間話6 群青と閃光
「私は日本に戻ることにするよ」
身の丈に合っていない大きな研究服を羽織りアグネスタキオンは目の前にいるグラスワンダーに視線を向けた。大和撫子を目標にしているだけあってグラスは表情を崩さないが僅かに口元が上がる。
「あの人を追うつもりですか」
「追うつもり?違う、そんな軽いものじゃないさ」
手元にある豆菓子を弄る。アグネスタキオンは目の前にいるウマ娘が1番厄介だと思っていた。二年間も彼女がストッパーになっていたお陰でタキオンはこうして普通の生活を送れていると言っても過言ではない。
だが理屈抜きにして嫌いだった。
「君には何度か話をしたはずだが私は私の研究の為なら全てを捧げて良いと考えている。溢れんばかりの知的好奇心を満たす為なら悪魔とやらにも魂を売ろうじゃないか」
「そんな屁理屈を並べず単刀直入に好きな人に捨てられたから追いかけると言えばいいのに…あ、失礼。そもそも相手にされてすらいませんでしたね」
握り潰した豆菓子の破片がグラスの頬を掠める。
「同族嫌悪かい?やめておくれよ、そんな自分語りをされても流石の私でも理解できない」
グラスが握り潰した湯呑みの破片がタキオンの頬を掠める。お互いが目の前に居るウマ娘を嫌っていた。
片方は己の研究の為に
片方は受けた恩の為に
取っ組み合いまであと数秒もない。だがそれを止めるストッパーはもう居ない。詰まる所、この二人は鏡合わせの恋愛敗者だった
間話6 問、運命か悪戯か
神はいない、そう思った。
アグネスタキオンは幼い時に自身の脚が既に故障の可能性があるのを理解していた。彼女の優秀な頭脳はソレを回避する為に知識を求めた。だが知れば知るほどに彼女は疑心暗鬼になっていく。
不可能な事はない。まだ発展していないだけ。研究が進めば必ずどうにかなる。
生き急ぐように勉強をして研究に励む彼女の舞台は日本から海外へと変わっていく。増えていく知識と同じ量だけの不安が彼女を引き摺る。
そんなある日、彼女は優秀なウマ娘の話を聞く為に日本の誇るスターウマ娘ミスターシービーと面会する。シービーとの対談も終わり、彼女が退出後に付き人とたわいの無い世間話をした後に握手をした。その手をどちらから出したのかタキオンは覚えていない。
「脚が悪いのですか?ああ、成る程。一定の負荷をかけると負傷するタイプなのですね」
その後に語られた言葉が大切な出逢いを塗り潰すくらいに衝撃が走った。
「大丈夫です。治療法はあります」
彼はそう言って手帳を取り出して2.3ページ書き込みソレを破るとタキオンに手渡した。そこに書かれている事はタキオンは理解はできる。理解できるが故に否定した。こんな事で治るはずがない。馬鹿にしているのか。罵詈雑言を浴びせる中で相手は表情を崩さない。タキオンも一つの疑問があった。
何故触れただけで脚の事がわかったのか。これについては誰にも話をした事がない。誰も知るはずない事を言い当てた。
知識の向こう側にある何かが目の前に居る可能性を否定はしきれない。だがそれは同時に今までの努力を全て否定してしまう事でもある。
だからタキオンはメモだけ奪い取り、部屋を出た。知的好奇心が囁き、諦めていた心が唆す。チャレンジする事はタダなのだ。そう言い聞かせてタキオンはメモに書いてある事を守り二ヶ月を過ごした。
最初の一週間は鼻で笑った。所詮は戯言にすぎなかったのだと。
二週間が経つと体調が良い日が続いた。健康的な生活を過ごしているとは必ずしも言えない生活の中で初めての経験だった。
三週間後には生きてきた中での万全な体調になっていた。
四週間後に脚に違和感を感じ始めた。その頃になるとメモに書いてあった事が習慣になり研究に没頭していた。
六週間も経つと違和感も無くなりタキオンは冴え渡る頭脳と新たな可能性に挑む欲求を満たす為に更なる研究に励む。
八週間後、順風満帆に過ごしていると同僚のウマ娘に小さなレースに誘われる。今までなら断っていたが二つ返事で了承する。
ぶっち切りの勝利だった。同僚はタキオンに飛びつきこれが貴女の研究の成果なのね!と褒めちぎった。
タキオンにその言葉は届かない。彼女は自分の脚が正常な事を走っていて理解した。正常なのだ。常に感じていた違和感はなく、正常、つまり平常時と変わらない。
乾いた笑みが零れる。
「大丈夫です。治療法はあります」
顔も思い出せない彼に聞きたい事は山程ある。だがそれよりも先に聞かないといけない。
どれだけ調べても完治する方法は見つからなかった。
だからこれを知るのは彼だけのはずだ。
そして彼はこの治療を確立していたのか。
もしかしたら私は…
モルモットにされたのか?