転生少女に恩愛を -TransmigrationStory-   作:てと​​

3 / 4
003 出会いは運命的に(3)

 

 ――窓から差し込む陽射しの眩しさに、俺は目を覚ました。

 いつも起きる時刻ならば、こんなに強く日が当たることはないはずだ。つまり――

 

「日の出から一時間後……どころじゃない、な」

 

 べつに用事があったわけではないから、まあいいのだが。昨日を状況と様子を考えると、あの子にきっちり仕事を求めるのも酷な話だろう。

 俺は上体を起こすと、大きく伸びをした。二度寝からの起床だが、眠気や疲れはすっかりなくなっていた。

 

「……ニーナは、おねむか」

 

 テーブルに突っ伏して眠っている少女を見遣り、俺は頭を掻きながら呟いた。

 相手の精神が男とはいえ、自分だけベッドを使って、女の子に椅子で寝させてしまったことに罪悪感のような気持ちが芽生える。が、彼女と一緒にベッドで寝るのも、それはそれで何かまずいような気がするので、どうしたものか。

 くだらない悩みを抱きながら、俺はベッドから下りた。そのままニーナのそばへ近寄り、肩をとんと叩いてやる。

 

「…………」

 

 その時に彼女の髪も一緒に触れ、絹糸のような肌触りに感嘆の声を上げそうになる。さすがは神が創りし身体といったところか。なかなか美にこだわりがあるように見受けられる。

 ……胸だけやたら薄いのは謎だが。もしかしたら貧乳派の神だったのかもしれない。

 馬鹿げた思考をよぎらせつつ、もういちどニーナの肩を叩く。

 

「おい、朝だぞ」

「……ん…………」

 

 どこか艶っぽい声を漏らしながら、彼女は頭をわずかに動かす。目をつむった少女の横顔が晒された。寝顔は幼さが強く感じられ、子供っぽい可愛さがあった。

 娼婦を買わないタチの俺からすると、誰かの寝ている姿などほとんど見ることもないため、その光景はどこか新鮮な気分にさせてくれる。もう少し眺めていたい気持ちを抱きつつも、いい加減に彼女を起こしてやるべきだろう。

 

「……ほれ、起きろ」

 

 肩を揺らす。「んんー……」と眠そうな声を上げながら、ニーナは徐々にまぶたを持ち上げていった。

 目を見開いた彼女は、俺の顔を視線を移す。そして――

 

「…………っ!? だぁ、痛って……っ!」

 

 びくぅ! と体を仰け反らせたニーナは、そのまま椅子から落下。頭を打って、透き通るような声にまったく似合わない、がさつな悲鳴を上げた。

 ……何やってんだ、コイツ。

 呆れた顔で彼女を見下ろすと、ニーナは後頭部を押さえながら、耳まで赤くして弁明する。

 

「いや……ほら……。その、昨日のことが夢なんじゃないかと感じていて……。はぁ……やっぱり、オレ、異世界にいるんだな」

「……まあ、現実逃避したい気持ちはわかるが」

 

 俺は床に倒れたままのニーナに、右手を差し出した。彼女は少し遠慮がちに、それを手に取る。

 触れた肌は柔らかく、心許ないか細さだった。“力なき者”の感触だ。この世界では、独りで生きていくことのできない繊手だった。

 俺は彼女を引っ張って、立ち上がらせる。

 もしかしたら、俺はかなり面倒な役目を背負うことになるのかもしれない。とはいえ、無情に見捨てる度胸もなかった。知り合いのドワーフから「お前さんはお人好しすぎる」と言われたことを思い出し、俺は苦い心境になる。

 

「フェラン……?」

「ああ、いや……」

 

 握りっぱなしだった手を、あわてて離す。俺は取り繕うように、彼女に尋ねた。

 

「それで……“考えたいこと”は、考えられたか?」

 

 ひとが環境の違う世界に放り込まれた時に、いったい何を思うのだろうか。自分がもしそうなったら、と考えてみると、途方もない悩みを抱かざるをえないのだろう。

 俺の質問に、ニーナは少し表情を曇らせながら口を開いた。

 

「……ぜんぜん。これからオレ、どうすればいいんだろうって思っても、わからないことだらけだし……」

 

 それから伏し目がちに、申し訳なさそうに、彼女はおずおずと言葉を続ける。

 

「あのさ……その、迷惑でなければ……。この世界で生きれるように……助けて、くれないかな。……ひとりで生きていくなんて、すぐにできそうにないし」

 

 それはいきなり異郷に落とされた人間の懇願としては、至極真っ当なものだった。

 昨日の反応を見るかぎりは、ニーナのもといた世界というのは、エオルズレストとは随分と違う環境なのだろう。世間擦れもしていなさそうな性格を見ると、彼女が独力で生活してゆくというのは、まあ当分は無理な話である。

 ここでニーナを見捨てることは簡単だ。だが、そうすれば俺は、自分を非情な人間に貶めてしまうことになる。

 少なくとも、生死と慈悲の神『アンレーン』を信仰する身としては、慈愛をもって彼女を助けるのが正解なのだろう。……けっして、俺がお人好しだからというわけではなく。

 

「オレのできそうなことだったら、言ってくれればなんでもするよ。なるべく、迷惑をかけないようにするからさ……」

「なんでも、ね……。何か特技とか、技能とか――得意なものはあったりするのか?」

 

 べつに能力を求めているわけではないが、役立つ力があるならそれに越したことはない。俺はなんとなしに尋ねてみたが――

 

「と、得意なもの……」

 

 ニーナはやたら深刻そうな表情で、弱々しく呟いた。動揺したように目を泳がせ、明らかに思い悩む様子を見せた彼女は、ずいぶん小さな声で、

 

「え、えーと……FPSとかRTSとか……?」

「エフ……なんだって?」

「ごめんなさい何でもありませんぼくは役立たずです」

 

 いきなり頭を抱えて、泣きそうな顔で謝りだすニーナ。よくわからないが、向こうでは価値があっても、こちらではあまり意味をなさない得意事なのだろうか。

 俺は困ったような、呆れたような表情を浮かべつつ、フォローの言葉をかける。

 

「いや、そんなに気落ちしなくてもいいって。べつに今すぐ、何か役立ってもらいたいわけでもないし……。まあ、とりあえずは――この世界のことを知って、慣れてから、自分のできることを見つけていけばいいさ」

「うぅ……ありがとう……。最初に会えたのがフェランで、本当に助かった……」

 

 少し涙ぐみながら安堵の息をつく少女は、どことなく庇護欲を誘うような可愛らしさだった。若干、子供っぽい立ち振る舞いがうかがえるのも、むしろ“女らしさ”を意識しないで済むのでありがたいのかもしれない。

 

「……さて」

 

 まだ一日は始まったばかりだが、やるべきことは山積みだった。ニーナに基本的な知識を与えておく必要があるし、生活用品も彼女のぶんを買い揃えてやらなければなるまい。

 寝なおす前に多少の説明はしたが、あれだけではどう考えても不十分だろうし、これから生活をしながら、いろいろ教えていくことになるだろう。

 なんにせよ。

 ひとまず、俺たちがまずやることは――

 

「とりあえず、腹ごしらえ……だな」

 

 

 

 

   ◇

 

 

 

 朝、というか昼に近い時刻になっていたため、階下の酒場にはそれなりの客が入っていた。

 一階が酒場、二階が宿部屋というのはよくある宿屋の形なのだが、この店はそれなりに規模の大きいところなので、酒場ではアルコールだけでなく簡単な食事も提供している。わざわざレストランに赴くのも面倒だったので、俺はニーナと酒場で軽食を取ることにした。

 

「空いているテーブルは……あそこでいいか」

 

 目立たない端の空席を見つけて、俺はそこに向かう。

 ニーナは戸惑ったようにキョロキョロと視線を巡らせながら、俺のあとに続く。さすがに薄手の服装だけではまずかろうと、彼女にはフード付きのローブを上から着せていた。特徴的なエルフ耳は、あまりエルフ種族のいないこの街では目立つので、フードを被ってもらっている。

 ……もっとも、お上りさん丸出しの振る舞いのせいで、周囲から視線がどうしても集まっていたが。

 

「……こういうところ、お前の世界にはなかったか?」

 

 ニーナを席に座らせながら、ちょっと気になり尋ねてみる。

 彼女はそんな質問をされると思っていなかったのか、「え?」とびっくりした様子で顔を上げた。その時、フードが後ろに下がって耳が露出しそうになり、あわてて彼女は手で押さえる。どうにもおっちょこちょいで危なっかしい印象だった。

 

「あー、えーっと……“パブ”とかいうやつだっけ……。オレの世界にもあるにはあるけど……。その、オレ自身は酒ぜんぜん飲まないから、酒場とかそういうの慣れてなかったり……」

「ふむ……?」

 

 酒は苦手なのだろうか。ここでは水代わりに弱い酒を飲むことも多いが、アルコールが苦手なら水を用意したほうがいいかもしれない。

 

「少し待っていろ」

 

 ニーナを席に残して、俺はカウンターへ向かった。そこにいた店の主人の親父に、飲み物と食事の注文をして、代金とチップを渡す。彼はニーナのほうに視線をちらりと向けたが、とくに何も聞かずにスルーしてくれた。説明するのも面倒なので、ありがたいかぎりだ。

 注文を済ませ、カウンターでコップ一つだけ貰った俺は、ニーナのもとへ戻った。彼女の目の前に、その空のコップを置くと、不思議そうな表情が返ってきた。

 

「…………? 店員が、水を注ぎに来てくれるってこと?」

「いいや、違うさ。“俺”が水を用意するだけだ」

「え……?」

 

 言っていることが理解できない、といった様子のニーナ。一階に降りる前に少しだけ尋ねたのだが、どうやら彼女のもといた世界には魔法というものがないらしい。だとすれば、この機会に見せておくのも都合がいいだろう。

 

「ニブ・ゾ・アサァセ・ヴァナエ……」

 

 古き魔術言語とともに、意識を集中させてコップに人差し指を向ける。イメージするのは、清廉な水だった。体内のマナが指先から放たれる感覚。わずかな間を置いて、俺の意思を継いだマナが、コップの内側で透明な液体へと変化した。――混じりっ気のない水である。

 コップに満たされた水を、ニーナはぽかんと見つめていた。まるで手品を初めて見た子供のようだ。

 

「これが……魔法……」

「初歩的なもの、だがな。体内、あるいは空気中、もしくは杖や魔石などに宿るマナを用いて、自身の意思を空間に、あるいは他者に反映させる。それがこの世界の、一般的な魔術だ。……もっとも、それがすべてというわけでもないが」

 

 精霊と交信して火や風を起こすような精霊術は、主にエルフが得意とする魔法である。あるいは、俺自身は目にしたことがないが、書物によると神と交信して奇跡を起こす神秘術なる魔法も存在するらしい。いずれにしても、自然的には起こりえないことを起こすのが魔法であり、魔術はその一手段である。

 俺がその辺の基礎的なことを説明してやると、ニーナは少しずつ目を輝かせていった。興味津々、といった様子である。

 

「こ、これってさ……。オレとかでも、学べば使えるようになったり、する?」

「適性、素質があれば可能だが……。ちょっと、手を出してみてくれないか。マナの有無を確認したい」

「手……? こ、これでいいか?」

 

 俺はニーナに片手を差し出させ、その手のひらを握った。柔らかな繊手を凝視し、そこにある不可視の力を感じ取ろうとする。数秒、触れたままでいると、彼女の皮膚の内側に流れる気配を捉えることができた。

 

「ど、どう……?」

 

 どこか気恥ずかしげな様子で、ニーナは尋ねてきた。彼女の手は少し熱を帯びていて、汗ばんでいた。俺は「ああ」と呟きながら手を放し、所見を述べた。

 

「まったく魔術に触れていない人間のはずなのに、少し探っただけでマナが感じられた。これは魔術才能としては、かなり高い部類だな。さすがは……」

 

 神に作られた肉体か、と周囲に聞こえないよう小声で言う。

 人間種で先天的に魔術適性のある者は、およそ五パーセントだと言われているが、その中でもとくに優秀な素質を持った部類にニーナは該当するだろう。……もっともマナの保有量や親和性などよりも、意思の力のほうが魔術行使には重要なので、魔術師としての才能とはイコールではないが。

 

「そっかぁ……! じゃあオレ、魔法を使えるように勉強したいな……。楽しそうだし」

「た、楽しい? ……ま、まあ。時間があるときに、その辺のことについてまた話し合ってみようか」

 

 心を浮き立たせた様子のニーナに、俺はわずかに眉をひそめつつ応じる。

 魔術の修練なんぞ、精神集中してイメージを保ちつづけることを、延々と気が狂いそうになるほど繰り返す苦行でしかないのだが……。もしかしたら、魔法を簡単に習得できるものだと思っているのかもしれない。まあ、そのうち現実を知る時が来るだろうが。

 

「……そういえば、聞いておきたいことがあった」

「ん? なに?」

「――お前が出会った、神について」

 

 俺は話題を変え、ずっと気になっていたことを切り出した。

 

「昨日の口振りだと……何もわからないまま、この世界にやってきた――というわけでもないんだろう?」

 

 未明の宿部屋で話した時を振り返ってみると、ニーナはある程度の会話を神と交わしていて、この世界に転生することを理解していたようだ。その時の意思と記憶があるのなら、それを確認しておいて損はなかった。

 

「どんなことを話したか、覚えているか?」

「あー、うん……。えっと……」

 

 ちょっと悩むように頭を指で掻いたのち、ニーナはゆっくりと答えだした。

 

「最初は『あんた誰だ?』ってオレが尋ねたな……。そうしたら、『お前たち定命の者たちからは、“神”と呼ばれている者だ』って答えが返ってきた」

「名前は聞いたか?」

「な、なまえ? いや、それは聞いてなかったけど……。神は神じゃないの?」

「いろいろ、いるのさ。一柱だけじゃなくて、数えきれないほど神的な力を備えた存在が」

 

 七大神として有名な神々だけでなく、血と復讐の神『ドレオール』や獣神『ニテン』といった、それ以外の神も存在する。ニーナを転生させた存在が誰なのかによって、彼女が新しく生を受けた意味合いも変わってくるはずだった。

 かつて戦乱の惨禍に見舞われたエオルズレストは、それを見かねた正義と平和の神『リストール』が神の代理たる転生者を遣わし、この地に平和をもたらした。――神がひとを転生させるのには、たいてい理由があるのだ。

 

「男と女、どっちだった?」

「……声からすると男だった、かな。でも、なんだろう。あんまり容姿は印象に残っていないや……ごめん」

「いや、いいさ。……“神の声”は、エオルズレストの民もときおり天啓として聴くことができる。だが、ひとの目に映ることは非常に稀だし、たとえ神が姿を現しても、ひとの身では正しく“認識”することは難しいとされている。……特定はできないかもな」

 

 かく言う俺も、二度ほど夢の中で、信仰するアンレーンの声を聴いたことがある。一回目は短い励ましの言葉、そして二回目は思いがけない褒辞だった。祈りと忠誠を捧げつづける者には、相応に応えてくれるのが神という存在なので、ニーナ自身の出自たる神も知れるに越したことはないのだが――

 ……まあ、わからないものは仕方ないか。

 少なくとも、エルフ耳なので獣神『ニテン』ではないことは確か――といったところか。ニテンなら、最低でもニーナを獣耳と尻尾付きにしていたに違いない。

 そんなくだらないことを考えつつも、俺は次なる質問をする。

 

「その後の会話の流れは……記憶にあるか?」

「えーっと……。その神様から、別の世界に転生させてくれるって言われて……。それで、要望について聞かれたなぁ。生まれ変わる体についてとか、“能力”についてとか」

「……体か。それは要望どおりになっているのか?」

「なってるよ。金髪、碧眼、美形、細身、歳は十五くらい。……はぁ。言われてないところは勝手に変えるって、アイツぜってー性格悪いぜ」

 

 頬杖をつきながら、溜息交じりの愚痴をこぼすニーナ。たしかに、その条件と一致する外見である。だが……男を女に変えていることには、何か意味があるのだろうか。

 気にはなるが――それ以上に、興味深い話がほかにあった。

 

「……能力、か」

 

 俺はその言葉を呟きながら、目を細めた。

 神が遣わす転生者には、俺たちの常識からはかけ離れた、特殊な力を備えていることがあるようだ。かつてリストールが遣わした英雄、そして帝国の建国者たるクロハは、魔術とはまったく異なる不可思議な攻撃手段を持ち合わせていたらしい。彼に敵意を向けた者は、次の瞬間には倒れ伏しており、彼が力を振るう過程は誰の目にも映らなかったと書物には記述されている。

 それ以外の転生者とされる者の記録では……目線を合わせたり、頭に手を置くといった行為だけで強力な魅了(チャーム)をかけるような、危険な洗脳術を持った存在もいたようだ。恐ろしい話である。

 

「神から、何か特別な力を貰ったりしたのか?」

「あー、いちおう……」

 

 大したもんじゃないけど――と、ニーナは頬を掻く。

 資料に残っているような転生者たちほどでないとしても、神が授けた力はそれだけで常識を超えた代物だろう。

 

「…………」

「他者に漏らすと不都合な能力か?」

「いや、そうじゃないけど……。もっとわかりやすくて、強力な力をお願いすればよかったなって……」

 

 ニーナは重々しい溜息をついて、コップの水に口をつけた。魔法産の水を飲んだ彼女は、「冷たくておいしい……」と少し驚いた様子で感想を漏らす。かつて北方のリミグフェルドで口にした湧き水をイメージしたので、そこら辺の水売りが売り歩いているものよりかは、はるかにうまいはずだ。

 

「――幸運」

 

 ぽつりと、呟くようにニーナは言う。俺は一瞬、怪訝な顔をしたが……それが彼女の“能力”なのだと、すぐに気づいた。

 

「けっきょく、運がなかったら人間なんて、簡単に死んじゃうじゃん? だから変に捻った力よりも、そういう単純で安定した能力のほうがいいかなー……なんて」

「……なるほど」

「でも、効果があるのかないのかわからないし――。……べつのにしときゃよかったかな」

「いや? そんなことないさ」

 

 俺は笑った。

 あまりこの世界の知識がないから、ニーナは気づいていないだけなのだろう。いきなり現れた謎の転生者を、私利私欲に利用する意図もなく保護して、面倒を見るなどという“お人好し”と最初に会うことができた彼女は、間違いなく幸運である。……自分で言うのも、なんだがな。

 

「国の頂点に立ちたいとか、誰もが賞賛する英雄になりたいとか、そういう野望がなくて幸せに生きたいなら……ベストな選択だろう。いずれ、その能力のよさを実感する時が来るさ」

「そ、そうかな……? ――うん。そう言ってくれると、ちょっと安心する。ありがと」

 

 えへへ、とニーナは笑いながら、照れを隠すようにコップに口をつける。なかなか愛嬌のある仕草だった。

 いろいろと話しているうちに時間が経ち、俺たちの席にも給仕がやってくる。トレーに料理の皿を乗せて持ってきたのは、鳶色の髪をした十代半ばの少女だった。

 

「はい、お待ちどー様」

 

 そんな軽い口調で彼女が接客するのは、単純に毎日、俺と顔を見合わせているからである。店主の娘である彼女は、いつも店で給仕や掃除の仕事をしているので、宿部屋を間借りして住んでいるような俺とは、自然と仲もよくなるものである。

 パン、スープ、そして蒸かしたジャガイモ。そんな庶民に定番の料理三品を二人分、テーブルに皿を置きながら、給仕の少女はふと、フードを被ったニーナの顔を覗きこんだ。

 

「――初めまして?」

「は……はじめまして」

 

 びくっと緊張した表情を浮かべたニーナは、目線を下げつつ小さな声で答える。そんな彼女の様子を一瞬、きょとんとした顔で見つめた少女は、まるで年下の子供を相手にするかのように破顔した。

 

「あはは、べつに取って食うなんてことしないから安心して。……あたし、ミルドっていうの。よろしくね」

「……ニーナです。よろしくお願いします」

 

 ニーナのほうは、どう対応すればよいのかわからなそうな様子だった。おそらくミルドとしては、同じくらいの年頃の娘と仲良くしたいという気持ちがあるのだろうが、初見では伝わるまい。

 ミルドはリンゴ酒の入ったグラスを俺の前に置きながら、こちらに意外そうな目を向けて、

 

「……フェランさん、こういう子が趣味だったんだ」

「たぶん、きみは相当な誤解をしているぞ」

「え? だって二階から一緒に下りてきてたじゃない。女の子を部屋に連れ込んでおいて、そんなこと言っても説得力ないでしょ」

「…………」

 

 まあ、それはたしかに。残念ながら言い返せないのが悔しい。

 ニーナは水を口に含んでいた最中だったのか、俺たちの会話を聞いてけほけほとむせていた。

 

「ベッドのシーツ、あんまり汚さないようにしてね」

「善処しよう」

「――ち、違うんですそういう関係じゃ……」

 

 ニーナだけは顔を真っ赤にして否定しようとするが、ミルドは笑いながらウインクして去っていってしまう。

 しばらく放心したような状態だったニーナは、なおも顔を少し赤らめたまま、俺に縋るような声を寄せる。

 

「フェ、フェラン……あの子、誤解したまんまじゃん……」

「……いや、むしろ。そっちのほうが面倒がなくていいさ」

「え……?」

 

 困惑した表情を見せる彼女に、俺はパンをスープに浸しながら説明する。

 

「俺の部屋に現れた転生者を保護している、だなんて正直に言えないだろ? なら、勝手に相手の想像に任せていればいい。無理に釈明する必要もないさ」

「…………。うーん……」

 

 どこか納得のいかなそうな様子のニーナ。まあ、彼女はもともと男だったので、そういう目で見られることに抵抗感があるのかもしれない。むべなるかな、である。

 

「まぁ……ニーナの対外的な立ち位置は、決めておいたほうが都合がいいかもな。――親を失った孤児か、あるいはどこかから家出してきた娘か。身寄りのない在留外人の少女を、俺が保護している……という“設定”が無難か」

「在留外人……?」

「この街の市民権を持っていない、よそから来ている者のことだ。商人とか、旅人とか、傭兵とかが多いな。非市民が一ヶ月以上街に滞在すると、役所で申請すれば在留外人の扱いを受けることができる。法的保護も適用されるから、しばらくしたらその辺の手続きもしよう」

「へぇ……」

 

 わかったような、わかっていないような声を漏らすニーナ。たぶん彼女のいた世界とは制度も違うだろうし、どこかで詳しく説明してやる必要もあるのだろう。

 

「フェランは市民なの?」

「いや、俺は在留外人だ。治癒魔術による治療行為や、死人の魂送りで報酬を得ながら、旅をしている根無し草さ」

「魂送り……?」

 

 ニーナは不思議そうな顔を浮かべていた。……彼女の世界では、そういうのはなかったのか?

 

「――ひとが死ねば、信仰する神によって魂が導かれる。だが信心が足りなかったり、そもそも信じる神がいなかったりする場合は、生者の手を借りて魂を送ってもらう必要がある。つまり仲介役さ」

 

 魂が送られず現世に留まりつづけると、場合によっては悪霊と化して周囲を害することもある。したがって、死人の魂送りは重要な仕事であり、どこにいってもそれなりの需要のある稼ぎ口だった。

 

「俺の場合は、生死と慈悲の神『アンレーン』を信仰している。彼に頼み込むことで、信徒ではない者も含めて、死者の魂を救ってもらっているのさ」

 

 ほとんどの神は自分の信徒以外を救済しないが、アンレーンだけは例外的に、ほかの信徒の魂送りにも応じてくれる。それが、生死と慈悲の神たる由縁であった。

 

「そ、そんなに身近な存在なんだ……この世界の神様って」

「――知恵と魔術の神『クナン』を信仰すれば、魔術師として大成しやすくなるし、破壊と恐怖の神『ベオルナス』を信仰すれば、戦士として大きな強さを得られる。そんなふうに、ひとに力を与えてくれるのがこの世界の神だ。まあ――神にも都合があるらしいがな。ひとの信仰を集めれば集めるほど、どうやら神自身の力や影響力も増すらしい。それゆえ、ひとにも積極的に恩恵を与えるんだろう」

 

 エオルズレストに転生者を遣わすことにより戦乱を納めたリストールは、この世界でもっとも崇められており、七大神の中でも主神的な立ち位置にある強力な神だ。

 神がときおり転生者を送り込んでくるのは、もしかしたら自身の加護を与えた存在を活躍させることによって、神そのものの力や影響力――神威を拡大させるという狙いがあるのかもしれない。……まあ、研究者たちの考える説の一つなので、真実は知らんが。

 

「ふーん……むぐっ!?」

 

 俺の説明に聞き入りながらパンをかじろうとしたニーナは、素っ頓狂な声を上げた。俺が眉をひそめると、彼女は歯型のついたパンを見せた。

 

「……硬い」

「そりゃそうだ。柔らかい焼きたてのパンなんて、窯を備えたパン屋に買いにいかなきゃ食べられないぞ。……スープにつけて食べるんだよ」

「むぅ……」

 

 たぶん、彼女の世界では柔らかいパンばかりを食べられる環境だったのだろう。本人の性格が素直で純朴な感じなのを見ると、平和で文明レベルの高い世界だったのかもしれない。……今度、暇がある時にどんな世界で生きてきたのか、聞いてみることにしよう。

 内心でそんなことを決めつつ、俺はニーナと会話しながら食事を続けた。その様子は、どことなく教師と教え子、あるいは兄と妹のようにも感じられた。

 ……悪くはない気持ちだった。俺自身、数ヶ月ごとに拠点を移すこともあって、親密に人と関わることは避けがちだったのだが――

 とくに問題もなければ、彼女をずっと保護してやってもよいかもしれない。

 そんな気持ちが、少し芽生えていた。

 

「……わからんものだな」

「え?」

「いや、なんでもない。独り言さ」

 

 誰ともわからぬ神によって、もと男の転生者と過ごすようになるなど、いったい誰が予測できるものか。あるいは、こういう意外な出来事があるからこそ、人生というのは面白いのかもしれない。

 パンを食べにくそうに口にするニーナを微笑ましく眺めながら、俺はそんなことを思った。

 ――まだ、俺たちの生活は始まったばかりだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。