本年度もよろしくお願いします
間話13話 幻影と幻想と真実
トレーナーの珈琲の量が明らかに増えている。エアグルーヴがそれに気が付いたのは夏合宿が終えて学園に帰ってきた時だった。
トレーナー室のゴミ箱に詰め込まれているのはアイスコーヒーの空箱のみ。それも丁寧に潰されているのに山盛りに積まれていた。
それを築いた張本人は机に顔を埋めて爆睡している。
たわけ…といつものエアグルーヴなら言ったのかもしれない。だがその言葉を告げる資格は今は無い。
夏合宿の間に僅か三ヶ月の間にどれだけ鍛えられていたのかを理解した。現時点でクラシック前半を走り抜いたウマ娘と遜色のない基礎が出来上がりつつあった。合宿に参加していたトレーナー達は素質が良いと口を揃えて賞賛したがそうではない。
私達3人は最短最速のコースで鍛えられているだけ。
其処には居ないトレーナーを誰も褒めない。いや、違う。彼等は見たモノしか信じない。
それが私達なのだ。
「…っ…あれ、エアグルーヴ?」
顔を上げたトレーナーと目が合った。西日に照らされ、赤く染まったその顔は目に見えて疲労の色が見てとれた。なのに笑っている。
「っ…」
言葉が出ない。此処に来るまでに様々な考えがあった。
「おかえりなさい。どうだった合宿は?」
立ち上がるトレーナーに思わず駆け寄る。
「え?」
膝をついてトレーナーの手を握りしめる。きっとこの先もこの感情は付き纏う。だがエアグルーヴは一つだけ決めていた。
「…っ!」
顔を上げれない。両手で握りしめた手はまるで死人の様に冷たい。心臓が何かに鷲掴みにされた気がした。
私もアレと同じではないか。
「どうかした?合宿で「違う。改めてどれほど舞い上がっていたのか教えられただけだ」
トレーナーには次があるがウマ娘には次が
無いと失態を犯したトレーナーを責める文言がある。だがそれは本当なのだろうか?
「トレーナー」
見ず知らずの出逢って数ヶ月しか経たないウマ娘に心血を注いで道を示そうとしている者にウマ娘達は恩を返せているのだろうか?
「トレーナー…」
振り返れば誰もいなくとも隣には居てくれる。
「トレーナー……」
目頭が熱くなる。焦燥感とも無力さとも言えるどうしようもない傲慢さがを改めて自覚する。
「シービーも…菊花賞の後のシービーも君と同じだったよ」
ハッとして顔を上げると苦笑いをしたトレーナーと目が合った。
間話13話 童話
「僕は君達にいつも心配をさせるね」
うとうとしたトレーナーは握っていない手で私を胸元に抱き寄せる。
「でも約束したからもう大丈夫。僕も君達に並んでみせる。だから心配しないでよ」
違う、そうじゃない。そうじゃないのに私はこの冷たさと暖かさから離れられない。
「ああ…でも今は少しだけ寝かせて欲しいかな」
そう言って掛けられた重さと遅れてくる寝息が私の思考を狂わせていく。
ああ、このトレーナーはダメな男だ。
私がどれだけ幼稚なのかを教えてくる。
ああ、この人は自分の器を知らない。
私がどれだけ満たそうとても満ちる事はない。
ああ、この男の献身は独善だ。
私は与えられるがままにそれを飲み干すのだろう。
「私はもうダメなのかもしれません。お母様」
手を離してトレーナーを起こさないように抱き抱える。成人男性とは言えその重さは羽根のように軽い。
「ああ、貴方は本当に甘美だ」
全てを受け入れよう。その方針もその在り方も。
だがその分だけ私は貴方に**。
ガチョウにはならない。それでは貴方を変えられない。
ソファーに移り膝枕をして改めて手を握る。
「理想の女帝になってみせよう。貴方の理想の女帝に」
安らかな寝顔にそっと顔を近づける。触れ合うか触れ合わないかの瀬戸際。
「シービー…」
その言葉の先を聞くよりも先に私は制した。
珈琲と少しだけ混じる鉄の味。温かさは共有される。
「たわけ…」
誰に言ったのかわからないその言葉と蜘蛛の糸より細い糸で繋がっている事に目を細める。
少しでも糧になれば良い。与えられた物で育ち、それ以上に返そう。
「たわけが」
目を瞑り、ゆっくりと同じ所に落ちていく。握りしめた手の暖かさを全身に感じながら夢を求める。
夢が醒めた時、エアグルーヴはまだ背負われていた。顔色が見えない相手と蒸し暑い外気が現実を教える。
だから少し強く抱きしめてもう一度だけ微睡みに落ちる事にした。
「起きた?」
その声を無視して身体を預けて微睡んでいく。パタパタとなる音と小言が聞こえてくるがエアグルーヴは目を瞑り笑って誤魔化した。
まだまだ私は醜いガチョウらしい。
何回も書き直した結果がこうなりました。
次回はブライアンか本編進めます