ナーサリー・ライム 童話の休む場所 魔女の物語   作:らむだぜろ

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もう一人の兄妹

 

 

 

 

 

 

 ……とうとう、恐れていた事態が起きてしまった。

 サナトリウムは、大混乱に陥っていた。

 これは、冗談ではない。なぜ、こんな嫌な偶然が重なってしまったのか。

「……」

 少女は空から冷たく眼下を眺める。

 阿鼻叫喚の地獄が広がっている。

 この連鎖は、止めるべきなのだろうか。

 己の命を賭けに出すほどの意味と、価値があるのか。

 考えている。本来の冷酷な彼女は、血を見るそれを、ずっと見つめていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 切っ掛けは、些細なこと。

 新しく入ってきた異世界の職員が、初っぱな呪いが暴走した。

 一番性質の悪い、攻撃型。他者を傷つける錯乱状態に陥ったのだ。

「みんな、早く部屋に戻って!!」

 亜夜はその時、四人と共に、廊下にいた。

 突然、近くから誰かの悲鳴と怒号が聞こえた。

 みな、経験上知っている。この騒ぎは、誰かが暴れだした時のもの。

 派手に破壊音を奏でながら、誰かがこっちに走ってくる。

 ……中性的な外見の、少年。亜夜と同じく、小柄であるが。

 その体躯が刹那、劇的に変わった。

 瞬間的に全体が筋肉質になり、背丈も相応に一気に伸びたのだ。

「!!」

 亜夜は、それを見て大声で四人に。

 正確には、アリスに叫んだ。

「アリス、みんなをつれて早く逃げなさい!! 危険です!」

 亜夜が叫ぶと、アリスは頷いて、パニックを起こすマーチとラプンツェルを連れて脱兎のごとく逃げ出した。

 賢い子。先にいけと言ったのを直ぐに理解した。

 亜夜が腰を抜かしているグレーテルを抱き抱えて羽ばたき出す。

 不味い。あの男、一瞬で外見が変化する亜夜と同じ内部変容型だ。

 しかも、顔つきがどちらかと言えば女性よりだったのに、今は完全に血走った目の男になった。

 筋肉が隆起する。走る速度が増す。嬉しそうに、亜夜たちを見つけて追ってきた。

「待てよォ、逃げてんじゃねえぞオラァッ!!」

「ひっ!?」

 怒鳴るように脅す。面白がって、グレーテルを追い詰める。

 顔を歓喜で歪ませて、亜夜の好きな少女を脅かした。

 

 ……途端。

 

 亜夜まで外見が変化した。

 コンマの世界で茶色の瞳が真紅に染まった。

 逃げながら、静かに怒った亜夜は突然背を向けたまま魔法を使用。

 巨大な拳型の氷塊を生み出すや、発射。かなりの速度で放った。

「うぉ!?」

 男は腕を交差させて急ブレーキで防御。

 逞しい腕に氷がぶつかり、崩壊。しかも細かい粒子が、視界を奪っている。

 その間に逃げ仰せる亜夜。

「あ、亜夜さん!? 何なのその目!?」

「……おきになさらず」

 バッチリグレーテルに目撃されるが、亜夜はなにも言わない。

 亜夜は部屋の前まで到着。グレーテルを下ろした。

「亜夜さん、教えて! 一体、亜夜さんに何があったの!?」

「グレーテル。知らない方が、世の中幸せなこともあります。今は、部屋から出てはいけません」

 問い詰める彼女を宥めて、部屋から顔を出したアリスが無理矢理確保。

「待って、何を隠しているの!? 亜夜さん! アリス、離してってば!!」

「亜夜、あんたも逃げなさいよ」

 暴れるグレーテルを捕獲して、部屋に引き込む。

 アリスの方が大きいので、グレーテルを強引に部屋に回収した。

 ドアがしまる。同時に、室内でアリスとグレーテルが喧嘩を始めていた。

 口論の声が聞こえるが……どうやら、仲裁は入れないようだ。

 亜夜が向き直ると、さっきの男が先ほど逃げてきた方の廊下に立っていた。

 職員の白衣をきた、髪の毛の短い青年が。

 随分と様変わりしたようで、着ているシャツがキツそうだった。

「いきなり襲ってくるたぁ、いい度胸してんじゃねえかテメェ」

「ハァ? お前が私の担当する子に手ェ出そうとしたんでしょうが」

 ニヤニヤ笑って、亜夜に向かって近づいてくる。

 ゴキリゴキリと指の骨を鳴らして、余裕の表情だった。

「さっきのはあれか、魔法か。加減してただろ? 足止めにすらならないぜ。もう少し気合い入れてやれよ」

 生意気に、名も知らない職員は構えを取った。要するにここで始めるようだが。

「……この場所から消えろ」

 グレーテルに手を出そうとする敵意を肌で感じた亜夜は、騒がしい周囲を無視して、低く警告する。

 男はイヤな笑みを浮かべているだけ。なにも答えない。立ち去らない。

「消えろと、言っているのに。……死にたいんですか?」

「ほー。大口叩くじゃねえか。良いのか? 一応、同じ職場の同僚に、そんな事言っちまってよぉ」

 男は先に手を出したのは亜夜だと笑っていた。

 言外に殺すと脅しているのが、ハッタリだと思っているのか。

 なめ腐った態度で挑発する。

「そう。じゃ、良いです」

 そうかそうか。

 警告を無視するのか。

 消えろって言ったのに。

「……あん?」

 初めて、訝しげに表情を変える男。

 亜夜の真紅の瞳から既に、生気と光が欠落していた。

 気のせいか、吐き出す息が……薄紫に色をつけて、腐った生ゴミみたいな臭いがする。

 赤い濁った宝石が、揺らめきながら男を見て。

「死ね」

 容赦なく、亜夜の放った魔法が彼を襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生々しい音がした。

 グレーテルたちは、外で亜夜が誰かと揉めているのをドア越しに聞いていた。

 そして亜夜が、誰かを殺すような声で、嫌な音をさせていた。

 グレーテルが開こうとして、アリスが止める。

 苛立つ彼女に、アリスは黙って首をふった。

 亜夜が良いと言うまで、決して開けてはいけない。

 亜夜は今、追跡者と争っている可能性がある。

 何時かのピニャ野郎の様に、荒事には暴力も許されるサナトリウムでは珍しくない対応。

 そうしないと被害が広がる。話し合いの通じる相手ではないのはみな、知っているはずだ。

「堪えて、グレーテル。話せるときが来れば、亜夜は話してくれる」

「でも……!!」

「分かりなさいな。亜夜は今、あんたに見られたくないのよ。……醜い姿を」

 アリスが言う。亜夜は、今の自分を知ってほしくないのだと。

 グレーテルだって分かっている。あの赤い目は、まるで……。

(お兄ちゃんを殺した、魔女みたいな目だった……)

 見覚えのある、真紅の瞳。

 あの目は、確かに見られたくないであろう何かの変化だ。

 分かっている。だけれど、グレーテルは寂しい。

 教えてくれてもいいのに。アリスは知っていて、グレーテルは知らない。 

 こんな非常時にまで、隠し通さなくても、グレーテルは軽蔑しない。

 今しがた、彼女に守られたところ。

 あの時のような、命の危険に同じ過ちを繰り返し、逃げられなかったグレーテルを助けてくれた。

 腰を抜かしていた、情けない自分を。明らかに殺意のある表情で追ってきた職員から救ってくれた。

 亜夜は、一人で対処している。職員として、当たり前のこと。

 優先順位は、自分よりも子供たち。

 当然とはいえ、分かっていても。

 寂しいと素直に思い、表情を曇らせるぐらいには、グレーテルも亜夜に懐いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ。表に出ている人格が死ぬと、別の人格に切り替わるんですか。面白い呪いですが……残念ですね。紛い物が、グレーテルに手を出すなど烏滸がましい。その罪、死をもってすら生温い。大切なものを失う痛みを、知るんですね」

 亜夜の目の前には、大きな血の池が出来上がっていた。

 夥しい量の出血の中央に、先ほどの男がいた。

 否。今は……女に近いのか。あるいは、女になっているのか。

 どっちでもいい。浮遊する亜夜を、愕然と見ている。

 血塗れの、恐らくは彼女は、愕然としていた。

「な……何故? なぜ、魔女が……サナトリウムにいるの……?」

「さぁ、何ででしょうね。お前には関係ないです。ほら、何時までも害虫みたいにしぶとく生きてないで、早く死になさい。その身体はお前のじゃないでしょう。主人格を蝕むと、次は脳天を潰します」

 倒れている彼女は、目の前の現実を混乱していた。

 ……サナトリウムに魔女がいる。

 青空の色をした翼、夜の帳を感じさせる髪、鮮血の瞳に腐蝕の吐息。

 まごうことなき、人類の敵がそこには詰まらそうにして、浮かんでいる。

「お兄様を……! お兄様を、よくもッ!」

「黙りなさい、宿り木と寄生虫の兄妹。存在自体が間違いなくせに、何を言うんです。大体、お前ら二人とも偽物でしょうに。本物のお兄さんは……もう、この世にはいないんです。残された妹は、私が命懸けで守っている。……名前だけが同じの劣化品は死んでくださって大いに結構。お前はいないほうが良いのですよ。主人格が圧迫されて、壊れてしまいます。復活するなら是非もない。お前らが壊れるまで何度でも殺してやる。お前の存在が、私にとっては不愉快そのもの。……ヘンゼルとグレーテルは、この世界に一人ずついればいい」

 亜夜は倒れる彼女に放つ、否定の言葉。

 怒り狂う彼女は、兄の敵討ちに亜夜に立ち向かうが……。

 亜夜は見えた。魔女になると、他人の呪いまで大体分かるらしい。

 新しい発見だったのだが、そのわりに酷く不機嫌だった。

 それもそのはず。あろうことか、こいつはグレーテルだった。

 いいや、正確には違う。確かに髪型も変化して、そっくりな長さと顔立ちもよく似ている。

 体つきがまた変わった。今度は背丈も女性らしく小柄に戻り、華奢な外見になった。

 声だってそっくりだ。けれども、決して彼女はグレーテルではない。亜夜は認めない。

 こいつは……呪いの産物に過ぎない。内部変容に加えて、人格分離。多重人格化しているだけの別物。 

 もっと詳しく言えば、一人の人間と言う器に追加された二人ぶんの魂の具現化。

 大元の誰かの存在は今、三人に分裂し使役されている状態だった。

 要するに、存在その物が呪いに奪われていた。

「パチモンよろしく、過重の重力で挽き肉になるのがお望みですか。どうせお前が負った傷は、主人格には引き継がれない。遠慮なく殺してます。お前はグレーテルじゃない。私に前から、消えろ」

 亜夜が、睨み付けて刃物で武装した偽グレーテルが襲ってくるのを、指をタクトのように軽く振るう。

 すると。

 また、嫌な音をさせた。

 振るった途端に、偽グレーテルの身体が突然上から潰された。

 人体を構成するあらゆるものを押し潰して、原形を残さないほど、ぐしゃぐしゃに潰してしまった。

 部屋の前にもう一個、汚いシミが出来上がったのを、亜夜は何もない赤い目で見下ろす。

 たった今、人を殺したのに。なにも感じない。嫌悪が晴れない。苛立ったまま。

 先ほどの男、ヘンゼルにもやった過剰な重力にある圧殺。

 上から思い切り加重して、そのままプレスしてしまっただけの話。

 重力の魔法で、赤い絨毯を拵えた。

 まあ、骨だの内臓だの脳ミソだの筋肉だの筋だの、纏めてミンチにしたからかなり汚れてしまったが。

 潰された本人は死んでいるが、元々の呪いの所有者は無傷で失神して倒れていた。

 血の海に沈んでいるのは流石に気の毒だ。亜夜は普通の状態に戻った。

 茶髪に茶色の瞳、蒼い羽に戻して、白衣を鉄臭く染めた恐らくは彼の首根っこを掴んで、適当に捨てた。

 近くの窓から、外に放り出した。外は大雨なので、流してくれるだろうと言う判断で。

 それをすれば最悪死ぬのに、苛立っていた亜夜は全く意にも止めずにそのまま、他の騒ぎを見に行った。

 真夏の土砂降りの下で、彼が目を覚まして驚くのはそれから数分後の話だった……。


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