事務員の初音さん   作:偏(片)頭痛

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#8「裏方の初音さん」

 

 定期公演を前日に控えたとある日。

 ステージの設営のために多くの人がバタバタと走り回るその様子に、劇場はいつもとは違った忙しなさを見せていた。

 アニバーサリーライブ後の初めての定期公演は、アニバーサリーライブで初めて765プロシアターを知った人たちをがっちりファンとして捕まえる大事な公演になる、ということはプロデューサーから聞いてはいたが、ステージの設営をしているスタッフさんたちを見て、それを肌身で実感している。

 設営のためにあちこち動き回ってるスタッフの中心で絶えず指示を出し続けているプロデューサーの様子を見れば、今回の定期公演がいつもより力の入ったものであることが分かる。

 もちろん会場はいつも定期公演を行っている劇場のステージだし、スタッフさんの顔ぶれも一年間劇場でのライブを支えてくれた面々だ。だけど、劇場に漂う空気が、スタッフさんたちの間に走る緊張感が、やはり次の公演がいつものライブとは違うことを示していた。

 

「初音さーん、レンタルの機材今届きましたー!」

【スピーカー類は打ち合わせ通りステージ周りにとりあえず運び込んでください! 照明類の機材が届いたらまた教えてください!】

「えーと、……はい、わかりました!」

【機材を全て運び込んだら音響機材は設営始めてください! 音響の設営と並行してすでに設置してあるモニター類のテスト始めるので映像班は十分後に集まってくださーい!】

 

 もちろん、ミクさんも忙しなく会場を駆け回るスタッフの一人だ。ミクさんが喋ることができないことを知っているスタッフさんがほとんどなので、チャットを使ったコミュニケーションも比較的スムーズだ。機材の調整などのリアルタイムでの指示が必要な場合は美咲さんやプロデューサー、あと音響機材を覗きに来たジュリアさんとかが初音さんの指示を代弁(文字通りの意味だ)するのだが、細かい指示がいらない基本的なことは私たちとコミュニケーションを取るときと同じくチャットで行っているようだ。今もモニターのテストを行うと言うことでスタッフさんに指示を出した後、ミクさんは美咲さんを探しに行った。

 パタパタと走るリズムに合わせて、彼女の長いサイドテールが右へ左へゆらゆらと揺れる。私はステージの上からその翠の軌跡を目で追いかける。私の知る中でも、映像や音響の機材をいじっている時のミクさんは特にイキイキしているように見える。あの表情はうっかり百合子に最近オススメの小説を聞いてしまった時の表情に似ている。一度ミクさんにそういう話を聞いてみたいと思ってはいたが、いざ聞くとなったら多少の覚悟は必要になるかもしれない。

 裏手に行くミクさんの背中を見送っていると、静香、と背後から声がかかった。振り返ってみると、不機嫌そうな表情をした志保が立っていた。

 

「ミーティング、もう始まるわよ。プロデューサーさんが呼んで来いって」

「えっ、もうそんな時間?」

 

 慌ててスマートフォンで時間を確認すると、予定されていたミーティングの五分前だった。軽く設営の様子を覗きに来たつもりだったのだが、思っていたよりも長く居座ってしまっていたらしい。

 

「ごめんなさい、すぐ行くわ。探させちゃった?」

「別に。多分初音さんのところだろうってみんな言ってたわ。プロデューサーさんも、劇場のステージにいるだろうって言ってたし」

 

 それを聞いて私は二の句が継げず、うっ、と言ううめき声に似た何かしか喉から出てこなかった。どうやら私はこの数ヶ月で、ミクさんの後ろを付いて回る雛鳥のように認識されているようだ。

 

「前にも言われたけど、そんなに私、ミクさんにべったりかしら……」

「私でさえ一周回って微笑ましく思えてくるくらいにはべったりよ、最近。ほどほどにしないと、鬱陶しく思われちゃうんじゃない?」

「なっ、み、ミクさんはそんなこと思わないわよ!!」

「それぐらいあなたと初音さんは一緒にいるのよ。それに、そろそろあの二人も拗ねちゃうんじゃないの?」

「……それについては、もう一回終わったわ」

「あら。手遅れだったのね」

 

 そう言うと、ここで初めて志保はクスクスと図星を突かれた私の表情を見て面白がるようにクスクスと笑った。今度は私がむすっとした表情になる番だったようだ。

 

「早くミーティング行きましょう。もうすぐ始まるんでしょ」

「ミーティング忘れてたのは静香だったじゃない」

「うるさいっ」

 

 私と志保はステージを後にして、早足にミーティングへ向かった。

 

 

 明日の公演で、通常のステージパフォーマンスの他、新しい試みとしてピアノの弾き語りをやることに決まったのは、アニバーサリーライブが終わってすぐのことだった。二年目からは今までよりも様々な挑戦をしていくということで、その先駆けとして、私と歌織さんによるピアノの弾き語りが企画されたのだ。

 弾き語りのリハーサルはステージパフォーマンスのリハーサルとは別口でやるようで、MCや通しのリハーサルが終わった後に、私と歌織さんはステージに残っていた。

 

「私たちの弾き語りはライブの中盤ごろだったけど、リハーサル別になっちゃって大丈夫かしら……?」

「機材の搬入の関係で、どうしても後になっちゃったみたいです。あとでプロデューサーに流れを確認しに行きましょう。……それに、照明や演出も、微調整したいって言ってました」

「ミクちゃん?」

「はい」

 

 ステージの上に視線を向けると、ミクさんが照明さんに指示を出しながらピアノの位置を調整していた。映像演出も私たちのために新しく作ったとも言っていたし、ミクさんとしても私たちの弾き語りのパートには力を入れているようだ。

 

「ミクちゃん、すごいわね。私はあんまり設営の様子って見ないのだけれど、いつもあんな風に?」

「はい、いつもです」

 

 パタパタと右へ左へ駆け回りながら、ミクさんはテキパキと指示を出す。

 今日の公演のときも、アニバーサリーライブの時も、それより前の定期公演の時も。

 同じようにミクさんは他のスタッフさんたちと一緒に私たちのための舞台を作り続けていた。

 

「歌織さん」

「うん?」

「明日……がんばりましょう」

「……ふふっ、えぇ。成功させないとね」

 

 私のすこし震えた声に、歌織さんは少しだけ笑って応えた。


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