間髪の入る隙間も無い双刃が、白銀のナイフとぶつかり合う。およそ常人では目で追えない瞬撃の連続を、彼らだけが操り創り上げていく。
狂騒の
否、早期の決着を望む者がいた。先へ行った主を追わねばならない。こんな場所で交響曲を売ったって、観客もいなければ融資家もいないのに。
この場に承太郎を残さないで良かったと、今でも思える。彼はきっとポルナレフを殺すから。躊躇いはするだろうし、悩みもする。でも間違いなく、最後には仲間を手にかける。母を救うために決められた覚悟は、最早何をもってしても止められない。
彼の命を奪わずに決着を付けられるのは、自分しかいない。こればかりは例えフランドールであっても困難を極める。高速で動く奴の動きを完全に止められる咲夜にのみ受注が許可される、特別な任務なのだ。
能力の不調は百も承知。コンマ2秒、たったそれだけ時間を止めれば『アヌビス神』をポルナレフの手から叩き落とすには充分だ。暴れ馬の如く手綱を取れない現状でさえ瞬きする程度なら造作もない。
かちん、咲夜の中で時計の針が僅かに強く刻まれた。それは時の止まる合図。誰にも見えないし分からない、彼女だけが支配する世界への鍵である。
がきん、咲夜の中で時計の針が外れた。それは何を意味するのか、彼女も理解し得ない。ただ襲い来る明白な悪寒が、事態の把握を一瞬遅らせる。
「あ」
──ことこの2人において、一瞬は長時間に過ぎた。趨勢を決定付けるのに、須臾さえも要しなかった。
かしゃ、と何かを引っ掻くような音が聞こえた。がしゃ、と何かを引っ掻くような音が聞こえた。がしゃん、と何かを引っ掻くような音が聞こえた。ざしゃ、と何かを引き摺るような音が
あ、
ずぶり、体が細身の何かを飲み込んでいく。獲物を呑む蛇のように、しかしそれよりは早く嚥下を続ける。無感動なターコイズブルーの瞳が、自身の捕食にも似た行為を捉える。
背中が突っ張るような違和感の後に訪れる、ぷちんと膜の千切れるような感覚で、咲夜は我に返った。もっと言葉を発するつもりだったけれど、粘着質で水気のある一音に留められた。
「ヒヒ……やぁ~~~~~ッと捕えたぜ」
こぽ、と水が湧き上がるのに近い音を聞いたような気がした。口元を伝うものを拭い、その紅の鮮やかさに目を奪われかけた。指に咲いた彼岸花は、恐怖を覚える程に美麗であった。
「む、これは……マライアの野郎、負けたな」
するりと体内を動かれ、引き抜かれた喪失感のまま膝から崩れる。受け身を取らなければ顔を強かに打つだろうと傍目からでも分かる場面で、咲夜の手は一切動かなかった。果たして顔面が大きな衝撃を伴って地面に激突した。俯せの状態になったせいで、目の前でぼろぼろと身を剥離させていく『アヌビス神』は見えなかった。
創作中の死闘の結末を模倣しているかのように、あまりに絶妙なタイミングで
「おれはまた蘇る。てめーは死んでバッドエンドだがな!」
紛うことなき捨て台詞に違いない。もう一度復活できる保証なんて何処にも無いし、二度と原型に戻れないままエジプトの砂に埋もれる可能性の方が高い。頼みの綱のマライアは、今頃人目につかない路地の奥で意識なく横たわっているのだから。
そう教えてやることはできなかったし、例えできていたとしても刀は既に無数の破片へと戻り切っていた。
折しも北上してきた雲が太陽を隠し、俄かに曇天へと移り変わる。灰色の空の下を駆ける2人は、まだ事の顛末を知らない。
「てめーのスタンドは強い……そうそうやられはしねーぜ」
「分かってる。あの子はとても強いわ」
フランドールの表情が不安に満ちているのを、とても黙って見ていられなかった。安心させるためにかけた言葉は、意思の半分も届かなかった。彼女の強さは主人たるフランドールが最も良く知っており、それでも異様なまでの胸騒ぎが止まらない。
足は前へ前へと出て、大股で走る承太郎をも追い抜かさんとする。曲がり角の所にふと見えた真っ白なスニーカーに、無意識のうちに減速していた。
この旅を始めてから暫くして、立ち寄った靴屋で買ったスニーカーだ。主従お揃いのものを、色とサイズだけ各々に合わせて頂いてきた。貴女様には相応しくありません、そう言ってきらきらしたハイヒールを勧めてくる彼女を苦笑いしながらどうどうと宥めていた記憶は未だに鮮明である。あぁ、確かメイドと吸血鬼が同じものを履くなんてとんでもないとか思っていたんだっけ。
「ザ・ワールド! 無事っ」
あちこちに刻まれた斬撃が、激闘の名残として色濃く残る。散らばる欠片、それよりも早くフランドールの目に飛び込んできた倒れ伏す人影。まるで真紅そのものに沈むかのようで。隣で承太郎が息を飲んだ。
「
雨が、降り始めた。
鮮紅は薄紅に希釈されて流れゆく。
*
「彼女本人の生命力もあって、容態は安定しています。この分なら退院まで最短1ヶ月半といったところでしょう」
「そうか」
雨はまだ止まない。しとしと降り続け、もう丸一日にはなろう。全く気の滅入ることだ、深々と溜息を吐きかけて寸前で留まった。
ジョセフよりも遥かにショックを受けた少女の前で、これ見よがしな溜息は憚られた。彼女は、昨夜からずっと眠り続けるスタンドに寄り添っている。寝ていない証左になる腫れぼったい目元を気にもせず、じっとその場を動かないでいる。
寝た方が良いのは明らかだ。でも、誰も彼女に話しかけられなかった。これ程に深い悲しみを背負うフランドール・スカーレットを、未だ誰も見たことがなかった。これが十かそこらの少女がする目か。色を失い、ただ白と黒があるだけの目が、果たして人間のものと言えるのだろうか。
ベッドで眠る銀髪の少女は、スタンドというよりは人間に見える。そのうちにふと起きるのでは、そう思えるくらいに寝顔は自然だ。ただ肌だけが白磁を通り越して蒼白になっている。外から補填されていく血液は、まだ全身に回るには至っていないということか。
ぎゅっ、と咲夜の手を握っていた。それが回復に直結するはずもないと焦げ付いた脳でも理解できる。だからその行為は、フランドールの潜在意識が精神の正常性を求めた結果なのだろう。大切な従者が生きている、それを実感できなければ心の面から崩壊してしまうのだろう。
フランドールが一晩をかけて枯れるまで泣き果てたのを、皆が知っている。しかし──だからこそかけるべき言葉が思いつかない。全員が押し黙り、沈痛な静寂が病室を包み込む。初めて彼女の視線が咲夜から外れたのは、重く刺々しい雰囲気に耐えられなかったポルナレフが何か一声喋ろうとした、まさにその時であった。
「少しだけ待ってて」
可憐な少女らしくもない、嗄れた声で囁く。そのまま椅子から立ち上がり、ふらふらと覚束無い足取りで病室の外へ出る。ポルナレフだけが声をかけられたが、まるで聞こえていないかのようにドアを開けた。
千鳥足ともまた異なる不安定な足取りで廊下を歩く。小さな体躯が発する幽鬼の如き威圧感に、周囲の人々が挙ってそっと道を譲る。知らず広くなった道をゆらゆらと進み、彼女はやがて1階の待合室に到着した。
緩慢に辺りを見渡し、やがて定まった視線の先には、並んで座る2人組の男。無論知り合いではない。だが用はあるので躊躇なく近づいた。
「貴女達、DIOの刺客よね」
「……いかにも」
指の骨が砕けそうな程に、拳を固く握る。頂点に君臨する『王』の片鱗が、等しく凡百を竦ませる。暫くぶりに瞳の奥で揺らめいた感情は、火も焼き付くさんばかりの怒りだった。