ナーサリー・ライム 童話の休む場所 魔女の物語 作:らむだぜろ
気がついたら、見知らぬ天井。
横たわる自分に、周囲の医療器具。
窓から差し込む暑苦しい日光を遮るカーテン。
室内に、涼しく冷やす冷房。
ベッドは大きく、周辺は隔絶された空間のよう。
個室のようだった。
鼻を擽る薬品の臭い。違和感のある身体。
亜夜は、突然目が覚めた。
何があったか後半は覚えていない。
けれど、確か大騒ぎのサナトリウムを駆け回って。
で、最後は。
(……足の感覚がない……)
思い出した。何かに噛みつかれて、それで。
感覚がないので、まさかと思ってかけ布団を捲る。
……太股から下が、ない。
膝がない。包帯すらされずに、ただ足が短くなっていた。
両足の膝から下部が丸ごと消えていたのだ。
「あらまあ……」
亜夜は大変驚いた。
足が消えている。これは物理的に持っていかれたか。
ビックリ仰天。足がないから、生活できなくなってしまった。
あの時、あのワニに食われていたのは己の足だったようだ。
然し、よく考えてみる。冷静になろう。
思い出す、ここは夢のなかだ。
現実の亜夜は勝手に生活しているわけで、異世界と言えど所詮は夢。
現実には、何の影響もない。流石に死んでいたらヤバイだろうが。
ここは、童話の夢の中でしかない。異世界だけれど、現実には足はある。
そう考えると、夢のなかで手足欠損とかたいした問題じゃない気がしてくる。
本質は何処だ? 現実世界。あの世界で足を失えば、亜夜は取り乱していたと思う。
けれど、ここは所謂目が覚めれば元通りの世界に過ぎない。
経験が、ない訳じゃない。悪夢で死ぬことなど何度もあった。
生きているだけ、恩の字だと思おう。
それに。
(アリスたちは無事ですかね。なら、良いです)
一番大切な子達が無事ならば別にいい。
今頃、足がないことを嘆いても始まらない。
何せ、元々足に奇形があった亜夜は、その奇形部分が食われていた。
苦労したのは元来だ。剰りにも悪ければ車イスも辞さない生活もあった。
それが、ずっとになる。……困るだろうが、その内慣れる。
皆も無事だし、自分も生きてる。代償が足ならば、まだ幸い。
それに、亜夜が辛ければきっと、アリスが助けてくれる。
要するに、心配事は何もなかった。理屈で不安は消せた。
……予感がなかった訳じゃない。足に激痛と喪失の感触があった時点で、察していた。
だから、覚悟は決めるほどの事じゃない。なんとかなる。
(それよりも、此度の一件……見捨てていたあの連中のせいですから)
亜夜は誰一人お偉いさんが協力しなかった事を知っている。
広義で言うなら、原因の一端はあいつらだ。
亜夜も大変利己的な女だが、子供を見捨ててまで、と言われたら……必要ならそうする。
事実、最初は子供なんて助けるつもりはなかった。
ただ、目の前で死なれるのは職員としてなにか嫌だったので行ったのみ。
人のことは言えないか、とため息をついて。
そんななかだった。
誰か、室内に入ってきていた。
ノックもなしに、突然開けて、入室。
人物は、何やら大きなかごを持っていた。
そして。
「…………」
起きている亜夜を見て、目を点にした。
灰色の狼。眼鏡。薄い半袖に、長いジーンズ。
手にはフルーツの入ったかごをもってきていた。
亜夜とバッチリ目があった。亜夜は客観的に状況を考察。
自分、足がない。逃げられない。ここ、個室。
相手、ピニャ野郎。二人きり。どうなる?
「きゃーおそわれるー!! だれかたすけてー!!」
「や、やめろおおおおおおおおおお!!」
取り敢えず身の危険を感じたので、棒読みで大声で叫んでみた。
数秒かからずライムとシャルと崩空登場。
ピニャ野郎を速攻でタコ殴りにして、荒縄で捕縛してくれたのだった。
「なんで……なんで僕がこんな目に……」
「ごめんなさい、今はガチで逃げられないので悲鳴あげてみました」
「そこまで一緒の室内が怖いか!? なにもしないからね!?」
「…………よし、殺そうかしら」
「シャルさん、真面目に本気で何にもしないと誓うんで去勢だけは止めてくださいお願いします。怖いから構えないで、本当に死んじゃう!!」
「雅堂……お前ってやつは、隙あらばこんな怪我人すら狙うのか? 恥を知れ、性欲のケダモノ」
「だからなんもしないって言ってるじゃん! してないじゃん! 濡れ衣だかんな!?」
「雅堂さん、後でお話がありますので事務所に来なさい。命令です」
「ライムさんまで……無実なのに……」
一同揃って、ピニャ野郎こと雅堂を冷たい視線で見下ろしていた。
部屋の隅で無様に転がる謎の生き物。しくしく泣いていた。
「さて……」
気を取り直して。
亜夜の調子を聞いて、話しても大丈夫と確認。
現状は聞いた。
ここは、サナトリウムの入院用の個室。
一種の集中治療をするため、時間の流れを理魔法で歪めて加速させている。
ここでは何十倍と時が加速され、入院などをしている人間は短期間で完治する。
亜夜の大ケガを崩空が、医者の待機している部屋に無理矢理侵入して渡して、手術を開始。
何とか一命をとりとめ、回復魔法と医術を組み合わせた複合医療で彼女は普通の時の流れで一週間ここにいた。
換算すると、大体一年ほどこの空間では経過しており、足は完全に完治していた。
尚、出入りには少し手間がかかるので、待機の小部屋を挟んで入室すると言う。
三人が来たのは扉の向こうの小部屋かららしかった。
亜夜は崩空に礼を言った。彼は命の恩人であった。
雅堂にも珍しく礼を言うと、二人は何やらやりきれない表情であった。
そして。
ライムが先ず、不信な目で見る亜夜に対し、
「この度は、此方の不手際によって、一生の大ケガをさせてしまい、誠に申し訳ございません」
頭を下げた。素直に、自分達の不備を認めたのだ。亜夜は驚いて、目を丸くした。
ライムは、謝罪の意思を伝え、理由を語った。
それによると、なんと同時ライムは不在だったと言うのだ。
「居なかったんですか?」
「はい。実は、近場で良からぬ噂を耳にしまして。それの調査に、私は出ていました。ですのであの時……サナトリウムには、私は居なかったんです。一ノ瀬さんは、私がいると思って探していたと崩空さんに伺いました。出ていると伝えておけば、こんな事には……」
「……」
良からぬ噂。
亜夜はやはり、と謝罪そっちのけで思案している。
「……一ノ瀬さん?」
「あぁ、いいえ。お気になさらず。足がないからどうってことないですし。アリスたちは無事ですか?」
「えっ……え、えぇ。誰も怪我ひとつしていませんが……」
「そうですか。ならば、構いません。ただ、幾つかご指摘したいことがあります。詫びの気持ちがあるなら、聞いていただきたい」
亜夜は実にすんなりと足がないことを受け入れた。
てっきり非難されると思っていたのか、三人は唖然としている。
いや、大半の人間ならば取り乱す。そして、糾弾する。亜夜は、割りきっているだけ。
それが、一際目立つ異常な心理だった。
亜夜は再発防止に努めて欲しいと願い、具体的に現場で感じたことをいくつか指摘する。
情報伝達の徹底に、荒事に対しての対応のお粗末さ、逃げていたお偉いさんの対応など。
「せめて逃げるなら、子供たちの安全を確保してからにしてください。崩空が大半と私、あと何人残っていたかは知りませんが、全員職員が抗戦しながらやっていたんです。それじゃあ、子供たちに万が一があったらどうするんですか?」
守るべきは子供が先だ。偉そうに言えないが、と亜夜も自分に言うが。
ライムは渋い表情で、亜夜に伝える。
「実は……逃げていた人には、非常時に誘導をするように指示はされているんです。なのに、彼らは全員逃げ出しました。我先に、隔絶された部屋に閉じ籠り、誰かが……主に雅堂さんが鎮圧してくれるまで、引きこもっていたんです。これは、由々しき問題です。あってはならない事なのです。他人任せで、結局非常時に何の役にも立たなかった人たちには、上層部も流石に重たい腰をあげました。後始末の事は、彼らが全部引き受けさせたと聞いています。ですので、そちらは心配ないのでご安心ください」
案の定保身だったらしい。
感情は理解できなくもないが、最低限やることはやってほしい。
亜夜は非常時の武器の使用も視野に入れて、配備と訓練を徹底した方がいいと語る。
「いなかった連中に対しては分かりました。なら、武器の使用も入れてください。全員が私や崩空、そこのUMAと同類と言う訳じゃないんですよ?」
「……え、こいつやっぱり人間じゃないの!?」
魔法とアーチェリーで対応した二人と違い、どこぞのケダモノは素手だったらしく。
シャルがドン引きしていた。
「違う、僕は人間だ!! 人間で十分だよ!!」
「取り敢えず雅堂さんは黙っていてください。あなたは人間じゃないんですから」
「ひでぇ!?」
シャルの言葉に即座に否定する彼だったが、ライムがピシャリと黙らせた。
しかも、職員の個人情報を知る彼女がハッキリ断言した。人間じゃない、と。
「こいつ、何者なんですかね……?」
「詳しくは言えませんが……まあ、二重の意味で、彼は別枠と言うことです。外側、ですから」
「?」
シャルがいる手前、異世界出身とは言えない。
シャルは首を傾げ、亜夜はピンときた。
二重の意味の別枠。亜夜たちは、確かにこの世界では別枠の存在だ。
それが、二重と言うこと。外側、と言うことは。
現実世界の、別枠。外側の存在。
嫌な予感がする亜夜は、愕然と雅堂に聞いた。
「雅堂……まさか、あなた……!?」
「え、何その反応!? 僕なんなの!?」
「雅堂さんに問い詰めても、自覚なさってないので無駄ですよ。『中身』は、どうやっても出てこないので大丈夫ですから」
「…………成る程。納得しました」
「しないで!? ねぇ、何!? 気になるんだけど!!」
これ以上はつつかないほうが懸命だろう。
これは、触れてはいけない。亜夜はライムの少ない言葉で何とか分かった。
いいや、分かってしまった。わかりたくもなかった。
「……雅堂、お前って奴は……」
崩空も分かっちゃったらしく、青ざめて雅堂を見ている。
彼は理解不能のまま、口にしない方向で、三人は一致した。
話が脱線した。
職員に此れからは、訓練も仕事のうちに入れると約束を固くして、それから。
「一ノ瀬。……本当に済まなかったッ!!」
次は、崩空が豪快に土下座をした。
床に頭をつけて、彼は精一杯の誠意を表す。
よく和からない亜夜が聞けば。
「あの時の俺の判断が遅かったんだ。何かいると分かっていたのに、お前に伝えるのが遅れたばかりか、庇うことさえ出来なかった……。お前の足は、俺の失態で失ったも同じ。許してほしいとは言わない。だがせめて、謝らせてくれ! この結果は、俺のミスが生んだものだ。恨んでくれていい。憎んでくれていい。全部、俺のせいだ……」
「違いますよ。崩空、恩人を憎むほど、私は恩知らずではありません。顔をあげて下さい」
崩空は亜夜の足の事を己の罪として、自責の苦しみを背負っているようだった。
亜夜は即座に否定する。あくまで、亜夜の恩人であって、仇ではない。
唖然と顔をあげる崩空み、苦笑いして亜夜は語った。
「下手すれば、私はあの場で死んでいました。迅速に崩空が運んでくれなかったら、今ごろ私は餌だったんです。そんな壮絶な顔をしないで。私は、崩空の英断に救われ、雅堂のおかげで生き延びた。重ねて、お礼を言わせてください。ありがとう、二人とも。私は、恨みも憎みもしません。ただ、感謝しています。もしも、後悔や自責の念があると言うなら……」
亜夜はそこまで言い切り、その前にシャルに言った。
ここからは重要な事ゆえ、シャルに退席願えないかと。
「オッケー。元々、そこのエロ狼が無防備な職員さんに毒牙を向けないか心配で来ただけだし」
「誰がそんなことするかい」
「うるさいロリコン、黙って死ね」
「死ぬか!!」
「……え、やっぱし死なないのあんた!?」
「…………言われてみればどうだろ。一ノ瀬、僕って死ぬと思う?」
「殺されても生きてると思いますね」
「同感だ。鯨の化け物とサシで戦って無傷で生還した男だぞこいつは」
「雅堂さん、黙ってて下さい。話が進みません」
バカな話でまた脱線。
シャルは笑顔でお大事に、とだけ伝えて退出していった。
残された四人のうち、亜夜が口を開いた。
それは、ライムに伝えようとしたこと。
亜夜が感じていた、襲撃の予感。
「……二人とも。私の足を奪った元凶を捕まえるのに手を貸して下さい」
単刀直入に、亜夜は切り出した。二人してキョトンとしているが、ライムは察していた。
「やはり、何か掴んでいましたか?」
「えぇ。それで探していたんです。崩空には言ってませんが、此度の一件は、まず間違いなく外部からの攻撃です。サナトリウムが、狙われたと見て、よいと思います」
ライムも厳しい表情で、亜夜に見たことを聞いた。
亜夜は説明する。今回暴れた人間の呪いの系統や出身の偏り、規模は偶然では流せない。
なにせ、見ただけで全員が異世界出身者。しかも、大規模な破壊や暴走をするタイプの。
崩空含めて、大体がそういう系統だったと。
「言われてみれば……」
「意識してなかったな。一ノ瀬、お前気付いていたのか。あの状況で」
「まあ、そうですね。最初は様子見してましたし」
雅堂と崩空も頷く。実際暴走した崩空と、対処した雅堂も指摘通りだと思う。
ライムも言う。後で纏めた被害状況のうち、暴れだした職員と系統は亜夜の言う通り。
挙げ句には内部変容の呪いも悪化して、激変した姿の者も多かった。
「今だから言えますが、私の足を食らったワニは、多分時計ワニの呪いでしょう」
「……ああ、あの人か……。だけど、時計ワニ?」
い雅堂が言うには、亜夜の足を千切ったワニはあの状態が末期状態。
一度でも陥ると回復不可で、結局雅堂が……仕留めてしまったらしい。
それ事態は後悔するしかない。今頃何を言おうが、暴走して亜夜の一部を食らった事実も変わらない。
聞きなれない単語に、崩空が雅堂に教えた。
「ピーターパン、知ってるだろ。あれに出てくる、海賊の腕を持っていた時計ごと食い千切ったワニだ。一ノ瀬は、両足だから余計に酷いが……」
「襲ってくる直前、時計の針の音を聞きました。多分、合ってますよね?」
「えぇ、一致します」
ライムに聞けば、一致。
他にも、玄関で咆哮していた鯨はなんと、あの時海で助けた華だったらしく、雅堂が無理矢理意識を落として元通りに出来たと言う。
「私、見たんです。皆さんが暴走しているときに、外で隊列を組んでネズミが正面玄関にむかって移動しているのを」
最大の情報を出すと、崩空は腕を組んで眉をつり上げた。
「……ああ、分かったぜ一ノ瀬。そう言うことか」
「分かってくれましたか?」
「大体な。……雅堂、ひとついいか?」
今度は彼はその場所にいた、雅堂にも質問を投げる。
「お前、あいつとやりあっているときに、笛の音を聞こえなかったか? お前の聴覚なら、聞き取れるかもしれない」
「笛の音? ……あぁ、してたしてた! フルートみたいなきれいな音色! あれか!」
思い出すように、雅堂も言った。そして、彼も察する。
「……まさか、黒幕がいるってのか? 人間を操って、遠隔で暴走を誘発させた誰かが?」
恐々亜夜に聞いた雅堂に、亜夜は首肯。
そいつは、きっとライムが言っていたタイプの呪いの持つ人間の敵だ。
実際、ここまで怪我人と死人を出している。サナトリウムの職員が何名も死んでいる。
それも、呪いの暴走のよる自滅と対処のせいで。どうしようもない大惨事になっていた。
許せない、という二人の怒りの表情を見ながら、ライムに聞いた。
「……ライムさんが聞いていた噂の人間。確信に、至りませんか?」
「十分ですとも。ハッキリしました、奴等の仕業でしょう」
ライムに至っては、本気でキレていた。
怒りで震える声で、三人に言った。
これは、とある犯罪集団の仕業であり、金さえ貰えれば何でもする指名手配のテロリスト。
亜夜と雅堂の証言で、確実になった。なってしまった。
そいつらの名前は……。
「――奴等は、金さえ受けとれば魔女にすら平然と味方する魔女以上の最低集団です。笛の音を使って様々な事をするのですが、頭領の男の通り名が……ハーメルン」
と。