった。
「ええーと、守るというのはね……」
当然のラキュースからの質問に、言葉に詰まる。だが正直に自分の仲間がラキュースの容姿を気に入って攫おうとしているので、ボクが守るから安心してねとは言えない。
「……脅威が迫っています。ボクはそれから貴方を守るとしか、今は言えないんだ……」
あまりに情けなすぎるから。
「……脅威?」
やまいこの感情が、ダンスを共にし、僅かずつだがラキュースにも読み取れるようになってきた。声と瞳に籠められた感情は憂い。やまいこは確かに何かを憂いている。
ラキュースはその憂いに籠められた真意を必死に読み取ろうとする。
脅威。
その脅威から、やまいこが守ると言った。ならばその脅威とは。
すぐさまラキュースの頭に一つの名前が思い浮かぶ。やまいこはどうやら魔導国でモモンと親交があるらしい。どの程度かは不明だが、そのモモンと自分達蒼の薔薇の話をする事があるならば、話題は一つしかない筈だ。
すなわちヤルダバオト。
もしかすればやまいこは、魔導国は、ヤルダバオトについて何か情報を得ているのかも知れない。だから脅威が迫っているという表現をした。直接ヤルダバオトの名前を出さないのは、今の王国と魔導国の関係を慮ってか。それとも何か魔導国側の事情だろうか。だがやまいこは、こうも言った。
守ると。
「……やまいこ様は、守ってくださると?」
ヤルダバオトの脅威からという思いを込めて、ラキュースはやまいこに尋ねた。
「……はい、守ります」
ヘロヘロの魔の手から。そうやまいこは思いを込めてラキュースの問に答えた。
間違いない。ラキュースはそう確信する。
ヤルダバオトと魔導国は、敵対関係にある。少なくともやまいこは、ヤルダバオトとの戦いにおいて、味方になってくれるのは確かなはずだ。
やまいこのパートナーがメイド悪魔と似ているというイビルアイの推測は、恐らく杞憂だろう。もしやまいこのパートナーがヤルダバオトの部下ならば、漆黒のモモンがそのままにしておかない筈だ。その証拠に、この舞踏会にはモモンのパートナーであるナーベの姿もあるのだから。
そうラキュースが思うと同時に、流れていた曲が一度途切れる。出来ればこのままやまいこと踊り続け、様々な事柄に対する擦り合わせをしたかったが、正式なパートナーが居る相手と続けざまに踊るのは無作法だ。この場の貴賓であるやまいこにそのような行いをする訳には行かなかった。
名残惜しそうに、ラキュースはやまいこの手を放し頭を下げた。この場で許される最敬礼をもって。
「ありがとうございます、やまいこ様。……夢の様な時間でした」
王国と魔導国。二つの国が抱える問題は多い。
だが少なくともヤルダバオトに対しては、至高の四十一人やまいこという強力な味方を得ることが出来た。
「こちらこそラキュースさん。ボクと踊ってくれてありがとう。楽しかったです」
笑うやまいこに、ラキュースも微笑む。
「……やまいこ様は、あのエルフの方達をどうされるのですか?」
ラキュースの問に、やまいこは躊躇う事なく答えた。
「あの子達はボクが保護します。あの子達の主人という人の元には、帰しません」
予想通りの答えに、ラキュースは頷く。帝国におけるエルフの現状は、ラキュースも知っている。人々を守らなくてはならない冒険者の自分達が、国の垣根があるとは言え、守ることが出来ていない彼女達の現状を。
やまいこを知らない人間が今の言葉を聞けば、醜悪な怪物がエルフを攫う非道の行いと非難するかもしれない。勿論直接は言わずに、影に隠れて、自らの身が守れる安全な場所で。その見た目だけから判断して。
だがラキュースは違う。ラキュースはやまいこに気高い精神、光を見ていた。ラキュースはそんな印象を他人に抱かせる人物は、もう一人しか知らない。そう、ラナーと同じ光を、ラキュースはやまいこの中に見たのだ。
「……最後に一つだけ。やまいこ様はカッツェ平野での戦いについてどう思われていますか?」
瞬間、やまいこの瞳に悲しみの感情が過る。その感情を読み取ったラキュースはすぐさま頭を下げ、謝罪する。
「一介の冒険者が失礼をしました。今の質問はお忘れ下さい」
「……ありがとう、ラキュースさん」
「いえ。それではまたお会い出来る機会を楽しみにしております。至高の四十一人やまいこ様」
「ボクも楽しみにしています。……でも出来れば、次はやまいこって呼んでもらいたいな。ボク達、もう友達でしょう?」
流石に気が早いかな、そう続けて笑うやまいこに驚く。そしてやまいこが何を望んでいるのか理解できたために、ラキュースは戸惑いながらも口を開いた。
「ありがとうございます。その、やまいこ―――さん」
「わぁ!……ふふ、嬉しいな。ありがとう、ラキュースさん」
本当に嬉しそうに笑うやまいこに、ラキュースは再び頭を下げてから離れた。
「よう。どうだった?」
仲間達の元に戻ると、ガガーランがグラスを掲げて出迎えてくれる。一体何杯飲んでいるのか。珍しく顔に朱が差すほどに飲んでいるようだが、当然足取りもしっかりしており、呂律が怪しいという事も無い。
「……驚いたわ。少なくとも対ヤルダバオトという一点においては、協力できると思う」
一曲踊るだけの短い時間だったが、信じられない事の連続だった。だがラキュースは確かに得ていた。やまいこという強力な味方、いや、失礼を承知で言うならば友達を。
「……まるで人間のようね」
「そこが怖い所でもある。彼もそうだった。受ける印象は普通の人間。でもその力は、人を超えている」
ラキュースの呟きに続いたティナの言葉に頷く。
「でも、だからこそ、信用できるかもしれない」
「だな。あとはイビルアイの心配事だけか?……蟲のメイドなら兎も角、他の連中はうちのおチビさんしか解からないしな」
一曲踊る間の短い時間だったが、イビルアイが話す時間は十分とれたはずだ。
ラキュースは、やまいこのパートナーとの話を終えたのだろう、今度はティアとティナの二人が接触した弐式炎雷という名の忍者のパートナーであるナーベの元に向かっているイビルアイの姿を目で追いながら口を開いた。
「そうね、イビルアイに任せるしかないわね」