ナーサリー・ライム 童話の休む場所 魔女の物語 作:らむだぜろ
……亜夜は妙だと思った事がある。
ご存知の通り、亜夜には猛禽類の如く、巨大で立派な蒼い翼がある。
折り畳み、収納しているとはいえ、それは明らかに人間のパーツではない。
更にはピニャコラーダこと、雅堂はそもそも頭部が人狼になっている。
こうして、変容を起こしている人間が表を歩いているのに、街の人間たちは同情的な視線こそ送るが、決して排斥しない。
(……なぜ?)
亜夜なら、気味が悪くて遠ざける。
すぐに分かる人間ではない化け物。
翼、狼の顔。どう見たって、フォローできない。
なのに、この世界は……なぜこんな連中を同族と思えるのだ?
亜夜は気になり、水着を買った日の夜、思いきってライムを訪ねて、聞き出してみた。
彼女は、なんとも言えない表情で、語り出す……。
「結論から言えば、今の時代でも賛否両論です。ここいら一帯は治安が安定しているので、出歩いても平気ですけど……他の地方では、未だに呪いを持つ人間は邪悪として扱われて、殺されます」
「出歩いたら死ぬってことじゃないですか。何でもっと早く言わないんです、そういう重要なこと!!」
やっぱり、こいつらは信用できない。
夜の食堂にて、ライムに詰め寄る亜夜が怒鳴る。
掴みかかるいっぽてまえで、なんとか自制する。
大切な情報を黙っていて悪びれない。何てやつらだ……。
亜夜は心証は最悪である。敵意に近い視線を、ライムは苦笑いで流す。
「睨まないで下さい。この辺は大丈夫と言っているでしょう」
「信用なりませんね。私から問わなければなにも言わないつもりだった連中が……」
……胸のなかがムカムカする。
腹が立つ。本当に、コイツらを見ていると無性に腹立たしい!!
我慢しないと話が進まない。知りたい情報を聞き出すまでは堪えろと言うのに。
亜夜の激情は加熱されていく。ムカつく、ムカつく、ムカつくッ!!
「――!!」
突然、ライムが驚いたような表情に変わった。
亜夜の顔を見ている。表情に苛立ちが出ていたか。
だからどうした、このままいっそ怒りのままに……ッ!
「お、落ち着いてください一ノ瀬さんっ!! ダメです、激情に身を委ねては!!」
ライムが血相を変えて、いきなり立ち上がって亜夜の肩を掴んだ。
予想外の力がこもっており、痛みが走る。
表情を歪める。
『――離せッ!!』
不愉快さが一瞬でゲージを振り切った。
思わず、思い切り怒鳴る。途端。
ドンッ!!
大きな音をたてて、ライムが後方に吹っ飛ばされた。
女性とはいえ、立派な大人。なのに、完全に空中に身体が浮いて、飛ばされた。
「!?」
亜夜も驚く。今、何が起きた!?
ライムは椅子を巻き込み墜落。
派手な音をさせて、倒れこみ呻いている。
それを見て、亜夜はこんなことを考えていた。
(……ざまあみろ。邪魔をするなら……みんなこうして呪ってやる……)
自分じゃない自分が、苦しむライムを見て喜んでいた。
胸のなかの苛立ちが解消されて、スッキリ晴れやかな気分になっていた。
意味のわからない混乱を抱えて、慌てて亜夜は駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか……?」
声をかけると、起き上がったライムは、亜夜を見てなぜか安堵していた。
「……平気です。一ノ瀬さん、お騒がせしました」
何事もないように、乱れた椅子を直して着席。
混乱する亜夜が聞いても、関係ないの一点張り。
……まだ、何か隠し事をしている様子。
「……今は聞きません。話を続けましょう」
今はいい。取り敢えず、さっき言っていた例の話に戻る。
で、なぜ出歩いても平気なのか。
気を取り直し、彼女は説明する。
「今の世界では、前提としてまず『魔女狩り』と呼ばれる法律があります。……そちらの世界でも単語は聞いたことありますよね?」
「無罪の人間を訳のわからない理由で処刑しまくったのは知ってます」
亜夜も知っている。
現実世界の中世で実際にあった、宗教だかなんだかの関係で、因縁つけて片っ端から処刑し続けた暗黒時代。
歯止めが効かずにどんどんエスカレートしていって、最終的には当たり前の倫理を取り戻すまで続いたと言う。
意味不明な理由で火炙りにされたとか何とか。拷問さえ有り得たと習った。
「まぁ、大体そんな感じです。知っての通り、この世界の魔女は人類史のアンチテーゼ。天敵です。法律ではこう、定められています。……魔女は、見つけ次第何としてでもその場で殺せ、と」
この世界には実際に魔女がいる。
弱者である人間を攻撃したり殺したり、子供をさらったり呪いをかける。
その際、無抵抗にならぬように、魔女にたいしてはあらゆる手段が正当化される。
防衛の為、殺しも辞さないと。
人間に紛れる魔女を探し出すのではない。出てきたら仕留める。
言わば、対処療法。
「それが、呪いを持つ人間を殺される理由の何に関係があるんです?」
亜夜が問うと、ライムは大きなため息をついて、先に進めた。
予想はしていたが、それは案の定の言葉で。
「魔女狩りから発展したのが、呪い狩りという文化です。……魔女の呪いという邪悪なものを背負った人間は、人間にあらず。危害をくわえることもあるから、率先して殺そう……という、一種の思想。もう、分かりますよね?」
「だろうと思いました。防衛から一転、殺される前に殺せを推し進めて、殺せるものは取り敢えず殺せって言う過剰反応。そんなことだろうと思いましたよ、まったく」
亜夜はライムの言葉に呆れていた。
理屈としては理解できる。
実際に、呪いは本人の意思を無視して暴走すれば様々な被害が出る。
ならば、被害を出す前に殺して何が悪い、呪いを持っているのは人間じゃないと言う考え方。
最終的には単なる迫害と成り果てる。
ライムは理解が早くて助かると言い、続ける。
「世の中には、二つの流れがあります。擁護する人間と、排斥する人間。呪いがあろうとも人間は人間、無益な殺しは殺人と大差無いという人と、害があるなら始末するべきという過激な人間。呪い狩りをするのは過激派だけです」
「成る程、一理ありますね。私も、理解できない訳ではないですよ。……私も、逆の立場なら、そういう連中こそ真っ先に殺しに行きます。害を出すなら、その可能性はないほうがいい。大義名分もありますし、躊躇いなど感じません。失ってから後悔するより、他人殺して身内守った方が余程良いですし」
「…………一ノ瀬さん、あなたって人は……」
ライムはそういう人間を許せず、認めない立場の人間である。
嫌悪を浮かべる時点で、大体わかった。
ならば、亜夜はどうか? 立場によるが、相手の意見も十分理解した。
連中とて、死にたくもないし怪我もしたくない。
厄介な隣人など関わりたくもないし、危ないものを排除するだけの考えなのだろう。
亜夜も仮に、この世界に息づく命として、今の皆を守るためなら躊躇なく排除する。
理由はシンプルなものだ。危ないから、皆で倒そう。これに限る。
実際にこの目で見た。暴れて周囲を危険に晒す呪いを。
錯乱状態に陥り他者を攻撃する人間を。
……それを呪いだから、なんて理由で正当化されたら、やられた方はたまったものじゃない。
理屈は仕方ない、感情は許せないということ。
亜夜はその感情を非難しない。己で見ているから、正しいと認める。
だが。
「だからって言って、みすみすあの子達や私自身を始末される理由もなりません。だからなんです? 殺しに来るなら殺してやります。襲ってくるのが悪いんです。殺しに来るなら死ぬ覚悟ぐらいしなさい、ってことですよ」
「何処までも利己的な事を……!」
ライムは笑っている亜夜を見て、酷く嫌がっていた。
そりゃそうだろう。亜夜はハッキリ言った。
相手の心情は大体察した。だからどうした、お前らが悪いと悪びれずに断言したのだ。
自分から襲う真似などしないが、襲われれば反撃もするし、むざむざ死ぬ気もない。
殺しあう? 上等だ。何のためにこれを身に付けたと思う。
興味があったのと、万が一の荒事に職員として、皆を守るために手に入れたのだ。
「……ま、やっぱり人間はどこの世界でも性悪説なんですよ。人間の根本は悪意しかない。ならば、悪意のまま身勝手な理屈と感情を掲げて生きましょう。奴等がそれなら、私もそれです。同じ穴のムジナである以上、非難はしません。だから、そいつらにもなにもさせません。同類の共食いですけれど、なにか問題が?」
「あなたは頭がおかしいんですか!?」
ライムが今度は怒鳴り返す。
亜夜が頭がおかしい。確かにそうだ。
この何処までも利己的な思考は完全に悪党のそれと同義。
自分勝手にも程がある。亜夜はみんな自分勝手なのだと言って、自分勝手同士、戦争も仕方無いのと思う。
「頭がおかしい、ねぇ。必要なことを教えず、一方的に利用している悪党に言われるとは、私も自分立派になったもんですね?」
「ッ……!」
揚げ足をとると、ライムは眉をひそめて黙った。
言外に言う。お前らが言うな、と。同じく自分にも。
お前も言うな、と。けれど言う。だって言いたいから。
「私は襲われれば戦いますよ。魔法も、その為に覚えたんですから」
見せつけるように、掌を広げる。
刹那、静電気が弾ける。空気中のチリが音をたてて、散る。
「魔法は才能に左右されるそうですが、私はどうも才能があるようでした。少し練習したら、人間を攻撃できるレベルにまで使いこなせるようになりましたし」
亜夜が覚えたのは雷の魔法だった。
指南の本を参考にコッソリと練習を重ねた結果、発展から応用まで面白いほど簡単にできる。
これは便利だった。武器もなしに、自衛の術も手に入れることができたのだ。
亜夜は元々こう言うのは得意だったし、少し頭を捻れば幾らでも電気は応用ができる。
……まあ、参考に某超能力のマンガを参考にしたのは秘密だが。
然し、解せない。なぜ、ライムはこんなに目を見開いている?
「な、何で……何で、一ノ瀬さんが魔法を使えるんですかッ!?」
信じられないものを見た。まさに、ライムの反応は亜夜に不信感をさらに与えた。
魔法をなぜ? だから、今練習して使えるようにした、と説明したではないか。
(……いいえ。この反応は違う。もっと根本的……)
ライムは狼狽している。亜夜の見せた魔法に、理解が追い付いていない。
なんだ、この反応は。シャクだが、もっと見せると更に困惑する。
「そんな……そんなバカなこと……! あり得ない、有り得ませんよこんな事は……!」
目の前の亜夜になにも言わずに立ち上がると、ライムは夢遊病のような足取りで去っていった。
亜夜が声をかけても無視していく始末。
一体、何がおかしい。想定外のことなどしていないのに。
なにか、釈然としない亜夜であった。
ずっと、気がかりだった。ライムのあの反応は。
大袈裟すぎる。亜夜を見ていた目は、まさに普段の亜夜がピニャ野郎に対する視線と同じ。
化け物を見る目だったのだ。
(……まさか。私は人間ですよ?)
そう、翼が生えている人間。のはず。
……本当に?
思い出してみればいい。
亜夜は魔法を使った。ライムはそれを有り得ないことと狼狽えた。
根本的だと言うなら、逆に考えろ。
亜夜が魔法を使うのがおかしいんじゃない。
ライムは、亜夜が魔法を使えないと思ってたのだ。
ならば、なぜだと思う? 人間は魔法を使えるんだろう?
……えっ?
(人間は魔法を使える。だったら、あの態度は……!?)
嫌な予感がした。亜夜は青ざめる。
人間が魔法を使えてなぜ驚く。
亜夜からすれば、こう言うことに等しいんじゃないか。
それは、人間が呪いを使ったような衝撃的な出来事だったとすれば?
だったら、ライムのあの言動も納得できる。
思い出せ。前提は、人間は呪いを使えない。
ならば逆だ。魔女は、魔法が、使えない。
そういう理がこの世界だろう?
ライムの反応は、これに当てはまるのでは?
そして、だ。忘れていないだろうけど、いきなり怒ったときにライムが吹っ飛んだ。
そのあと、自分のなかで何ていっていたんだっけ。
(呪って……やる?)
そういうことだ。
纏めよう。
一つ。魔女は、魔法を使えない。
二つ。ライムは、亜夜の魔法を有り得ないことと言った。
三つ。亜夜は、何かでライムを吹っ飛ばして、自分で言った。のろってやる、と。
これらを統合して得られる答えは?
――私、一ノ瀬亜夜は。
――魔女と言うことだ。
『アハハハハハハハッ!!』
「!?」
結論が出たとたん、頭のなかで己の笑い声が響く。
エコーのように、甲高い声は亜夜に向かって褒め称える。
『その通り!! その通りです! よくぞ、自覚しましたね! おめでとうございます! 蒼い鳥の呪いは、貴女を主として認めましょう! 我が幸運をしかと、存分にお受けください!』
(だ、誰ですか!?)
頭になかで亜夜の声が勝手に言う。
こいつは誰。亜夜は分からない。
こいつは自分じゃない!!
『ワタシは、呪い。またの名を、幸せの蒼い鳥と申すモノ。貴女に、そして貴女の大切な者に幸せを運ぶ蒼。ワタシを背負いし魔女よ、おめでとう。ワタシの幸運を気に入ってもらえると嬉しい。ワタシは貴女に掌握されし呪いそのもの。もう、鳥になどならずとも良い。ワタシは、貴女の思うがまま。魔女は呪いのすべてを知るモノ。異世界の魔女よ、貴女はワタシをどう使う? さぁ願え、利己的に!! さぁ祈れ、そのエゴを!! ワタシは全てを叶えよう!!幸運は降り注ぐ!! 他者の不運と引き換えに!! 他者の痛みを愉悦とせよ!! 他者の願いを踏みにじれ! 己の欲望が命じるままに!! 嗚呼、幼き魔女よ!! ワタシはこの誕生を祝福しよう!! 振る舞え、災いを!! 甘受せよ、幸福を!! それが蒼い翼の真価!! 他者を苦しめ、己を満たす!! それこそが、ワタシの真髄! 一ノ瀬亜夜、ワタシは貴女と共にあろう!! その蒼き醜く純粋なるエゴを抱いて、世界に蒼の不運を撒き散らすがいいッ!!』
呪いと名乗る誰かは亜夜を祝福する。
魔女はここに誕生する、と。
亜夜はなにがなんだか分からないまま。
気がつけば、背中の蒼い翼が変わる。
蒼い猛禽類の翼は、深海のような底の見えない濃厚な蒼に。
形は不定、エネルギーの塊のような物理法則を無視して。
茶色の瞳は真紅に染まり、吐息は腐った臭いを混ぜた薄紫に。
茶色だったセミロングの色素が入れ替わる。
抜け落ちた色はまるで宇宙の如く、暗い蒼が染め上げる。
『……私は、一体……?』
今ここに、新たな魔女は誕生する。
幸福の意味がもたらす、真理に辿り着いた一人の少女の成れの果て。
これを、世界は……『魔女』と呼ぶ。