ナーサリー・ライム 童話の休む場所 魔女の物語 作:らむだぜろ
まず、根本的な疑問を聞いてもよろしいであろうか?
人間は、水の上を走ることが可能なのか。
(いや無理ですよ。人間はアメンボじゃないんですよ!?)
結論、少なくとも亜夜が知る限り、海上を水飛沫をあげながら疾走するのは不可能。
じゃあ、次の質問だ。
眼下で、その不可能と思われる芸当をこなしている、あの人狼はなんだ?
(バカな……そんなバカなことがあってたまるものですか!!)
何なんだ、あの物体は。
奴は果たして人間か?
派手に水飛沫を上げ疾駆する姿はまさにUMA。
成る程、合致がいった。この世界は、童話以外にも未確認神秘動物がいたらしい。
あいつは現実世界出身だった気がするが、ならば現実世界の童話にすればいい。
最早そんなレベルだ。あながち、間違っている気がしない。
(そんな阿呆な……)
亜夜はオカルトを信じる方ではないが、あの爆走する謎の物体Xを見る限りバカにできないと思う。
いっそ、少しばかり覗いてみるか、とよからぬ考えを思い浮かべ、彼女は青空を飛翔していく。
とある少女には、実に厄介な呪いが世界から与えられた。
それは童話、ピノキオの呪い。嘘をつく、真実と異なることを言う、行うと鼻が伸びる。
正確に言うと、鼻が出っ張っていく。そのうち、奇形になって痛みが激しくなって苦しみだす。
逆に真実に基づく言動を起こすと元通りになる。
幸い、基準は『彼女の認識した事実』であるため、勘違いなどはあまり含まれないのが救いだった。
他人が嘘だと言っても、彼女が本当のことだと信じこんでいる事象は呪いの対象外。
明確に、彼女の意思で嘘をつく言動を起こすと苦しむはめになる。
だから、彼女は人との関わりを避けた。答えない、という選択肢をとり身を守った。
この世界に来たばかりの彼女に目をつけた同僚にセクハラを受けて、彼女はずっと悲しんでいた。
まるで自分の呪いをオモチャのようにする男だった。
何時までも目をつけて、苦しむ彼女を見て笑っているあの顔が忘れられない。
おかげで、本当の呪いまで加速して、危うく……誰かを死なせるところだった。
強いストレスを与え続けると、呪いは一気に悪化する。それは、子供も職員も変わらない。
彼女は虐められる体質らしい。現実でも、ここでも。
味方らしい味方もおらず、一人で逃げ惑い、傷ついていく。
海に入ったのは、呪いの進行を食い止める明確な方法だからだった。
あいつから逃げてきたはいいが、人気を避けて岩場から入ろうとしたのが失敗だった。
水着をきると、効果が薄れる。医者にそう言われて、嫌々全裸で入ったはいいが。
あの男が、なんと仲間を連れて近くにまで来ていた。慌てた彼女は足を滑らせ、転倒して海に落ちた。
着替えとか全部入れた荷物を置きっぱにして、一気に潮の流れに乗ってしまった。
泳ぎは得意じゃないこと、パニックを起こして溺れたなどが重なって、結果彼女は沖に流され孤立していた。
(た、助けて……誰か……!)
必死に体勢を立て直すが、うまくできない。
何とか海面に顔を出すと、見えた陸地が小さくなっていた。
かなり遠方にまで来てしまっている。
彼女は、すんなりと現状を鑑みて諦めた。
だって、無理だろう。岩場から落ちた事を誰が知っている?
あそこにいくとは、ライムにしか言っていない。
現場の指示に忙しいあの人が気付くまでどこまで流れされるだろうか。
助けなどこない。きっと、こない。
……なんか、何もかもいやになった。
どのみち、溺れ死ぬのだ。無駄な抵抗は止めて、このまま海の藻屑になれれば。
どんどん彼女は遠ざかる。知らない世界の、名前も知らない大きな海で。
などと、考えている彼女に、更なる不幸が襲いかかる……。
亜夜は、そう言えば連絡を取るため、先ほど荷物をまるごと持ってきていた。
小さなバックだったが、中から支給される携帯を出す。そのままプッシュ。
数秒で、アロハシャツの人狼に繋がった。
『どうした、一ノ瀬! いたのか!?』
「上からじゃ、まだ見えません。そっちは?」
連絡しあって、連携すると伝え問う。
メガネもまだ、未発見。
彼は流された方角こそ分かるものの、正確な位置は潮の匂いで掻き消されて分からないと言う。
「ケダモノ……ケダモノがいる!!」
思わず亜夜は叫んだ。狼が、嗅覚だけで女性を追いかけている!
やはりこいつは性欲の塊だ。
『喧しいわ!! 僕を赤ずきんの狼と一緒にするな! これでも人間だっての!』
「嘘だッ!!」
訳の分からない言い訳をする狼に断言。蜩が悲しく泣きそうな感じで。
『嘘言ってどうするんだよ!? 鼻でも伸びるってのか!? 伸びるか!』
「嘘を言うんじゃないですよ、未確認神秘動物が」
『勝手にUMA扱いすんなや!! バッチリ確認できてるじゃねえか!』
「……アンノウンモンスターアニマル?」
『だからアンノウンじゃねえって! なんだ未確認化け物動物って!』
意味不明なやり取りを繰り返す二人。
亜夜は視覚で探し、メガネは嗅覚で探す。
広大な海を、目一杯に広がる青。
だが、亜夜は気づく。
一部でなんか、見覚えのある背鰭が無数に何かに群がっている。
なんだか、その背鰭がいるあたりで、僅かに水しぶきがあがっていた。
魚やイルカじゃない。そんな影は見当たらない。
……まさか。
「ピニャ野郎、大変です!! なんかフカヒレが! フカヒレが逆ランチを!?」
慌てた亜夜は、メガネに叫ぶ。多分、あれだ。
方角は聞いていた。そっちの方に、大量にヒレが集まっていた。
『はぁっ!? 鮫が群がって襲っているだと!? どっちだ!!』
意味不明な伝えかただったが、意味は通じたらしい。
更に加速して、したでその方向目掛けて何かが駆け抜けていく。
走ったあとに出来るだけ白い飛沫。凄まじい速度だった。
亜夜も慌てて追走する。
何が……起きている?
流された少女はハッとして、回りを見る。
何やら、不気味なヒレが海上に顔を出し近寄ってきていた。
それも、複数。あれは鮫。映像で見慣れたあの、三角形。
不味い、と流石に思った。食い殺される。
藻屑になれればとは思ったが、いざ現実になると恐怖が勝る。
鮫に食い荒らされバラバラになる自分を想像して悲鳴をあげそうになった。
(いや、いやぁッ!!)
鮫なんかに食われたくない。餌になりたくない。
だが、大海原は鮫の独壇場。人間が勝てるフィールドではない。
成す術もなく、彼女はせめての抵抗で再び足掻いて泳ぎだす。
陸地はどっちか分からないまま、闇雲に動いて体力を消耗するだけだった。
周囲には無数のヒレが囲むように泳ぐ。
嫌がる彼女は、それでも足掻く。
死にたくない、死にたくないと必死に、懸命に、無駄かもしれないと知りつつも。
鮫の一匹が近寄ってくる。続き、左右前後と逃げ道を潰される。
塞がされた。彼女は、逃げきれないと察して最期の抵抗を試みる。
ダメものだ、せめて戦ってやると。意地を見せてやると。自棄に近かった。
鮫は容赦なく彼女を食らおうと、口を開けて突撃してくる。
見えた大きな牙。自分など、噛み砕かれてひとたまりもない。
分かっていた。彼女に勝ち目はないことを。
迎撃の構えをとる、悲壮な覚悟を決めた彼女。
……その眼前になんと上から、何かが乱入して鮫を文字通り、踏み砕いたのは突然だった。
「!?」
亜夜は見た。
水上バイクよろしく突っ走る某アンノウンモンスターアニマルが、何故か突然跳躍。
かなり高い位置……というか、飛翔する亜夜よりも更に高度にまで飛び上がり。
なんか、空中で回転しながら落下して、鮫の大群がいる場所目掛けて蹴りをお見舞いしていた。
いや待て。なんで空中で不自然な回転できる。なんで着地したら、反動で例の女の子が空中に舞い上がる。
……鮫まで一緒に上がっている。んでもって、落ちてくる鮫を真っ先に掴んだ鮫で殴る。
よく見れば、あれホホジロザメであった。自分よりも大きな巨体を尾びれ掴んで片手で振り回すって……。
落ち着け。落ち着くんだ、一ノ瀬亜夜。クールに行こう。スピード出してもクールに去る、違う去るな。
謎のボケとツッコミが脳内で行き交っていた。深呼吸、出来なかった。
亜夜は混乱するのを、雨のように舞い上がった海水を全身に被りながら、目を点にして周囲を見回す裸の女の子をキャッチする。
呆然としていた。さっきまで海中にいたのにいきなり空中にいればこうもなろう。
「大丈夫ですか?」
羽ばたきながら、胴に両腕を回して持ち上げた少女に問う。
彼女は黒髪の前髪で目元が隠れた女の子だった。
……亜夜よりも長身でスタイルのいい。
なんか色々ムカつくが我慢我慢。
彼女は怪我はないと言うが、如何せん今は裸。
恥じらって隠しているが、下でシャークパニックを起こす奴を見て小声で溢す。
「……ゆーま?」
大体あってる、と亜夜は肯定。
サナトリウムの人間らしく、事情は詳しく聞かずに、先ずは服をなんとかしないと。
するとUMA、気をきかせて自分の前開きのアロハシャツを豪快に脱ぎ捨てる!
「わぁー!?」
女の子が叫ぶ。悲鳴だった。
そりゃビキニパンツの男、否オスが鮫と格闘している最中に豪快に脱ぎ捨てりゃ誰だって悲鳴だってあげる。
亜夜も思いっきり悲鳴をあげた。気持ち悪いって意味で。
上に向かって思い切り放る。亜夜はその軸に飛んでいくと、彼女に一度掴ませる。
「変態の癖に、中々ナイスな展開じゃないですか。私も想像力が足りないみたいです」
思わずそんなことを言っていた。
どうやら、それを羽織ってくれと言うことらしい。
メガネにしては気が利く。さすがロリコン、性欲の塊。
亜夜は器用に海面に近づくと、支えるように羽ばたきながら身につけてもらった。
彼女は直ぐに着込む。大きいらしく、ギリギリ隠せた。
中々エロい……じゃない、気の毒だが応急処置ゆえ仕方ない。
亜夜もなんか、暑さで思考がおかしくなってきていた。
その間にも、なぜか海面に立って降ってくる鮫を叩き飛ばしていた狼が、ラスト一匹を投げ槍の要領で構えていた。
「飛んでけェッ!!」
思い切り投げる。鮫、飛ぶ。
一瞬で水平線の向こうに消えていった。
どんな速度で飛ばしやがったのか……亜夜の目にはさっぱり見えなかった。
で、バシャバシャ足元が喧しい狼が大声で安否確認。
なんか普通に浮いているが、何なんだろうか。
亜夜が無事に保護すると伝えると、そのまま陸地に向かって再び爆走。
水柱を残して先に戻っていった。
「……あの」
呆然と見ていた彼女を運ぶ亜夜に、恐々彼女は聞いていた。
「なんです?」
亜夜が聞くと、彼女は首を傾げながら問うのだ。
「あれ……なに?」
とうとう人間扱いさえされなくなった。
あの人ではなく、あれ扱いとは。
「あれですか? あれはですね、ピニャコラーダという生き物です」
「……ピニャ?」
面白そうなので、またあることないこと適当に吹き込む亜夜。
人間、信じられないものを見たあとは大抵のことは信じてくれる。
今回はあれは実は生身の着ぐるみをきた、猫だか熊だかよくわからない不細工でやさぐれた眼鏡が本体の珍しい宇宙人、という設定にしてみた。
前半は大体あっているので問題ない。
異世界ありなら宇宙人もありだ。
彼女は簡単に信じてくれた。サナトリウムの宇宙人、あるいは未確認化け物動物。
帰り道、運びながら彼女に思い付いた設定を片っ端から吹き込んでいく。
また本名雅堂さんに妙な異名が増えるのであった。
尚、途中で水上バイクが助けに来てくれた。
彼女と亜夜はそれに乗っかり、無事に浜辺にと帰還するのであった。
追記。
浜辺では、無事が確認され保護されたのちにスイカ割りをやっている集団に混じって、シャルが先に戻ってきて埋められた宇宙人の頭を柚子の香り漂う木刀で殴打する事件があったらしいが、それは割愛とする。
――びぃぃぃぃにゃあああああぁぁぁぁ!!