間話9 一歩先へ
私はその日に人生初の挫折と暖かさを知った。
挫折とは勿論、既に頭角を現していたミスターシービーに完敗した事。追いつけないと感じた。何よりも誰もが仕方がないと私を慰めた。それが悔しくてそれを否定できない弱さが余計に私を惨めにした。
だから一人で泣いていた。皆がシービーを見ている。誰も私を探してはいない。そう思っていた。
なのに彼は私を探しにきた。小さなポシェットを肩に掛けていた。
「ニンジンジュースあるけどどうかな?」
無視する私の隣に無理やり座って彼はニンジンジュースのアルミ缶を開けた
「僕ね、これ苦手なんだ。でも皆が好きだからこれしかないんだよ」
ちびちび飲み始める。
「帰って」
誰かはわからないが見覚えはある。ミスターシービーと笑いながら食事をしているのを遠目で見たのを覚えている。
「嫌だよ。だって危ないじゃないか。僕、こう見えて方向音痴なんだ。だから君と帰らないと帰れない」
無茶苦茶な理由だった。確かに渡されたニンジンジュースは冷たくはない。どれだけ探してたんだ。
「だから君が帰る時に一緒に帰るよ。それとも帰りたくない理由でもあるの?」
ミスターシービーのせいで帰りたくない。そう言おうとして少しの良心の呵責と八つ当たりをしたい子供ながらの嫉妬心がせめぎ合った。
結果
「ミスターシービーがいるから嫌」
初めて家族以外の他人に明確な意図を持って我儘を言った。
「そっかなら仕方ないね」
そしてその我儘は受け入れられて意地を張った私は日が暮れてもその場を動かなかった。
一人なら夕方には帰っていた。だが隣で爆睡している男の子を置いて帰る訳にも行かず、起こして帰るのも嫌だった。
何よりも怖かった。明るかった時の森が赤くなり、闇に染まった森では真逆に思えた。
「大丈夫」
なのに男の子はいつのまにか起きて私の手を握りそう言い切った。
「帰ろっか。お腹すいたよ」
ポシェットから懐中電灯を取り出して辺りを照らして確認し始める。
「でももう道が「大丈夫。多分、お姉さんが見つけてくれる」
そう言って彼は私の手を引いて歩き始めた。怖くて立ち止まりそうになる度に握っている手の力が少しだけ強くなる。何よりも彼も震えていた。
「坊や!」
歩き出してどれだけ経ったのかもわからない。5分だったかもしれない、30分だったかもしれない。その声が響くと目の前にお姉さんが立っていた。
「お、おねぇざぁぁああん」
そう言って彼は私の手を繋いだままお姉さんに堰が切れたように泣きついた。私もそれに釣られて泣きついてしまう。
「二人とも怪我はないかい!?よかった、本当に良かった」
それが私がその日に聞いた最後の言葉だった。
間話09 昔話2
「だ、大丈夫。少し驚いてしまっただけ…」
取り繕っているがおかしい。これくらいの話ならまず最初に与太話か冗談かを聞いてくると思っていた。そこまで興味があるのだろうか?
「他にもある。実は「待て!」
先程とは違う剣幕で此方を睨んでくる。
「そのウマ娘の話をもう少し聞かせてはもらえないだろうか」
そう言われて考える。だがどうしても覚えていない。寧ろその後にシービーに泣きながら怒られて練習中はずっと最前列でトオ叔母さんと喋っていた。そうだ寧ろシービーの方が覚えてる。
何故ならそのウマ娘と最後にレースをしたのはシービーのはずだ。
「僕はそんなに覚えてない。ただ才能も覚悟もシービーを越えられるウマ娘だとはっきりと覚えてる。小学生だったからね。そんなに気になるならシービーに聞くと良い」
剣幕から少しずつ耳が下がっていく。ションボリルドルフなんて言いたくなるような下がり方だ。
「僕個人は…聞くのはやめておくよ。僕が知る同年代や生徒会長の世代で思い当たるウマ娘は居ない。それが僕にとっての答えだ」
そんなキザな事を言いながら珈琲を口に含む。先程よりも苦い。
「仮にだ…もしそのウマ娘が居て何故シービーを越えられなかったと思う」
「難しい質問だ。そのウマ娘を取り巻く環境がシービーと同じだと仮定するなら…そうだな」
シロップに手をかける。幾つにしようか。1か2か…
「「僕(貴方)の差」」
景気良く3つ入れようとした時に声を被せられた。生徒会長はしてやったり顔で此方を見ている。
「それは全てのウマ娘にも言える。貴方以上に誠心誠意、粉骨砕身でトレーナー業務に挑めるトレーナーも少ない。寧ろ何がそこまで貴方をそうさせる」
興味深そうに此方を見て首を傾げる。
「それは原点の話になるからまた今度にしよう」
シロップを流し込んだ珈琲を軽く混ぜて飲み切って席を立つ。
「ありがとう、せい…シンボリルドルフ。今度は洒落たお茶菓子でも持ってくるよ」
「ルドルフで良い。それなら今度はニンジンジュースにしてもらえると助かる」
「…善処しよう」
僕はそう応えて生徒会室を後にした。