DIO Frandre   作:海のあざらし

83 / 86
第八十三話 DIO BRANDO その⑧

 初めからあの子に全力の愛を注げていたかと問われれば、答えは否。お前に姉を名乗る資格はない、そう突きつけられても私は跳ね除けられない。

 

 何を言っても言い訳にしかならないのは分かっている。だからせめて弁明にならないよう白状するなら、私はあの子を守らなければいけなかった。あぁ、どうやっても憎たらしい自己弁護は残るのか。ならばせめて嘘偽りなく、己に言い聞かせよう。

 

 あの子は、人を疑えなかった。あまりに純粋で、穢れなき魂を備えていた。そして、大人しい気質を嘲笑うように恐ろしい力を持ってこの世に産声をあげた。

 

 私とあの子がいれば、未来を知り万物を破壊できる。まだ幼く、思い通りにコントロールできるであろう武器。今にして思えば、狙われない方が不思議ではある。

 

 私は、まず擦り寄ってくる不埒な輩を退けなければいけなかった。初めは極力争いを避けようとしていた、朧気な記憶もある。そんな配慮が無駄だと知ってから、一体幾つの言葉を周囲と交わしただろう。

 

 殺して、棄てる。そんな毎日だった。悔いなんてない。そうしなければ、私はあの子を守れなかった。だけど、時に同族さえも惨たらしく引き裂いて踏み潰した私を、優しいあの子はどんな気持ちで見ていたのか。

 

 あの子は、至って普通の性格を得た。温和でちょっとだけ意地っ張りな、可愛い少女へ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、心の底から悍ましいまでの恐怖に襲われた。

 

 どうして優しいままでいられるのだ。私を知っていながら、死をその目で数多見続けながら。数百年の昔に抱いた疑問を、私は未だ解決できていない。あるいは狂っているのは私で、彼女は踏みとどまれた側なのか。

 

 ひとときの安寧を得て、私は次にあの子に不純物を混ぜんと試みた。他者を疑え、協力者の仮面を下げてやってくる敵は多いのだと教えた。

 

 結論から言って、教育には失敗した。あの子は最後の最後でどうしても他者を疑い切れなかった。私は時に力をもって彼女を叱り、それでもあの子は私を疑うことさえできなかった。疑えない自分が悪いのだと考えて、私に謝るのを見て、私は自らの失策を知るに至った。

 

 それからは、あの子の意思を最大限に尊重してきた──そのつもりだ。あの子はもう覚えていないだろうけど、私には一貫して姉としての振る舞いを求めた。優しくて面白くて、でも何かあった時には頼りになる『お姉様』でいてほしい、と。私に是非はなかった。

 

 私の心配を他所に、あの子は歪むことなく育った。喜怒哀楽のいずれも欠けず、ころころと笑う。心の片隅に浮かぶ靄を見ないようにして、私は『お姉様』を演じ続けてきた。やがてそれは私と完全にひとつになり、暴君だった頃の私を思い出すのは、今では難しい。

 

 あの子が歪む気配は見えない。ならばそれで良いのだろう。()()()()、私は見守るのみだ。

 

 

 

 

 

 もうすぐあの子は帰ってくる。可愛い人間のメイドを連れて。ぐっすりと眠らせてあげよう。それから皆で卓を囲み、食事をとる。

 

 それでいつも通り。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「なぁ、ジョースターさん。DIOが吸血鬼って、お嬢サマも言ってたし当たり前に受け入れてたけどよ。人が吸血鬼になる方法なんかあるのか?」

 

 ポルナレフが胸の内に抱えていた疑問を表出したのは、街の中央部付近からゾンビが粗方掃討されたのとほぼ時を同じくした。

 

 SPW財団の加勢もあって、当初の予想を大きく上回るペースでゾンビの討伐と人々の避難が進んでいる。無論まだ気は抜けないが、気になっていたことについて尋ねるくらいの余裕はある。

 

 それを知ったところで、彼らの役目に僅かの追い風ともならない。どの道ポルナレフと花京院は波紋を使えないのだから。だがジョセフは咎めなかった。彼らにはDIOの、吸血鬼の背後に広がる事情を知る権利がある。そう判断し、小さく頷いてから話し始める。

 

「ポルナレフ、花京院。石仮面というものを聞いたことはあるか?」

 

「や……ねーな」

 

「ぼくも初めて耳にします。その石仮面とやらが、吸血鬼になるアイテムですか?」

 

「うむ。石仮面から伸びる針が脳を刺し、その刺激によって人間が吸血鬼に変わるんじゃ」

 

 人間を怪物に変異させるメカニズムを、ジョセフも最初は信じ切れていなかった。摩訶不思議なアイテムを名乗るただの石製の仮面ではないのか、自らの目で吸血鬼を見るまではそう思っていた。

 

 機関銃で体中に穴を空けられ、手榴弾でばらばらに吹き飛び、それでも再生し戦いを継続する。まさしく人智を超えた化け物だった。もう少し警戒心が強かったら、勝てたかは怪しいだろう。図らずもあの戦いが、ジョセフに吸血鬼のスペックの高さ、そして恐ろしさを教えることになった。

 

「脳なんて刺しても頭おかしくなるか死ぬだけじゃねーのか……」

 

「石仮面については、まだ分からんことも多い。だが、人を異形の存在に作り替える悪魔のような道具であることは確実なんじゃよ」

 

 吸血鬼そのものにも、成るための手段にも、常識は通用しない。そも現代に語られる吸血鬼伝承は、元を辿れば彼らの記録なのだ。幾つかは時代の流れと共に変容して、真実でない情報へと変わってしまったが、日光が弱点であるなど、今も潰えず残っているものもある。

 

 とかく吸血鬼についての幾点かを2人に話したわけだが、この程度の語量で言い表せる程彼らは浅い存在ではない。伝えるべきことは、まだ沢山ある。言葉を繋げようとしたジョセフを遮るように、無線機が短いノイズと共に上擦った声を拾う。小さな緊張が一同に走った。

 

『ジョジョッ! 聞こえるか!』

 

 無線を繋いできたのは、スモーキーだった。焦りを隠し切れない声に、嫌な予感が胸中に満ちていく。無線機の音量を上げて、2人を手招く。

 

「どうした」

 

『DIOが……DIOの様子がおかしい。一旦やつから離れるんだ!』

 

 DIOが不穏な動きを見せている。これまで数十年にわたって吸血鬼の調査研究を進展させてきた財団の超常現象部門が、恐らくは把握していなかった動きなのだろう。そうでなかったら、表に出す動揺は決して大きくなかった。

 

『財団の戦闘部隊が、脇目も振らず走り去るDIOと思しき化け物を確認した。どうも切羽詰まっている、いや、理性を失った様子だったらしい』

 

 思しき、という言葉がやけに耳に残った。DIOの姿形は当然財団も把握している。だというのに走り去った人影が奴だと確信を持てていない、ジョセフにはそう聞こえる。

 

「承太郎は無事か?」

 

『大丈夫だ、こちらに待機してもらっている。目立った怪我もしていない』

 

 真っ向から激突していた彼の孫は、別段ダメージを負ってはいない。そのことに一先ずは安堵した。隣でポルナレフが小さく息を吐く。

 

 場合によっては、承太郎に加勢する必要がある。まだゾンビは残っているけれど、財団の規模と武装なら、これ以上被害を広めずに鎮圧できる程度になった。気がかりな要素たるサンタナはフランドールが抑えており、今や彼らとDIOの激突を妨げるものはない。

 

 確かに時間停止は凶悪な能力だ。防御も回避も不能の強制停止を侮るべきではない。だが、不意さえ付けたら彼らにも攻撃の機会はやってくる。財団の報告通り、理性を欠いた状態でいるなら、付け入る隙は充分にあり得る。未だ充分な脅威ではあるが、ジョセフは現状を寧ろ好機と捉えた。

 

『とにかく、今は戦わないでくれ。街の西側に財団のキャンプを設けているから、そこまで来れるか?』

 

「分かった。今から向かうぞ」

 

『頼む』

 

 どう動くにせよ、財団の面々と今後の対策を話し合わなければならない。ここから街の西部まで、最短かつ最速で10分程度か。通話の切れた無線機をポケットにしまって、ポルナレフ達と共に駆け出した。

 

 

 

 

 

 ことり、小さな機器を机に置く。先程まで友人の声を届けていたそれは、役目を終えて静かに休止状態(スリープモード)に入る。

 

 SPW財団の行動拠点たる仮設キャンプは、俄かに騒がしくなっていた。基地内を走り回って情報を求め、あるいは出払っている部隊に仔細指示を送る。それでも混乱にまで至っていないのは、彼らが平時より重ねてきた想定の成果か。

 

 未知の事象の発生を受けて、誰もが慌ただしく動いている。そんな外の喧騒と、最奥のテント内部とはまるで対照的な雰囲気であった。

 

「ジョジョたちがここに来るまでの間、きみに聞きたいことがある」

 

「DIOがあぁなった理由、か」

 

「ふむ。流石に彼の孫だけあって聡いな」

 

 向かい合って座る17歳の少年を、スモーキーは子供だとは思えなかった。幾ら大人びているといっても、こうもあどけなさが見えないなんてことがあるのか。まるで歴戦の勇士のように、彼を見据える目は鋭い。

 

 この目は、何ともジョセフに似ている。若かりし頃の記憶が見せる彼の(ヴィジョン)もまた、飄々とした物腰の裏に猛禽類のような目を隠している。星型の痣と同じく、きっと彼らの一族に受け継がれる遺伝なのだろう。

 

「あいつは()()()()()()()()()()()()。更なる覚醒のため、とか言ってたな」

 

「なに?」

 

 承太郎は充分以上に冷静な男である。DIOとの戦いの中でも、その落ち着き具合に翳りはなかっただろう。見間違いの線は薄いだろうし、そもそも脳に指を突っ込んだのを何と見間違うのか。

 

 常識の観点に立つならば、自殺の線が最も濃くなる。脳を損傷した生物は、基本的に死亡するからだ。運が良くたって……それを『良い』と言うべきかすら微妙であるが、植物状態は免れ得ない。それは普遍性と非代替性を兼ね備えた掌中の玉であって、一筋の傷だって許容してはならないもの。

 

「……先に言っておくと、これから話すことに確たる証拠はない。もしかすれば、DIOは単にきみに敗れる恐怖から狂ったのかも知れん。だからこれは推論だ」

 

 覚醒という目的、頭部への刺激。スモーキーには思い当たる節があった。節というには荒唐無稽で、しかしながらどうしても排除し切れない可能性だった。

 

「やつは()()()()()()()()()()()可能性がある」

 

 有り得ない、と断言はできない。DIOはかつてジョセフの祖父──石仮面研究の第一人者と共に暮らしていたと聞く。その中で研究結果を見ていたって、何もおかしくはない。旧ジョースター邸が焼け落ちた今、原初のノウハウを知り得る者は奴をおいて他にいない。

 

「石仮面は、針で脳を刺激することで、恐らくは人間に眠る潜在能力を引き出している。それをもう一度行うことで、より強い力を引き出そうとしたのではないだろうか」

 

 自分で口にしながら、とんでもない話だと思う。もし他者からそんな話を大真面目にされたら、スモーキーとて怪訝な顔をする。

 

 そんな前例はこれまでにない。そも石仮面が、人に人を超えた力を与える悪魔の道具であって、更なるパワーアップの手段など誰も──恐らくは仮面の製作者達でさえ思いもよらなかったはずだ。

 

 柱の男達にとって、吸血鬼は試行錯誤を繰り返していたら運良く創り出すことに成功した、まさに偶然の産物である。活きの良いエネルギー源、丁度人間にとっての獲れたての魚のように。故に、力を石仮面に求めた人間自体、これまでたった1人だけだった。

 

 人間の昏い欲望は、時に幻覚を見せながら危険な橋を渡らせる。大抵は足を踏み外して奈落の底へ落ちていくが、ごく一部の悪運強い者は橋を渡り切ってしまう。周囲に多大な影響や被害をもたらすのは、得てしてそんな者達だ。人を人たらしめる欲望の箍が外れた、無限大に膨れ上がる渇望の化け物。

 

 ……スモーキーの知識と最悪の可能性を結びつけた仮説が、重く苦しげな口調にて語られ終わる。承太郎は何も言わず、腕組みをしたままただじっと何処か一点を見つめている。キャンプの中がしん、と静まり返った。

 

「DIOの奇行は気になるが、最優先はジョジョたちとの合流だ。済まないが今暫く待機を──」

 

 言葉を続けさせず、発砲音が立て続けに喧騒を斬り裂く。承太郎が眼光鋭くキャンプの外へと目を向ける。

 

「どうしたッ!」

 

「ッ、DIOです! やつの襲撃ですッ!」

 

 

 

 

 

「……」

 

 なんで急に立ち止まったんだこいつ。つい数秒前までとても追いつけないようなスピードで駆けていた女と、本当に同一人物なのか怪しくさえなる。息を切らしたイギーの訝しげな視線を知ってか知らずか、咲夜はそっと目を閉じた。

 

 その姿は、まるで哀れんでいるようでもあった。あたかも黙祷を捧げるかのように。少なくとも、侮蔑の感情は感じなかった。

 

 憐憫、哀悼、共感──如何なる言葉で表せようか。違和感とも言えない奇妙な感覚に浸る。

 

「イギー、SPW財団の本拠地へ行くわよ」

 

 いつの間にか再び動き出していた咲夜に、軽く驚かされる。これ以上の驚愕を、今日という短時間で嫌になる程味わっていたから、たじろぐ程度で済んだ。これをラッキーと評するつもりはない。

 

 全くもって疲れた様子もない。よって休憩しに行くわけでもなさそうだが、財団のキャンプに用なんてあるのか。

 

 財団謹製の最新鋭武器を借りて、より効率的にゾンビを倒そうと目論んでいるのかも知れないが、多分徒手空拳で薙ぎ倒した方が早い。素の身体能力が異常に高いのだから、それを活かせば良いだろうに。

 

「咲夜!」

 

 知った声は、上空から降ってきた。そういえば、何故空を飛べるのかについての説明はされていない。翼があるから、と言われれば、地を走る獣としてはそれまでだが、その形状の翼で飛行は不可能ではないだろうか。

 

 辺りにサンタナの姿はない。あれも立ち居振る舞いや気配からして圧倒的な威圧感を放っていたが、人外対決はフランドールに軍配が上がった、といったところか。どんな勝負だったのか、イギーには知る術がないが、彼女から血の匂いがしないので、力量差を見せつけての完勝だったのかも知れない。

 

「貴女もイギーも、無事で良かった」

 

「問題ありませんわ。して妹様、かの気配についてですが」

 

「えぇ。DIOだとは思うけれど」

 

 手短に言葉を交わし、それから咲夜もまた宙へと浮かんだ。通じ合える者同士、今の会話だけで凡そを把握できたのだろうけど、生憎脳内に疑問符多数な(イギー)もここにいる。できればもう少し、いやもっと詳しい説明が欲しい。

 

 ひょい、と落とした500mlのペットボトルでも拾うみたいに、咲夜がイギーを抱える。割れ物を扱うように胸に抱かれながら、こうも安心できないのは初めての経験だ。これまでなら不意をつけばいとも簡単に脱出できていたが、彼女に同じことをしようものなら、あの氷点下の蒼白眼で射抜かれるわけで。イギーは恐らく生まれて初めて、人の胸に恐れを覚えた。

 

 かなりのスピード、間違いなく先程までの咲夜疾走を上回って、少女は空を飛ぶ。眼下で街の灯りが線状に流れていくのを、暫し呆然と眺めていた。

 

「咲夜。あれを一言で言い表してご覧なさい」

 

「はっ。『渾沌(カオス)』かと」

 

 間髪を入れず、簡潔に答える。全幅の信頼を置くメイドの回答に、フランドールは真剣な表情で考え込む。宇宙(そら)の月は、いつの間にか黒く厚い雲に隠れつつあった。

 

「真の意味で『妖怪』になりつつある、と思う」

 

 その言葉の真意は、イギーには測りかねた。とはいえ、それが歓迎できないことくらいは、彼女の反応を見ていれば嫌でも理解できる。DIOは『ヨウカイ』なるものへ変貌している途中なのか、或いは既に変わり切っているのか。燃え落ちる館の傍らで、見せた蠱惑的な笑みが、ふと彼の脳裏を過ぎった。

 

 2人の飛ぶ速度が、ゆっくりと落ちていく。まだ些か遠いが、朧気にキャンプが見えてきた。内部の様子を窺うよりも早く、イギーの鼻をつくある匂い。野良犬だった頃から幾らか覚えはあるが、こうも濃いものを嗅ぐのは初めての経験だ。

 

 硝煙、そして人間の血と脂の匂い。それらが歪に混ざり合って、ともすれば嘔吐いてしまいそうな、甘ったるささえ感じさせる匂いになっている。見るまでもない、数十メートル先が如何なる惨状を呈しているかなんて。一体何人を供すれば、ここまで悍ましい異臭が出来上がるのか。

 

「一足遅かったようです」

 

「みたいねっ」

 

 可憐な少女に、およそ似つかわしくない語気の調子が、フランドールの内心の焦燥を表しているかのようだ。一方で咲夜は何処までも静かで、あらゆる感情を排しているとさえ思えた。

 

 中は惨憺を極めていた。分かっていても、思わず顔を顰めてしまう。最早人だった肉塊を視界に入れないために、努力を要した。人工の光源に照らされて赤黒く煌めいている血が、まだ乾かない程につい先刻の惨劇であると物語っていた。

 

 体温の残る亡骸を踏まないように、奥へ向けて慎重に歩いていく。DIOの気配はしなかった。こんな場所ではイギーご自慢の鼻も頼れないが、嗅覚が封じられていたって、あの恐怖を煽り立てる気配を取り違えるはずはない。ここで暴れ、もう何処かへ立ち去った後なのだろう。

 

 承太郎は無事だろうか。きっとDIOの根幹が揺らぐ瞬間を目の当たりにしている彼は、最も暴力に晒される危険性が高い。

 

 理性や感情という律的概念を持たず、まさしく本能のままに行動する不可解な化け物──フランドール達はそれを本当の『妖怪』と呼ぶ。力もさることながら、その躊躇いのなさから来る凶暴性こそが、真に恐れるべきものである。

 

 とにかく、生存者を探さなければいけない。今のDIOについてのどんな情報も、優先して得ておきたい。弱点が見つかれば幸運で、最悪奴の行き先に検討をつけられればそれで良い。

 

「……貴女は」

 

「あぁ……強いメイドさん。休憩かしら?」

 

 九分九厘が息絶えているこの場で、数少ない──もしかすれば唯一の生存者を発見できたのは、その人間が微かに身動ぎをしたからだ。そうでなかったら、フランドールや咲夜でも見つけられていたかは怪しい。

 

 左の脚に、大きなガラス片が刺さっている。肉どころか、骨まで貫通しているだろう。出血量からして、直ちに命に関わる大怪我で、もたらされる激痛は想像に難くない。それでも弱さを隠して、女は震えた声で軽口を叩いた。

 

 脚以外にも、女はあちこちに傷を負っていた。彼女が着ている服の袖を破り、肩の傷を縛る。噛み殺された小さな呻き声を聞きながら思う。こんなものでは、焼け石に水だ。

 

「きみたちはDIOを追っているのよね」

 

「えぇ」

 

「……やめた方が良いわ。幾らきみたちが強くても、()()は何か決定的におかしい」

 

 きちんと訓練を受けた兵士を、こうも無惨に殺し尽くせるのか。人として、いや、生物としての制限が外れていなかったら、こんなことはできない。

 

 腕前だけならフランドールも、咲夜だってクリアしている。異なる世界の怪物達は、人体を容易にへし折れた汚らしいオブジェに変えられる。だが、そんな行為にも必ず終わりがやってくる。

 

 生きているものの命を奪う行為は、実行者の精神を削る。鑿で掘り進めていくように、少しずつ、ともすれば本人が気がつけない程の遅々としたペースで。1度の振りで削れる幅が小さいだけで、それは咲夜でも同じことである。殺し続ければ、いつかはその業に狂い果てるのだ。

 

「貴女、覚悟はできてるかしら。本物の怪物に睨まれる恐怖を。折れずに立ち向かう勇気を」

 

 今夜が勝負だ。日を跨がないうちに、何としてもDIOを殺さなければならない。被害が拡大しないように、そしてこれ以上進化をしないうちに。

 

 財団は、総力をあげての殺害を目論んでいる。科学と人員を集結させて、塵のひとつも残らないまで消し飛ばさんとするはずだ。当然、攻撃に対してDIOは無抵抗ではいないわけで。

 

 もし少しでも恐怖を覚えたなら、引き下がっても誰も咎めはしない。女自身、もう一度奴と相対するのは真っ平御免である。

 

 戦闘部隊に所属する者として、己の研鑽に余念はなかった。周囲の同期、先達、後進よりも強くありたかった。性別なんて関係なくて、強くなった先に何があって、何を為すことになるのか、特段考えはしなかった。目的が単純明快だからか、財団の同僚で彼女よりも戦闘に長ける者は、いつしかいなくなっていた。

 

 思い上がっていた節もあった。誰と訓練しても勝つのは自分で、いつしか勝つのが目標から日常になっていって。だからこれは罰なのだろう。端的に過ぎる解釈だと自分でも思うけれど、思わずにはいられない。

 

 数年をかけて構築していった、堅牢なつもりだった自尊心と輝き。舞い込んできた吸血鬼討伐の任務、女にとって初めての人外との戦闘になった。

 

 そして今宵彼女は現実を思い知った。プライドは粉々に砕き割られて、千々に引き裂かれて、塵になったそれは何処かへ飛んでいってしまった。後に何も残っていない自らの心を見て、漏れ出た笑いは乾き切っていた。

 

「無論」

 

「……貴女は強いのね」

 

 あぁ。私よりも強い貴女は、勇敢にも挑みかかるのか。人間の限界なんて歯牙にもかけない『異常』へと。吐き出した吐息に、燃え尽きそうなまでの羨望を乗せた。

 

「市長と空条 承太郎を乗せた車は、街の中心部に向かったわ。行くならお気をつけて」

 

「感謝しますわ」

 

 ふと瞬きをした。ぼんやりと視界が歪んだのは、血を流し過ぎたからなのか。目眩にも似た感覚が消えて、次にはっきりと前を見た時、そこには誰もいなかった。あれは死に瀕した肉体が最期に見せた幻覚だったのか。

 

 否、肩には即席の包帯が巻かれてある。脚を貫いていたガラス片も、全く気がつけないうちに抜き取られていた。何処から取ったのか分からない布で止血がなされているお陰で、まだ暫くは命を繋いでいられそうだ。

 

 星のひとつも見えない真っ暗な空を見上げて、それからそっと目を瞑る。心を乱す暗い気持ちに、少しでも整理をつけなければ。そうしなければ、やがて耐え切れずに破裂してしまいそうだった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ずっとお姉様のことを疎ましがっていたかと問われれば、答えは否。寧ろ私はお姉様のことが好きで、尊敬している。

 

 言い訳なんてしたくない。だからせめて恥ずかしくないよう白状するなら、私はお姉様に守られていた。あぁ、私は愛を供給されるだけの令嬢だった。ならばせめて嘘偽りなく、私の気持ちと向き合おう。

 

 お姉様は、長女として生まれた。あまりに重い立場で、気を休める暇なんてあまりなかったと思う。そして、重苦しい責任に拍車をかけるように異質な力を持って私より先に自我を得た。

 

 私とお姉様がいれば、運命を読み破壊を振り撒ける。確保しておけば、大きな抑止力になる盾。今にして思えば、狙われない方が不思議ではある。

 

 お姉様は、まず擦り寄ってくる不埒な輩を退けていた。初めは極力争いを避けようとしていた、お姉様も昔は丸かった。そんな配慮が無駄だと知ってから、お姉様は私以外と言葉を交わす機会がめっきり減った。

 

 涙して、項垂れる。そんな毎日だった。後悔しかない。そうしていただけだったから、私はお姉様に守られ続けた。だから、時に同族さえも手にかけたお姉様を、私は呆然と見ていた。

 

 私は、至って普通の性格を得たと思う。温和でちょっとだけ意地っ張りな少女へ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、心の底から悍ましいまでの恐怖に襲われていた。

 

 私は優しいままでいられた。お姉様を知っていながら、お姉様を知っていたから。数百年の昔に身についた性格は、私にとって奇跡にも等しいものだ。あるいはお姉様が全力を賭して授けてくれて、あの人には残らなかったのか。

 

 ひとときの安寧を創ったお姉様は、次に私に不純物を混ぜようとした。他者を疑え、協力者の仮面を下げてやってくる敵は多いのだと言った。

 

 結論から言って、私はお姉様の期待に応えられなかった。私は最後の最後でどうしても他者を疑い切れなかった。そんな私を、お姉様は時に力をもって叱った。そうまでしてくれるお姉様も、私は疑えなかった。疑えない自分が悪い。謝った私を見て、お姉様は何か誤解をしたように思えた。

 

 それからは、私の意思を最大限に尊重してくれた──私はそう感じている。今でも鮮明に覚えているけれど、私はお姉様に姉としての振る舞いを求めた。優しくて面白くて、でも何かあった時には頼りになる『お姉様』でいてほしい、と。押し通してしまった我儘に、胸が痛んだ。

 

 お姉様とは対照的に、私は爛漫に育った。喜怒哀楽のいずれも欠けず、ころころと笑える。心の片隅に浮かぶ靄を見ないようにして、私は『手のかかる妹』であり続けた。生来付き合い方を貫徹させていたお陰か、泣き虫だった頃の私を思い出すのは、今でも簡単だ。

 

 お姉様は、私に無償の愛を注いでくれる。ならばそれを甘受していたい。()()()()、私は愛されたいのだ。

 

 

 

 

 

 もうすぐ私は帰る。凛々しくもちょっと常識からずれた人間のメイドを連れて。ぐっすりと眠りたい。それからお姉様と2人で、久方ぶりの語らいを存分に楽しむ。

 

 それでいつも通り。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。