序章終わり
第15話 秘密の関係
遡ってデビュー戦前日の夕方。三人を早めに帰して僕は帰路についていた。付いてこようとするクリーク達には帰ってからやるリストを与えてそれぞれが寮に戻っていく。
よく考えたら何故か帰る時は必ずクリークが居た気がする。そんな事を考えながらいつもとは違う道で帰ることにした。
河川敷を歩いていく。沈んでいく陽が川を赤く染めてもうすぐ夜になるのだと教えている。この時間帯になると自主練をしているウマ娘達とすれ違う。あまり見てはいけないのだがどうしてもフォームを見てしまうのは許してほしい。
「オグリんとクリークのトレーナーやん。こんな所で何してんの?」
正面を向いた時に小柄な芦毛のウマ娘が立っていた。どうやら彼女は僕を知っているらしい。
「散歩かな。クリーク達は明日がデビュー戦だから今日は時間があるんだよ…えっと名前を聞いてもいいかな?」
「え?あ、初対面やったな。うちはオグリん達から話を聞いてたからどうも初対面な気がせんかったわ。うちはタマモクロス。オグリんと同室のウマ娘や」
何気なし差し出された手を握る。そして気が付いた。何故彼女は新聞が入ったカバンを持っているのだろうか。
「新聞配達のバイトをしてるのかな?いや、それ以外も複数掛け持ちしてるね」
「え、あ、せやで。で、でもウチは無理とかしてないから大丈夫」
嘘だ。明らかに疲労が濃い。何よりも変な所に負荷がかかっている。恐らくは飲食店系の厨房にでも働いているのだろう。
「止めはしないけどデビューに支障がでるかもしれないよ」
手を離しあたふたとするタマモクロスがデビューと聞くと真顔になった。
「うちは…来年か再来年でええねん。チビ達もその頃には落ち着いてるしそれまでは今のままでええ」
今年ではないのか。同室のオグリやクリークと友人なら…いや違う。恐らくはそうしたいが家庭の都合もあるのだろう。
その時、脳内で悪魔が囁いた。
このウマ娘ならいけるのではないのか。
「…タマモクロス。僕と取引しないかい」
夕陽を背に僕は私欲を満たす為にタマモクロスに悪魔の囁きをする事にした。
第15話 お給金の話
少し話が逸れるが僕はちょっとした小金持ちだったりする。トレセン学園の給料とは別にそこそこのお金が毎月入ってくる。タキオンと共同研究して発表したウマ娘専用の尻尾の手入れオイルや肌荒れ対策のスキンケアオイルなどのお金だ。
何よりもシービーのトレーナー時代はお零れに預かり未成年が持っていてはいけない金額にまで達している。これらは師匠に全て預けている。師匠はそれらを運用して月に幾らかのお金を振り込んでくれる。
総括するとタマモクロスが月に稼ぐお金を僕が出した所で財布は痛まない。
「あかん。その話は受けれん。ウチは施しなんていらん」
耳と尻尾の方は違う意見なのは見て分かる。場所をゴルシと行ったファミレスに移り僕はタマモクロスと話をしている。
「施し…とは違う。僕は君にある事を期待してる。それは教えられないが君ならそれが出来ると思ってるし君にしかできない事だ。それにバイトを幾つも掛け持ちして君の身体は疲労が蓄積され続けてる。このままデビューして練習とバイトを続ければ君は破綻する」
「そうかもせんけどウチがした事の結果ならしゃあない。それにクリーク達がこの話を知ったらウチはどんな顔をして会えばええねん」
顔を伏せるタマモクロスを見て成る程と思う。彼女は友情の破綻も恐れている。それなら良い。好都合だ。
「クリーク達には内緒にするつもりだ。お金も振込にする。それでも迷うなら…1.5倍出そう。必要なら別途お小遣いを出しても良い」
顔を歪めてタマモクロスが僕を見る。甘美な囁きだ。だからこそ断ることができない。
「怒る気持ちもわかる。だがこれは投資だ。バイトを辞めた時間をトレーニングに当てて来年デビューして欲しい。トレーナーとしてこれを望む気持ちもわかってほしい」
「それが気に入らん。オグリキャップやスーパークリーク、エアグルーヴの三人の面倒を見なあかんのにうちにまで粉かけて何がしたいかわからん。気持ち悪いんや」
「クリーク達が何故明日デビューするか聞いてるかい?」
少し冷めたポテトを口に運ぶ。タマモクロスは少し首を少し傾けた。
「知らんけどそれがベストな判断やからデビューするんやろ?」
ああ、どうやら知らないらしい。
「彼女達は僕の悪名を灌ぐ為にデビューする。ベストな判断は来年のデビューなんだよ」
「悪名?自分が無能とかあの噂?あんなん僻みやろ。オグリんやクリークは抜けてるけど眼は確かや」
氷を噛み砕きながらタマモクロスは一笑した。
「君がそう思っても他は違う。僕やクリーク達の事を知らない人は悪名を吹聴する。妬みや悪意、理由は多々あるけどどれも気にする必要のない事だ。だが彼女達は選んだ」
「…何が気に入らんの」
「一年あれば彼女達は完璧な状態で送り出せた。僕が持てる知識と経験を伝えることができた。でも明日デビューする。そうするとありとあらゆる事が前倒しになる。距離に対してのフォーム修正やスタミナ配分…何よりも自分の脚を理解できていない」
タマモクロスの顔が引き攣る。だが関係ない。此処に来て座った時点で君はもう共犯者だ。
「ウチにクリーク達の代わりになれ言うんか?舐めたら「2倍だそう」
誰も損はしない。寧ろタマモクロスにとってはプラスの事だ。脚と手に掛かっている負荷は今はどうにでもなるがこれから暑くなればそうは言ってられない。
「ウチは金で友人を裏切る程落ちぶれてない!帰らせてもらう!」
首を振り机を叩いて拒絶する。揺らいだ。
「君は悪くない。僕に唆されたと言えばいい。そうするだけで君は練習環境とお金が貰える。何よりもいつまでも隠してるわけじゃない。来年の4月の桜花賞の前に正式にトレーナー契約を交わすつもりだ」
「あんたはウチに何をさせたいんや。初対面のウマ娘にアンタは何を言ってるかわかるか?クリーク達が言ってたアンタの人物像と今のアンタは違いすぎる。どっちがほんまなんや」
「距離2000の模擬レースでスーパークリーク、オグリキャップ、エアグルーヴの三人を完膚なきまでに負かせてほしい」
タマモクロスが冷や汗をかいているのはわかる。何より僕が言ってる事はトレーナーとして反してる。
「なんでや…なんでウチなんや」
頭を抱え、机に伏す。
「君じゃないとダメなんだ」
「五月蝿い!このドクされトレーナー!ウチはアンタが嫌いや。何よりもそう言われて嬉しいと少しでも感じる自分が嫌や……3倍。3倍+お小遣いで手を打つ」
二ヘラと濁った目でタマモクロスは僕を見た。
ありがとう
「勿論、それが条件ならそれを飲もう。それじゃあ話を詰めようか」
「悪いトレーナーに捕まったわ…まあ、よろしゅうなトレーナー」
差し出した手をタマモクロスが握り返す。
僕はこうしてタマモクロスと秘密の関係を築いた。