DIO Frandre   作:海のあざらし

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第七十九話 DIO BRANDO その④

 ぱちん、と指を鳴らす。静かな読書空間は、広大過ぎるせいか音が響きそうにもない。指を弾くのは、従える使い魔を呼ぶ時に使う合図だ。書物の整理に勤しんでいた彼女は、合図から程なくして少女の元へとやってきた。

 

「はい、何でしょう」

 

「ちょっと話し相手になってほしいの」

 

「話し相手、ですか」

 

 にこにこと、愛想良く振る舞う赤髪の少女は、主人と反対に近い性格をしているといえよう。彼女から話しかけにいくことは日に何度もあっても、主人にかけてもらう言葉はほぼ全てがお茶汲みか本の片付け、もしくは指定された本を持ってくるかだ。それが仕事だとはいえ、少々寂しい思いをすることもある。

 

 だから主人の方から話をしようと持ちかけてくれたのは、驚きもあったがそれ以上に嬉しかった。無論そんなことを口にすれば、偏屈な彼女は機嫌を損ねるだろう。故に喜色をおくびにも出さない。カップの中身が空だったので、彼女の好きな薄めの味の紅茶を補充して、ついでに自分用のも注いで対面に腰掛ける。

 

「さっきの会話、聞いてたわね?」

 

「うっ……声を潜めてもないんですから、聞こえますよ」

 

「咎めてはないわ。貴女に隠す意味もないし」

 

 紅茶をちびちび飲みながら、ばっさりと切り出される。猫舌な癖に熱々の飲み物を求めてくるせいで、たまに熱過ぎると苦情が飛んできたりもする。同胞達が皆そこそこの待遇で派遣されていくのに比べたら、何とも理不尽な職場である。これで主人が可愛い女の子で、給金が破格の高額でなかったら、ストライキからの里帰り待ったなしである。

 

「貴女も本を読むでしょう」

 

「突然ですね。えぇ、貴女様の前でこう返事して良いのかはさておき」

 

「物語ってなに?」

 

 質問するの下手っぴか。突っ込みたい欲をぐっと抑えて、考え込むふりで凌ぐ。視線を落としてちょっとうーん、とか言っておけば、大体真剣に考えているんだなと思ってもらえることを、働く中で学んでいた。労働者は厳かなのである。

 

 恐らく『貴女の好きな』物語『の展開』ってなに? と聞きたいのだろう。今更物語の定義なんか説いたって、釈迦に説法みたいなものだ。全く、口下手な主人を持つと苦労する。心の中の自分に溜息を任せて、外面は愛想を保って答える。

 

「うーん、私はそんなに内容を選り好みしませんけど……起承転結がはっきりとしているか、そうでなくても惹かれる文章であれば、良い展開だと思います」

 

「そう、基本的に物語には起承転結がある」

 

 読みは正しかった。伊達にこの無口で投げやりなパープル・ガールに仕えてきていない。彼女の従者として労働に勤しむのは、さながらピース数の多い難解なパズルを常に解き続けているようなものだ。予想力も咄嗟の判断も、鍛えるに事欠かない。

 

 名言そうに聞こえて、その実当たり前のことを大仰に語る、全体的に紫に包まれた少女。ほんの一瞬、白い本に目が移ったのを見逃さなかった。先程からフランドールと咲夜以外の、かなり強力な気配を発し始めており、歯車が遂に大きく動き出したことを示唆している。

 

「では、起承転結のうち最も削るべきでないのは?」

 

「それは『結』かと」

 

「そうね。一流の文学作品だって、そこが欠けたら幼稚な児童書みたいなものよ」

 

 つまり、最後の幕引きがきちんと為されてこその物語であると。それを聞けば、もう唐突に始まったお話会の意図は分かったようなものだ。この少女は無頓着(ずぼら)に見えて、案外世間体というか、他人からどう見られているのかを気にするタイプである。

 

「あー……何となく言いたいことが分かりましたよ。要するに()()()()()()ですよね」

 

「……」

 

 すっ、と視線を横に逸らした。ささっと動いて覗き込んでやれば、反対に逸らし直した。表情はいつも通りのポーカーフェイスだが、紫色の瞳がせわしなく上下左右をランダムに向く。

 

 さっきの賢者と友人のやり取りを、魔法を使って遠隔から見ていた。門番は気がついていなかったか、もしかすれば敢えて見逃した可能性もあったが、とにかく干渉しなかった。彼女達の会談は10分と少々に過ぎなかったが、濃ゆいアクシデントの連発だった。

 

 フランドールと咲夜の処分について話が出た時は、さしもの2人も動揺した。だが、賢者が一瞬悪戯な笑みを浮かべたので、揶揄いに来ただけなのだろうと分かった。もう暫く待ってくれるらしいので、連れ戻すのは充分間に合うのが確定した。心の中で感謝して、次に魔法を覗き込んだら、とんでもない光景を目にすることとなった。

 

 まさか高潔なプライドが服を着て歩いているような彼女が、地に膝と額をつけて懇願するとは思わなかった。普段なら、例え仲睦まじい妹にもおいそれと頭は下げないのに、あの時の平伏には一切の躊躇いを感じなかった。まるでそうするのが正しい運命なのだと示したかのようだった。

 

 あんぐりと口を開けて、事態を見守る中で、少女はふと考えた。あの数分間、フランドールが帰ってきていた時に引き止めていたら、また違った未来になっていたかも知れない、と。そうでなくても物語の結末を重く見て真相を隠したのは、他でもない彼女である。……率直に言って、少女は自らの責任が小さくないことを悟った。

 

「堂々としていたら良いかと。黙っていればまず露見しないことですし、万一ばれたところで今の台詞を焼き増せば主張としては通るでしょう」

 

「……私が言うべきではないけれど、貴女結構ドライよね」

 

「悪魔ですから」

 

 珍しく話し相手に選んでもらったと思ったら、私そんなに悪くないわよね、だって重要な部分は削れないんだし、と押しつけがましく確認されたのだ。ちょっとくらい意趣返しをしたって許される。若干引かれたような目を向けられたが、少女の鬱憤はまだ晴れ切っていない。

 

「ま、実際そうするしかないのよね。私は賽の出目を操作できても振る前に時間を戻せはしない。振ってしまった以上、できることは限られてくる」

 

「出目を操作した結果が、ご友人の土下座ですか。何とも魔女らしいことで」

 

「……意地悪」

 

「悪魔ですから」

 

 言葉の隙を見つけ出して、ねちねちと攻撃する。良心の呵責から、主人は現在そこまで強く反撃できない。滅多にない攻勢のチャンスを、みすみす逃がすわけにはいかない。

 

 少女は、弄られるよりは弄る方が好みだ。しかし従者という立場上、誰かを揶揄う機会には恵まれない。言うなれば飢えた獣であり、目の前に肉が吊り下げられたら喜んで食いつく。その目敏さ、まさに悪魔の如し。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ゾンビは不死ではない。致死的なダメージを与えれば、人間と同様に殺害することができる。理性が希薄で身体能力が高く、複製を作り出せる人間と思えば対処は困難ではない。前提として、不気味な容貌に怖気付かない度胸と相応の腕前が要求されるが。

 

 理性に乏しいのだから、誰彼構わず襲いかかる。怯えて立てない子供でも、明らかに手を出すべきではない相手でも。彼らは如何なる動物よりも、本能に忠実なのだ。

 

「大丈夫?」

 

 咲夜がそのサラリーマン風の男を発見したのは、平時であってもそこまで人が通らないであろう、薄暗く不衛生な路地だった。アジア人らしいすっとした目鼻立ちに、清潔感のあるビジネススーツは、周囲に全く馴染んでいない。ゾンビに追われて、ここまで逃げてきていたのか。周辺に奴らもおらず、一時避難する場所としては正解であろう。

 

 咲夜の手から視線が離れない。かなり緊張しているようだ。無理もない、仕事のため海外にやってきてこんな事件に巻き込まれては、混乱するなという方に無理がある。

 

「ここは危ないから、遠くへ逃げて。西の出口から街を出て、車があるならそれに乗って」

 

 最も近い出口を教え、路地を去った。入口で待機していたイギーは、丁度近寄ってきたのを倒したところだった。砂にうずもれた朱殷色の肉塊が、僅かに姿を覗かせている。

 

 以降、纏まって行動していては効率が悪い。そう判断したジョセフは、チームを2つに分けた。直接の戦闘に長ける咲夜とポルナレフを軸に、残った各々を割り振る。

 

 承太郎の近くで、露払いに徹するのがポルナレフ・花京院・ジョセフ。危険な役目ではあるが、万一の時には承太郎へ助け舟を送れるということもあり、サポート能力に優れた2人が適任であった。

 

 そして街の外縁にいる人々をゾンビの侵攻から守りつつ、外へと避難させるチームは咲夜とイギー。単独でも彼女は数十を相手取るに足る戦力だが、イギーの『ザ・フール』は攻防に優れている。不測の事故を防ぐには充分だ。

 

「この辺りはある程度片付いたかしら」

 

(片付いたって言い方がコエーよ)

 

 消費したのは、肉体の持久力とは別に存在するエネルギーだ。多少は回復したが、全快にはもうしばらく時間を要する。これ程までに消費が激しいとは、予想していなかった。()()()時を止めるより、何倍も疲労が蓄積している。

 

 心臓の締めつけられるような痛みは、果たして彼女に隠し通せていただろうか。咳き込む度に吐息に混じった鮮血は、既に治まっている。どうやら咲夜の能力の限界を超えた使用方法であったらしく、体が内側から歪んでいく感覚さえ覚えた。

 

「イギー、行くわよ」

 

(次は向こうってわけか)

 

 次に時間再始動を試みたら、自らの肉体にどんな代償を要求されるか未知数である。命令も授かっているので、3回目は厳禁だ。体術とナイフ捌き、そして小さな相棒のスタンドだけを頼りにこの戦場で生き残るのが、現在の咲夜に課せられた任務であり、何に代えても遂行しなければならない。

 

 今いる場所からは、ゾンビの姿を確認できない。だが人々の悲鳴は途切れることなく聞こえてくる。早く向かわなければ、その分多くのゾンビが生み出される可能性が高まってしまう。薄情な物の見方なのかも知れないが、この状況下で敵が無用に増えていくのは避けたい。

 

 しかし、すぐさま駆けつけるわけにもいかない。眼前に現れた3人組が、無視できない武装を施していたからだ。いつでも仕掛けられるよう、全身に気を張り巡らせる。徒手空拳のプロフェッショナルたる同僚に教わった、最大限にまで瞬発力を跳ね上げる集中法で、眼光鋭く彼らを見据える。

 

 味方に収まる部隊、もしくはDIOの雇った傭兵。彼らは確実にどちらかに属している。見た限りではどちらとも判別しかねるが、少なくとも咲夜達を前にして敵意を発しはしない。

 

「うわ、これは相当……あーっと、ごめんなさい。貴女がザ・ワールドさんね?」

 

 敵ではないと証明するように、銃を足元に置いた。目配せされた他の隊員も、それに倣う。スタンドの気配は感じず、あの銃がブラフであるとは考え難い。

 

 3人の中でリーダー格と思しき女は、咲夜に話しかけながらも、周囲の様子に気を配ることを怠っていない。咲夜とそう変わらない、もしくは幾つか歳上という程度の若者だが、きちんと訓練を受けた手練の雰囲気を醸し出している。

 

「新手……ではなさそうだけど」

 

(あン? あの服とマーク……)

 

 イギーには、あの真っ黒な重装備と刻まれたアルファベットに見覚えがある。というか、野良犬として気ままに暮らしていた自分を拾った、厄介なあいつらじゃあないか。大方非常事態を察知して、メンバーを派遣してきたというわけだ。

 

 スタンドが使えるからって拉致まがいのことをされたのだから、イギーの心象が良くないのは致し方ない。だが、彼らの技術は世界でも最先端を行く。しかも世間には流布されていない裏事情にも詳しく、吸血鬼やゾンビといった存在についても把握しており、奴らに特化した武器も揃えている。味方になってくれるなら、かなり心強い。

 

(サクヤ。あいつらは味方だぜ……一応な)

 

「貴女達は、イギーの知り合いかしら」

 

「えぇ。()()()()()()()()

 

 はて、イギーは何処かの組織に所属していたっけか。思い返せば、彼は砂漠のど真ん中にヘリで輸送されてきた犬である。そのヘリが掲げていたロゴは、確か。

 

「西側の出口近くに、わたしたちの本拠地がある。簡単な設備しかないけど、体は休められるわ。見たところ結構疲れてるみたいだし、使っていいわよ」

 

 まだ聞きたいことはあったが、銃を拾い走っていってしまった。真面目に仕事をしている人間の背中に、呼び止める声をかけるのも躊躇われた。とにかく、彼女達は敵でなく味方だ。

 

(どうするんだ? おめーは休んでもバチ当たらねーと思うけどな)

 

「……休めとでも言いたげね。休憩したいなら貴方だけで行ってきなさい、私に立ち止まっている暇なんてない」

 

(おれは元気だよバカ野郎ッ!)

 

 気を遣って提案したのに、すげなく斬り伏せられてしまった。憤慨しつつ、3人が走り去っていったのとは別の方向に視線を移す。歪な走り方をする人型が、複数見えた。

 

 たん、と軽やかに地を蹴った音がイギーの耳に届く。瞬間、咲夜の体は数メートル前に躍り出ていた。人間とはこんなにも身軽に動ける種族だったか、数秒惚けてからはっと我に返る。

 

(置いてく気かあのクソアマーッ!?)

 

 どうせ着いてくるとでも思っているのか、はたまた休憩してくると早合点されたか。今程に人間と言葉が通じ合わないのを恨めしく思った一瞬はない。慌てて走り出すが、もう彼女の後ろ姿さえ何処かの建物の影に隠れてしまっていた。視覚ではもう捉え切れないので、嗅覚で追う他にない。

 

 何ともまぁ、独断専行を地で行く女だ。こんなのを従えるフランドールは、毎日苦労してたりしないのだろうか。尤も、このメイドが彼女を困らせる絵面は想像できない。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 細身のレイピアが閃き、ゾンビを容易く斬り伏せる。肉弾戦以外に手段を持たない彼らに比して、射程は長い。とはいえ少々のダメージでは怯まないので、攻撃を喰らわないよう素早く倒す必要がある。或いは、反撃されないよう背後から仕留めるかだ。

 

「数もそうだが、元人間ってのは斬りにく過ぎんなッ!」

 

「致し方ない。被害を拡大させないためにも、殺さねばならん」

 

「Oh no! 許してくれよカミサマ!」

 

 この辺りには、もう逃げ遅れた人はいない。果たして何割の人が逃げ切ったのか、少しでも多くの生存者がいるのを願うしかできない。1度ゾンビになってしまった人間を元に戻す方法は、見つかっていないのだ。

 

 ジョセフ達は全能の神ではない。襲われる全員を救えれば言うことなしだが、それは雲を掴むような話である。故に心を痛めながらも、元人間を倒していく。

 

 誰も彼もが、つい数時間前までは人間として生活していた。仕事終わりに、恋人と共に、様々な人が思い思いに夜の街へと繰り出して、人間としての尊厳を奪われていった。きっとデートの最中だったのだろう、爪にマニキュアまで施し、綺麗に着飾った女性が、悪鬼の如き容貌で突っ込んでくることもあった。波紋で溶けていく細い指先に、知らず歯噛みをした。

 

 この街の住人の人生を狂わせるのがDIOなら、終わらせるのは自分達である。初めに考えていたよりも、ずっと重くて辛い事実だった。彼らはDIOを撃破するために、自らを危険に晒す覚悟はできていた。だが、何の罪もない無辜の人々に手を下すことを、必要だからと簡単に割り切れる程強靭な精神を有してはいない。

 

 新たなゾンビが姿を現した。彼らの役目は、承太郎がたった1人だけに集中できる環境を作ることだ。気持ちを切り替えて、目の前の敵に臨む。異形化の影響なのか、舌の長さが常軌を逸している。捕まれば、吸血は避けられない。

 

「ん? 何だ、撃ってるヤツがいるッ!」

 

 真横から抑えられた銃声が聞こえた。頭を正確に撃ち抜き、対象を瞬く間に無力化していく。数体のゾンビが全員行動不能になるまで、僅か1分足らずの出来事だった。市民の決死の反撃というには、あまりにも冷静で手慣れている。

 

「ゾンビを制圧し人々を救え! 3人1チームの鉄則を崩すなよッ!」

 

()()、あなたが前線に出ていてはわれわれが不安で仕方ないのです。さしあたっては、安全な本拠地まで避難をば」

 

「何を言うか。わたしだってまだまだ現役だ!」

 

「御歳60幾つですかあなた……」

 

 いつの間にか近くに乗り付けていた、黒塗りの如何にも高級そうな車から降りてきたのは、市長と呼ばれた黒人の男性と、部下と思しき若い女だった。男は確実に年齢を重ねてはいるが、言葉の通りまだまだ壮健な体つきと精悍な表情を保っている。

 

 女の呆れたような顔には構わず、歳に似合わぬ若々しい活力で武装部隊へ指示を出す。すぐさま各地へ散っていった面々を見送り、それからジョセフ達の方へと向き直る。

 

「さて。花京院にポルナレフ、そしてジョセフ・ジョースター!」

 

「おっ、おい。何かおれたちの名前知ってるぞあのおっさん」

 

 援軍として現れた部隊が信頼できる味方だと、ジョセフは理解できた。見慣れたロゴがくっきりと自己主張しているので、見紛うことはない。強力な助っ人が来てくれたのは、喜ばしいことだ。

 

 だが、男には何となく既視感を覚える。以前何処かで会ったような懐かしさだった。加勢してくれた組織──SPW財団に付き合いの長い職員は数名いるが、そのうちの誰かだろうか。記憶を遡ってみるが、どうにも該当しそうな人物に思い当たらない。

 

「ん~~~~?」

 

「わたしのことは覚えているかい? ジョジョ。きみの元に駆けつけるのは、これで2回目かな」

 

 わたしが大学を卒業する時に会ったのが、最後だったな。厳格な容貌を崩し、穏やかに男は笑った。きっと覚えていないだろうな、そんな寂しげな感情が言葉の節々から透けて見えた。

 

 大学、ジョジョ、駆けつける。幾つかのワードが鍵となって、ジョセフの記憶を解放していく。『柱の男』の件が終結してから数年、当時目を覆いたくなる様相を呈していた黒人への差別を打開すべく、進んで茨の道へ歩んでいった猛者がいた。そいつは青年時代にアメリカで出会った男で、財布を盗られたところから始まるという珍妙なファーストコンタクトを経た。

 

 祖母の世話に勤しんでくれもした。そのお陰で、ジョセフはニューヨークを離れて『柱の男』達との決闘に集中することができた。奴らのうち最後の1人との決戦に際して、当時の科学戦闘隊と共に駆けつけてくれもした。彼自身が戦ったわけではないが、間違いなく戦友であり、そして祖母の恩人でもある。

 

「おまえッ! スモーキーか、ジョージア大学政治学部卒業のスモーキー・ブラウンか!?」

 

「ハハ、よく覚えてくれてて何よりだ」

 

 知己との再会は、この歳になると嬉しいものだ。スモーキー・ブラウンはそう言ってにこやかに笑った。隣に立つ秘書らしき女が、やれやれと言いたげな目で彼を見る。前線から下がるよう提案するのは、一先ず諦めたようだ。

 

「きみとは洒落たバーで一晩中語り合いたいところだが、この状況をどうにかするのが先決だ」

 

「SPW財団の連中を連れてるってことは……おまえ財団に入ったのか」

 

「あぁ。もっともつい最近の話だがね」

 

 SPW財団は、世界有数の総合的な研究機関だ。主に医療分野で世界をリードするが、もう1つにして裏の主軸が超自然現象部門である。設立に関わったのは、19世紀後半に起こったとある事件──DIOという吸血鬼を生み出してしまった最悪の不運。設立者の遺志を継ぎ、彼らはジョースターの一族を様々な形で支援する傍らで、吸血鬼にまつわる研究を進展させてきた。

 

 超自然現象部門の存在は、公にされることはない。市井に露出して良い情報ではない、財団はそうした立場を堅持している。故に同じ財団の中でも、他部門の職員は存在を知らないという、身内にまで徹底した統制が敷かれている。

 

「花京院、ポルナレフ。こいつはスモーキー、わしの古い友達で現職のニューヨーク市長だ」

 

「ぅえッ……市長サマか!」

 

「スモーキー・ブラウン氏……そうだ、テレビで見たことがありますね。まさか実際に会うとは」

 

 ともあれ、ニューヨーク市のトップとしてのスモーキーは著名な人物である。名前さえ聞けば、世情の動きに聡い花京院はすぐに顔と名前を一致させられる。そして、そんな権力者と『古い友達』らしいジョセフの繋がり(コネ)について、新たな疑問が浮かんでくるのである。

 

 実際のところ、ジョセフとSPW財団との間には密接な関係がある。超自然現象部門でも、例外ではない。彼がかつて撃破したサンタナの確保収容、世界各地に散らばる吸血鬼を生む仮面の収集など、この部門は特にジョースターの血統との関わりが強いのだ。

 

 考えてみれば、奇妙な話ではある。確かに財団の創設者はジョセフの祖父と親交が深く、今後もその一族を支援するよう言い残すのは、さして不自然ではない。だが、現実にその遺志が受け継がれているのは、奇跡と呼ぶべきだろう。既に財団の設立より1世紀が経過しようとしており、幾らカリスマ性の高い指導者がいたとしても、時の流れに希釈されて別の価値観が樹立されるのが普通である。

 

 それだけ『ジョジョ』は財団にとって魅力的なのだろう。互いに敬意を払い、協力を惜しまないからこそ、長きに渡り付き合える黄金のコンビが完成したのである。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「成程。DIOはきみの孫が、サンタナは彼女か」

 

 スモーキーの乗ってきた車で、秘書の女による運転のもと街を移動する。目的は彼に伝えた上で、承太郎とDIOから離れ過ぎない位置を巡り、ゾンビを発見し次第撃破している。より広い範囲を、移動にかかる体力を節約して守れるようになったのは有り難い。

 

 今は街の東側へと向かいながら、情報を共有している。承太郎とフランドール、それぞれの臨む勝負を聞き、スモーキーは難しい顔をして唸る。

 

「正直なところを聞いて良いかい、ジョジョ」

 

「どうした」

 

「フランドールなんだが、彼女は何者なんだ?」

 

 財団は直近3ヶ月以内に誕生した新生児を含め、戸籍を持つあらゆる人間を把握している。無論各国の憲法が定める人権規定に真っ向から反するレッドデータであり、その取得には明るみに出せない方法を使ってもいる。世界平和の維持のためには、こうした所謂汚い手も、ある程度は仕方あるまい。

 

 だが、その中にフランドール・スカーレットなんて人物はいない。出生も母国も、来歴の1つさえ秘密のベールに包まれている。分かっているのは彼女の名前が『フランドール・スカーレット』であり、見たところ10歳に満たない幼子の姿をしているということだけだ。

 

 本人談では、イギリス出身の20歳。だがロンドンの支部に問い合わせても、結果は未検出(エラー)。これが意味するのは3通り、即ちデータを改竄されているか、()()()()()()()()()か。

 

「あいつらは吸血鬼とその従者。戸籍なんぞなかろう」

 

「吸血……なんだって」

 

「おー、待て。平気じゃ、フランドールはわしらの仲間。わしらがよく知る吸血鬼とは、そもそもの土台が違うんじゃ」

 

 もしくは()()が人間でないか。人外が戸籍なんて持たないから、財団のリストから漏れているのに何の不思議もない。 寧ろ漏れるべくして漏れている危険因子は、それこそ財団が最も警戒すべき者達に他ならない。

 

 事情を知らなければ、困惑するのも無理はない。彼女が話してくれたことを、偽りなく話す。DIOとは異なるタイプの、より純粋な吸血鬼であること。従えるメイドはスタンドなどではなく、特殊な才能を有する人間であること。

 

「純正の吸血鬼……そんなものが」

 

「まぁわしもビビったが、柱の男が実際にいたことを考えれば有り得ない話でもない」

 

「そうか……そうだな」

 

 生物の限界を振り切った、ある種の神に直面した経験があるからこそ、納得も早い。財団とて人ならざるものの全てを解き明かしてはおらず、あの仮面が吸血鬼を『作り出す』ものならば、正当な吸血鬼は前提的に存在すると考える方が自然である。

 

 ジョセフが信頼を置き、サンタナとの勝負を任せているなら、スモーキーに意見を挟む気はない。どんな経緯で味方になったのか興味はあるが、今は深く問う時ではない。

 

「オーケー、納得した。しかしあれだな、きみが老人みたいな言葉遣いだと違和感があるな」

 

「年相応っちゅー言葉があるじゃろ」

 

「きみも歳を取るんだなぁ」

 

「当たり前だ」

 

 人でない存在が人間に味方するケースは、スモーキーの知る限りではこれまでなかった。しかもジョセフの言葉から、単なる協力関係に留まらない信頼が窺える。昔から分け隔てのない性格だったが、遂に吸血鬼まで引き込んだか。全く大した男だ、感心しながら錆びない軽口の応酬を交わす。

 

「そもスタンド自体が、いまいち解明の進んでいないものだ。それこそ吸血鬼などよりも、な」

 

「実体がないからの。わしなんか何度研究に協力したか」

 

「だが推測くらいは立てられる。例えばポルナレフ、きみのスタンド『シルバーチャリオッツ』は、騎士の姿をしているね。それは恐らく『護る』という精神の顕現……言わば意志の半実体化とでもなるのか」

 

 何故スタンドは発現するのか。そして、性質の差異は何を根拠にしているのか。スタンドに主眼を置いた調査も、超自然現象部門の担当である。中でもジョセフは、財団が最も早く確認できたスタンド使いの1人であり、現在保有するデータの重要な礎となった。

 

 心理テスト、会話分析などから導かれたジョセフの性格は、『狡猾』。正直もう少し言い方があっただろうと思わないでもない。立ち回りにおいては褒め言葉だが、財団は彼のことをイカサマ師かペテン師と認識しているのか。

 

「ぼくだと『目立ちたくない』気持ちの現れになるのでしょうか」

 

「サンプルが少ないから、保証はできないな。ただ、所有者の性格や信念にスタンドが寄る傾向はある」

 

 花京院は、人の前に立ち導いていく気質の人間ではない。やろうと思えばそうするだけの能力は備えているが、自分と同じ価値観にない人々をも導こうという、ある種寛容な宗教的思想は彼には適さない。

 

 同じ価値観とは、心から信頼し合えるか否か。上辺の気持ちだけが通じ合ったところで、それに何の意味があるのか。人間は信頼できる者と真に交流を深めるべきであり、だからこそ彼は承太郎達と共に旅を続けている。

 

「DIOは『支配願望』がスタンドとして露出しているのだろう。時さえ手中に収めたい、そう考えていてもおかしくはない」

 

「支配を崩すことができれば、精神的には大きなダメージになり得る……何か良い方法はないものか」

 

 承太郎が話していた作戦が、DIOを精神的に揺さぶるものであれば、或いはスタンドの出力を削げるだろう。万全の状態で繰り出される奴のスタンドは、脅威の一言に尽きる。

 

 人間が作り上げた思想形態の最たるものが、神話であろう。ありもしない登場人物を神と呼んで、大規模な戦いなどをさせて物の名前の由来とする。人類が考える能力を獲得して以降、ほぼ間違いなく最初の純粋な創作物であり、数多くの文明や文化の基礎をなしてきた。

 

 北欧神話に姿の見えるスクルドは、時間にまつわる神だ。人間は時間という不可視のものを仮想存在に仮託するという、突飛ともいえる程の想像力を有していたわけだが、それでもスクルドは時を止めはしない。フォルトゥーナは壺を持ち歩き続け、事戸渡しは現と虚を分け隔てたに過ぎない。ゲーテはそれを願うに留まり、シェイクスピアはそれと対極に立った。誰も時間を『止めよう』などとは思わなかったのだ。

 

 DIOの行く道は、DIOの軌跡によってしか創られない。あの男は今、前人未到の道を歩んでいる。止めなければならない、未来よりはまだしも希望の残されている今のうちに。


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